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11月, 2022の投稿を表示しています

中国のゼロコロナ政策反対運動

 中国であんなに習近平や共産党に文句言っていいのだろうか?それも顔出しで。またそれが海外メディアに流出してもいいのだろうか?すべて共産党の「やらせ」か?人民が共産党に反対するデモができるんだぞ、中国はそれほど自由で開かれた国だぞ、ということを国内外にPRしたいのか?いやあ、やらせではない感じがする。鴻海のi-phone工場での暴動の映像には警官と思われる人たちの乱暴な取り締まりの様子が映っていた。一連の暴動の映像はフェイクという可能性はないか? 暴動が真実だとすると、ゼロコロナ政策で自由に動けなくて不平不満がよっぽど募っているのか?日本にこれだけ伝わってくるのだから中国国内ではもっと激しい運動になっているのではないか?中国人は日本人のようにおとなしくない。反政府運動に火が付くとヤバイことになる。しかしITや監視カメラでガチガチに監視管理していたはずだが…デモする人たちはどう連絡とり合って集まったのだろうか?SNS・ネットを使って連絡とり合うのは当局に感知・把握される可能性大だが、何か抜け道を見つけたのか?それともSNS・ネットなど使わないで連絡を取り合ったのか?押さえつける力が強ければ強いほど反発力もでかいのか? ウイグル自治区・ウルムチのマンションで火事が発生し、ゼロコロナ対策のため自由に逃げられなくて10名死んだという事故の映像があっという間に全国に広まったのがデモのきっかけになった、というのも意味深い。俺が中国に出入りしていた2005年頃、チベットやウイグルといった少数民族を力づくで押さえ込んでいることに無理を感じ、彼らが独立運動を起こして中国は分裂するかも、と妄想していたが長年そんなことが起こる気配は全くなかった。チベット・ウルムチでの力づくの統治がほころびてきているのか?若者の手が届かないところで習近平3期目という異例の人事が行われ、それに対する若者の危機感・反発がものすごいのか? 中国の歴史を振り返ると、被支配者(=百姓…ひゃくせい)は食うのに困らなければ反乱は起こさない。逆に言えば百姓が食うのに困れば支配者に反発し、権力の転覆(革命)を起こす。中国の歴史は革命の歴史といってもよい。コロナで中国の経済や産業や農業に深刻なダメージが起こっているのか?中国の成長が止まったことは確かだが、それ以上の深刻な問題が起こっているのか?中国共産党が1949年に...

MX TV「東京ホンマもん教室」11月26日(土曜) 台湾有事

  ゲスト伊藤貫さんの言うことはもっともでリーズナブルで怖くなるくらい現実的だった。 いわく: 中国が台湾を侵攻する場合、日本が尖閣諸島の領有権を主張したりすると中国は領有権を侵されたというような言いがかりをつけて、核攻撃も辞さないなどと日本を脅す。実際、核ミサイルを富士山の7,8合目とか北海道の誰も住んでないところを狙って飛ばしてくるくらいのことはするだろう。日本が中国から核攻撃を受けるならアメリカは日本を見捨てる…アメリカは中国と核戦争をする気はない…何故なら中国と核戦争すると中国の核ミサイルによって何千万人のアメリカ国民が殺される可能性があるから。日本の国防には核兵器が必須だが、アメリカ、特に国務省が日本の核保有を許さない。つまり、アメリカは日本を核攻撃から守る気はないし、従って日本が他国から核攻撃されないためには核武装して核抑止力を持つしかないが、それもさせない。アメリカは不道徳である。ウクライナ戦争がNATOとロシアの全面戦争になるようなことがあれば中国は台湾に手を出す。台湾有事を避け、日本が中国の核攻撃を受けるリスクを小さくするにはウクライナ戦争をやめてもらうことが一番いい。日本はそういう外交をすべきで戦争に加担し西側を応援するようなことは慎むべき。台湾有事は来年起こっても不思議ではない。 最悪のシナリオは、伊藤貫さんの言う通りだと思う。日米同盟なんあてにできない。気になるのはアメリカが在日米軍を見捨てるのか否かだ。日本としては在日米軍を人質に取ってアメリカに守ってもらうということはできないか?防衛の焦点を敵軍による空爆・上陸阻止に当てるのかそれとも核ミサイル防衛に当てるのか?核ミサイル防衛を主眼に考えれば在日米軍はアメリカにとって無用のお荷物になる。在日米軍撤退もありうる。在日米軍がいなくなるなら自衛隊を合憲にし、日本の核武装も許してもらえないか?(逆に、在日米軍撤退と同時に自力かつ独力での防衛を諦め、平和憲法に戻って自衛隊もやめて丸裸になるという選択もある)日本側から在日米軍撤退を持ちかけるのもいいか?問題は台湾有事が来年起こるのか10年先に起こるのか?来年起こったらどうしようもない。日本がミサイル攻撃されないためには尖閣だろうが台湾だろうが黙って中国のやりたい放題にさせるしかない。

