山口瞳 対談集② (丸谷才一、諸井薫)

  1983年、丸谷才一との対談

黄色ハイライト部に関する※俺のコメント

山口:例えば新幹線の食堂でも、一品でいいからうまいもの、コーヒーだっていいんです。「新幹線のコーヒーは割にうまい。そのかわり500円だ」と、どうしてこうならないかと思うんだけどなあ。・・・だけど新幹線の食堂は、内田百閒先生に言わせるとね、「君、文句言っちゃあいけない。新幹線のカレーライスは、あれ自体時速200キロで走ってるんだ。だからあれは高くてもしようがない。まずくてもしようがない」(笑)

「アラビアノロレンス」のピーター・オトゥールは、新宿より池袋や渋谷のキャバレーが好きだというんです。キャバレーに行くと、ジンを一本明けちゃうくらい長時間いる。そのくらい好きだというんですけど。

丸山:いっそそこまでいくと分かる気もする。つまり気持ちが楽になるんだと思う。グレアム・グリーンというイギリスの小説家は、30代のころ、いつも南米に行きたいと言っていたそうですよ。「俺は南米に行きたい。あそこは総理大臣が、人前でも平然としてワイロを受け取る。紳士が昼日中、堂々と淫売屋に言って遊ぶ。道徳律と言うものに縛られていない感じ、それがとってもうらやましい。」と。

山口;僕もそう思うな。うらやましいな。

丸谷:でも、我々日本人はうらやむ必要はないんですよ。総理大臣が堂々とワイロを受け取る国に住んでいるんですから。(笑)

山口:それから僕は、江戸時代に生きてみたかったな。「みんなでちょっと験(げん)なおしに吉原へ繰り込もうじゃないか」ということがさ、わりにスラッと言える世の中に住みたかったなあと。

※全く同感。「験なおし」・・・粋だ。21世紀の日本で言ったらなんだろう?思いつかない。

たとえばここに初対面の人がいれば、「丸谷さん、こちら酒田なんですよ」なんて、そういう商会の仕方をするじゃあないですか。そうすると、とても嫌がる人がいるんですよね。

丸谷:それは僕も嫌です。というのは出身なんて偶然的なものに過ぎないから。つまりね、もっと別の一般的なことでー例えば「この人は小説がとっても好きなんですよ」と。何も僕の書いた小説でなくていいんですよ。一般に「小説を読むのが好きな人なんです」とか言って紹介されるのは好きですね。

山口:だって、どこそこの出身というのは一般的でないとも言えないでしょう。そう言えば話が弾むんじゃないかと思って、好意で紹介するのに、ソッポを向かれたりね。

丸谷:ソッポを向くというより、それがどうしたという感じはありますよ。つまりね、「丸谷さん、あなた8月生まれだそうですけど、この人も8月生まれなんですよ」と言われるのとほぼ近い感じ。僕は、あの人が東大英文ですと紹介さる時も、そんな感じがします。それがどうした。という感じが。

山口:ああ、それは私もありますね。よくバーなんかで、「私は麻布中学の10年後輩です」なんて言われると、もう嫌な感じ。

丸谷:同級生だから親友だという思想の持ち主がいるでしょう。でも、そうじゃないんですね。同じ大学や学校を出たからといって、別にどうってことはないもんでしょう。僕の場合は嫌がるというのとも違って、そこで喜ぶというのはあまり意味がないという感じなんですね。僕は鶴岡の話をされるのは好きな方ですけれど、「鶴岡の出身です。だからよろしく」とか言われると「そう言われても困るんだよな」といったような感じがする。

※全く同感。同じ学校を出た、出身地が同じだ・・・そんなことで仲良くなったり、集まったりするのは俺も理解できぬ、というか反発を感じる

山口:それから「君、東京には哲学者もいなけりゃ海軍大将、陸軍大将もいないじゃないか」と来る。それがどうしたんだと言いたくなる。こっちは陸軍大将にはなりたくない、海軍大佐もごめんだ、と言う気持ちで暮らしているわけですから、そういうことを言われること自体にびっくりするんですね。

丸谷:ダメと言えばダメでしょうが、それは基準の置き方の問題ですからね。ただ僕は、幕末の御家人、旗本のたぐいの生き方に、今の東京人の原型的なモノがかなりあると思うんです。あの連中は、優秀なやつはえらく優秀なんだけど、ダメなのはダメなのね。平仮名も読めないような侍がいっぱいいたんですね。それから気性がえらく退嬰的で、一芸一能はあっても、実務能力がなくて、覇気がなくて、そのくせむやみに男前がよくて、女に尻に敷かれるのがうまかったりして・・・

僕は去年、北京と西安と上海に行ったんです。北京はね、一国の首都であるにもかかわらず、いかにも警察国家のがんじがらめの体制がひしひしと感じられる、とっても辛い町なんです。きれいな街ですよ。きれいな街だけど、なんだか街を歩いている人が生き生きしてない感じがする。それから西安という町は歴史が古くていい町です。僕は大変好きでしたけれど、現代に生きるという生命力がないんですよ。それに比べ、最後に行った上海は、あんまりきれいじゃない、汚れている街です。でもね、少なくとも中国と言う国の中では非常に精神の自由がある。みんなが生き生きと暮らしているという感じがする街で、人々の足取りなんかもなんだか颯爽としていましたね。

