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2月, 2023の投稿を表示しています

ウクライナ侵攻1周年(?)首相記者会見

 何故、1周年を記念(?)して首相が記者会見するのか?俺には分からない。加えてこの記者会見は俺に日独の差を際立てて考えさせた。つまり、同じ敗戦国でありながらドイツは一人前と認められているのに、日本はまだ子供扱いだ、ということを改めて思い知らされた。 ウクライナ支援で言えば、ドイツは自前の、性能が優れていると評判の戦車を供与する、一方、日本は相変わらず武器は供与できないから発電機を送るんだと。これじゃあ、ゼレンスキーに馬鹿にされて会ってもらえないだろう。 俺は、「ドイツに負けて悔しい、チクショウ、何故だ?」と思う。悔し紛れに仮説: ①戦勝国は、ドイツが先の戦争で過ちを犯したのはヒトラー個人が悪い、一方、日本は日本人全体が馬鹿だ、と考えている。 ②白と黄色の人種差別或いはキリスト教かどうかによる”文明”の差別 ③第二次世界大戦終盤、米ソが互いに敵と認識し始める前にドイツは降伏し、実質上、米ソに分割統治され、戦勝国の間で様々な駆け引きが行われる中、西ドイツの成立を急ぐ西側諸国の妥協もあってドイツ人の意見もかなり反映された憲法(厳密に言うと東西ドイツ統一までの暫定的な基本法)が制定された。ヒトラーの悪夢の再発防止には配慮されていたが、東西冷戦の現実の前に戦争放棄などは思いもよらず、武器は政府が認めれば製造・移動・取引できるとした。その後西ドイツは地続きの様々な国に謝罪し、お付き合いを復活し、東西統一も果たし、EUの盟主にまでなった。この過程で一人前と認められた。 日本は米ソが互いに敵と認識し始めた直後に降伏し、ソ連の排除に成功した米国の属国となった。朝鮮戦争の前まではアメリカのバリアによって東西冷戦の現実から隔絶されガラパゴスのような島国で平和憲法などという理想主義が幅を利かせた。外交を含む政治・軍事はアメリカの言うことを聞くしかなかった。アメリカは日本を防共の砦とすることに忙しく、日本に韓国や中国その他かつて占領していた国に対するまともな謝罪をするいとまも与えてくれなかった。経済は発展したが、近くの国々とまともなお付き合い・外交をする余裕も必要もなかった。 閑話休題: 日本は自前の戦車を作っているのか?作っているとしたら、その性能はドイツその他の国と比べてどういう位置にあるのか?女の管理職・役員の人数比率なんていう国際比較よりこっちの比較の方が気になる。まだまだ子...

歌える!J-POP 黄金のベストアルバム30M(35) 

 NHKの女子アナ、廣瀬智美がDJ KOOまたは平野ノラとMCを勤める、「歌える!J-POP 黄金のベストアルバム30M」という番組がBSプレミアムで放送されている。(放送は不定期だが、放送するとすれば日曜日の夜)紅白歌合戦その他昔のJ-POPの映像を流してゲストと楽しむという安直な30分番組だ。我が廣瀬智美が精一杯見せるNHKらしくないところが最大の見どころ。(彼女は産休前はNHKらしい硬さも見せたが、産休して復職した後は居直ったか、それともNHK女子アナ正統派の道をあきらめたか、俄然面白くなった)ほとんど廣瀬智美のための番組と言ってもよい。彼女は、この番組で「 ウニならいくらでも食べられる廣瀬智美です」という名言も残した。 もともと好きな番組だったが、2月12日の放送は史上最高だった。テーマは”卒業”でゲストは伊集院光。 昔のパフォーマンス映像は: 今は亡きスピードの「my graduation」、ハイファイセットの「卒業写真」、いきものがかりの「YELL」その他。 1998年のスピード。当時は全くいいとは思わなかった。改めて見てもやっぱり、あか抜けないし、歌も上手くない。何がいいのか分からないけれど一生懸命踊って歌っているところがいいのかな?少女から大人になる途中の感じ。スピードの歌が終わったら廣瀬智美が🎵いつか~まためぐり合う…と歌い出してDJ KOOに突っ込まれるというか、ほとんど、たしなめられる。 山本俊彦、大川茂の男性コーラスを従えたボーカルの山本潤子からなる3人組、ハイファイセットの1990年の「卒業写真」があまりによかったのでWikipediaとYouTubeでハイファイセットを当たる。男二人の内、格好いい方が大川茂で、背が小さく格好悪い方が山本俊彦(潤子の夫)。大川茂さん、この「卒業写真」に限らず、どの歌でも一生懸命歌っていない。声出してるのかな?リラックスしてるというよりやる気がない。ヴィジュアル採用?この3人はもともとはフォーク出身だからあか抜けないのだが段々ニューミュージックに寄って行って…都会的というか、大人のパファーマンスに。でもあか抜けなさが残って。そして1994年のグループ解散後、メンバーは哀れな末路。話は変わるが松任谷由実は器が大きい。自分より歌の上手い歌手に楽曲提供し、その上、同じ歌を自分でもセルフカバーする。どっ...

