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積み立てNISA開始準備

 来年からNISA枠で年間120万円を積み立て投信できるらしい。そもそも投信とは何か?積み立てとは何か?・・・分からない。が、せっかくだからトライしようと思う。 どうも、投信とは、運用のプロが様々なコースを設け、コース別に客から資金を集め、それを運用して金を増やす仕組みらしい。そして集まった資金の総額を口数で割ったものを基準価額と言い、運用益が出れば、一部を分配金として客に還元し、残りを基準価額に跳ね返すものらしい。(もちろん、手数料だ何だは差し引かれるのだろう) ところが、どのプロが運用するどのコースがいいのか、皆目見当がつかない。さてどうしようか、と思案するうちに、運用の結果に基づくランキングが公表されていることに気づく。ただし、「資金流入」やら「値上がり」やら「トータルリターン」やらいくつものランキングがあって各種ランキングの意味するところもイマイチ分からず、何をどう判断すればいいのかは結局、全然分からない。 そこで、各種ランキング上位8位までをピックアップし、複数のランキングで8位までに入っているものを選ぼう、と考えた。結果、 ・HSBCインド・インフラ株式オープン ・米国MLPファンド(毎月分配型)Bコース(円ヘッジなし) ・GSMLPインフラ関連ファンド年2回決算コース ・SBI日本株4.3ブル の4つが候補に上がる。それぞれ基準価格は1万円から1万5千円。この4つにそれぞれ毎月2万円積み立てようと計画・・・これで年間96万円。 積み立て投信なんて海のものとも山のものともつかないものに金を投じようとするのは馬鹿か無謀か?そうは言っても、それなりの実績もあり、客もついているんだから大損はしねえだろう、とも思う。 年が明けて上さんが投資資金を補充してくれたところでまた考えましょう。

近所の八百屋にて

 近所の八百屋では、夕方になると時々売れ残った野菜を店の前に出してきて安売りする。今日はもやしが売れ残ったので値引きして売ろうとしているらしく、お兄さんがもやしを店の前に持ってきて値段をいくらにしようか思案中のところへちょうど俺たち夫婦が近づいて行った。するとお兄さん「いくらなら買います?」と聞く。普段38円で売られているが、このもやし、上さんが好きなので時々買うことがあった。 俺は「25円」と言った。 お兄さん「15円で」と言う。 「そんなに安くしてくれたんなら2つ買おう」と俺。 「このもやし、おいしいのよね」と上さん。 こういう、大げさに言えば心意気というか、呼吸、はずみでものごとが進んでいくのは良い。 ねぎ油でもやしを炒めて食おう。2つも買っちゃって食傷するけれど・・・。年越しもやし炒めだ。

All of meを聞き比べる その2

1954年以来70年間にわたって New Port Jazz Festivalという催しがアメリカ北部のロードアイランド州(避暑地?)で毎年夏に行われている。(来年もやるみたいだ)1958年に行われたこのFestivalの様子を記録した「真夏の夜のジャズ(Jazz on a summer’s day)」というドキュメンタリー?映画がある。確かにドキュメンタリーでもあって、Jazzを聞きに来た老若男女の人たち(白人主体だが黒人も少し・・・というのは、当時こんなものを、金を払って見に来るなんていう贅沢ができる黒人は少なかったと思う)の生態というかジャズの楽しみ方も記録されており、当時のアメリカの様子を垣間見ることができる。だがしかし、俺にとってはやはりジャズを楽しむ映画だ。 この映画のジャズパフォーマンスの白眉はDinah WashingtonのAll of meであろう。 Blue Mitchell(tp),Urbie Green(tb),Terry Gibbs(vib),Wynton Kelly(p),Max Roach(dr)…と書いていても豪華だなあ、と思うメンバーの歌伴で歌う。この手の催しのときはこういう豪華な歌伴が成立する。というのは大物ミュージシャンがたくさん集められて「一丁みんなで」みたいに、普段なら絶対ありえない大物ミュージシャンの共演があるからだ。 Dinahの顔を外して、着ている白いドレスだけのアップ。楽しそうに踊る若い白人男女。黒人差別と闘う闘士という硬いイメージのMax Roachのリラックスした、楽しそうな笑顔。客も演者もノッる感じが伝わって来る。張り切ってビブラフォンを一生懸命弾いているTerry Gibbsの隣に行って「私にも弾かせて」とばかりに、二人でビブラフォンを演奏し始めるDinah。白人男性のGibbsと黒人女性のDinahの楽し気な共演。観客も白黒、老若男女いる。後年の「やらせ」感漂うダイバーシティーでなく、自然だ。音楽の力だ。 我がAnita O’Dayはレギュラーの伴奏メンバーで歌う。実はAnitaが出てるからこの映画を見たいと思ったのだが、この映画のAnitaの出来は悪い。1919年生まれだから当時39歳か。なんかものすごく老けた意地悪ばあさんみたいに見える。この年の4月にAnita O’Day at Mr. Kelly’...

