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【太平洋戦争】「2000万特攻」を叫んだ「特攻の父」が遺書に記した「世界平和」という言葉の真意

 神立尚紀氏が現代ビジネスに以下: 飛行機に爆弾を抱いて敵艦に体当りする、日本海軍の「神風特別攻撃隊」は、戦況が日本に決定的に不利となった昭和19(1944)年10月20日、日米両軍の決戦場となったフィリピンで、第一航空艦隊司令長官としてマニラに着任したばかりの大西瀧治郎中将の命により編成され、10月21日に初めて出撃し、10月25日、最初に敵艦隊に突入した。 自らを犠牲にしての「体当り攻撃」すなわち「特攻」の発想自体はそれ以前からあって、大西のオリジナルというわけではない。昭和19年2月以降、人間魚雷「回天」、特攻艇(爆薬つきモーターボート)「震洋」などの開発がはじまり、8月には人間爆弾「桜花」の開発も始まった。9月13日には海軍省に「海軍特攻部」が新設されている。そのための部隊もすでに編成され、「特攻」という戦法を採用すること自体は海軍としての規定方針だった。あとは、誰が最初に命令をくだすか、という段階にまでことは進んでいた。 レイテ湾に大挙押し寄せた米艦隊との「決戦」を前に、第一航空艦隊司令長官として大西が着任したとき、すでにフィリピンには日本海軍の飛行機は35機から40機程度しかなかった。この残された数少ない航空兵力をもって、味方主力艦隊のレイテ湾突入を支援するため、圧倒的な戦力を誇る米空母の飛行甲板を一時的にせよ破壊するには、もはや「体当り」しか方法はない、というところにまで日本軍は追いつめられていたのだ。 そもそも、米英を相手とする戦争に勝算がないことは海軍上層部の共通認識であり、大西自身も開戦前から見通していたことであった。それなのになぜ、大西は、搭乗員の生還を期さない非情な命令をくだし、のべ数千人もの若い命を爆弾に代えて突入させたのか。 大西は昭和20年5月、軍令部次長として内地に呼び戻されたが、7月26日、連合国によるポツダム宣言が発せられたのちも最後の最後まで講和に反対し、徹底抗戦を叫び、 「あと2千万人の特攻隊を出せば必ず勝てる」 などと非情、いや非常識きわまりない主張をしたと伝えられている。 そして、天皇がポツダム宣言の聖断をくだし、国民に終戦を伝える玉音放送が流れた翌8月16日未明、大西は渋谷南平台の軍令部次長官舎で自刃して果てた。その行動の表層的な部分だけを見れば、まさに正気の沙汰ではない。 ――ところが、大西が遺した遺書には、つ...

Then I'll be tired of you とThe end of the world

Bev Kellyという女性歌手のIn personというアルバムを聴く。このアルバムにThen I'll be tired of youという歌が入っている。  I'll be tired of you…今は好きだけど、いつかは・・・と言った内容か?と思わせるタイトル。tiredという言葉が気になる…tired of youとは、あなたを愛しすぎて疲れた・飽きたということだろう。つまり、もう愛するのをやめる、の意。 この歌が1934年作だと知って、多分tired of youにはなりません、というtorch songだろうと思って歌詞を当たると果たしてそうだった。(Then…そしたら…という言葉が利いている) この歌の歌詞を見ると、1962年流行ったThe end of the worldという歌の似た言い回しを思い出す。 Why do the birds go on singing? Why do the stars glow above? Don't they know it's the end of the world It ended when I lost your love 「 私は失恋してこの世の終わりだ、と思ってるのに、何故鳥は歌い、星は輝くの?」という歌詞。 これに対し、Then I'll be tired of youの方は、鳥が歌うのをやめ、星が輝くのをやめたらあなたを愛すのをやめる、という内容…つまり、鳥が歌うのをやめることはないし、星が輝くのをやめることもないから、いつまでもあなたを愛します、となる。言い換えれば、「the end of the world 」が来るまで(或いは来ても)、あなたを愛し続けます… I′ll be tired of you          星が光を放たなくなったら When stars are tired of gleaming   わたしもあなたを愛すのをやめよう When I am tired of dreaming     夢見るのをやめたら Then I'll be tired of you       あなたを愛すのをやめよう This I know is true          そうなんだ When winds are tired of blow...