差別と規範

 立川談志「あなたも落語家になれる」(三一書房、1985年)より: ”落語家*というのは卑しい稼業である”という世の中の不文律があり、役者のことを河原乞食といったように、落語家はそれ以上に卑しいものと考えられていたわけで、それが証拠に、”人に笑われる”という、もっとも世の中の人の忌み嫌うことを平気でやる稼業ということであった。(略)もっとわかりやすくいうと、私たちの入門時代の落語家は、”人間”ではなかったのだ。人間の枠をはずされた者が落語家だったわけで、人間の世界から放り出されたのである。落語家になると同時に人間ではなくなったのである。そのかわり、朝から酒を飲んでいようが、昼間から吉原に入り浸ろうが、女房を何度替えようが、誰からも文句は言われなかった。人間じゃないんだから人間の道徳的な規範で律することができなかったのである。 これは差別か?百歩譲って差別として、本人が好きで差別されてもいいから笑われたい、落語家になりたい、と考えていたらそれを止めるべきか?道徳的規範が嫌な人には、むしろ、この差別は嬉しく有難いのでないか? 確か会田雄次さんだと思ったが、イギリス軍の捕虜になった時の経験談で「イギリス人は日本人捕虜を人間と思っていない。だからイギリス人女性は日本人捕虜に裸を見られても恥ずかしがらない」と語っている。これは差別だ。ただし、日本の兵隊は、勝つためでなく、死ぬことを目的として戦っているように思われる行動を取ったりしたから、イギリス人には、日本人を同じ人間と考えるのは難しかった、という面はあったろう。日本兵の行動は「人間なら死ぬために戦うなどということはしない。神様は自殺など許さない。」というイギリス人の規範から致命的に外れていた。生き死にに関することだから、落語家に対する差別よりもっと強烈・深刻だ。(そしてこの差別意識はいまだに根強く生き残っている、と思う。) 俺は、かつての日興証券、いまのSMBC日興証券と取引があるので同社から金取法違反を起こしたことに対する謝罪と、今後は気をつけます、といった紋切り型の手紙が送られてきた。俺は「証券会社とは人を騙すのが商売」だと思っているから別に謝罪の手紙なんて要らない。「殊勝なこと言ったって、どうせ人を騙すこたぁやめられねぇ。どうせ悪さするならバレちゃあいけねえよ。」と思っている。これも差別かねぇ。つまり証券会社...

ロケット打ちあがらず

 JAXAの屁理屈だと、一旦上がったロケットが落ちることを失敗と言うのだそう。だから今回のH3ロケットのように打ちあがりもしなかった大失敗は打ち上げ失敗ではないのだと。屁理屈が偏理屈になっていて面白い。というより、ほとんどバカバカしく腹立たしい。 JAXA Japan Aerospace Exploration Agency。何故Xが入るのか分からなかった。役員の履歴を見るとほとんど役人あるいは学者。これと三菱重工がH3ロケットの打ち上げをやるんだそう。イーロンマスクのスペースXにはかなわない…JAXAとしてはどうせ勝てないけどロケット打ち上げや~めたとも言いたくないから三菱重工にやらせよう、ということ?ジェット機の失敗もそうだけど、三菱重工って、商売っ気抜きで日本のために、と言えば格好いいが「政府のポチ」か?防衛省にお世話になっているからそのお返し?ジェット機やロケットで失敗しても赤字は防衛省との取引で取り返せるの?電通より歴史は長く、由緒は正しいが、ちょっと政府に寄りすぎでは? 閑話休題: JO1の河野純喜が最近よくTVに出る。調べたらJO1の所属するLAPONEエンタテインメントは吉本興行と韓国企業との合弁会社。吉本が推せば露出も増える。吉本の多角化、国際化。興味深い。

渡辺靖 「アメリカン・センター」を読む

 渡辺靖著「アメリカン・センター」(岩波書店)を読んだ。アメリカは他国に反米感情を持たれないように、できれば追随してもらえるように、メディア、エンタテインメントその他を使ってプロパガンダ・洗脳してきた、という話。それが時代の流れに沿ってどう変遷してきたかを述べている。それはそれで面白いのだが、最後に アメリカには自らを批判できる「器の大きさ」や「自省力」があり、それこそがアメリカの魅力や活力の源泉である  というくだりがある。 筆者はこれを言いたくてこの本を書いたのではないか?俺も全く同感。さまざまな間違いをし、大統領も悪いことをする。それを隠さずさらけ出して自省する。ケネディー暗殺事件みたいに全貌・真相がわかる証拠・資料がなかなか公開されないケースもあるが、それだって永遠に隠されるわけではなく、いつか全てが公開されるだろう、という期待が持てる。間違えたらさらけ出し、自省して出直す、これがアメリカ人を支えている信仰だろう。一人一人の信じている宗教とは別に、アメリカ人共通のアメリカ教とでも言うべきもの。DNA。これさえあればGreatでい続けられるかもしれない。これがなくなったらアメリカではなくなる。移民が寄り集まってできた人工国家だからできること。分断しそうになっても、まだ、この信仰(一線)で結びついているのかもしれない。逆に言うと、これがなくなった時は、アメリカ分断・空中分解の時か?