藤原審爾「遺す言葉」(1985年新潮社)より

談志師匠が好き、いい、と評価する人と俺が好き、いいと思う人は重複が多い。まずフレッドアステア。手塚治虫。それから色川武大、西部邁、弟子の志の輔。逆に師匠がほめる割にあんまりいいとは思えないのがテツ&トモ、三橋美智也その他の昭和の歌手。さて、その色川さんが師匠と仰ぎ、読めと勧めるのだから藤原審爾さんの「遺す言葉」を読む。藤原審爾さん1921年生まれなので、60過ぎの時の「遺言」だ。 色川さんは自分のことを「間違えて生れて来ちゃった半端者」と思っているようで、そこが俺と一緒だ。人間としては一段下の出来だと思っている。一方、藤原審爾さんはまともで前向きな上出来の人。色川さんは真逆の藤原審爾さんに憧れたのか??? 以下引用: 部俺のコメント ・人の掟について (戦前に4人の男の子を産み、苦労して育て上げたが、4人の子供たちは各自平等に月々千円ずつ送って来て、その4千円で生活しなければならなくなった「お花」さんという女性を取り上げ)この「お花」さんの不幸な出来事は、民主主義のはきちがえによるものというように扱われ、最初は教育運動の欠陥によるものと考えられた。民主主義という人間的な考え方に非はないのであるから、それを正しく把握させることができないのは、教育啓蒙のしかたがよろしくないからだと考えられたのである。 しかし、実際は、そういうことではなくて、いくら正しい考え方であっても、そして理解できるものであっても、受け取る側の現状に合わなければ、混乱を惹き起こす結果になるということなのである。GHQの期待もそこにあったようであるが、こういう場合の改善は、民主主義教育を放棄することが許されぬために、極めて困難なことになるのである。もともと民主主義は、民衆が作り上げて行くものであって、長い歳月と努力が必要なのであり、そのことによって民衆の個性的な、実情に合ったデモクラシーが育つのである。しかし理解できるが、実情に合わないイデオロギーの普及教育が強力になされるというと、お花さんのような出来事が、多種多様に起こってくる。とりわけ厄介なのは、4人の子供達が、おしつけられた民主主義をはきちがえたりするのではなくて、一応の理解をした上で、都合の良いことだけを勝手に使うところだろう。そういうことが日本の実情であり、意識の段階なのである。 1970年に発表された江藤淳の「ごっこ」と同じ論だ。日本は戦...