Then I'll be tired of you聞き比べ

 Dinah Shoreの歌。Andtre Previnのピアノ伴奏。実にいい。 Dinahの声、歌い方がこの歌にあっている。でも気いてると、あんまりHappyな感じはしない。どっちかと言うと暗く、ブルーになる。歌の歌詞は「私の愛は永遠よ」なんだけど、気だるい感じもする。 Ella Fitzgerald。ストリングス・オーケストラの伴奏で歌う。相変わらずうまい。上品な感じ。黒人女性歌手で上品にも歌えるという点ではEllaが一番。 Bev Kelly。ライブ録音。ピアノトリオの伴奏。この人の歌も決して明るい感じはしない。愛に疲れた感じすらする。 King Cole。この歌は女が歌うべき歌。男が歌うにはふさわしくないが…。悪くはない。 John Coltrane。1958年録音。もうSheets of soundと呼ばれた独特のサウンド・スタイルが完成されている。素晴らしい。息詰まる展開。他のメンバーを圧倒する。それでもRed Galrandはひなびたピアノソロを聞かす。これもいい。 Coleman Hawkins。貫禄たっぷり。1960年録音。

Bev Kelly  "In person" を聴く

 YouTubeがBev Kellyをかける。いい感じなのでIn personという1960年録音の ライブアルバムを聴く。 音域が広い訳でも声量が豊かな訳でもない。でも小唄がいい。 調べるとKellyは1934年アメリカ生まれ。寡作というか、アルバムを何枚か出した後は消息不明となった。 彼女の歌を聴いていたら、Ann Burtonというオランダの女性歌手を思い出した。そこでAnn Burtonを調べると1933年ポーランド生まれのユダヤ人であった。生粋のオランダ人だと思い込んでいたが、ナチの迫害を避けてオランダに逃げたのだった。これは全く知らなかった。 二人は似たような世代だ。そして二人ともバラードが得意だ。育った環境は大きく違うが… 違うのはKellyの方はコケティッシュというか、かわいらしさ、甘えん坊、女らしさを感じさせるのに対し、Annの方は硬いと言うか冷たい感じ。でも素人っぽいところが似てる。そして1960年代を感じる。「1960年代って何だ?」と聞かれると答えに窮するが、1950年代は「モダン」だ。粋で格好良くクールだ。緊張がある。1960年代は自由、リラックスだ。形破り(もしくは形なし)でもある。

久しぶりにカネを払う価値のあるラーメンを食った

 家から歩いていくにはちょっと遠い味噌ラーメン屋がある。 うまそうな店の構えで何年も前から気になっていた。たまたま夕方近くまで行ったついでに上さんと二人で店に入る。券売機で俺はバターコーン、上さんはチャーシューのボタンを押すが食券は出てこない。上さんと色々ボタンをいじっていたら、背後から店主が麺の太さを選ぶように言う。俺は太麺。上さんは細麺を選び、めでたく券を買えた。 この店は麺の茹で方が独特だ。麺をざるに入れ、茹でるのだが、タイマーでざるが上がってくる。不思議なのは、太麺も細麺も茹で時間が変わらないこと。また、湯切りもほとんどしない。湯切りに命を賭けるラーメン屋もいるが・・・ 喰うと実にうまい。味噌スープがうまい。全部飲み干す。白っぽい豆味噌のようだが初めて口にする味、色だ。味噌ラーメン屋だから味噌にはこだわっているはずだが、どこのどんな味噌かは見当もつかない。 店主一人のワン・オペだ。夜遅くまでやってるようだが大変だろう。 味噌ラーメンにはおろし(きざみ)にんにくをたっぷり乗せる。食後のにんにく臭くなった息も久しぶりだ。家でも味噌ラーメンをつくるが、ここ(店名”味噌一”)のは、やはりうまい。プロの味だ。一杯1000円払う価値はある。 それにしても、プロの技を感じさせる食べ物、金を払う価値のある食べ物に出会うことが少なくなった。 閑話休題: 店に入る前に何となく「この店は、味噌ラーメン一本で餃子はやってないだろうな」と感じたが、果たして餃子はなかった。