若新雄純に感心

 TV朝日ワイド!スクランブルに出ていた若新雄純さんが、「中国の偵察気球が日本に来たらどうするのか?」という件でいいことを言ったので感心した。彼は「方針」を作れ、と言った。来たら撃ち落とすでも、逆に攻撃されるまで一切何もしないでもいいが、どちらにするか(どうするのか)方針を決めて、それを守れ、と言ったのだ。欲を言えばもう一歩踏み込んで、その「方針」を決めるには平和憲法を今のまま守るのか改憲するのか決める必要がある、と言って欲しかったが。 しかし、よく、TV朝日がこんな「危険思想」の持ち主を出演させるね。TV朝日もだんだん、改憲、軍備増強に寄っているのかしら? 彼は様々なことをやっているようだが、「方針」を決めて、それを守っているんだろうか?それで周りともうまく行き、成功しているなら日本には明るい未来がある。俺は日本では「目標」を決めてそれを守るなんてロゴスは成立しない、と信じてきたのでうれしい誤算だ。仲間に脇を固めさせて総理大臣でもやらせたい感じ。 閑話休題: 同じ番組で成田空港反対の「やぐら」が撤去された、というニュース。いっときはあんなに燃え上がって反対運動してたのに、いまじゃあ振り向くひともまばら。逆に言えばこんな「映えない」ことをまだやり続けているのは立派。立て看板の「〇〇粉砕」なんていう文句、字体が妙に懐かしかった。今の若い人はどう思うんだろうか? 同じ番組で神戸で黒毛和牛が焼け死んだ、というニュース。「超新鮮な神戸牛の焼肉。おいしそう。」と俺。それが乳牛だ、と言うので俺が「乳牛じゃあおいしくないかなあ」と言うと「おいしいでしょ。神戸だもん」と上さん。

裁判所が裁判記録を捨てちゃった件

 裁判所が保存すべき記録文書を捨てちゃった事件。たしかに裁判所は悪い。それは文書保存ルールを守ってないから。ことの本質はその一点だ。ところが、裁判所に文句言おうとする皆さんが、息子が殺された父親を引きずりだして裁判記録がなくなったことに対する「憤り」を語らせる。筋が違う。というか、ミスリード。話が被害者あるいはそのの遺族・家族の感情の問題にすり替わってしまっている。遺族の感情でなくて、ルールを守るべき裁判所がルールを守らなかったことに「憤る」べき。 そのそも裁判官や官僚は人間の感情なんかに左右されず、ルールに基づいて冷徹に右から左へ処理をするのが仕事。裁判官や官僚が法律を無視して感情に左右されてことを処理したら大変だ。本件も、「これを捨てたら被害者その家族遺族はどう思うだろう?」なんて想像力を働かせてはならない。民主主義の根幹たる「法による支配」が成り立たなくなる。 マスクをつける、つけないも、感染予防効果について”科学的な”検証はなされないまま、「もうそろそろ」てな感じで「義務じゃなくてもいいか」だ。政府は国民の感情に配慮して科学も法律もへったくれもない。中国に対して「法治国家でない」なんて言う資格があるのか?   俺が言いたいのは、肌の黄色い人種は民主主義や法治国家なんて似合わない、ということ。科学もロジックも法も無関係に、感情や施政者のご都合で政治が行われる、それでいいんじゃないか?肌の黄色い人種には法や科学やロジックより大切なものがある。

中国の偵察気球とアメリカの衛星画像、どっちが悪い?

 トルコ地震の映像がマクサーテクノロジーズ提供で公開されている。アメリカの衛星画像は北朝鮮の原子力設備で何が起こっているか見せてくれる。よその国が天上から丸見えだ。これは国際法違反ではないらしい。翻って中国が、かわいらしく昔ながらの風船で偵察しようとしたら国際法違反だと。 中国とアメリカ、どちらが”たち”が悪くて性悪で品性卑しいか?国際法はともかく、アメリカの方が悪い。アメリカは「俺の衛星画像はこんなに細かく見えるぜ」、と自慢している。中国もロシアもうらやましいだろうネ。日本もこれじゃあアメリカに逆らうのは勇気がいるネ。(アメリカ人は臆病だから、いちいち他所の国の動向を知りたがる、とも言えないか?) この事件は、アメリカの反中国プロパガンダだ。別に大したことではない風船を取り上げて大騒ぎしているだけだ。だけどこのプロパガンダ、アメリカの思惑通りの効果を上げるだろうか?これをきっかけに風船なんかよりアメリカの衛星技術の方が恐い、と思う人がいるように思うが…そんな変わり者は珍しいかね? どうして中国はアメリカの衛星画像の方が”たち”が悪い、と言わないのか?アメリカから「悔しかったらお前もやったら?」と嘲笑されるのが悔しいから言わないのか?同様に、ロシアはウクライナ侵攻を非難するアメリカに対し「お前だってハワイに対して同じことをしたし、キューバに対しても同じことをしようとしてソ連に邪魔された」と言わないのか? 手前勝手な法律や契約を盾に、法律違反だ、契約違反だ、と相手をやり込めようとするのはアングロサクソンとかユダヤの得意技だ。何十年か前に自分がしたことを他国がやろうとするとその時は国際法だか国際世論に反すると言い募るのはアメリカやイギリスの常とう手段だ。(日本も90年前に満州で同じことを言われた)ロシアや中国もアメリカみたいに”民主的かつ合法的に”手前勝手を通そうとしてアフリカその他、お金に弱そうな国々を買ってアメリカに対抗しようとしている。スポーツ界や国連なんか、そういった”グローバルサウス”の一票が物を言い始めている。東京オリンピック誘致なんてそういう国の”清き一票”を集めるのは大変だったろう。(そこからJOC元会長の竹田さんや元電通の高橋さんの苦労が始まった) 閑話休題: 恥も品性も関係なく、法律や契約を盾に違反か違反でないか?とやるのはアメリカ人同士でも...