今年は良い年だったように思う

 昨年は、春先の前立腺炎に始まり、その後、腎臓結石(多分)で血尿も出て健康上の不安が止まなかった。昨年末の医者の「免疫が落ちたかも」という発言に触発され、免疫を上げるべくキリン・イミューズのサプリまたは飲料を毎日飲み、また「カラスの行水」を少しは長く風呂に浸かっているようにした。そのおかげかどうか分からぬが、真夏にゴルフやり過ぎてフラフラし、下痢気味になったぐらいであまり深刻な健康上の悩みはなかった。(ちょっとめまいのようなものを感じることが多いが、致命的ではない)何といっても血尿は気持ち悪い。それに比べれば、少々の下痢など気にならない。 ただし、アルツハイマーは進んだように思う。人の名前などはハナっから思い出せない、と決めている。まあ、これは致命的ではない。そのうち思い出すことも多い。能率が落ちるという問題はあるが、引退した老人に時間はたっぷりあって、急ぐ必要は全くない。タイパも全然関係ない。というか、タイパを気にしなくてよい、というのは老人の特権である、と思う。 それから白内障が初期段階であることが発覚した。 健康上の心配が少ないと、心も余裕が出るようだ。昨年は言わなくてもよい減らず口を叩いて後悔したこともあったが、今年はそういうことは少なかったように思う。12月は、人に優しく接してもらったようにも思った。幸せな感じがした。 今年、株をNISA枠120万円、特定枠47万円でトータル167万円買った。高配当が期待できる株を狙ったが、来年、実際に配当金をいくらもらえるのかは分からない。累積の株購入金額は合計977万円。今年買った株を除けば810万円。これに対して配当金額は税後で47万円。配当利回り5.8%。好成績だと思う。今年167万円で買った株の配当利回りが予想通りの5%に迫る結果となれば来年の配当金は55万円程度になることを期待。 1954年生まれの一白水星は来年、再来年と運気が高まる。筋トレと散歩に励んで健康と幸運を期待しよう。

2001年のスティーブジョブズ インタビュー @”クロ現”

1990年代以降のNHKクローズアップ現代の放送のいくつかをを選んで再放送している。 まず目を引くのは国谷裕子さんの溌剌さ。「きれい」と言ってもよい。 印象的だったのは2001年OAの、スティーブジョブズインタビュー。 以下彼の名言:  成功する人はあきらめない人。(失敗する人は途中であきらめてしまう人) どこにもなかったから自分で(パソコン)を作った。 (パソコンづくりを)自分達のため、友人たちのためにやっていたら2500万人のユーザーのためにパソコンを作るようになった。 金儲けをしたいから起業するのはやめた方がよい。世界に自分のアイデアを広めたいという思いを実現するために会社を立ち上げる。 (パソコンは携帯端末に負けているのではないか?という国谷さんの質問に対して:) パソコンはエモーション(感情)を作り・伝える道具になる・・・これに関連し、我がルパン3世の作者モンキーパンチがパソコンで見るルパン3世を作っている場面が紹介された。 人間は本来、一人一人ユニークで独自なものを持っている。パソコンはより多くの処理をより早くやろうという方向ばかり、つまり性能を上げて人を型に嵌める方向ばかり追っかけてきた。パソコンは、人間本来の、一人一人がユニークな自己表現をする手伝いが出来るはずだ。 結局、ジョブズという人は、自分の気持ちやアイデアを自由に表現して多くの人に伝える、ということにこだわった人だった。 最近の転職したがる日本の若者は、今までなかったものを編み出すことをハナから諦め、今までの成功例の真似をしようということか?金を儲けたいでもなく、”世間”が「いい」、と言うキャリアを詰めれば成長を感じ、ご満足か???彼らは絶対間違っているが、俺たちの世代にもそういう若者を作った責任がある。 閑話休題: TicTokだInstagramだYouTubeなどというものは、自分の感情、センスその他内面を表現するツールになっている。ただし、宣伝(=金儲け)があまりに深く広く入り込み過ぎて、おかしくなっている。

今年最後に株で遊ぶ

 アルデプロ株を100株、単価288円で指値発注した。(26日の終値が295円。今朝は309円に値上がりしているからこれでは成約しないだろう) 同社は11月30日、東証から「内部統制がなっとらん!」とお叱りを受け、株価は11月30日の初値398円が12月1日初値244円まで急落した。配当は1株当たり20円。つまり、12月1日初値が付いた時点で配当利回り8.2%。仮に288円で買えたとすると配当利回り6.9%。 そもそも同社は権利関係がややこしい物件の取り扱いが得意な不動産屋らしい。(この会社の特徴がすでにしていかがわしく、怪しい会社だ。内部統制なんてまじめにやってたら成り立たない商売だ。上場廃止になるべき株なのかも知れない) 俺と同様、株単価が安いから「試しに買ってみよう」という考えで買いが入って値上がりしているのではないか?俺は、仮に288円で100株買えたら「28、800円どぶに捨てた」つもりで保有し、仮に20円の配当が維持されれば御の字というつもり。 上場廃止が早いか、万が一まともな会社になるのが早いか????

