山口瞳 対談集④(田村隆一、矢野誠一) +解説
黄色ハイライト部に関する※俺のコメント
1975年田村隆一との対談
山口:僕の頃、2千円あれば長屋が建てられ、その家賃で一生食って行かれた。それより前の時代に20万円使い果たした金子光晴さんはいい気分だったと思う。(笑)そういう人でないと、本当に貧乏生活を楽しむなんてことにならない。だから、田村さんは金持ちだったんだろうと思う。(笑)奥野信太郎さんだってつまらないテレビ番組に出たって、どことなくおっとりした品があるのね。あれもやっぱり使い果たした人の顔だと思うんだ。田村さんも怠けものだか何だか知らないけれど、貧乏に平気で耐えられるというのは、少なくとも育ちがいいんだと思うんだな。その点、僕は駄目だね。もうビクビクしちゃって、まず妻子のことを考えたりなんかしちゃう。いつかあなたがアメリカに行くとき、ぼくはお会いしたんですが、あなたはペラペラのズボンをはいて、麦わら帽子をかぶっていた。もちろん夏でしたが、それを言うと、まあ冗談でしょうが、「着るものはこれだけしかないんだ」なんて平気でいた。あのときは本当に凄いと思いましたね。普通の人にはできないですよ。それでいて、全然物に驚かないような顔をしていた。
田村:花柳界の面白いところは金だけで成り立ってるんだね。義理とか人情とか言ってるけど、それは表向きで、本当は金の切れ目が縁の切れ目という一種の合理主義が徹底してるのよ。それがかえって爽やかな気持ちを与える。大塚なんて、昭和の初めころまでは一つの盲点になっていて、新橋や柳橋では遊べない客が来るわけです。そのころの文士の収入など知れていたから、菊池寛や西城八十は来るし、中でも傑作なのは宮様連中だね。それがものすごいアル中で、外で馬丁が馬連れて待っているんだ(笑)。僕が物心ついてからだけど、当時のスターはみんなお正月になると場末の映画館に挨拶回りするわけです。そして、家あたりで男優や女優がみんな昼食を食べるんです。家は料理屋で、宴会場もありましたから、そのほかに新国劇とか、前進座とか広沢虎造一門とかが正月にやって来て、忘年会とか新年会もやる。それが面白かったね。異色なのは、麻布三連隊というのだった。親父がそこにいて、上等兵までいって除隊したんだけど、そのとき、「お前の家は料理屋か。じゃあ麻布三連隊の野中中隊だけでやろう」というわけで、新年会などを家でやっていた。中隊長というのが2.26事件の筆頭指揮官で、奥さんと自決したあの野中四郎だったんです。野中さんはあの頃まだ大尉のころだから、酒席でも全然膝なんか崩さず酒飲んでいるんだけど、中隊の連中は周りでどんちゃん騒ぎをしている。そして野中さんは自分の安い月給の中から「これはこれ」なんて言って、途中ですっと帰っちゃうわけです。それを毎年やっていたらしいんです。だから、野中さんが自決した時は親父は大変ショックを受けていましたよ。
※これは間違いか?Wikipediaの「野中四郎」によれば、奥さんは自決していない。野中さんは純粋で真面目なるがゆえに226事件を起こした?
社長とか総理大臣の月給を聞いたら涙が出ちゃうよ。(笑)あんまり安すぎてね。総理大臣の月給は確か70万円ぐらいでしょ。僕は前から、総理大臣やるんだったら一億でも十億でも使ってくださいと言ってるんだよ。(笑)本当に日本国の安全と繁栄と言うものに対して責任をもってやってくれるんだったら、月給十億円払ったって安いもんだよ。それを70万円程度で誰が一生懸命やってくれますか。それくらい赤ん坊だってわかるよ。(笑)だけど、そういう発想がいまは全然なくなっちゃったね。月給70万円じゃあ中小企業はおろか、自分の家だって危ないもんね。月給70万やるから、お前の家の安全と繁栄に責任を持つかと言われたら、ちょっと考えちゃうもんね(笑)。
※全く同感。役人も同様。
山口:どうも貧富の差があったり、戦争があったりしないと、小説は書きづらい様に思うんですけどね。
田村:小説もそうだろうけど、人類社会に活気がなくなるね。男がだらしがなくなったね。(笑)昔は怨念なんて言葉は、芝居小屋じゃああったけど、普段使わなかったね。あれは女の子の独占であって、大の男の使うじゃないと思う。だからそういう男たちに「しっかりしてくれよ」と言いたくなるんですよ。(笑)男は怨念なんて言っちゃだめなんだ。
山口:怨念とか生きざまとか言ってはね。生きればいいんだから、男は(笑)。男の話が出たから女の話もしますけどね。(笑)この間、釧路でストリップ見たんですよ。僕はストリップ好きなんです。