中間決算の時に下がる株を買う

決算で 利益が上方修正されようが、最高益を上げようが、予測より悪ければ株価は下がる。 勿論、予測より良ければ株価は上がる、 つまり、4半期ごとの決算発表直後に株価は大きく変動する。発表になるまで株価が上がるか下がるかなんて、「神のみぞ知る」だ。 株価(業績)がここ2年間、右肩下がりの低迷銘柄について、過去の最低株価や配当利回りなどを勘案して「この価格だったら買い」と設定する…配当利回り4%前後が目安だ…決算を控え、その設定価格に近い価格になっている銘柄があれば設定価格で指値する。9割以上成約しない。こっちの都合で設定した指値価格まで株価は下がらないことが圧倒的に多いのは当然だ。 10月末から11月中旬は、3月決算会社の中間決算発表が続々と行われるから2,3日前から、株価をチェックし指値する銘柄を探し始めた。すでに12銘柄について指値発注した。NISA枠は使い切っているから来年のNISAで買うべきだが、このところの高市トレードで株価が異常に上がるから来年まで待ったない方がいいようにも思う。まあ2,3銘柄(金額にして30~40万円)程度なら買ってもいいだろう。 今年は11月14日まで中間決算発表が続く。成約に至らなかった銘柄の発注をキャンセルし、新たな銘柄を指値発注する。何十銘柄か指値発注することになろう。成約するのはせいぜい2,3銘柄だろう。

カスタード・プディングを作る

 卵と牛乳が余った。村上信夫レシピでプリンをつくる。 もちろん昔ながらの固いヤツ。 卵3個、沸騰しない程度に温めた牛乳360cc、砂糖80グラムをホイッパーで混ぜてタネを準備。 さとう50グラムに水60ccでカラメル・ソース。 40年前に買った中古のプリン型の内側にバターを伸ばして、カラメルを入れて、その上にタネを注ぎ込む。(村上さんは、タネを漉せ、と言うが漉したことはない) これを160度のオーブンで25分蒸し焼き。実際の段取りは、オーブンを予熱してる間にカラメルやタネを作る。 何故カラメルとタネが混ざらないのか不思議だ。 何十回作ったことだろう。(いや、年2,3回以上は作るから100回くらい作ったかもしれない)飽きない。カラメルが焦がし具合で風味が変わるくらいで味は変わらない。

ブルージェイズは高校野球みたい

 ワールドシリーズ第5戦。 ブルージェイズの野球は、ランナーは次の塁を狙って全力疾走、バッターはでかいのを狙わずボールには手を出さず、ミート重視で逆方向に打ち返し、守備は堅い。延長戦に入ったら送りバントも。どこかでみたことあるなあ、と思って見てたら甲子園の高校野球だった。しかし勝負強い。粘り強い。大雑把で力任せのアメリカのベースボールではない。暴走スレスレの走塁をする。これにつられてドジャーズの守備もミスしないからアウトかセーフか微妙なプレイが多い。足の速そうに見えないゲレイロ・ジュニアが1塁から長躯ホームイン。これもきわどいタイミングだった。アウト・セーフの判定を巡ってチャレンジの多い試合だ。スリリンング。 延長12回の表、ブルージェイズの攻撃。ツーアウト満塁となって今シーズン限りで引退を表明しているピッチャーのカーショー登場。両チームとも選手を使い果たしている。カーショーは見ていて気の毒。速球が140キロ台。コントロールもままならない感じ。フルカウントになり、バッターに低めのスライダーを打たせ、セカンドゴロに打ち取る。解説の田口壮さんによると、このシチュエイションであそこにスライダーを投げられるとバッターは打ちに行くと。ベテランらしい味のあるピッチングだということ。 13回の裏、ドジャーズの攻撃。ノーアウト2塁で送りバント。ここで大谷に打順が巡って来て申告敬遠。なんとこの試合、大谷の申告敬遠は3打席連続。(それまでの4打席で2ホームラン、2ツーベースヒットだからやむを得ないか)面白かったのは、次打者のベッツも申告敬遠して満塁とし、3番バッターのフリーマンと勝負。フリーマンはセンターフライ。 ブルージェイズのシュナイダー監督は野手を使い果たし、ピッチャーのローテーションを無視したかのような選手交代。思い切った、言わば、捨身の采配が奏功。ただし、交代するたびに打者の力が落ちるから打てない。対するドジャーズは野手を代えないで優勢に試合を進めるが、決定打が出ない。勝ち越せない。試合時間5時間越え。時差ボケもあって欠伸をする選手も。にもかかわらず両チームともミスがほとんどなく、緊張感のある試合。疲れてグッタリする観客も。 この試合、最大の問題は実況のアナウンサーと解説の田口さんの息が合わない事。試合時間5時間半を超え、TV観戦も疲れて来たからそろそろ決めて欲しいと...