パー券キックバック疑惑の本質 その2

 23年12月23日OAの「東京ホンマもん教室」は、パー券(キックバック)疑惑の本質はその使途の問題ではなく「企業からの賄賂だ」ということを教えてくれた。 この番組はTOKYO MXで放送している。一方、MX以外の大手TV局(NHKも含めて)はこの金の入り口を取り上げて賄賂と言うのでなく、出口(使途)に目を向けて、政治家のお金の使い方、選挙に金ががかるという話ばかりに持っていく。 だって、大企業=TV局のコマーシャル枠を買ってくれる大のお得意さんだから。政治家は大企業に忖度してパー券という形で賄賂をもらったらきっちり大企業向け減税を仕掛け、補助金が入るようにする。TV局も大企業に忖度してスキャンダルの本質をわざとはすして報道する。(まだ電通の神通力が生き残っているのかしら?)これにNHKも総務省に対する忖度で民放と足並みをそろえて報道する。 少なくとも派閥(”政策集団”なんていう言い換えは無意味どころか、反感を呼ぶだけだ)が悪さの本質ではない。問題の本質から目をそらす、情報管制の仕組みの方がよっぽど大きな問題だ。 こういうのを小野田紀美はぶっ壊すことはできないか?

ある仏壇屋のクリスマスイブの前夜

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 閉店後の仏壇屋にて。入口(出口)の自動ドアに、内側からMerry Christmasと赤い文字で貼り付けてある。 日本人と結婚して日本に住んでいるインドネシア出身の女性(イスラム教徒)が「何故日本人はキリスト教徒でもないのにクリスマスなんて騒ぐのか分からない」と、至極当然のことを言っていたことを思い出す。 ※日本では信教は自由だし、宗教による差別もご法度だから、この仏壇屋の主人はキリスト教徒だったりして。 インドネシア人だってかなりいい加減だ。(ちょうどラマダンの時に行ったことがあるが、絶食もそんなにまじめに取り組んでいるようには見えなかった)そのインドネシア人に「いい加減だ」と言われるんだから、日本人のいい加減さも大したものだ。

パー券キックバック疑惑の本質

 23年12月23日OAの「東京ホンマもん教室」は、パー券(キックバック)疑惑の本質はその使途の問題ではなく「企業からの賄賂だ」ということを教えてくれた。 つまり、企業がパー券を買って賄賂を贈り、政治家は企業の要望を忖度して、法人税を安くしていると。一企業が20万円未満でパー券をたくさん買って何百万円も”合法的”に「賄賂」を贈ることができる。 この番組で紹介された”事実”は、法人税は特別な条件をクリアすればどんどん税率が下がる仕組みになっていて、その仕組みを活用して法人税を減税すると、資本金10~50億円の企業の実効法人税率は28.3%、同100億円以上の企業の実効法人税率は21.2%、連結法人の実効法人税率は9.3%だと。これは、直接大企業が「法人税安くしてね」と言わなくても「あうん」の呼吸で政治家が忖度して法人税の実効税率を落とす仕組みを作ったり、補助金を増やしたりするからであって、「賄賂」と言える、と。 巧妙?なのがガソリン税減税の代りに石油会社に補助金をバラまくというやり方。ガソリン税を1.5兆円減税する代りに、石油会社に6兆円の補助金を渡しているとか。 また、パー券のノルマなるものがきつくて金持ちや大企業に政治家が媚びるため、勉強する時間がなくなるとかフラストレーションがたまるとか・・・ 国のために政治家になる人を増やさなければ・・・