三宅裕司と立川志らくの芸談(対談)

 1951年生まれの三宅裕司と1963年生まれの志らくの芸談(対談)が面白かった。二人の共通の知り合いである1954年生まれ(俺と同学年)の立川志の輔の話から、当時の大学の落語研究会の話に。三宅と志の輔は明治大学の落語研究会の先輩後輩。言うまでもないが志の輔は志らくの兄弟子。ちなみに志らくは日大の落語研究会。彼らが落語研究会で学生落語をしていた1970年代~1980年代は古今亭志ん朝がアイドルで多くの学生が志ん朝の真似をしていたとのこと。そんな中で談志の真似をするのは結構勇気がいたみたい。談志もそうだったが、落語好きの若者は先輩藝人の真似から入った。三宅も、好きな志ん朝はもちろん、談志の真似もしたそうだ。 俺の会社生活を振り返ると、1970年代、80年代の会社員は先輩上司の言葉遣いやセリフ、仕草、文句の言い方、謝り方、極端な場合は字の書き方まで似せた。(当時はパソコンもメールもなかったので肉筆の文書が行きかっていた)これが芸や技術の伝承だったんだろうと思う。つまり、少なくとも1980年代までは、文字で書いた文書・マニュアルなどなかったか、あってもあてにせず、先輩上司の真似をすることが伝承だった。教育などというものは無かった。これが1990年代、日本企業はISOなんていう文書しか信じない人たちの作ったからくりの物まねを始めた。そうこうするうち、若者側も書いたものを求めるようになった。 1990年代以降、芸は相変わらず先輩や師匠の真似で伝承されたが、会社の仕事は書いたもの・マニュアルと教育なしにはできなくなってしまった。ただし、マニュアルを作ったり教育する立場になった俺たちの世代は、マニュアルの作り方も教育の仕方も知らなかったし教育の仕方を教育してくれる人もいなかった…その辺に、憎っくきコンサルタントが入り込むスキがあったのだ。そして俺たちの嫌いで苦手なデジタル、IT…コンサル頼みになる…これも1990年以降日本が低迷している一因か? 落語、吉本なんて羨ましい。ただし、芸人も弟子入りして真似するよりYoutuberになる方が簡単でコスパよく儲かるとなると、芸の伝承も変わる。(というか、伝承など霧散して“映える”動画をどうやって取るか、という勝負になるのか?)会社の仕事も、もう、1980年代には戻れないのか?1980年代は教育もマニュアルもなかったけどJapan ...

古今亭文菊の芸

 古今亭文菊 「つる」を聞く(見る)。まず羽織の脱ぎ方がよかった。きっちり神経の行き届いた脱ぎ方。話はむかし、「首長鳥(くびながどり)」と呼ばれていた鶴がどうして「つる」と呼ばれるようになったのか?というご隠居さんのほら話・与太話を聞いた八っあんが他所で真似しようとするがうまく行かない、というごくバカバカしい話。 バカバカしくて下らなくて子供の言葉遊びに毛が生えたような話だが、笑わせる。仕草、口調、間…といったもので笑わせる。正しく芸だ。こればっかりは文字起こししても伝わらない。 閑話休題: 歌や落語や芝居は見るものか?聞くものか?一言でうまく言うことはできないか?かと言って鑑賞するってのも変だし。やっぱり見るかね?英語でもwatchというらしい。だけど歌手に「あなたのショーを見ました」って言ったとして言われた方はどう思うかね?ひねくれ者の俺がその歌手だったら「ふん、どうせ俺の歌は下手だから聞くもんじゃないんだな。」と思いそう。

昨季未勝利原英莉花????

「未」の使い方がおかしいだろう。今期がまだ終了してない時点で「未勝利」は正しい。もう済んじゃった昨季においては未勝利ではなく、無勝利とか、勝利ZEROで終わった、とでも言うべきか?もう、昨季に遡って勝つことはできない。 「未勝利」はその時点で勝つ可能性がある場合ならOK。だって「未」って「まだ」、つまり「いずれできる可能性あり」だから。英語で言えばnot yetだ。not yetは「まだあきらめてないぜ」ということ。未来はいずれ来るかもしれない時。絶対来ないなら「未」は使わない。不来か無来だろう。未熟も「いずれ熟す可能性がある」ということ。熟す可能性がゼロなら「未」は使わない。 100%可能性のない、冷たくてドライな無とか不とか没などとは違って「今はだめだけどまだ可能性がある」というニュアンス・夢・意志のあるのが「未」という言葉だ。勝手にニュアンスを変えてもらっては困る。この誤用はよくない。想像力がない、貧しい感じがする。