タルトタタンとアップルパイのあいの子を作る

 リンゴの季節だ。ネットにタルトタタンの記事が。読んでいるうちに喰いたくなる。 今までタルトタタンを作ってうまく行った試しがない。 リンゴ2個を使い、村上信夫さんのリンゴクレープのフィリングのレシピに従ってリンゴのフィリングを作る。バターを加えないからアップルパイのフィリングに近い。 これを器に詰め、上に軽く伸ばした冷凍パイシートを乗せて200度のオーブンで25分焼く。パイシートはフォークでたくさん穴をあけ、焼いて持ち上がらないように小さなタイルを乗せる。タイルが焼けるのを邪魔するからタイルを取り除いてさらに5分焼く。 焼きあがったら、上下を逆様にする。 結構うまい。

福田恒存 名言集

  Energy・1967年10月号  「世界の孤児・日本」 大阪へ行くには飛行機で行くか自動車で行くか、新幹線を利用するかその3つの方法論的対立のためにコンセンサスを求めるとすれば、その前に大阪行きを是とするコンセンサスが成立していなければならない。青森行きを主張する人と大阪行きを主張する人との間では「話し合い」も何もあったものではない。「多数の暴力」と言う妙な言葉を人々は無神経に使うが、もし民主主義を可とする以上、多数の意見に従うのが穏当であって、それが暴力でありうるはずがない。少数の意見が通ったら、それこそ暴力なのである。それにもかかわらず、「多数の暴力」と言う言葉が何となくもっともらしく聞こえるというのは、大阪行きと青森行きと全く別方向を主張する人たちが、それでは民主主義など成り立たぬのに無理してそのルールを奉じようとし、「話し合い」の原理などと甘ったれたことを言うからである。青森行きを考えている人にとっては、大阪行きを前提としての飛行機、自動車、新幹線という3つの方法の差など、たとえ民主主義的にもせよ話し合いの余地はないはずでるから、当然3つとも拒否して「歩いて行こう」ということになる。歩いているうちには皆を煙に巻いて青森の方へ誘導できる可能性があるからだ。そういう人達から見れば動き出したらレールの上を一途に大阪へ向かう新幹線採用の決議は「多数の暴力」とせざるを得ない。してみれば、多数決も民主主義も少なくとも大阪行きと言う大前提についてだけはコンセンサスが成り立っているところでなければ、全く意味のない原理と言わなければならない。 そういうコンセンサスの基盤が日本では全く存在しない。何故か。理由は簡単である。一つの共同体を形作るためには、合理主義的分析の手の届かない価値観の共有がなければならず、その価値観の共有は必ずしも天降り式の抽象的なものによって生ずるのではなく、日常の風俗、習慣、行事、しきたりの如きものまで含めての文化の連続性によって保たれるものなのであるが、明治以降の日本は、殊に戦後の日本はその連続性を切断することに狂奔してきたからである。更に端的に言えば、文化の連続性を切断し、「前向きに」前進することを唯一の生きがいとし、共有の価値観としてきたからである。 >>ここにも、日本では民主主義が成り立たない理由がある。国は守るべきか、他国に差し出...

福田恒存「日本人に民主主義は向かない」

 中央公論1974年2月号に以下:(抜粋) 国民は本当に自然環境の破壊を怖れるほど自然を愛しているのだろうか。政府や大企業による破壊、汚損は許されぬが、国民が個人として破壊、汚損する分には一向構わないと考えているのかもしれぬ。だが、弁当屑を美しい自然の中に捨て去って帰路の身軽を愉しもうと言う人間は、企業の公害に文句をつける資格はない。弁当屑も公害である。 しかし、もし私が弁当屑くらい、リュックに入れて帰れと言ったなら、きっと多くの人人は政府なり自治体なりが紙屑籠を備えるべきだと言うに違いない。だが、紙屑籠がなければ屑をその場に捨てて帰るような人間が、紙屑籠ができたからといって、それを几帳面にその中に捨てて行くとはとても考えられない。「自分のことは自分でせよ」の正に反対で、自分が怠惰、無為でいられるような仕組みを期待しているのだ。そういう仕組みを作るのが政府であり、自治体であり、大企業である、と考えているのである。悪いのは自分ではない、政府だと言う。なぜなら、個人は無力で、政府の権力は強大だからと言う。だが、無力な個人の習合が国家なら、そんな国家は存在するに値しない。国民の一人一人が無力な弱者なら、そんなものの面倒をいくら見たところで何の甲斐もありはしない。 公共事業、大企業にだけ良心を要求し、私企業、小企業、個人は弱者なるがゆえに悪魔の誘惑に身にを傾けてよいと考えるのは、何とも理解に苦しむ。国民の一人一人の良心の集積のない風土では、大企業の良心も育たぬのではなかろうか。 自分の怠惰、無為、無能を棚に上げて、政治に全てを期待すると言うのは、よく考えてみれば、江戸時代のお上意識の裏返しに過ぎまい。いや、その名残だと言えよう。なるほど、百姓、町人は政治参加を許されなかった。が、それはある意味では今日と同様、彼らは無責任で気楽な立場にあり、生活が苦しくなったり、何か面白くないことが起こったりすれば、今の殿様が悪いからだと文句を言っていればいい。その心の底では、名君による賢人政治を期待していたのである。この賢人政治の夢は維新後、天皇の存在によって満たされていたが、戦後は性急な民主主義化と近代化の強要により、国民はかえって封建時代同様の生身の名君を身近に求めずにはいられなくなった。自民党は名君ではなさそうだ、それなら社会党か、共産党か、どちらかが名君になってくれるだろう...