ブラマヨ弾話室11月20日OA が面白かった(小野田紀美参院議員)

BSフジ ”ブラマヨ弾話室”は笑えることはもちろんだが、非常に”ためになる””頭を刺激してくれる”番組なので毎回かかさず見る。(ただし、不規則に本放送枠で再放送を流す…これはやめて欲しい) 11月20日OAはとても面白かった。まず、出演者の出ているBSよしもとの番組の宣伝から入る。そして本題。 テーマは「子供の教育をどうするか?」。文化人ゲストのことを”文化人ズ”と呼ぶのもおかしいが、その文化人ズとしてゲスト出演した自民党参議院議員の小野田紀美さんがとても聡明でまともな感じがした。彼女は岡山県の選挙区で公明党が推薦しないと言うと公明党の応援は要らない、と公言して公明党の応援なし(むしろ他候補者への応援で妨害された)でそれでも当選した、という気骨のある人。悪い癖でWikipediaその他で生まれ、学歴などをチェック。TVで見ただけでは分からなかったがシカゴ生まれで父親はアメリカ人。アメリカ人(例えばアングロサクソン…本人の公開している幼少期の写真からすると父親は”黄色”でも、”黒”でもなく多分”白”)の血が入ってるなら”気骨”なんて無関係で当たり前のことを言っただけなのかな?でも彼女自身のツイッターでアメリカ人の父親は彼女が生まれてすぐ”蒸発”した、と言っているから影響は小さいか?…父親の蒸発後すぐ母親の故郷の岡山県に移住してきた由。俺の娘と同じ年生まれ(学年は早生まれの我が娘の方が1年上)学歴は清心中学、清心女子高等学校から拓殖大卒。改憲して自衛隊を合憲にしろ、と主張。安倍晋三は暗殺される前の日に岡山で彼女の応援演説をした、というのも興味深い。こういう、まともなことを言う跳ね返り娘は自民党内では評判悪いはずで、安倍さん亡き後どうなるのか、次回当選できるか心配。なので応援することにしてその第一歩として彼女の公式サイトから自民党に入党した。(年会費4000円) 彼女は「自分の頭で考え、自分の言葉で語る」まさしく俺の考える”あるべき日本人”。なぜこういう人ができあがったのか、研究したいところ。やはりアメリカ人の血が入ってるから? さて番組の議論は不足している保育士について「そこらのおばあさん、おじいさんではダメ、資格のあるプロでなければ」と親が言っているという話に。俺の知っている中華系家族は、ほとんど共稼ぎだが、おじいさんおばあさんに子供の面倒見てもらっているケースが多い...

