不正発覚の連続=内部通報(告発)の流行
ビックモーター、自民党、ダイハツ、豊田自動織機・・・不正?の発覚のきっかけはみんな内部通報(告発)だろう。松本人志の文春砲も被害者?からのタレコミだ。
俺は内部通報(告発)って、日本人向きではないと思う。内部通報って告げ口の言い換えだ。小学生の時、先生から「告げ口はいけません」なんて言われたような記憶もある。
同様に、司法取引も日本人には向いていないと思う。司法取引は自分を守るために他人を(特に目上の者を)貶め、売る、ということだ。日本人たる者、「他人を売るなんてこたぁしねえ」「我が身を犠牲にしても上の者を守る」という見栄は張れないのか?不正よりも、こういう見栄・日本人の美風を失うことの方が日本人にとってはマイナスが大きいように思う。(他の国の人にとってはありがたいことだろう)
不正はいけない。しかし、不正そのものをあげつらうのは間違っている。不正そのものが悪いのではなく、不正に起因して起こる品質その他のトラブルが問題なのだ。強いて言えば、守れない基準、規則を設定することが問題だ。そういった、不正がもたらす負の結果を無視してとにかく規則や基準を守っていないことを告げ口する風潮は間違っている。この情けない告げ口を奨励するような風潮は嘆かわしい。
この問題は根が深い。役人がちゃんと守ることができる法律を作ることから始めないといけないが、そんなことは日本の役人に可能か?
日本の役人は、守れるかどうかにはあまり気を使わず、国民にプラスになればよい、といった大雑把な狙いで、解釈の幅の広い(=素人が読んでも何をしてはいけないのか、何をすべきなのかが分からない)法律を作り、裁量・運用してきたように思う。ただし、政治家・役人ともレベルが落ちて国民全体より、特定の層、組織にプラスになるような法律が増えたのかもしれない。
素人が一読して何をすればよいのか/何をしてはいけないのか?が分かる法律が出来るようになれば、日本は変わり始めた、と言えるだろう。ただし、それではよその国と同列か負けるだけだが・・・
俺の知っている日本人は規則とか基準を真剣に守ろうとしない。少なくとも俺の上の世代はもちろん、20年くらい下の世代まで会社に入る時、会社の規則や自分自身の雇用契約をチェックするような輩はいなかった。基準とか規則とか契約とは別に作法や言動を教えてくれる先輩の指導や躾があった。書かれたものをまじめに読み込んでそれに従う、なんてのは、世界標準だが、日本人には向いていない。日本人はそんな世界標準の土俵で戦ったって勝てない。標準化、文書化できない「何か」で勝負するしか日本人に勝ち目はない。俺は、この、「よその国が使い、従っている標準の通りにやらなくては(=日本人の不得意な土俵で戦わなくては)」、という、強迫観念みたいなものが広がったのは1990年代、アメリカが日本をやっつけるために編み出した陰謀ではないか、と疑っている。
内部通報制度の強化や司法取引はアメリカの意向だろう。
標準化・文書化されるようなものを守っていたのでは次から次へと出て来る新興勢力に必ず負ける。アングロサクソン―ユダヤ、ビッグテックがやっているのは、文書化された契約・標準を他人に押し付け、自分自身はそんなひと昔前の契約・標準に縛られない新しいテクノロジー、土俵で儲けるというやり方だ。新しいテクノロジー、土俵をを何年間かでどんどん更新していく。その流れに巻き込まれている間は負け続けだ。日本人はこの流れに逆らったり外れるどころか、先を争ってその流れに飛び込む。それを煽り、そのお先棒担ぎがコンサルで、自分は流れに飛び込まず、他人を流れに飛び込ませる、若者はコンサルに憧れるらしい。確かに他人に先駆けて流れに乗って行くのは楽だし、カネにもなる。しかし、その流れを自分で生み出せない限り、ビッグテック他の外国勢には負けだ。
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