民主主義(資本主義)社会におけるメディアのおぞましさ

中日スポーツに以下;   高市内閣最年少で初入閣を果たして注目を集める小野田紀美経済安全保障担当相(42)が26日、自身のX(旧ツイッター)を更新。週刊誌の取材で自身の周囲が迷惑しているとして抗議した。  「私の地元の方や、同級生の方々から『週刊新潮の取材が来た。どこで個人情報が漏れているのか分からないが怖い、気持ち悪い』と多数のSOSが届いています」と報告。「取材に応じないと、なぜ取材を断るのか理由を述べるよう言われ、追い詰められるように感じる方もいたそうです」と悪質性を指摘し「このような迷惑行為に抗議します」と訴えた。  投稿に対しては「マスコミ界はどうしてこう…『一般人の人権』への配慮が皆無なのか…」「報道の自由をかざした人権侵害は規制するべきです」「政治家の同級生や地元の人々まで追いかけ、取材を拒む理由を詰問する。それは取材ではなく侵入です」「報道の自由を盾に何をしても許されると勘違いした輩は迷惑行為でしかないな!」「いきなり取材にきて失礼だし 断ると理由を述べろとは脅迫では?」「どんだけメディアが偉いんだ」「倫理観のない人を止めるにはどうすればいいのでしょうね」など報道姿勢を批判する声が相次いで寄せられている。 >> 資本主義は共産主義者をその内部で産み、育て、主義者たちが革命を起こすそうとすれば弾圧し、批判されれば主義者たちの批判を意識して批判の矛先をかわすように変化する。資本主義は非常に柔軟で共産主義者たちの言うような革命は起こらず、労働者に”寄り添う”ように変化して崩壊しない。メディアも全く同じだ。中日スポーツというメディアが、新潮他のメディアを批判した小野田紀美のコメントを紹介する。 民主主義社会においては言論の自由が大切だから、メディアがメディアを(自己)批判するのもOKだ。そして資本主義社会におけるメディアは「売れてナンボ」だから、メディア(=自己)批判なんてお手の物だし、もちろん、勝てない戦争に国民を仕向けるのも売れるならなんでもアリだ。 おぞましいと言うべきか、図々しいと言うべきか。 閑話休題: いつまで「X(旧ツイッター)」という表記を続けるのか?海外ではどうなってるのか?また、日本のメディア内部ではどうやって他社の動向を探っているのか?明らかに談合だが、誰も騒がないから、つまり、メディアで取り上げないからメディア内部の談合なんて...

