昭和10年代生まれの日本女性に教えられる
2023年12月21,22日二日続けて朝日新聞デジタルに載った戸田奈津子さん(1936年生まれ)のインタビュー記事から抜粋:
(前略)「うちは母一人ですから、パンぐらい自分で稼ぐということで(大学卒業後)勤め始めました。保険会社の社長秘書の仕事でした。待遇もよく、職場は、戦後にGHQ(連合国軍総司令部)が建物を接収したとき、マッカーサー元帥の副官が使っていた部屋。皇居のお堀も見える特等席という感じだったのですが、仕事がつまらなくて1年半でやめてしまいました。ダサい上っ張りのような制服を着せられるのも本当に嫌だったんです。その後は一切、宮仕えはしていません」
「それからは、通信社、化粧品会社、広告会社などであらゆる翻訳の仕事をアルバイトでしました。幸い次から次に仕事が入ってきて、経済的に困ることはありませんでした。テレビアニメの『鉄腕アトム』を外国に輸出する際の台本の英訳をしたこともありました」
(略)
「この映画(地獄の黙示録)で私が字幕を担当できたのは、フランシス・コッポラ監督の鶴の一声のおかげだったんです。『地獄の黙示録』は大作で、撮影に3年ぐらい要したのですが、撮影現場のあるフィリピンと自宅があるサンフランシスコを監督が行き来する。その途中で必ず立ち寄る東京で、私が通訳兼ガイドを務めていました。彼は知識欲の大変に旺盛な方で、日本でも、おいしいものを食べたいとか最新のハイテクを見たいとかで、私がずっと同行していました」
「契約の関係で結局実現しなかったんですが、この映画の音楽は、作曲家の冨田勲さんに頼みたいと、コッポラは考えていたんです。冨田さんはあまり英語がおできにならなかったので、私が通訳として一緒にフィリピンのロケ地に行ったり、サンフランシスコに映画のラッシュ(編集中の映像)を見に行ったりしました。いつか字幕翻訳をしたいと思っているということも私がコッポラに話していたようです。映画が完成して字幕をつけるという段階になって、彼が『彼女は撮影現場でずっと私の話を聞いていたから、字幕をやらせてみたら』と配給会社に言ってくれたそうです。配給会社はもちろん大作に新人の私なんか使いたくなかったでしょうけど、大コッポラ監督の言葉には逆らえなかったんですね。大学を出て20年も近づけなかった字幕の世界に、ようやく入ることができたんです」
お見合いしたら、とも言われたけど
――その20年間、不安もあったと思いますが、戸田さんを支えたものは何だったのでしょうか。
「私が歯を食いしばって、耐え忍んで20年も待ったと思う人もいますが、そうではありません。会社勤めもしていないんだから、周りの人は、この仕事どう、とか、お見合いしたら、とか言ってきたんですけど、私は一切興味がないわけ。字幕しかやりたいことがなかったんです。待ったのではなくて、それしかなかったんです」
「もちろん不安になったことはありますよ。最初から20年とは思わなかったから、『もしかしたら明日、明日』と思っているじゃないですか。でも、振り返ったらもう十何年も経っている。このまま永久にチャンスが来ないんじゃないかとも考えますね。でも、誰に言われたことでもなく、自分で決めたことなんだから、もしだめでもそれは自分の責任なんだからいいと思っていました。その覚悟があったから、続いたんですね」
「最近のような会話重視は、私は間違っていると思います。やっぱりまずは基本をしっかりやるべきです。中学3年生の文法でいいんです。あとはボキャブラリーを増やしていけば、言葉を入れ替えてどんな文章でも作れるようになります。会話のために同じ文章をオウムみたいに繰り返して暗記しても、応用はできません。文の作り方の基本をしっかりと勉強したうえで、表現をふくらませていくことです」
「それから、書くことも大事です。会話は、多少間違えても相手に通じますし、その場で消えてしまいます。でも、書いたことは紙の上に歴然と残って、自分がどこを間違えたのか認識することができます。間違いを認識するということが、学ぶということなんです。例えば、三単現(三人称単数現在形)の『s』を落としていても会話は通じますが、それを続けていたら、この人は教養がないなと思われてしまいます」