※全く同感。中国で言えば北京、アメリカで言えばニューヨークは飛行機から降り立つと緊張を感じる。また、西安と同じ生命感のなさを広東省・広州で感じた。

山口:僕は、地方都市から出て来た人の方が、流行に敏感だと思うんです。東京の人って、たとえば串田孫一さんのようにデパートの吊るしんぼうの洋服を買って来てね、それが擦り切れるまで着てるんです。で、ダメになると、また、吊るしんぼうを買う。僕はダンディーで洒落ているなと思うんだけど、地方から出てきた人はそうは思わないね。いきなり、ダンヒルのライターを買う。(笑)それで百円ライターを持ってる人をいくらか軽蔑したような顔で見る。僕はわりに幼い時から、専門店へ行って買い物をしてきましたけど、関西の人はそう言う所で買うのをとても嫌がりますね。デパートへ行って、たくさんあるなかから選びたいと言いますね。ネクタイならネクタイを買う時に、デパートへ行くとはるかに品数が多いですから、そのなかから選ばず一発でこれ、といって買ってしまうんですけどね、関西の人はそれじゃ買い物の楽しみがまるでないじゃないかと。お互いに理解できないところなんですね。

丸谷:山口さんのそういうものの言い方、考え方の変な感が、僕には面白いんだな。腹を立てるのでもないし、同感するのでもなく、人間観察として面白がる。僕は、実はそれがあなたの書くものが評判いい理由なんじゃないかと思っている。こういう変なことを言う人がいて面白いなという、それがあなたの人気なんじゃないの?

山口:珍獣パンダだね。(笑)

丸谷:パンダとは違うけれど、なんだか面白い。内田百閒先生の随筆って面白いでしょう。面白さの感覚から言うと、あれとかなり近い。内田百閒を読んで、そうだそうだと思う人はいないでしょう。それから読んで腹を立てる奴がいたら、またこれもばかだね。単純に、こんな変なことを言う人がいて面白いと、この感覚に近いんじゃない?

※内田百閒の随筆も好きで読んだ・・・煙草やまんじゅうのどれを一番先に口にするのか?百閒先生は「吸われたそうな(食われたそうな)ヤツ」を選んだ。俺も百閒先生の好物だった大手饅頭を食う時は同じことをする。

山口:二円の借金を払うのに、十円タクシー代を使うようなところがあるじゃないですか、あの人は。百閒はそれをまともに書くでしょう。どうしたってこれは根本的に頭が悪い。そこがおかしいんだけどね。ほとんど処女作に近いけれど、「琥珀」というのがあるでしょう。あれ大好きなんです。松ヤニを地面に埋めると琥珀になる。ただし、それは何千年か経たなければ琥珀にならない。そこで松ヤニを埋めるんですけど、その晩どうしても眠れなくて、翌日すぐ掘り出してしまう。そういう何千年かのなかに生きる人間の根元的な悲しみを、一番上手く文章にしたのが百閒だと思うんです。かなわない、という感じがありますね。

1990年、諸井薫との対談

諸井:しかし、この商売以外ダメだと思い屈して馬車馬みたいに働きゃ何とかなるとか通用するということもだんだんわかってきましてね。

※全く同感。21世紀の日本でも同じだ、と信じたいネ。虚仮の一念、石にかじりついてでも・・・流行んないのかねえ????

山口:本当にその通りだ。永井龍男さんの受け売りになるけれど、いよいよ作家でやろうとするとき、他人が一日でやれる仕事を二日か三日かけてやれば俺だって何とななると思ったもの。今まで牛馬の如く使われていたあのエネルギーをぶつければ何とかなると・・・。

諸井:三晩徹夜して、その次の日は原稿用紙が眼前でグラッと揺れて、その場でダウンなんてこともあったし。

山口:よく赤い小便が出たなあ。

諸井:でも僕らみたいに社会適応力の低い人間がこうやって働ける場所があるだけ仕合せだ、と感じないこともなかった。

※21世紀の日本の転職大好きな若者は自分のことを社会適応力が高いと思ってるの?

山口:そう。それに仕事自体がつまんなくはない。自分が発見した作家なりタレントなりがどんどん売れて行くのは愉快だった。

※これぞ、仕事の醍醐味。これぞ、成長。面白さ、愉快を感じた上に給料までもらえるんだぜ。

諸井:そのころ、原稿料で暮らすプロのもの書きが、どうしてこうも文章が下手なのかと腹が立つことはありませんでしたか。編集者というより、僕はもっぱら、リライターでしたね。

死生観が確立してるなんて大それたことは言えませんが、僕の場合、それほど生に執着がないな。

山口:怖くない?

諸井:ええ。痛いのはイヤだけれど怖くない。ぼくをあてにしている人間が愕然としいぇ困った利しない程度のことができていれば、それいいと。仕事なんてどうでもいいの。何かまだやり残しがあるなんて言う未練は単に怠けてやらないだけのことですから。こと切れた時が終わった時だと思う。

※全く同感。怖いのは痛い事。死んだらハイ、オシマイ。

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