Anita sings the mostを聴く

 繰り返しAnita O’DayのYou turnede the tables on meを聴いていると、You Tubeが勝手に この曲の収録されているアルバムである、Anita sings the mostの別の曲をかけてくれる。 フルアルバムを聴く。伴奏は、全曲Oscar Peterson Quartet。聞き飽きない。Petersonのピアノは歌伴が一番好きだ。名人芸と言うにふさわしい。時々聞こえるHerb Ellisのギターソロもいい。 ところで、sings the mostのthe mostって何だろう?今まで考えたことがなかったが、色々考えるとthe most beautuffly,the most wonderfullyなどという意味だろう、と推測がつく。録音が1957年1月で確かにAinta絶好調の時期。つまり、彼女のレコーディングキャリアの中でも最高に良いセッション、というほどの意味か? Best Albumという言い方があって、これは様々なアルバムから選んだコンピレーションと言うか、オムニバスという意味だ。なので、Anita sings the bestとは言わなかったんじゃアないか。 俺が最初に買ったAnita のアルバムはThis is Anitaで、もう50年以上前の事。これは1955年12月の録音。 伴奏はBuddy Bregmanのストリングス入りオーケストラ。こっちは初々しいと言うか、瑞々しい感じ。このアルバムに入ってる " A Nightingale Sang in Berkeley Square " というロンドンにあるBerkeley Squareでデートする男女の歌が好きで、出張でロンドンに泊まった時、このBerkeley Squareとビートルズアルバムジャケットで有名なAbbey Roadの横断歩道に行った。 Berekeley Squareは文字通り四角かった。なぜ公園の事をSquareと言うのか腑に落ちて 妙に感心した。 何となく、深夜にデートしてたらいい感じになりそうな、昼でも薄暗くて湿っぽい感じにする公園た。歌の通りだ。 Abbey Roadの横断歩道は行かない方が良かった。しょぼい普通の横断歩道だった。 なんてことをしてたら帰りの飛行機に遅れそうになった。 閑話休題: 1919年生まれのAn...

大臣になる資格(2)

 新外務大臣・茂木さん。 初仕事らしく、国際会議?に出席。その時、参加者で写真。 茂木さんだけ「小人」だ。 外相その他、外人と肩を並べる可能性が大きい大臣は世が高くなければならない。 これを大臣になる資格に追加する。外人と並んで写真撮って、”チンチクリン”では。、はなはだみっともない。かといって、コバホークみたいに”たっぱ”は大きいが、ただ我慢強いだけで機転が利かないのも困る。

ニンジンの大量消費法

 ラぺ、しりしり…ニンジンがたくさん余ると千切りにして食す。 グラッセも大量消費できるが、肉料理以外の付け合わせには難しい。 今日は、ピーマンの肉詰めの付け合わせにしようとひらめいた。 グラッセ同様、カットしたニンジンを下煮する。ピーマンの肉詰めをソースで煮る時に、この下煮したニンジンも加える。(グラッセにするときは、下煮したニンジンにバターと砂糖を加えて更に煮て水分を飛ばす) これが実にうまかった。今日の付け合わせは、他に牛乳とバターをレンチンし、マッシュポテトのフレークを加えて作ったマッシュポテト。マッシュポテトのフレークは富澤商店のヤツがおいしくて安い。 ※ピーマンの肉詰めのソースは、しょうゆ、みりん、オイスターソースを混ぜたもの。これにケチャップを加えてもよい。

新農水大臣頑張れ!

毎日新聞に>>以下: 鈴木新大臣は農水省出身。誰より出身母体の弱体化・メンバーの質・量の下落ぶりを身に染みて知っているはず。やりにくいだろうが、高市首相に睨まれても、言を左右してなんとか農水省の役人の質・量を上げることを最優先で取り組めないか?まあ、それはともかく、いい人事だったんじゃあないだろうか???コメの値段などという些末なことでなく、10年後20年後の日本の農業をこうする、という設計図を書いて欲しい。しかし、農水省に彼より早く入省した先輩は、やりにくいだろうなあ・・・ >>  21日に発足した高市早苗内閣で、山形県から鈴木憲和衆院議員(43)=山形2区、当選5回=が農相として初入閣を果たした。コメ価格の高止まりが依然続く中、農政の先行きに不安を募らせている全国有数の農業県からの閣僚誕生に、地元から「現場が分かる大臣だから期待できる」や「小さな農家も希望を持てる農業に」などと喜びの声や注文が相次いだ。  鈴木氏は農水省出身で、2012年の衆院選で初当選。党内では旧茂木派に所属し、副農相などを務めた。  サクランボやブドウなどの果樹の苗木の生産者で、鈴木氏の地元南陽市の菊地善和後援会長(71)は「平場から中山間地までくまなく足を運び、生産現場の課題がわかる専門家」と印象を語った。  さらにコメ高騰で新米を1度は購入しても2度目は二の足を踏む消費者もいるなど消費低迷への不安がぬぐえないとし「農家と消費者が折り合える価格で持続可能な農業にしてほしい」と期待する。  また今年3月に東京・渋谷で「令和の百姓一揆」を開催し、農を守る地域作りの重要性を呼びかけた長井市の菅野芳秀さん(75)は「地方の農業は家族経営の小さい農家が支え合って成り立っている。規模拡大路線の農政のままでは立ちゆかなくなる」と懸念し、新しい展望を示すよう注文した。【長南里香】