昭和10年代生まれの日本女性に教えられる

2023年12月21,22日二日続けて朝日新聞デジタルに載った戸田奈津子さん(1936年生まれ)のインタビュー記事から抜粋:  (前略) 「うちは母一人ですから、パンぐらい自分で稼ぐということで(大学卒業後)勤め始めました。保険会社の社長秘書の仕事でした。待遇もよく、職場は、戦後にGHQ(連合国軍総司令部)が建物を接収したとき、マッカーサー元帥の副官が使っていた部屋。皇居のお堀も見える特等席という感じだったのですが、仕事がつまらなくて1年半でやめてしまいました。ダサい上っ張りのような制服を着せられるのも本当に嫌だったんです。その後は一切、宮仕えはしていません」  「それからは、通信社、化粧品会社、広告会社などであらゆる翻訳の仕事をアルバイトでしました。幸い次から次に仕事が入ってきて、経済的に困ることはありませんでした。テレビアニメの『鉄腕アトム』を外国に輸出する際の台本の英訳をしたこともありました」 (略) 「この映画(地獄の黙示録)で私が字幕を担当できたのは、フランシス・コッポラ監督の鶴の一声のおかげだったんです。『地獄の黙示録』は大作で、撮影に3年ぐらい要したのですが、撮影現場のあるフィリピンと自宅があるサンフランシスコを監督が行き来する。その途中で必ず立ち寄る東京で、私が通訳兼ガイドを務めていました。彼は知識欲の大変に旺盛な方で、日本でも、おいしいものを食べたいとか最新のハイテクを見たいとかで、私がずっと同行していました」  「契約の関係で結局実現しなかったんですが、この映画の音楽は、作曲家の冨田勲さんに頼みたいと、コッポラは考えていたんです。冨田さんはあまり英語がおできにならなかったので、私が通訳として一緒にフィリピンのロケ地に行ったり、サンフランシスコに映画のラッシュ(編集中の映像)を見に行ったりしました。いつか字幕翻訳をしたいと思っているということも私がコッポラに話していたようです。映画が完成して字幕をつけるという段階になって、彼が『彼女は撮影現場でずっと私の話を聞いていたから、字幕をやらせてみたら』と配給会社に言ってくれたそうです。配給会社はもちろん大作に新人の私なんか使いたくなかったでしょうけど、大コッポラ監督の言葉には逆らえなかったんですね。大学を出て20年も近づけなかった字幕の世界に、ようやく入ることができたんです」 お見合いしたら、とも...

Sarah Vaughan "April in Paris"

 YouTubeでたまたま目についた"Sarah Vaughan with Clifford Brown"に収録された”April in Paris"を聞く。何回も聞いたんだけど、今夜は特にいい。 Sarahの歌はもちろんだけど、歌伴のJimmy Jonesのピアノ、Paul Quinichetteのテナー、Herbie Mannのフルートそして御大Clifford Brownのトランペットすべてよい。それぞれがほんの数十秒の短いソロを取るだけだが、味わい深い。「滋味」という感じ。ソロは取らないがRoy Haynesのドラム(ブラシ)も効いてる。ものすごく完成度が高い。「職人芸ここに極まれり」というところか。特にJimmy Jonesがいい。「泣き」を感じる。こんなにJimmy Jonesがいいと感じたことはなかった。 昔からこの歌を聞いてなぜか秋の夜長を感じる。Aprilを歌っているんだけど。 しかし、このアルバム然りだが、1954年~1956年録音のJazzレコードには傑作が多い。この頃のアメリカは黄金期だったんだろうな。 Clifford Brownは1956年に死んでしまった。(確か交通事故で)1954年、彼は傑作レコード連発だった。 Sarahも1954年頃がピークだったか。1960年以降は重くなって俺の好みではない。 でも芸人・芸術家は羨ましい。その人の絵や文や音や歌や・・・が残る。 閑話休題: 1954年のEmarcyレコードは女性ボーカルの歌伴にClifford Brownを使って傑作アルバムを連発した。Dinah Washington、Helen Merrillの二人もClifford Brownの歌伴でキャリア最高のパフォーマンスを残した。Dinahの録音が8月14日、Sarahの録音が1954年12月16日、18日。そしてHelenが1954年12月22日、24日だ。 1954年に創設されたEmarcyレコードのプロデューサーになったBob Shadが一連のレコーディングを取り仕切った。彼はものすごい企画をし、ものすごいミュージシャンを集め、4か月の間にこの一連のレコーディングを行った。それにCliford Brownも乗っかってそれぞれの女性ボーカリストと傑作を残した。