ワールドカップサッカー・ドイツ戦

 浅野の劇的・神がかりの逆転ゴールについて上さんが、俺も気づかなかったしあまり指摘する人がいないことを言った。「浅野についていたドイツのバックスが”白い人”だった。”黒い”人がついていたら浅野はゴールに向かって前進できなかった。」と。”黒い人”の名はリュディガー。上さんによると浅野より足が速いそうだ。このリュディガーがついていなかったのは単なる幸運・偶然か、それとも日本のしかけがもたらした必然か?実は俺はその時リュディガーが交代していたのかも覚えていない。(多分交代してないと思うが) 俺も浅野自身に聞いてみたいことがある。それは「結果的に非常に狭いニアを打ち抜いたゴールだったが、それは狙ったのか、思い切り蹴ったらたまたまニアに行ったのか?」ドイツのゴールキーパーはどちらかというとファーに来るのに備えていた感じ。(少なくともニアに来ると確信はしていなかったと思う)そこまで見切ってニアを狙ったのか?偶然か?必然か?もっと言えば素晴らしいトラップも必然か偶然か?偶然だからといって浅野の値打ちと言うか技術を低く評価する訳ではない。仮に偶然だとしてもそれを実現できたのは挫折を味わい、物凄い鍛錬、練習をした結果だ。同じことがスーパーセーブを連発したキーパーの権田にも言えると思う。 森保監督の采配は日本シリーズで見たオリックス・バッファローズの中嶋監督と共通していると思う。フォワードをどんどん投入して攻め一本槍にするという捨て身というか大胆な采配をしたが、選手はそれを信じ、迷わず戦った。バッファローズも監督の非常識と言ってもよい大胆な采配を選手が信じて戦った。なにより素晴らしいと思ったのは、今までの日本代表に見られなかった「攻撃スイッチ」である。俺は、前半日本代表がリードしていて後半になって相手チームが「攻撃スイッチ」を入れたら途端に気おされ、おろおろして失点する試合を何回か見た。(前回のロシア大会のベルギーに負けた試合はその典型)今回ドイツに勝った試合ではリードされた日本が攻撃スイッチを入れたらドイツが気おされ、おろおろした。そこが痛快だ…これも日本人選手がたくさんヨーロッパでプレーするようになり「ドイツなんかに勝てるわけはない」という負け犬根性を持たない選手が増えたからかも知れない…とすれば今回の日本代表の「攻撃スイッチ」は偶然ではなく必然だ。

試食品は衛生管理が徹底された調理室で調理しています」はなぜ?

 NHKの料理番組で「試食品は衛生管理が徹底された調理室で調理しています」と言い、またテロップにも出す。これはどういったアリバイ作り・お追従なのか?(NHK以外で料理番組をあまり見ないので他局でどうしているのか不明) このセリフを言ったり表記する意味が分からない。実際には衛生管理されてないところで作っているかも…ただ、ここで嘘をつくと、内部告発で嘘が暴露されるので嘘はつきにくいだろうが… これを言わない(表記しない)とTV局に何が起こるのか?分からない。コロナと関係ある?上さんに聞いてもわからない。多分、衛生オタクな視聴者がクレームを入れるのではないか?というのが夫婦の憶測だが、どういうクレームか? それから何故、料理人にゴム(あるいはプラスチック)手袋をさせるのか???わざわざ衛生管理が徹底された調理室で別に作られた試食品を用意するので誰も食べないのに…一方で料理人はマスクはしていない… それにしても平野レミの料理をTVで見ると素晴らしい藝になっている。(ただし、アナウンサー・共演者がうまくあしらい、適度にツッコミをいれないと不発に終わることがあるが)

矢野誠一「志ん生のいる風景」より 志ん生と文楽…比較藝論

矢野誠一「志ん生のいる風景」(1983年刊)より; まずは、志ん生らしい逸話。 桂文楽は楽屋でもよく話し、面白かったという。一方、古今亭志ん生は楽屋では無口で不機嫌そうで、よく一人で将棋盤に向かっていたという。  ある日、柳家小さん夫人が自宅の階段を踏みはずし、病人に担ぎ込まれたことがあった。病院からあわただしく楽屋入りした小さんに、みんな心配気な表情で夫人の容態をたずねたのは当然である。「ええ、なんとか助かったんですがね。一時は、もう駄目かと…」小さんが説明していると、将棋の駒を手に盤上を見つめたままのかたちで志ん生が「世の中、そううまくいくもんじゃねえ」 さて、藝論: 桂文楽の最後の高座は、1971年8月、国立劇場小劇場の「大仏餅」であった。途中で絶句してしまったのである。神谷幸右衛門という人物の名前が、どうしても出てこなかったのである。(略)その前日の東横落語会でもこの「大仏餅」を出し、いつに変わらず演じてみせたばかりだった、その、しゃべりなれた演目の登場人物の名が出なくなってしまったのである。「申し訳ありません。もう一度、勉強しなおしてまいります。」客席にふかく頭を下げ、舞台のそでに姿を消していらい、その年の12月12日、神田駿河台の日大病院で肝硬変のため世を去るまで、とうとう一言も「落語」を口にしなかった。精巧で、寸分の狂いのない、機械にまでたとえられたすぐれた藝のおそろしさとむなしさをみないわけにはいかない。何度も何度も繰り返し稽古して、その日演ずる作品は、かならず事前にさらいなおして、しかもそうした稽古ですら手を抜くことなく高座そのままに演じていた努力の人にすら、「絶句」というあり得べからざる事態が襲うのである。しかも晩年の桂文楽は、このおそろしい日に備えて「申し訳ありません。もう一度、勉強しなおしてまいります。」というわび口上の稽古までしていたと聞く。「大仏餅」を絶句した8月31日から、この世を去る12月12日までの103日間、ひと言も落語を口にしなかった事実に、落語家桂文楽のひとつの強い意志を見ることができる。体調を急にくずしたわけどもなく、老化を防ぐ意味からも熱心に出演することをすすめた周囲の声に対しても頑として耳を貸さなかった。この103日間は、落語家桂文楽でない人間並河益義79年の生涯に、初めてめぐってきた至福の日々であったような気が...