大臣になる資格

高市内閣の 大臣(閣僚)認証式を見る。 気づいたのは、財務大臣・片山さつきの無様さだ。 着慣れていないせいだろう、ロングドレス姿が様にならない、似合わない。致命的なのは、足が悪いせいか、ハイヒールが痛いせいか、歩き方が不格好…というか、ほとんど”びっこ”をひいている。 これは、天皇陛下に対する不敬だ。 今後、大臣候補を選んだら、まず、大臣認証式の時に着るドレス・靴を身につけさせ、認証式でやる動作をやらせて、天皇陛下に不敬とならないかチェックして欲しい。天皇陛下の前に出ても不敬にならない格好・作法ができるということが大臣になる資格だ。 それにしても、天皇陛下におじぎしたり、あとずさりしたりといった、昭和どころか明治の香りのする動作・作法はもうやめたらいかがだろうか?ちゃんと日本国籍を持っているかどうか怪しい蓮舫や社会党員だった福島みずほも大臣になった時、あの古しい、純和風の作法を守ったんだろうか? 閑話休題: 賃上げ環境整備担当大臣は城内某だが、やはり「チンアゲ」担当なら、よしもと新喜劇の島田珠代ねえさんだ。 黄川田大臣はメリーランド州立大学卒。メリーゴーランド大? 我が小野田紀美の 経済安全保障担当大臣 は一番末席・格下の大臣。ちょっと残念。不可解なのは、デジタル大臣を差し置いて人工知能戦略も担当すること。

どうした、Copilot !?

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 10月22日朝 Copilot に高市内閣閣僚一覧を聞いたら以下。 これ、明らかに閣僚人事が発表になる前、というより、自民党の党人事ですら行われる前の予想だ。どうして?しかし、当たらねえなあ。。。

せめて昼ご飯くらい気を遣わないで…

 高市首相に期待することについてNHKでインタビューしていた。 ある女がインタビューに答えて「せめてお昼ご飯くらい気を使わないでいいようにして欲しい」と。物価を下げて欲しい(または収入を増やしてほしい)ということだろう。 俺なら昼めしは買わずに、自分で作る。(あるいは妻に造ってもらう)。 物価が高い、と言いながら、なぜ、自分で我慢したりコストダウンすることを考えないで、首相に甘えるか???何か主権在民とか民主主義を誤解していないか?根っこには国防をアメリカに甘えていることがあるのではないか? 「貧乏人は麦を食え」と言う所以だ。米が高ければ政府だか与党に文句言ったり、甘えたりせず、コストダウンを考えたり、一食抜くことを考えるべきだ。そして、自分の気に入った政党なり候補者に選挙で投票すればよい。 NHK他オールドメディアは、政治家に文句を言うか甘えるのが民主主義だ、と視聴者を洗脳しようとしているようだ。

志ん生の「芝浜」を聴く

 ”芝浜”は、三代目桂三木助の十八番のネタ。1961年に死亡。志ん生は、 「芝浜は滅多にやらないが、三木助さんが『遠いところに行っちゃった』から、この噺をやる」と断って噺を始める。従って演じたのは1961,2年だと思われる。 魚屋の熊さん、酒に身を持ち崩して貧乏に。お上さんは、熊さんの「これで酒は最後にするから」という常とう句にぶつぶつ言いながら、不承不承、着物を質に入れて酒を買う。不思議だ。どうして酒飲みで嘘つきの熊さんの言うことをいつも聞きいれ、質屋通いをして酒を調達するのか?でも、志ん生が、このお上さんを演ずると、志ん生自身のお上さんがそうだったろうと思って、しっくりくる。不自然な所はない。わずか100年前の日本では、そんな夫婦が当たり前?だった…それでよかったと思う。 そして、本当に一念発起した熊さんが魚を仕入れる金を借りて来てくれ、と言うと、お上さんはおじさんの所に行って頭を下げて金を借りて来る。どこまで出来た上さんか。夫に尽くす。べつに夫に尽くすのが上さんの勤めなどと堅苦しいことを考えてのことじゃあない。ごく自然に、当たり前にそうする。志ん生が演じれば何の違和感もない。 芝浜に限らず、出来の悪い旦那をお上さんが叱咤激励したり、バカにしたりする噺は多いが、お上さんは旦那を見限る気遣いはない。「生涯家にいる」のが当たり前だ。 しかし、”芝浜”の熊さんのように本当に立ち直る職人や、”文七元結”の長兵衛や”火炎太鼓”の甚兵衛のように幸運に恵まれる職人は滅多にいなかったろう。飲む打つ買うで身を持ち崩し、立ち直れない職人と一生過ごした上さんの方が圧倒的に多かったのではないか。 閑話休題: ”子別れ”のお上さんは、女遊びの激しい熊さんを離縁して子供を連れて出ていってしまうが、真面目になった熊さんと復縁する。

