1月25日付け朝日新聞デジタル記載の 「責任を取る」とは何か 高齢者に伴走、「いろ葉」が貫くケアの信念
「コロナ禍と出会い直す 磯野真穂の人類学ノート」(第31回)
※鹿児島で介護施設「いろ葉」を運営する中迎聡子(なかむかえ さとこ)に関する記述。
暮らしを感染対策で塗り潰さない介護を頑強に続けたいろ葉であるが、なぜかれらはそのようなケアを続けることができたのか。それを知るためいろ葉の原点にさかのぼろう。ここからは中迎へのインタビューに加え、彼女の2冊の著書『介護戦隊 いろ葉レンジャー参上-若者が始めた愛と闘いの宅老所』(雲母書房)、『最強のケアチームをつくる―いろ葉の介護は365日が宝探し』(円窓社)を参照する。
1999年、ちょっとした好奇心で応募をした新設老人ホームの職員に合格した中迎は、研修で入った初めての介護施設に絶句する。
すり替わっていた仕事の目的
朝、お年寄りたちは放送で一律に起こされ、食事、おむつ交換、入浴とモノのように処理されていた。のみ込みを確認したら次のひとさじが口から流し込まれ、食事を楽しむ暇などもちろんない。廊下では、タオルをかけた裸の老人たちが列を作ってお風呂の順番待ちをしている。鍵のかけられた部屋もあり、中ではお年寄りがぐるぐると歩き回っていた。
他方、何十人もの食事・入浴・排泄(はいせつ)介助を流れるようにこなしていくスタッフたちは、スケジュール通りに全ての作業を終わらせることに満足感を覚えているようだった。仕事の目的が介護から「決められた業務を滞りなく終わらせること」にすり替わっていたのである。中迎は研修で受けた打撃を次のように描く。
2週間の実習の中で、私は光を見つけることができませんでした。自分の思ったことさえ誰にも話せませんでした。衝撃を受けた自分がおかしいのか?それとも他の人が施設というものの中にのみ込まれ、感覚がマヒしてしまっているのか?頭がおかしくなりそうでした。私は私自身が人間であり続けるために介護のプロになってはならないと思ったのです。この気持ちを忘れた時は、感じなくなった時は、この仕事は辞めよう、この仕事をしてはいけない、そう自分に誓いました。
しかし誓いを立てたはいいものの、それを実践しようとすればするほど、彼女は職場の中で孤立した。泣かずに帰った日はない、毎日が戦いに行く思いだったと、かの日を振り返る。
他方、中迎を慕うお年寄りたちは「顔色が悪いよ」「休みなさい」と気遣って声をかけてくるようになった。そしてとうとういつも励ましてくれたお年寄りが「さあちゃん、ここを辞めなさい」と彼女にとどめを刺す。そのお年寄りはこう言ったという。
「さあちゃんは、私たちの代弁者だよ。私たちがどんなことで泣いているのか、私たちの気持ちを話して、変えていって」
「トイレのコールを鳴らす時も、すごく我慢して限界で鳴らしている。『またね。さっきも行ったのに……』と嫌な顔で介助をされても、『ありがとう』と頭を下げている。自分でできるのなら、頼まないよ。頼みたくないよ。トイレに行くたびにくやしい思いをしているんだ」
施設の都合に沿わせるのではなく
中迎は、トイレに行きたい時にいつでも行くことができる、お年寄りとスタッフが今を共に生きられる場所を作ろうと決意し、2002年9月に3年勤めた老人ホームを退職。縁が生んだ広がりを足場とし、2003年6月、介護保険事業所「いろ葉」をオープンした。
それから20年。設立当初の中迎の誓いは、運営のさまざまなところに浸透している。例えばいろ葉には、あらかじめ定められたスケジュールがない。もちろんある程度のスケジュールはあるが、それは担当スタッフが、全体と個別の状況、さらには天気などを総合的に判断し、その日の朝に決めていく。
さらにいろ葉では、シフトもはっきり決められていない。出勤日、夜勤、休日はあらかじめ決まっているが、勤務時間が流動的なのだ。流動の程度は施設ごとで異なるが、例えばひらやまのお家では、出勤・退勤時間が前日に決定される。施設の都合にお年寄りの生活を沿わせるのではなく、お年寄りの都合にスタッフが合わせられる勤務体制をとるためだ。