「英語、英語って言うけど、日本人のうちどれぐらいの人が、人生で英語を必要とするんでしょう。海外に出てグローバルに活躍する人は、もちろん死ぬ気になってやらないといけない。好きな人は英語をやればいい。でも、そうじゃない人だっていっぱいいるわけでしょ。なぜもっと母国の日本語を教えないのか、って私は思います。美しい日本語がどんどん失われていっているし、スマホでメッセージを送っているだけでは、長い文章が書けなくなります」
「字幕翻訳の仕事でも、求められるのは80%が日本語です。自分は英語がしゃべれるから字幕もできるんじゃないかと思う人もいますが、それはとんでもない誤解です。字幕がやりたい人なら原文がわかるのは当たり前。字幕は、短く、的確に、みんなにわかる言葉で、見ている人の感情に訴えなければなりません。そのためには日本語の力が必要なんです」
――外国語を学ぶことの意義についてどう考えますか。
「最近は、外国語の機械翻訳の精度がどんどん上がっているようです。もちろんそれを利用するのはいいんですけど、やっぱり自分の言葉で交流することを大切にしたいですね。人間はこれまで何万年もの間、言葉でコミュニケーションをしてきたんですよ。それを急に機械に任せてしまうのは、人間の歴史をないがしろにすることになるのでは、とも思えます」
「人と人が生でコミュニケーションすることに、人間が人間たるゆえんがあるわけでしょ。人間同士が会うと、空気で理解しあえるじゃないですか。会って初めてその人の人柄もわかる。でも、機械は空気を理解できません。私がハリウッドのスターたちといい付き合いができたのも、こちらが誠意を持っていれば、空気でそれが通じてきたからです。そんな空気を大切にするためにも、外国語を学んでほしいですね」(聞き手・山根祐作)
「これしか生きる道がない」「これしか興味ない」「虚仮の一念で、女子として初めての職業を始めた」という戸田奈津子さん。この記事を読んで、塩野七生さんを思い出した。
1937年生まれの塩野七生さん(Wikipedia)
(前略)「イーリアス」を読んで感激していたため翻訳者だった呉茂一に学びたいと願って学習院大に進学した。
1963年からイタリアに遊びつつ学び、モード記者として活躍。ヴァレンティノ・ガラヴァーニなどを日本に紹介する記事を担当した。
1970年からフィレンツェやローマに在住し、ローマ名誉市民を経てイタリア永住権を得ており、ローマに在住。
2019年に塩野さんが母校で高校生に語ったTV番組を見返した。(OAは2020年の元旦)
「あなた方の年齢で将来何をやりたいなんて分かるはずがない」
「将来役に立つかどうか考えれずに勉強する=教養」
「30代までは失敗してもよい」
「大学出て3年くらいで自分に合ってるなんて分かりますかね」(孔子曰く、50代でようやく『天命を知る』)
「年を取ることは自分がやれそうなことを消して行くこと」
「女子学生の求職なんてなかった」
「日本で就活に失敗して自分で女子学生向きの職業を作った・・・当時日本で知られていなかったイタリアファッションを紹介しようと思いついた)」
閑話休題:
片や映画字幕、片やギリシア・ローマ以外に生きる道を見いだせずに、将来なんて一切考えずに(女子では)初めての職業に飛び込んで夢中でやっているうちにこれが天職だ、と思い至る。これが生きることの醍醐味だろう。
塩野さんは「50歳まで転職せずに仕事続けて、これでいいんだ、これが天職だ、と思えるようになれ」と言っているように聞こえる・・・大学出て3年くらいで「これが向いている」とも「向いていない」とも判断なんてできやしない。最近流行の「若いうちに転職」では、生きることの醍醐味が味わえない。その点で明らかに間違っている。
同じ理由でタイパも、間違っている。
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