産経新聞、小野田紀美大好き

産経新聞に以下:小野田紀美の経済保安相の方が片山さつきの財務省より圧倒的に大きな扱い。確かに片山さつきより、小野田紀美の方が若くて見た目はいいけど…。 小野田紀美氏を経済安保相に起用へ 高市総裁が方針 片山さつき氏と同様、高市氏の推薦人   自民党の高市早苗総裁は21日に発足する新内閣の経済安全保障担当相に小野田紀美参院議員を充てる意向を固めた。高市氏周辺が明らかにした。高市氏は同日召集される第219臨時国会の首相指名選挙で初の女性首相となる第104代首相に選出される見通しだ。 小野田氏は米国出身で、平成28年の参院選岡山県選挙区で初当選した。高市氏に近い保守派の論客として知られ、自民総裁選では高市氏の推薦人を務めた。高市氏は他に片山さつき元地方創生担当相を財務相に起用する方針だ。 閑話休題: もう小野田紀美も十分出世した。そろそろ応援するのやめようかな。しかし、出世早かったネ。

連立成立発表の党首会談における高市早苗の顔が良かった

 ほっとしたせいか、早苗総裁の顔が良かった。歴史を刻む一世一代の瞬間だ。 笑顔も取ってつけたような作り笑いという感じでない。 まさか、公明との離別も、新たに維新をパートナーにすることも計算ずく・思惑通りだったのか?そんなことさえ妄想させる、晴れやかな表情だ。 顔がいいから期待も膨らむ。 民主主義とは足の引っ張り合いだ。明日からどんな引っ張り合いが行われるんだろうか? つまらない引っ張り合いはなるべく見たくないが…

国家公務員の定数削減

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2025年10月18付け文藝春秋電子版、編集部日記に 農水官僚から漂うあきらめムード…「コメ失政」取材で見えた日本の農政の「詰み」 と題する記事。 >> 以下に引用するが、  今度の米騒動に至る農水省の体たらくの原因の一つは、まともに米の出来具合も予測できない要員しかいなくなってしまったこと(役人の質・量の低下)だ、と。 という訳で内閣府の公表している国家公務員の推移(削減)を当たってみると、国家公務員全体の人数が一時期90万人だったのが、30万人に。 この削減の中には省庁の統廃合や一部組織の”子会社化”(例えば社会保険庁を年金機構に変えて員数外にする)、といった「組織改革」という名の細工もあるから、正確にどの程度の削減だったかは分からない。 しかし、「定員削減に関する最近の閣議決定」に書かれている平成16(2004)年閣議決定は、当時、俺の会社を含む日本のほとんどの会社がやっていた、業務改革とか、改善とか、合理化という名のリストラと寸分違わない。 俺の会社で、 俺自身当時何をしたかというと、「おかしいな」、とか「会社は終身雇用を信じて入社した社員を裏切っている」「この勢いのまま社員がゼロになったら会社って何のためにあるの?」などとは思ったが、リストラに正面切って反対する勇気はなく、「リストラの嵐からどうやって自分の部署(の部下)を守るか」しか考えていなかった。 1920年から始まった軍縮で兵隊の人数が激減し、10数年後には軍部はテロで日本を占領し、21年後、アメリカとの戦争を始め、日本は25年後に一旦滅ぶ。 2005年に始まった公務員の 大幅な定員削減開始後20年。 削減された 国家公務員によるテロは起きるのか起きないのか? あるいは、テロでなく、今回の農水省役人のようなミスや体たらくで日本が致命傷を負うようなことはないのか? この記事を読むまでもなく、農水省に限らず役人たちが絶望あるいは悲観しているのは間違いない。 そんな役人と権力闘争に明け暮れる政治家による行政では、日本国が進路を誤るのは間違いない。 が、それでいいのだ。他に日本をご破算にしてやり直す術がない。 >> 「令和の米騒動」で、主食であるコメの危機を察知すらできなかった農水省ですが、彼らが日本の農業の未来をどのように描こうとしているのか。 今回の記事 はそのような疑問からスタートしました。 ...