田村:ぼくも好きです(笑)。
山口:しかし、特出しというのを見たのは初めてなんです。あれはおかしいですね。客が拍手や態度で踊り子に誠意を示さないと、見せてくれないんです。(笑)つまり客と演技者の立場が逆転してんのね。向こうの方が威張ってるんです。「あんたの態度悪いわね。あっちのお客さんの方が拍手が多いわ」なんて言って、見せずに行っちゃう。(笑)それでぼくとうとう見られなかった(笑)。次の踊り子を待ってて。出て来たのを見たら、それがある作家の奥さんに似ていたんで、嫌だから出てきちゃいましたけどね(笑)。男と女が逆転しているということでは、トルコ風呂も同じなんですね。
※全く同感。しかしなんと反民主主義的でジェンダー満載な。
田村:ぼくは東京温泉にはよく行きましたけど、トルコ風呂は、新宿で酔っ払って、1回だけ入ったことがあるんです。もう15年ぐらい前だけど、そこで「頼むから脊髄の所を押してくれ」と言ったんだよ。そしたら女は「ここではそういう所じゃないよ。それだったら東京温泉に行きなさい」って怒りやがる。(笑)
山口:もう、7,8年前の話だけど、うちの課長が何人か連れて銀座のバーに飲みに行ったとき、ホステスに冗談半分に「君、どのくらい貰ってるんだ。50万円ぐらい?」って言ったら、「まあ、そのくらいね」と言われて、みんなシラけたことがありますよ。(笑)当時、その課長が10万円も貰っていなかったんだから。(笑)こういう時代は、どうも小説は書きにくく、詩は作りにくいって感じがするんです。現実に沢山書いている人の小説は、うまいんですが、ワクワクしないですね。
田村:変にテクニックだけ発達してね。要するに、ぼくはトルコ風呂だと思うな。トルコ風呂のテクニックだな。(笑)
t山口:いわゆる”内向の世代”の人たちの小説を読むと、舌を巻くほどうまいんで、感心するんですけど、読後5分ぐらいすると、それが一体どうなんだと言いたくなちゃうんです。
※内向の世代をWikiると、「1930年代生まれ」とある。俺の好きな作家の名前はなかった。山口、田村両氏は1920年代の生まれ。
田村:あれは不思議だな。もちろん文学ですから言葉が核をなすんだけど、結局そういう人は言葉によって救われるという体験がないんじゃないの。言葉を駆使する能力とか、言葉に対するテクニックは訓練によって非常に発達しているけれども、言葉につまづいたり、救われたりと言う経験が、割合なくなって来ているじゃないかと思うんですよ。実際、昔の人は言葉につまづくんだよ。死んでも言えないという言葉がある。口にしてはいけない言葉がある。それは個人個人がみんな心の底に持っている言葉なんだ。そうなると言葉は単なる記号じゃなくなり、全人格を支配するようになる。それはもうパワーなんですね。もし言葉を単なる記号として考え、その効果を計算し、小説や詩を構成しようと思ったら、それは色んなテクニックがあると思う。しかし、言葉で何らかの世界を創造しようと思ったら、言葉につまづいたか、救済されたかという体験がないと、モチーフは成り立たないと思うんですよ。いまはそいうい言葉に傷つくということがないんじゃないかな。
※パワーと言い、単なる記号でないと言うと、「言霊」を連想する。あるいは言葉に対する愛。
山口:ぼくも、自動車のことを車とは絶対書けないし、まして”車を転がす”というような表現は出来ない。それから、爽やかという言葉は、書く場合でも日常においても使わないんです。ぼくはそれを書きたいために書いているんですから。
田村:それは山口さん、変な言い方だけど、言葉と人間とは有機的な関係にあるから、一般論では出来ない。あくまで個別的なんですね。ぼくは詩を書きだしてから十年間ぐらい、美しいという言葉が使えなかったんです。このごろようやく、時たま使えるようになったけどね。言葉に傷ついたり、救われたりという人間的な体験が、文化の底になかったら、どんな言語になっとしても、しようがないということでしょう。言葉と人間がそういう関係で結ばれてないのなら、詩や小説もコンピューターで作ればいい。一つのシチュエーションと多少のセンスがあれば、それで出来るんです。日本で詩人が激増したことがある。詩人と言うのはコピーライターでしょう。(笑)だから、これは電通と博報堂のおかげなんですよ(笑)。自称他称含めて一万五千人ぐらいいる。
※生成AI(つまりテクニックだけ)の作文が2014年の直木賞を取った作品に登場。言葉のパワー、言葉への愛を俺も信じたい。