たった30,40年前は・・・

 俺たちが結婚し、子供を作った30,40年前は、男は外で働く、女は家庭で子育てと大体相場が決まっていた。俺の周りに、男で「俺は本当は主夫したい」なんてヤツはあまりいなかったし、女で「私は外で働きたい」というのも珍しかったように思う。ジェンダー丸出し。今でも子育てには女の方が向いていると思う。ジョンレノンが主夫する、と言って主夫してたのは格好いいとは思ったが、別世界の話だった。 それが今はどうだ?ややこしい。満足な子育てができないから会社をやめようか、と悩む女性がいる。多分、そんな女性を奥さんに持つ男の中には「俺が主夫しようか?」などと悩むヤツもいるだろう。解決法はじいさんばあさんに子育てを頼むことではないか?中華系はそうしてる。日本はアメリカ様の核家族を真似し、育児もじじい、ばばあには頼まない。かと言ってベビイーシッターもなんとなく不安。じじい、ばばあと住まいが離れていることも多い。もう少し言えば、じじい、ばばあを子育ての実績と筆記試験でグレード分けし、子育てのうまいじじい、ばばあには保育園だか幼稚園で育児をさせればいい*。もっと言うとプラトン流に子供が生まれたら国家が引き取って育てる…その時、子供一人いくら、と国が金を払ったら(つまり、国が子供を買い上げたら)少子化対策にならぬか?こんなこと政策秘書官が言ったらどうなるかね? たった30,40年前はジェンダーまみれだけど、子育てを取るべきか、仕事を取るべきかなんて悩むことはなかった。そっちの方が幸せだったように思う。男女平等、ジェンダーレス、ダイバーシティー…ご立派な理屈だが人を悩ませ、不幸にするばかりなような気がする。 *ただし、怪我や最悪死亡事故は一定限度、許容されることが前提。デメリットとメリットを天秤にかける。それがロゴス。「一人の命は地球より重い」日本人にはそれが出来ないかも知れないネ。原発の安全神話と同じで「一人の子供も傷つけません」と言わないとダメだろうネ。 閑話休題: 「彼ら彼女ら」という言葉が大嫌いだ。「ジェンダーレスだぜ」、「意識高いぜ」、と言いたいんだろうね。人前ではそう言っておくのが無難で「彼ら」なんて言った日には炎上しちゃうんだろうね。そんなことに気を使うのは神経と時間の無駄遣いだ。この点だけに関しては英語はいいね。theyで済む。英語もそうだけれど、昔からのジェンダーまみれの言葉...

あした順子・ひろし

 BSよしもとで 花王名人劇場を再放送している。1980年代の映像だ。 たまたま あした順子・ひろしの1980年代の映像を見た。このコンビは好きだった。本当にワンパターンで年寄のひろしを順子がくさすネタ一辺倒だったが、芸、あるいは間のよさで飽きずに笑えた。2015年に1922年生まれのひろしが老衰で亡くなってしまった。 特に順子がひろしを首投げで投げ飛ばすギャグ(?)が好きだった。俺の記憶だと2000年代初頭まで首投げをしていたように思うが、それが事実だとすると80歳のひろしを投げていたことになる…ところが、この首投げのシーンがなかなか残っていない。YouTubeで捜しても見つけられなかった。この「幻の首投げ」を、花王名人劇場の再放送で見ることが出来た。感激のあまり面白かったかどうかはよく分からない。ただ、最後に首投げを決めて終わる、その終わり方が何とも言えず味があり、いい間だった。 花王名人劇場の再放送は貴重な映像満載だ。立川談志、月の家円鏡、林家三平、夢路いとし・喜味こいし、鳳啓助・京唄子…昭和の芸人たちの珍しく懐かしい映像。ついでに言うと、最近仲が悪いとか仲直りしたとかで話題になったおぼん・こぼんだが、彼らのネタを上述のひろし・順子が出てくる番組で見た。タップ踏んだり歌うたったりキザな芸だが何と言うか嫌味がなく、また「裾の汚れた感じ」もなく、いい感じだった。