矢野誠一「志ん生のいる風景」読後感想…古き良き

矢野誠一「志ん生のいる風景」(1983年刊)に 1960年頃は桂三木助、桂文楽、桂小金治、三遊亭円生、三遊亭金馬、三笑亭可楽など明治生まれの落語家たちが元気に活躍していた。戦後の落語が、藝術的な水準においてピークに達した時期と言ってもいい。藝が、あふれるばかりの輝きを持っていた。 というくだりがある。  1900年より前に生まれ、1910年前後、坂の上に上り詰めた日本を10代、20代の時に経験し修行時代を過ごした藝人たちが1960年頃、60歳から70歳になっていた。これが1910年以降の生まれになると藝の質が変わる、というか落ちるのでないか?第1次世界大戦のおかげであぶく銭をつかんだ成金が登場し、関東大震災で古き良き江戸が破壊されて坂を転げ落ち始めた1920年代を10代、20代の時に経験した人間とは断絶があるように思う。古き良き江戸と明治の文明開化がちょうどよくバランスしていたのが1910年前後の日本だった。 1890年生まれの古今亭志ん生は1973年、1892年生まれの文楽は1971年に死ぬ。志ん生は1961年に脳溢血で倒れ再び高座に上がるようにはなったがロレツが回りにくくなり、1968年以降高座に上がっていない。こう振り返ると1960年頃ピークを迎えた落語という藝が1970年代に向かってどんどん坂道を転げ落ちていった、と言える。 1954年生まれの俺は生きている志ん生、文楽は味わっていない。残念ながら1960年代、俺は未熟で、日本の伝統藝を味わうことは出来なかった。1960年頃我が家でもTVを買ったと思われるが、最初は少年ジェット、月光仮面、怪傑ハリマオといった少年向け冒険TV映画、プロレス、プロ野球、相撲などのスポーツ、続いて鉄人28号、鉄腕アトム、エイトマンといったアニメを見た。また1960年代はナベプロ全盛時で日本TVのシャボン玉ホリデー、フジTVのザ・ヒットパレードも見た。今、”カバーポップス”と呼ばれる、アメリカンポップスの歌詞を日本語訳*した歌をピーナツや中尾ミエやスリー・ファンキーズ、尾藤イサオ、弘田三枝子なんかが歌ってた。そして笑いと言えばクレイジーキャッツ。彼らは1930年代から1940年代生まれ。上述の落語家、藝人たちと比べると40歳くらい若い世代。アメリカのジャズやポップスに毒されていたが、それでもまだ日本の伝統藝を引きずっていた。...

ヤマザキのきんつばがうまい

 ヤマザキのきんつば、豆大福、茶まんじゅう…スーパーで安ければ1個¥70で売るようなジャンキーな和菓子だが、うまい。きんつばについてはかつては周りの薄皮が6面全部に均等の厚さでついておらず、手抜き感が嫌だったが、今年の夏頃から6面しっかり均等につくようになった。中身のあんこというか、羊羹のようなものは小豆の粒がしっかり残ってうまい。 ところが、11月以降このヤマザキのきんつばを買おうと思っても売り切れていることが多い。薄皮を丁寧につけるようになり生産量が減ったのか、うまいからよく売れるのか??? ヤマザキの和菓子はみたらしだんごもうまい。和菓子屋に負けないと思う。 ※パンにしても和菓子にしてもヤマザキ製品はやけに賞味期間が長い。何故?

