この歳にして尊敬できる人を見つけた(串田孫一)①

 久しぶりに尊敬できる先人を見つけた。とても嬉しい。と同時に、何故今まで出会わなかったのか悔しい。

その先人の名は串田孫一。1915年生まれ、2005年歿。

「考える遊び」(1992年、筑摩書房刊)を読んでの感想だ。

まんざら知らない名前でもなかったのに、何故か彼の著作は読んだことがなかった。へそ曲がりの俺と似たような切り口で物事を切り取り、考える人だ。ただし、育ちがいいのか、人間が謙虚なのか、俺よりずっとおだやかでお行儀のよい語り口だ。「上品なへそ曲がり」とでも言うべきか。「自分の頭で考える人」であった。この本を読んでいると、励まされるし、頭や心に滋養が染み渡る感じがする。もっと若い時に知りたかった人だ。山口瞳との対談で面白そうな人だ、と思って彼の本を読んでみようと思った。こういう「芋づる式」が本を読む醍醐味であり、大げさに言えば人生の楽しみだ。

1926年生まれの山口瞳、1929年生まれの色川武大などは1941年の開戦時10代で、「国に騙された・踊らされた」みたいな意識があるように思う。それに対し、串田孫一の世代は開戦時大人であったから「どうしてあの無謀な戦争を止められなかったか?」という後悔と言うか、贖罪意識があるような感じだ。だから謙虚な印象を受けるのか。

この本は30作の随筆からなる。本のタイトル「考える遊び」にも気を惹かれるが、以下に羅列する各随筆のタイトルも思わず読みたくなるものが多い。深いと言うか、含蓄があるというか、なぜか、profoundという言葉も浮かんでくる。

・飛び損ねた天狗

・自分を欺く門

・一本の螺子

・奇跡を欲しがる祈り

・己惚(うぬぼれ)鏡

・言葉に換えた素振り

・新奇な思考の試み

・芽生えない噂の種

・逢う魔が時

・神への賄賂

・恋忘れ貝

・彼が私になる時

・可憐な守護神

・手先の知恵

・外面如菩薩

・転把(ハンドル)の遊び

・悲哀の沈黙

・隠れる者の咳払い

・乳白色の膽(きも)

・羞愧(しゅうき)の笑い

・美しい身の熟(こな)し

・精神的宦官

・鶩(ぼく=あひる)に類す

・無言の行

・楽屋裏

・花壇と井戸端の歌

・裏返しの字

・食卓を囲む談笑

・夢合早占

・着地の難しさ

閑話休題:

昨日、たまたまゴルフをご一緒した田中さん。初対面だったことを差し引いても、とてもマナーがよく、礼儀正しかった。会社員風だ。プレーも確実。飛距離も充分。年は60歳前後か?俺のような礼儀知らずから見れば尊敬に値する人だ。驚いたのは、昼飯にステーキを食ったことだ。その点で昨日はラッキーな日だった。




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