五輪談合報道:自分の頭で考えた”本当”のこと

 2023年2月10日付け読売朝刊より: 「五輪という世界的で国家的な行事を利用して談合が行われたならば、大変問題が大きい」公正取引委員会の小林渉事務総長は…云々 バッカじゃないか?読売新聞関係者が本当はこう思っていないことを望む。せめて、本当のことが分かっているけど本当のことを書いたら色々差支えがあるから、しかたなく…ということだと思いたい。 まず小林渉おじさんについて:彼も本当のことは分かっているけど、こう言わないと公正取引員会を首になってしまうから、やむなくこう言っているのかも知れないし、まあ、百歩譲って本当にこう思っていても許そう。そう思うような人間がいなくなると公正取引委員になる人がいなくなってしまう。彼がそう発言したのは間違いないだろうが、その事実を切り取って談合反対の紋切り型記事にする読売新聞は大馬鹿だ。 さて、後述する”本当のこと”なんて、証拠のない俺のただの憶測だ。しかし自分の頭で考えたもの。「世界的で国際的な行事」だからこそ、談合せざるを得なかったのだ。なお、以下で「電通」と言っているのは、いち早く逮捕された電通OBで五輪委員会の高橋 元理事を元締めにし、委員会の要所に配属され、高橋 元理事と意を通じて動いた電通社員を指す。この陣営、体制も高橋 元理事の仕事のやりやすさを考慮して首相、元首相が指示し、やらせたことだろう。 無責任に自分の頭で考えたこと(自由に妄想したこと、と言ってもよい)を自分の言葉で語ることこそ「生きている証」・「本当のこと」だ。読売でも毎日でも朝日でもサンケイでもNHKでもいいが、マスコミのみなさん、紋切り型を押し付けるのでなく、自分の頭で考え自分の言葉で語る材料を提供していただけないだろうか?それとも、マスコミの皆さんは「日本人は自分の頭で考えることは(出来)ない」と、たかをくくって紋切り型を押し付けるのだろうか? マスコミの皆さんは、事件が起こったら、どういう立場で記事を書くか?事前調整してもらってもよい。朝日が反対論なら読売は弁護論とか…必ず各紙、異見が分かれるように談合する。  さて以下が俺の「本当のこと」: ①世界的で国際的な行事で、その誘致活動の先頭に立っていた現役の総理や元総理から「よろしく」と言われ、五輪組織委員会には「ゼッテェ失敗できない」という空気が充満した ②ところが一方、委員会の皆さんには世界的...

荒井前秘書官の差別発言

ささいと言えばささいなことだが、オフレコ発言で秘書官の首を飛ばすのはいかがか?という疑問がある。  日刊ゲンダイ DIGITALによると: 荒井氏の発言を最初に報じた毎日新聞 によると、オフレコとはいえ、< 政策立案に関わる首相秘書官がこうした人権意識を持っていることは重大な問題だと判断>。<荒井氏に実名で報道する旨を事前に伝えたうえで、3日午後11時前に記事をニュースサイトに掲載した>としている。 だ、そうだ。ここでは「首相秘書官のように政策立案に関わっていなければ、こうした人権意識を持っていても報道されない」ということが確認される。首相秘書官ならぬわが身にとってはありがたいが、同じことを言っても思っても、報道されたりされなかったりするというのは差別ではないのか? 日本で最重要に近い職業である首相秘書官になろう、という若い人がいなくならないか?マスコミには少々のことには目をつぶって役人や政治家を「ほめて育ててもらいたい」と思う。そうしないと有為の若者、気の利いた若者は役人や政治家を目指さなくなる。ますますバカばっかりになってしまう…そうは言っても、この記事をアップした毎日の記者はご満悦だろう。記者でもユーチューバーでも同じ。受ければいい、売れればいい、それでおまんま食っているんだから…その上首相秘書官の首を取ったんだから。ボーナス出るかな?インフルエンサーだ…いつもの決まり文句が口をつく…「世も末だ」…毎日の記者さん、どうか、政治家や役人と言う職業を憧れの職業にすべく影響力を行使してください。碌な人材が政治家や役人になっていないのは分かります。それは毎日その他の皆さんが何十年間にわたって役人や政治家を連日、馬鹿だ馬鹿だ、と報じてきたから。毎日の記者より首相秘書官の方が大事な職業で、LGBTの皆さんの人権を守るのに影響力が大きい、と考えているからあえてオフレコ発言を公表したんでしょ????…これってやっぱり職業に対する差別??? 一番気になったのは「差別とは何か?」である。ネットを当たると一般的には「違いを理由にして不当に扱う」ことらしい。さすれば「不当」とは何か?という疑問にぶち当たるが、「不当」の定義については別に「不当」を検索する必要があるらしい。タイパを無視する俺でも面倒だ。(若者は差別→不当…というように芋づる式に知識を広めたり深めたりすることはし...

養老孟司さん:数値だけで判断するのは危険(東洋経済オンライン)

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 デジタルネイティブな若者が職業その他さまざまなものを選ぶのは、ネットなどの情報源から得られる”数値”に偏りすぎてないか?彼らの世代は一番上でもまだ40歳そこそこ。彼らが老後や人生の終幕を迎えた時、若い時の自身の選択についてどんな思いを抱くのだろうか? 養老さんが「バカの壁」を出したのが2003年。体や心の声を聞かずに数値を偏重する現代人に警告を出して20年…日本人はますます「バカ」になってる。どうしたらこれを止められるのか分からない。 閑話休題:バカの壁がいつ出されたのか調べようと「バカの壁」で検索。Amazonの広告の次に バカの壁|本の要約サイトflier の広告が。 「 flier(フライヤー)は本の要約サービス。1冊10分、忙しくてもスキマ時間で効率よくインプット」  だって。若者はコスパ、タイパも大好き。コスパ、タイパも数値。要約されない、要約から漏れ落ちた情報は捨ててしまう。養老さんは細部まで心血を注いだはずだが。そうなんだ、数値化=捨象だ。誰が何を根拠に捨てるのか?情報操作・フェイクの恐れ。そうは言っても自分に都合のいい情報ならそれでいい? 東洋経済オンラインより以下。 養老孟司「健康診断に一喜一憂する人がはまる罠」 数値だけで判断して身体の声を聞かないのは危険 養老流のものの見方、考え方とは?(撮影:今井康一) © 東洋経済オンライン ものがわかるとは、理解するとはどのような状態のことを指すのでしょうか。解剖学者の養老孟司さんは子供の頃から「考えること」について意識的で、1つのことについてずっと考える癖があったことで、次第に物事を考え理解する力を身につけてきたそうです。自然や解剖の世界に触れ学んだこと、ものの見方や考え方について、脳と心の関係、意識の捉え方について解説した『ものがわかるということ』から一部抜粋、再構成してお届けします。 脳化社会は違うことを嫌う 意識が幅を効かせる脳化社会は、違うことを嫌います。日常は違いに満ちていますが、意識に振り回されると日常が脇へ追いやられる。意識は「同じ」しか扱えないからです。 【写真】「大学合格者に卒業証書を渡せ」と指摘する養老孟司さんの真意450979 同じの最たるものは数字でしょう。物事を数字にすればするほど、世界はどんどん単純化する。人間も数字にしたほうが便利です。番号ひと...