加えて一日の過ごし方やシフトは、管理者だけが作るわけではない。新人も含めた全員がそれらの作成を任される。このことを管理者岡原は次のように説明した。
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朝何時に起きなさいとか、昼ご飯は何時に食べなさいっていうスケジュールなんて何もないから、その日のリーダーがメインとなってその日を考える。出勤したら「とりあえず今から何しようかな」って。「おばあちゃんたちが起きたがってるから起こそう。でもこの人はすっごくぐっすり寝てて、夜眠れてないみたいだから、今じゃなくてもいいかな」っていうところから一日が始まるので。それが、それぞれ考えて動けるようにするためのトレーニングみたいになっています。
もちろん勤務表作ってくださいとか、担当分けしてくださいとか突然言われると、「えっっ!?」てなるかもしれない。でもそういうことをやっていかないと、ずーっとあれしてください、これしてくださいって言われ続けることになる。それはあっちもしんどいだろうし、こっちも一生言わなきゃいけないし。
言われたからやるのは流れ作業。やったことに自分なりの考えだったり意味があれば、「そうなんだね」ってみんなで拾う。行動の裏側だったり、意味っていうのを言い合い、話し合うチームなのかな。
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注意を向けるのは「秒針」ではない
事前に決められていることが少なく、スタッフ全員がその場その場でやるべきことを判断せねばならない状況が日々作られると何が起こるのか。スタッフは時計の秒針ではなく、個々のお年寄りに何よりの注意を払って行動を起こすようになる。例えば、坂の上のお家でクラスターが発生した際、スタッフは歩き方や話し方の微妙な変化から、お年寄りがコロナにかかった可能性を察知していた。その気づきは、発熱や検査で陽性がわかるより早かったというのだから驚きである。
「『責任を取る』とは、なぜ自分がそれをやったかを説明できることだと思う」
「みんながそうやっているからやる。上からそう言われたからやる。こういう姿勢ではケアは成り立たない」
連載初回、私は中迎の上記の言葉を紹介した。彼女と似たようなことを言う人はたくさんいる。でもこの言葉を「やれる」人は果たしてどれだけいるだろう。いろ葉も人の集団だ。問題だってたくさんある。しかしいろ葉を訪問して実感したのは、20年にわたってこの言葉をやり続けてきた人たちが日本社会には存在すること。その実践の中で生きる命のひとつひとつは、とても幸せそうだったということだ。
コロナ禍で頻回に言われた「たいせつな命」というフレーズ。この言葉は、罪悪感や恐怖をあおる発信の中ではなく、こういう場所で花咲く命を描くために使われるべきだろう。
以下、俺の感想:
定量的な検査・評価に頼ることの馬鹿馬鹿しさ。こんな、アングロサクソン・ユダヤの発明から早く卒業したいものだ。
さて、責任とは?・・・何故そうしなければならないのか?を自分で考え決断し、後で「何故そうやったか」説明できること。その通りだが、今の日本で政治家、役人を含めて「責任を果たせる人」って少ない。
伝統的な日本の「責任」とは、結果に対するもの、特に悪い結果に終わった後の始末のことだ。政治家も、役人も結果責任を気にし、それを問われないことを最優先する。中迎さんの「責任」は、結果ではなく、原因というか動機だ。出るところに出て、裁判にでもなると、問われる責任は、やはり結果に対してだ。例えば「いろ葉」で老人が死んで家族から訴えられた場合、定量的な理屈を立てて説明できないと不利だろう。マニュアルがあってそれに従っている方が有利そうだ。そこから変えるにはどうしたらいいんだろうか?AIや監視カメラやドラレコも、「適切」「標準」とされるものに従っているかどうか?をチェックして判断するだろう。
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