NHK TV ”みんなの体操”を見ながら

 夫婦で「みんなの体操」を見る: 上さん:(体操する演技者?実技者?を見て)つい最近までは女二人、男一人だったのが、いつのまにか、女一人、男二人になってる。 俺:女が多ければ女が多い、男が多ければ男が多い、とクレームがつくのさ。どうして3人でなく偶数の人数にしないんだろう。しかし、それを言い出したら、若い連中ばかりで子供も老人もいない。それについておかしい、ってクレームはつかないのかな?最近は外人も増えたけど外人もいない・・・中国人、朝鮮人、クロンボ、日系ブラジル人、アラブ人、インド人・・・それぞれ老若男女ついでに健常者・そうでない人*を1式そろえる。何十人かになって画面に入りきらなくなる。そうなったら面白い。 上さん:トンネルズの木梨君もこの番組好きらしいネ。変わった面白がり方がいい。 俺:その通り。俺たちだって随分おかしな面白がり方だよ。 *「そうでない人」の部分には「不具者」と入れたかった。「ふぐしゃ」では変換しない。一々「不」「具」「者」とぶつ切りに変換した。なお、マイクロソフトエッジで「ふぐしゃ」と入れると「🐡者」と表記される・・・何の意味、何のつもりだろうか? 閑話休題: 今日は12時頃外出(散歩)に行こうか?と俺。 昼休みだから嫌だ、と上さん 俺達には昼休みも夏休みも冬休みも春休みもねえんだ。と俺。 「俺たちに明日はない」みたい・・・上さん。 (結局、昼休み後の1時に外出することにした)

音楽の力

 何もする気がせず、かと言って寝ることもできず・・・塞いだ気分・・・そうだ、You Tubeで清水ミチコでも、と思いついてYou Tubeを見始める。まず目に飛び込んで来たのは小野田紀美の相変わらず気風の良い演説?(独り言或いは愚痴)。続いて落語だ、となって志ん生の「らくだ」を聞くが、イマイチ面白くない。「やっぱり志ん生は『火焔太鼓』か『ふろしき』だなあ」などと思いながら小一時間続く志ん生の噺を聞く。しかし、昔の人は気が長かったというか、暇だった。今どき、落語でも何でも小一時間も我慢して聞く輩がどのくらいいるんだろう。そして何と言ったらいいんだろう、素直に笑う。この噺のまくらで志ん生も言っているが、「昔は良かったぁ」なんて言ったってしかたがねぇんだけど。 志ん生を聞き終わったら。ふと、ハイファイセットが目に付く。「中央フリーウェイ」「海を見ていた午後」を聞く(見る)。1980年代のライブ映像。40年前の「格好いい」が展開される。(ただし、山本潤子さんはダサい。ヘアースタイルなんてそこらに買い物に来たおばはんみたい)そしてユーミンの才覚を感じる。天才と言ってもいいか。「格好いい」を音楽にするユーミンの才覚。 塞いだ気分が大分和らぐと言うのか、ほぐされる。 閑話休題: 小野田紀美よ、自民党はもちろん、戦後民主主義をぶっこわせ!

政策活動費は巨額?