なぜ若者は会社を辞める?(ちょっとスッキリ)

 俺は 2015 年 6 月監査役になったが、その年の 10 月に若者雇用促進法なる法律が施行されていた。参ったね。監査役業界ではこの法律、全くスルーだった。というのは違反しても大問題になるリスクがほとんどないから。ぬかっていた。若者雇用促進法は若者が就職しようとした時「定量的に」会社を評価できるようにしたり、その他若者に寄り添った法律。就職のみならず、転職の時、在籍中の会社と転職先の比較などもやりやすく。いわば転職促進法。(この法律を作った厚労省の役人は雇用流動化を狙ったのかも知れないが) この法律はその後のコロナ禍で余計なことを考えるゆとりをもたらしたリモートワークと相まって若者の離職転職を増やし日本の会社の管理職を悩ませている…まあ、悪法だネ。何が悪法かって会社法と同じ。「会社は株主のもの」と思っていない日本人には会社法は腹落ちしないのと同様、雇用流動性が高くなく転職が当たり前でない時代に育った日本の管理職には転職したがる若者を扱いかねる。何より若者が自分勝手な評価で会社や仕事を変えるだけで若手自身のスキルや能力、そして会社の競争力には何のプラスもない。むしろ転職にかかるエネルギー分、不効率。なんでこうなるのか?政治家・役人が馬鹿だから。雇用流動性を高めたいならまず、雇用流動性を高めるべきか議論をし、高めるべしとなれば、そういう主旨の法律を作るなり政策を実行すればよい。何回も言うけれど、今の政治家・役人が馬鹿なのは彼らの責任じゃない。賢い人が政治家・役人を目指さないから。マスコミや野党の皆さん、政治家や役人を皆さんの批判の対象としてふさわしい立派な存在にするために、当分、非難や批判は避けて褒めてやってください。そうすれば、もう少し気の利いた頭の良い若者が役人や政治家になるでしょう。(皆さんのお子さんを役人や政治家にしたい、と思えるくらいの憧れの職業にしましょうや) この法律の対象外の若くない人( 1980 年より前に生まれた人)は会社を定量的に評価するなんて及びもつかなかった。 ただし、若くない会社員も若者雇用促進法にあるような手法で「定量的に」評価し、評価されていた。 ・担当職務に必要な法的、経理的、技術的…その他 知見 ・語学力( TOEIC ) ・コミュニケーション能力…などなどの 評価項目を並べ立て、例えば 5 点満...

会社を辞める作法について(辞められる側から辞める人に)

 会社を辞められる側の理屈・要望を以下。(10年くらい前、現役だった時の考え) 1.結果的に退職されるのはやむを得ないとしても、できれば6か月、少なくとも3か月は”猶予期間”、”準備期間”が欲しい…つまり、6か月以上前には上司に退職の意志の”ほのめかし”、”予告”(或いは相談)をして欲しい。その結果、退職することになれば、その予定日、退職に関する公表をいつするのか、後継者の採用や配置・引継ぎなどを上司と確認・取り決める。 2.辞められる側は辞められた後の欠員補充を考えなくてはならないし、もしかすると部下が退職すると上司の評価が下がるかもしれない。だから引き止めるだろう。(もし、上司が「やめて欲しい」と思っていたとしても、二つ返事でOKはしないだろう。少なくとも儀礼上、引き止める。) 3.「今の職場・会社が嫌」とか「もっといい転職先がある」など、何があっても辞めることが決まっている場合ではなく、辞める側に育児や介護等の都合上「会社の人事制度・雇用条件・就業規則などがこうなれば退職しないでもすむが、そうならなければ退職せざるを得ない」といった事情・覚悟がある場合「こうしてくれれば辞めなくて済む」という希望条件を全て会社側に伝えて欲しい。わがままかな?とか非常識かな?とか思っても会社側に伝えて欲しい。その人が結果的に退職するかどうかとは別に、会社にとって退職を減らすための検討の参考になる可能性がある。それがその会社に一宿一飯の世話になった者としてのお返し。(もしかすると会社側が即刻、条件や規則を変えたり、例外的に扱ってくれるかも知れない) 4.その上司では人事制度に関する情報が不足していて適格な判断をできないかも知れない。(そもそも部下の口から”退職”という言葉が出た瞬間、どんな上司でも冷静な判断力を失うし、退職された後の補充のことが頭をかすめるだろう)会社に、人事に関する相談を受け付ける部署・人があるならその部署・人に相談する手もある。ただし、黙ってそういった部署・人に相談されるのは上司としては気持ちよくない。辞めようと言う側に、「最悪、退社もやむなし」という覚悟があり、かつ、その上司が大馬鹿野郎で嫌いなら気持ちなど考える必要はないが、上司との関係が悪くないなら、まず上司に相談し、断ってから相談を受け付ける部署・人に相談して欲しい。うまく情報が伝わるかどうか不安...

