福田恒存「日本人に民主主義は向かない」
中央公論1974年2月号に以下:(抜粋)
国民は本当に自然環境の破壊を怖れるほど自然を愛しているのだろうか。政府や大企業による破壊、汚損は許されぬが、国民が個人として破壊、汚損する分には一向構わないと考えているのかもしれぬ。だが、弁当屑を美しい自然の中に捨て去って帰路の身軽を愉しもうと言う人間は、企業の公害に文句をつける資格はない。弁当屑も公害である。
しかし、もし私が弁当屑くらい、リュックに入れて帰れと言ったなら、きっと多くの人人は政府なり自治体なりが紙屑籠を備えるべきだと言うに違いない。だが、紙屑籠がなければ屑をその場に捨てて帰るような人間が、紙屑籠ができたからといって、それを几帳面にその中に捨てて行くとはとても考えられない。「自分のことは自分でせよ」の正に反対で、自分が怠惰、無為でいられるような仕組みを期待しているのだ。そういう仕組みを作るのが政府であり、自治体であり、大企業である、と考えているのである。悪いのは自分ではない、政府だと言う。なぜなら、個人は無力で、政府の権力は強大だからと言う。だが、無力な個人の習合が国家なら、そんな国家は存在するに値しない。国民の一人一人が無力な弱者なら、そんなものの面倒をいくら見たところで何の甲斐もありはしない。
公共事業、大企業にだけ良心を要求し、私企業、小企業、個人は弱者なるがゆえに悪魔の誘惑に身にを傾けてよいと考えるのは、何とも理解に苦しむ。国民の一人一人の良心の集積のない風土では、大企業の良心も育たぬのではなかろうか。
自分の怠惰、無為、無能を棚に上げて、政治に全てを期待すると言うのは、よく考えてみれば、江戸時代のお上意識の裏返しに過ぎまい。いや、その名残だと言えよう。なるほど、百姓、町人は政治参加を許されなかった。が、それはある意味では今日と同様、彼らは無責任で気楽な立場にあり、生活が苦しくなったり、何か面白くないことが起こったりすれば、今の殿様が悪いからだと文句を言っていればいい。その心の底では、名君による賢人政治を期待していたのである。この賢人政治の夢は維新後、天皇の存在によって満たされていたが、戦後は性急な民主主義化と近代化の強要により、国民はかえって封建時代同様の生身の名君を身近に求めずにはいられなくなった。自民党は名君ではなさそうだ、それなら社会党か、共産党か、どちらかが名君になってくれるだろうと思っているらしい。選挙とは名君探しのことに他ならない。が、選んでみれば、直ぐ名君でないことが分ってしまう。江戸時代なら期待するが、要求はしない。「自分のことは自分でせよ」という道徳が生きていたので、自分の尻までお上に拭いてもらうのは恐縮だというけじめだけは知っていた。
しかし、民主主義を原則とする近代政治は名君による賢人政治とは全く異なるものである。当然ぼろを出す。今の世にお上はぼろを出すな、失政をするな、国民に不満を与えるなと言う風に過大な期待を持ちすぎると、「よし、それなら、俺に下駄を預けろ、何も可もうまくやってやる」という名君がきっと出て来るに違いない。それを独裁者と呼び、そういう政治を全体主義と呼ぶのである。国民の一人一人が自分のことを自分で始末する能力や意欲を失って行くのに比例して、その面倒を見る政府の力は増大して行く。これほど明白な力学的法則はない。
>>これが書かれて50年。福田さんの懸念はもっと深刻になった。ただ、独裁者に身を任すには至っていない。しかし、お上は名君でなくてはならぬ、という「お上主義」は衰えを知らぬ。自分は「お上」にはなれない(ならない)、お上は天から降って来て善政を敷くものだ。そしてお上に裏切られるとそのお上をけなして別のお上を探す。裏切ったお上を批判・指導して善政をできるようにしよう、なんてことは考えない。
生活が苦しいのはお上のせい、物価が上がるのもお上のせい、子供がうまく育たないのもお上のせい、もちろんコメの値段が上がるのも…誰か何とかしてくれ…「失われた30年は自民党のせいだ・・・」これが日本の”民主主義”だ。
閑話休題:
民主主義:自分だったらこうする、というアイデアを持った人が、自分のアイデアに近いことを言う人に投票して政治家を選ぶ。政治家を批判・指導する。同時に自分の支持しない政治家、大企業は悪いことをする者だ、という性悪説に立ってチェック・規制する…これが進むと政治家、大企業であること自体が悪である(=無過失責任説)となる。
お上主義:政治家、大企業は善いことをするという性善説に立って、期待し甘える。期待が裏切られるから政治家、大企業を非難し、メディアは大企業・政治家を非難する。みんなで非難する一方で、自分の子供は政治家にはしようとせず、大企業に就職させようと考える。みんなで非難するから政治家や大企業や役人を非難するのは”安全地帯”だ。安全地帯にいて一方的に非難するのはいじめであり、ハラスメントだ。メディアはイジメはいけない、と言っておきながら、政治家や大企業や役人は非難しても安全だ(非難しないと危ない)と分かっていて非難する。
無過失責任まで問うなると、政治家、大企業に対する甘えだ。民主主義はお上主義に近くなる。
無過失責任の最たるものが「製造物責任」だ。猫を乾かしたいから濡れた猫をレンチンする輩の味方をする考えだ。そんなおバカを「馬鹿野郎!」と叱り飛ばすのはご法度だ。さすがに、日本では、電子レンジに「猫は入れないでください」とは書いていないが、電子レンジを作る企業は世話焼きの母親のように、馬鹿で不注意な子供をやさしく面倒見なくてはならないのだ。
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