 キックバックだかなんだか、与野党合計で何十億円の政策活動費はその収入も使い道も明らかにしなくてよいのだそうだ。俺は何十億円の金がどう使われようとあまり大騒ぎすることではないと思う。 大阪万博や東京五輪だって当初予算の何倍かの金を何千億円と使う。他にもコロナの補助金だって、競争力のなくなったビジネスを生き残らせる補助金だって無駄が多いと思う。(こういった「合法的な」税の無駄使いは、その費用対効果がはっきりしないままで終わる・・・その結果日本はどんどんダメになっていく)そもそも五輪や万博を日本でやる、という決定は合法的で民主的で透明性があったのか??? 不透明、あるいは使途不明は金は大きいものから「見える化」すべきだが、誰がどう操作しているのか知らないが、何十億円のチマチマした政策活動費を取り上げて大騒ぎする。 どう考えても「戦後民主主義」はオワコンだ。

北朝鮮拉致問題解決、沖縄基地負担軽減・・・

 北朝鮮拉致問題、沖縄基地負担軽減・・・相手の国(北朝鮮、アメリカ)に「うん」と言わせることが必要だが、誰が見たって両国とも「うん」なんて言うはずがない。それを政治家は「早期解決を目指す」と言う。北方領土問題も同じだ。何十年間も交渉相手国に全く相手にされず、進捗していない。だって相手国にとって現状維持が核心的な国益なのだから。 治る込みのない末期がん患者に「治る」と言うのと同じか?治る見込みのない末期がん患者に向かって俺はどう言うか?ケースバイケースかな?患者が分かっていて諦めているなら正直に言ってあげるべきだ。患者が分かりたくない、諦めきれないと言うなら嘘をつくか?この嘘は、患者が死ぬまでの間の有期限だ。 政治家が「嘘」をつくのは拉致被害家族や沖縄県民は諦めていない、事実から目を背けたいと思っていると判断しているということか?加えて(こっちの方が大きいのだろうが)嘘をつかないと次の選挙で落ちると判断しているということだろう。 しかし、同じ「嘘」でも、政治家が多くの選挙人を意識してつく打算的「嘘」と末期がん患者に個人的につく「嘘」とは違う。俺は拉致被害者でもないし、沖縄の基地にも思い入れがないから政治家の「嘘」を聞かされると「白々しいなあ」「嘘だよな」と思う。そして政治家の嘘は無期限だ。 ともかく俺は政治家にはなりたくないし、なれない。

福岡県中間市の市長について

以下の九州朝日放送記事を読んで: ①まず、市長たるもの、冗談言うならもっと面白いことを言え! ②次に、どこがセクハラなの?・・・不快なギャグだから?確か「不快と感じたらそれはハラスメントだ」と教えられた。ただし、どこが”セク”か? ③最後に、他人の失言、ミスをいちいち取り上げては足の引っ張り合いをするなんて情けない。市長が厭なら「民主的に」次の選挙で落とすことを考えるべきだ。それでも彼が再選されるなら中間市民が馬鹿なんだからしゃあない、と諦めようじゃあないか。それが民主主義だ。そんな民主主義が厭なら民主主義をぶっ壊すことを考えようじゃあないか。民主主義なんて日本人には向いてないんだから。 以下記事:   「あいさつとスカートは短い方がいい」などと発言した中間市の福田健次市長に対して、中間市議会は14日、辞職勧告決議案を賛成多数で可決しました。 複数の市議が連名で提出した辞職勧告決議案では、10月の会合で福田市長が「あいさつとスカートは短い方がいい」と発言したことが「中間市政の代表としてあるまじき許容しがたい発言」と指摘。 その上で、「ハラスメントの根絶に向けて先頭に立つべき市長が軽率な受け狙いで発したセクハラ発言を見過ごすことはできない」として福田市長に辞職を求めました。 採決の結果、賛成8・反対7の賛成多数で可決されました。 福田市長は「市民の信頼を回復するために今後も全力で市政運営を続けていく」とコメントし続投していくとしています。

東浩紀さんが「訂正する力」という本の宣伝を(president on line)

