たった30,40年前は・・・
俺たちが結婚し、子供を作った30,40年前は、男は外で働く、女は家庭で子育てと大体相場が決まっていた。俺の周りに、男で「俺は本当は主夫したい」なんてヤツはあまりいなかったし、女で「私は外で働きたい」というのも珍しかったように思う。ジェンダー丸出し。今でも子育てには女の方が向いていると思う。ジョンレノンが主夫する、と言って主夫してたのは格好いいとは思ったが、別世界の話だった。
それが今はどうだ?ややこしい。満足な子育てができないから会社をやめようか、と悩む女性がいる。多分、そんな女性を奥さんに持つ男の中には「俺が主夫しようか?」などと悩むヤツもいるだろう。解決法はじいさんばあさんに子育てを頼むことではないか?中華系はそうしてる。日本はアメリカ様の核家族を真似し、育児もじじい、ばばあには頼まない。かと言ってベビイーシッターもなんとなく不安。じじい、ばばあと住まいが離れていることも多い。もう少し言えば、じじい、ばばあを子育ての実績と筆記試験でグレード分けし、子育てのうまいじじい、ばばあには保育園だか幼稚園で育児をさせればいい*。もっと言うとプラトン流に子供が生まれたら国家が引き取って育てる…その時、子供一人いくら、と国が金を払ったら(つまり、国が子供を買い上げたら)少子化対策にならぬか?こんなこと政策秘書官が言ったらどうなるかね?
たった30,40年前はジェンダーまみれだけど、子育てを取るべきか、仕事を取るべきかなんて悩むことはなかった。そっちの方が幸せだったように思う。男女平等、ジェンダーレス、ダイバーシティー…ご立派な理屈だが人を悩ませ、不幸にするばかりなような気がする。
*ただし、怪我や最悪死亡事故は一定限度、許容されることが前提。デメリットとメリットを天秤にかける。それがロゴス。「一人の命は地球より重い」日本人にはそれが出来ないかも知れないネ。原発の安全神話と同じで「一人の子供も傷つけません」と言わないとダメだろうネ。
閑話休題:
「彼ら彼女ら」という言葉が大嫌いだ。「ジェンダーレスだぜ」、「意識高いぜ」、と言いたいんだろうね。人前ではそう言っておくのが無難で「彼ら」なんて言った日には炎上しちゃうんだろうね。そんなことに気を使うのは神経と時間の無駄遣いだ。この点だけに関しては英語はいいね。theyで済む。英語もそうだけれど、昔からのジェンダーまみれの言葉をいちいちジェンダーレスにするゲームもバカバカしく無駄。たくさん(すべて?)の言葉に男女の別があるフランス語なんて大変じゃないか?昔からの、男女別の言葉も守られるべき文化。そう言えば昔の映画や芝居、お笑いなんかの再放送の前にいちいち「差別表現も出てくるけど勘弁してね」みたいなお断りを入れるのも腹立たしい。俺はBSよしもと、BS松竹で昔の芝居、お笑いをたくさん見るが、なんのおまじない(アリバイ作り)なのか????片一方で主人公が常時タバコ吸ってるなんていう古いドラマや映画があるぜ。そのうちタバコと煙をモザイクで消すようになるかな?
コメント
コメントを投稿