山口:詩人に限らず、デザイナーやカメラマンもね。(笑)
田村:カメラマンは、カメラというメカニックを媒体にしているから、まだ救いがあるんです。ところが、画家とか詩人とか作家は媒体物がないから困るのよ。
山口:カメラマンが増えたのは、学校が増えたからです。年に4百人のカメラマンが出るんです。ところが、いまのように不況だと、宣伝部も人を取らないでしょう。だから、食えて、しかも名を成す人はほんの一握りしかいない。
田村:そういう意味じゃ、大変混乱しているけれど、まあバイタリティもあるし、いっそのこと滅茶苦茶になった方がいいないかな。ぼくは割合に日本は好きなんです。こんな面白い国は地球上に他にないと思う。
山口:はっきりと春夏秋冬があるってことも素晴らしい。
田村:そう、季節はいいし、比較的近くに大文明国があるってことも素晴らしい。こういう状況では革命は日本では不可能でしょう。
山口:しかし、ある意味じゃ革命が行われたと言ってもいいんじゃないですか。昔に比べて。貧富の差がなくなるし、かつて考えていた社会主義国の状況に近づいているんじゃないですか。僕の子供の頃、父が鉄工場をやっていて、かなりな使用人がいた時期があるんです。当時の親父の存在なんて偉いですから、始めて来た女中など応接間に入るとひざまずいて挨拶するんです。そして、女中はスリッパをはかないんです。そういうのを見て、子供心にけしからんと思いましたね。そういう昭和十年頃に比べれば、いまはユートピアみたいな感じです。だから、ある程度、革命は行われたんじゃないかと思うんだけどね。
※21世紀の日本では再び革命が・・・会社教は崩壊し、一つの事コト・モノ・道にこだわるのを否定する。
田村:現代は死ぬべきものが残っているんですよ。そして大変失礼なんだけど、死ぬべきものが生きているんだよ。科学でサポートしているわけだからね。
※寝たきりで生き残らせる、中途半端に発達した医学。
山口:子供と言えば、昔は、7,8人いる家なんて普通だったでしょう。そして、だいたい2人ぐらい病気などで死んでましたね。
田村:だって、それが生物の法則なんだもの。変な言い方だけど、一人っ子というのは一番危ないんですよ。
※全く同感。たくさん子供を産んで一人や二人は死ぬ。自然の摂理。
人類の文明にも交代があるように、微生物界でももっと激しいかたちであるんだそうです。だから、中世のフランスみたいに、ペストを流行らしてくれと言っても、それはできない。防疫体制の問題じゃなくて、そうなんです。
山口:その考えで行くと、人類の寿命というのは長いのかしら。
田村:生物の中でも人類はまだ若いんですよ。特に日本人は若く、日本列島はヤングは国なんです。(笑)中国大陸とか朝鮮半島を媒介にして、日本はこれからだと思う。アフリカより若いんじゃないかな。だって、漢字が入って来たのが7世紀でしょう。若いですよ。ただ、資源がないだけです。ただ、段々美人が減ってきましたね。(笑)
1995年矢野誠一との対談
矢野:しかし、競馬がいいのは、麻雀なんかと違って、友達の金をとることがないっていうことですね(笑)。それからこれは井上靖さんが言っていたんだと記憶していますが、大穴馬券をとると払い戻しが何十万、何百万になりますね。今どきそれほどの金をハンコひとつ押さないで受け取れる場所は、ここくらいしかないんじゃないかって(笑)。
山口:大川慶次郎さんが言っていたのは、落ちている金は屈まないと取れないけど、競馬は立ったまま拾える。(笑)
山口:吉行淳之介さんじゃあないけれど、『まあっ、ほどほどに』という心境ですね。ギャンブルで儲けるのは下品です(笑)。
最後に、川本三郎の解説より:
「男の美学」とは「する」ことではなく、「しない」ことだ。みんながしていることでは自分はしない。自分に禁止事項を課す。「オレはあんなことは絶対にしない」と心に決める。
※男の美学としてギャンブルに勝とうとしない、のもアリか。しかし、男の美学ってジェンダー。この本が出たのが2009年。それからジェンダーやLGBTQや、ポリティカルコレクトネスや、コンプライアンス・・・日本も素晴らしい革命が立て続けに起きてますます野暮になった。老いも若きも日本の将来に絶望している。年寄りはそれでもいいが、若い人には幻想でいいから夢を見てもらわないといけない。それは年寄りのなすべき仕事なのだが・・・
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