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President on line記載の東浩紀さんが自分の本の「番宣」をしているが面白かった。俺の「日本人は”議論”できない、だから民主主義も日本人には無理」論に近い。 何故ヨーロッパ人は訂正する能力があり、議論や民主主義になじむのか?その理由は、俺に言わせると、自分の外に神という唯一の絶対者(基準)があるからだ。自分の意見・考えなんて神という絶対者の前では命を懸けて守るほどのものではない。もっといいものが現れればそっちに乗り移ればよい。(これを東さんは「訂正」と呼ぶ) 多くの日本人には、自分の外に絶対者はいない。絶対者そのものがいない、と言ってもいいかも知れない。強いて言えば「自分自身が絶対者」に近い(というか、自分の運命を決めるのは自分だ・・・自分の信じる神様仏様が運命を決めるという言い方もあるが、その神様仏様は唯一ではなく、たくさんの中から自分で選んだ神様仏様だ・・・時間がたったり環境や流行、Trendが変われば別の神様仏様に乗り換えることもある)。 日本人は”議論”で論破されると”絶対者”たる自分自身が否定され、命を取られたように感じる。それが厭だから否定や反論しにくそうなことしか言わず、否定や反論されそうになる事態を回避しようとする。 日本人に「空気」が生じるのも唯一絶対の判断基準がないからだ。相手や”世間”の基準はどうなっているか、流行やTrendはどうなっているかを探って忖度や「空気」が生じる。 東さんは「いつの間にか空気を変えて」「民主主義=訂正」の力を日本に生じさせたいようだが、俺は空気を変えて民主主義=訂正する力を日本に生じさせるべきか、またそれが可能なのか、については大きな疑問を感じている。空気を変えるのでなく、空気を(入れ)換えることは日本史上何回か行われた。大化の改新や明治維新や敗戦・・・外圧と言う強い風の力を借りて空気を入れ換えた。これなら起こるかも知れない。これは暴力や多くの死傷者や破壊など大きな犠牲を伴う。「いつの間にか空気を変える」などとというマイルドなことが苦手な日本人は、こういう「訂正」しか出来ないかも知れない。 以下、引用。   なぜ岸田首相は「聞く力」を失ったのか…東浩紀「いまの日本は『まちがい』を認められない空気が強すぎる」 「ひとの意見は変わるもの」という認識を共有するべき 人々が「空気」に支配される日本では、改...

Lee Wiley ”Night in Manhattan"を聞く

 Lee Wiley ”Night in Manhattan"(CBS)を聞く。Lee Wiley自身の歌は大していいとは思わない。インディアンの血が混ざっているとかで発音にも癖がある。歌伴のBobby Hackett(コルネット), Joe Bushkin(ピアノ)のオブリガート が素晴らしい。1930年代を思わせる演奏。 録音は1950年だが、1930年代の古めかしいスタイル。いわゆる「中間派」って奴だ。中間派って、いわば「生ける化石」だ。戦前流行っていたSwingと呼ばれる音楽が戦後廃れて慌ただしい騒音みたいなBe Bopという音楽が流行った。Swingが廃れても「Be Bopなんてうるさいだけじゃあねえか」、と頑固にSwingにしがみつき、演奏を続けていたミュージシャンがいた。こんな人たちを「中間派」と呼ぶ。中間派専門のレコードレーベルもあり、アルバムを何百枚と出した。(俺も数十枚、百枚近く持っているかも) アメリカって国も面白い。古いものは廃れるが、同時に生ける化石としてマイナーながら生き残る。古いからダメ、と全否定しない。自国に大した歴史がない、というアメリカ人のコンプレックスからか、ただ古いというだけで感心・尊敬してしまうところがある。日本人は1000年以上の長きにわたり、古いものを否定し、新しいものに飛びつくことを繰り返して来た。 閑話休題: どうして A Night in ManhattanでなくNight in Manhattanなのか?nightという名詞は不可算名詞でもあり可算名詞でもある。可算名詞ならA night 或いは nightsと複数形にするが、敢えてnightと不可算名詞にしたのは、特定の夜(例えば「あの人と恋に落ちたあの夜」を)指すのでなく、「一般的にManhattanの夜とは・・・」と言いたかったのか?