山口瞳 対談集① (團伊玖磨、高橋義孝)

 山口瞳も一時期よく読んだ。一番面白かったのは「世相講談」だった。1920年代生まれ共通の「軍隊に入れられて、日本という国に騙されて・・・」という斜に構えた姿勢。加えて「俺みたいな半端者も生きていていいのかい?」みたいな感じ。その”申し訳なさ”みたいなのが好きだ。

山口瞳対談集(4) 論創社 より抜粋:

黄色ハイライト部に関する※俺のコメント

1972年、團伊玖磨との対談:

山口:胃液はどうして胃を消化しないか。フグの毒はフグにとって毒でないのか・・・

團:オリンピックを改革して、人間という動物はどこまで跳べるものなのか、科学的、医学的な実験をしてやるだけにすればいいんです。国の派遣選手なんてやめちゃって。犬みたいに金メダルをぶらさげて喜んだって、何て言うことないでしょう。

※ドーピングやり放題で、「死んでもいいからもっと速く、もっと高く・・・」というオリンピック・・・俺も全く同意見。

ミュンヘンのテロの後始末について、ドイツ人に聞いてみたんですよ。あんなことして、犯人を撃てば人質の死ぬのは分かってるじゃないか。どうしてそんなことをするんだって。そうしたら、だって、同じじゃないか。つまりイスラエルもアラブもヨーロッパ人じゃないという意識なのね。

山口:日本も原子爆弾を落とされた国だって言うことだね。

團:日本はだから落としたので、ドイツに対してだったら落としてないですよ。金じゃあ世界はままならぬってこと。ぼくなんかも、お前がヨーロッパ人だったらねェってよく言われるもの。ヨーロッパ人でないものは、好奇心の対象にしかならないんだ。

山口:僕は思うんだ。何も暴力をふるわなくたって、みんなが黒装束で黙って歩いたって、たいへんな講義になる。銀座通りに座り込むなんて、田舎者のすることですよ。まず、九州、北海道、青森から出て来たやつには、銀座を占領したっていう快感があるんですね。地下道に火炎瓶投げたでしょう。きみらの仲間もやられちゃうじゃないか。そういう配慮とか神経が全くないのね。どうせ投げるなら銀座の高級地下バーにでも投げたら面白いと思うんですけどね。こんなバカな世の中ないよ。ぼかァ、歯がゆくってしようがないんだ。連合赤軍の連中が捕まるきっかけになったのは、軽井沢のおばさんが、くさいやつらが来たって通報したからなんでしょう。少年探偵団以下だよ。お金、持っているんだから、僕だったらもっとちゃんとした背広着てね、うまくやりますよ。ほんとにアマチュアもいいところだね。革命家としてさ。ぼくは趣旨には賛成なんだけどね。やっぱりアマチュアにはくみしないっていう気持ちがあるんですよ。

團:ベンツを見つけたら必ずひっくり返すとか、高速道路に座り込む、駅の電源を切る、大臣のメカケを撃つ、いくらでもやるべきことはあるのにね。


1970年 高橋義孝との対談:

高橋:しかし、山口君!世の中じゃあ八百長相撲なんていいますけれど、相撲には八百長はありませんね。全く見事なもんだ。

山口:ウ、ウーム、そういう答えに窮するよなことを・・・。(笑)でもわたくしは、八百長はあってもいいという考え方なんです。先生の前で申し訳ないんですが。(笑)あんまり公平にやるとかえって面白くない。横綱というのは、やっぱり作っていいんじゃないかという感じがありますけどね。でも先生、今場所、大鵬が休場でどうなるかと思っていましたけど、お相撲というのは、柏戸、大鵬がいなくても、いなきゃいないで見られるもんですね。

高橋:そうですね。女房が死んだら死んだで何とかなるようなもんで・・・。(笑)僕が相撲の差し手、組手、決まり手がややわかるようになるには、十年かかったですよ。やっと今少し分かってきました。そういうように、日本の芸能とか遊びとかいうものは、ひまをかけなくちゃ面白みが出て来ないというものが多いですね。お能だってそうでしょう。茶の湯だって、西洋のものは下準備なしにパッと見てすぐにわかるし、面白いですね。ボールを穴へ向かってころがしっこする。あれはバカが見ても面白いんです。日本のものはりこうが見なくちゃ面白くない。(笑)ぼくは、相撲の根本はやっぱり反デモクラシーだと思いますよ。しつけというものはデモクラシーじゃだめです。相撲も芸者もそうですね。デモクラシーじゃ・・・。

※イギリス人の発明したオフサイドは分かりにくい。

※デモクラシーじゃだめ・・・21世紀の日本ではこれはパワハラ。つまり、21世紀の日本は「ぶしつけ」だ。

山口:大学じゃあどうですか。

高橋:大学もダメです。反デモクラシーでなきゃだめです。いま大学の問題で盛んにいろいろと言われてますね。こういう大学にしろとか、社会に直結した大学にしろとか。でもああして制度をいじってみても、同じなんです。いじったって、僕の教えるドイツ語の文法が変るかと言うんです。大体、大学と言うものは社会に直結しないから大学なんです。直結したら大学じゃあないですよ。クッキング・スクールです。(笑)

山口:わたくしはいまの中学生、小学生が社会の中堅になるときというのが一番怖いですね。というのは、今の中学生、小学生というのは、わたくしたちの子供の年齢なんです。けれど、わたくしたちなんか父親の資格ないんです。子供を叱ることもできないんです。わたくしの友だちを見てますとみんなそうなんです。子どもがえばって、こっちはショボンとしている。今の子供には、スカートまくるのが流行っているでしょう。高橋先生なんか昔の先覚者だから、やってきたわけですが、(笑)それをいまみんなやるわけです。それを叱れない。この子供たちがおとなになるとこわいな。何をしても許されるという感じでしょう。子どものやることはいいことだという風潮があるでしょう。あれこわいな。やっぱり、子供はぶん殴らなければいけないですよ。いけないことは、からだで教えなければいけないと思うんですねど。一般的に言って、テレビでも視聴率がよければいいという考え方があるでしょう。それがだんだん充満してくるわけです。つまり小説でも売れればいいとか、うければいいとか、それが先に来ちゃうでしょう。そういう風潮があるんじゃないですかね。子どもの教育でも。つまり、子供が喜べばそれでいいことだというのがあるでしょう。そうじゃないと思うんです。しつけとか何とか言うことは、子供のいやがることだけれどいいことだ、ということがあるんですけど。

※21世紀の日本では売れればいい、うければいい・・・これでYouTube他のSNSで飯が食える

高橋:対等じゃないですよ。ちっとも。同じ人間だろう、対等だろうなんて、生物学的にはそうでしょう。社会学的には違いますよ。だからデモクラシーなんてダメです。ぶっこわしたほうがいい。(笑)・・・まあ、対等でもいいですよ。でも低いところに対等をもってきちゃう。いいものを下げちゃう。それで平気だ。そういうわけでしょう。進歩も発展もないじゃないですか。戦後の学校教育は全部そうです。ものを知らない野郎にレベルを合わしちゃうでしょう。こっちへ来いじゃなくて、ちょっとお待ちください、そちらへ降りて参りますから、なんです。

山口:組合運動もそうですよ。仕事のできない人に合わせるんです。仕事のできない人が組合運動に熱心ですね。


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