「ゆるい職場」を読む

 ゆるい職場 若者の不安の知られざる理由 「働きやすい会社」をなぜ若者は辞めてしまうのか?(中公新書クラレ)リクルートワークス研究所主任研究員 古屋星斗 著  を読んだ。 まず、著者の所属するリクルート…を見て「リクルート商法」と直感した。リクルート商法とは、まず「これからの時代は A ですよ~」と A を勧め、数年たつと「 A では不足ですよ~」と B を勧め…というやり口。この本で言えば数年前に「これからは心理的安全性ですよ~」と言ってゆるい職場を勧め、今度は「ゆるい職場では若者は辞めていきますよ~」だ。売れるキャッチフレーズで客をひっかけて…が半分。それに乗っかってくる客の役に立てれば…が半分といったところか。リクルートやコンサルと言われる商売の皆さんはそうしないと、おまんまの食い上げ。そうは思ったが「若手が辞めていく」という後輩の悩みを聞いてモヤモヤしていたので読んでみようと思った次第。 読んでみてやっぱりリクルート商法満載だったが、いくつか感じたこと・刺激を受けたことがあったので以下。 若者の育成&引きとめ法: Z 世代向けの斬新なものではなく、俺も現役の管理職の時(平成時代)、心掛けていたことと同じことが紹介されていた。 ①     部下に修羅場を経験させ、苦しんでも助けない 新人だけでやる研修店舗が紹介されているが、新人だけでなんとかしろ、自分の頭で対処法を考えろ、と突き放されるのは、マニュアルがないと何にもできない Z 世代にとって正しく修羅場。これをクリアできたという経験をすれば成長を感じる。俺たちの世代は半導体、 IT 、グローバリゼーション、 M & A など、それまでの知見がまるで役に立たないことが次から次に起きて転職せずともそれに対応させられた。上司も先輩も経験したことがないから指導のしようもなく、口出しもできない。そこで若い者が、のたうち回ってなんとか修羅場をクリアする…一皮むけたと感じた。 ②     上司は偉そうに上司風を吹かさず、少し経験知が大きい先輩としてアドバイスしろ(一つの参考として意見を述べろ)     俺は自分の上司が、俺の作った決裁書類に盲判を押し、時々個々の案件の話を離れ、自分たちの部署の存在理由につい...

津田左右吉を読む

津田左右吉「日本の皇室」(中公クラシックス)を読む。天皇には権利がないそうだ。あるのは徳と義務。頼まれもしないのにもっぱら平和や豊作やら民の幸福を祈る。それをひけらかすこともないし、民からの感謝や報恩(見返り)など、思いもしない。つまり、自然にそうなる、そうせざるを得ない。狙いや目的があるわけではない。ただ祈るだけ。そして権利義務責任が問われる政治にはかかわらない。臣(部下)にまかせて口出ししない…時に徳のない天皇が政治を主導しようとしたり、政治の実権を握る藤原家や武士に逆らおうとしたが碌な結果にはならなかった…徳があれば律令制は言うに及ばず摂関政治、武家政治だろうが、封建制だろうが、軍国主義だろうが、民主主義だろうがどんな政治にも天皇はフィットする。これが長続きしてきた理由…だそうだ。 民は天皇をまず、敬愛する。次に恩を感じ、親に対するのと同じように孝行しようとする。これも自然に、そうせざるを得ないからそうする…のだそうだ。 アングロサクソン流では神の意志に従った契約という枠組みの中に権利義務責任が組み込まれる。神の意志だから、嫌になったといって「無かったこと」にするには多くのコストと手間がかかる。俺は日本人には”権利”ってなじまないと思う。神様の意志とか義務や責任を絡めて考えるのって日本人には難しい。徳と孝行でいいのではないか?(「こうしてやったからああして欲しい。」「俺はこうするから君はああしなくては。」などという下品な平等とやらをやめる、ということ)民主主義ってやつも、日本人向きとは思わないし、アメリカ様にお教えいただいた民主主義なる代物=戦後民主主義はアングロサクソン流の”本場の民主主義”とはかなり違う物になり果てた。日本の個人とか自由とかもアングロサクソンとはだいぶ違う。個人や自由は脇に置いて、みんなの顔色や空気を読みながら話し合う、しっとりとした和の民主主義。悪くはないけど、そんなにいいもの、守るべきもの、とも思わない。 津田左右吉によれば、天皇という仕掛けが長続きしてきた理由は、結局「日本人がそうさせてきたから」だ。天皇は人間でもあり神でもあるのだが、他の神と違って先祖代々脈々と続く血統・家系が神だ、ということ。(=万世一系)つまり、一人の神様がポツンといるわけではなく、千年以上続くたくさんの先祖たちのつながりが神様だ、ということ。天皇家の先祖の中に...