OKストアにグリエールチーズを買いに

 冬食べたいものは; 味噌煮込みうどん、すき焼き、湯豆腐などの鍋、チーズフォンデュ、オニオングラタン、マカロニグラタン、ラザニア、カキフライといったところ。こうやって上げてみると中華料理で冬限定のものってないねえ。強いて言えば担々麵と麻婆豆腐くらいか?でもこれらは夏でも食う。中華料理には季節性が薄弱?もっと言うと上海蟹は冬限定であるが、日本のとらふぐ同様、こんな高価なもの喜んで食う気にはならない。 さて、チーズフォンデュ。フォンデュセットは買わない。(増量剤?が入っていておいしくないから)土鍋と、パンを刺してチーズに漬けるものと、にんにく、グリエールチーズ、エメンタールチーズ、白ワイン、フランスパンがあれば簡単にできる。問題はグリエールチーズの調達。エメンタールは昨年オオゼキで150g¥500くらいのを見つけて試したらうまかったのでこれを購入済み。グリエールはOKストアか成城石井が調達先候補。ということでOKに行って200g¥1000弱のを購入。(100g¥500以下ならリーズナブルと言える。ただし、シュレッドタイプと違い、硬い皮?が付いているから実質上、100g¥500以上する)。ブロッコリーの茹でたのもチーズに漬けて食うとうまい。 さて、OKでハインツのグラタンソースなる缶詰が67%引きで売っていたので購入。(売れ残りのバッタもん?)ラザニアのホワイトソースに使えるだろうと判断。ここ2,3年ラザニアセットがおいしくないのでミートソース、ホワイトソース、ラザニアをばら買いしようと思っていた。合わせてラザニアも購入。ミートソースはママーかなんかのを買おうと思う。このグラタンソース、ニュージーランド製。ニュージーランドで加工された食い物は初めてのような気がする。ニュージーランド、オーストラリア人の味覚はダメだろうという偏見を持っているからちょっと心配。

神保町に行ってきたが・・・

和菓子の老舗「ささま」、古レコード屋トニー、天ぷらいもや…古きよき昭和の神保町を偲ばせる店を訪ねてきた。「ささま」は安藤鶴夫さんの本で知った。トニーと「いもや」は若い頃よく行ったが何年か前に店がなくなった。 「ささま」はいかにも老舗。店構えだけでなく売っている菓子も昔のまま。うまいかまずいかはともかく、記念に最中その他を購入。トニーは白山通りにあった店がコンビニになったので廃業したと思っていたが、移転したとネットで見たので、移転先と思しき場所に行った。残念ながらそこは更地(駐車場)になっていた。「いもや」はGoogle Mapを見ながら苦労して移転先を見つけた。飯時を外して行ったが、店内を含め十人以上が並んで待っていた。「いもや」なんて昔は飯時でも一人や二人は座れたような気がするのだが…俺は普通はラーメン屋その他”たかが”食い物屋ごときで並んで待つようなことはしない。娘が「いもやはよく混んでるから」とあらかじめ教えてくれた新世界菜館に行って昼食。ここは昭和の香りただよう昔ながらの中華料理屋で味もよかった。 しかし神保町界隈、工事中の建物が目に付く。古き良き店・建物が壊されているのだろう。すずらん通りにある昔ながらの”スヰートポーズ”の店は閉鎖されていた。”天婦羅はちまき”の風情ある店構えはまだ健在だった。バブルの時の地上げにもめげず、何とか生き残った俺の好きな神保町…今度こそ10年もたたないうちにダメになるような気が…こういう時、例によって「俺が死ぬまでもてばいいや」と思う。しかし、神保町の古本屋はしたたか、しっかりしてるネ。古本屋に限っては、そんなに変わったりつぶれたりという印象はない。 閑話休題: 娘の教えてくれた神田小川町、明大近くにあるスタイルズケークスでケーキを買う、というか、電話で予約して取り置きしてもらったのを引き取る。価格はリーズナブル。新しいタイプのケーキ屋だが、ケーキごときを予約するかネ?味は娘が言うほど(ネットで言われるほど)おいしいとは思わない。俺の感覚・味覚が古いのか?

島津亜矢@新・BS日本のうた

 「新・BS日本のうた」で亜矢が綾香の”三日月”をカバー。よかったね。自信満々の風情。歌声を自由自在に操って気持ちよさそう。持ち歌や演歌系の歌よりよっぽどいい。90分間の放送のうち、この歌を聞ける数分間だけが良かった。思わず、番組ホームページから「島津亜矢の歌うThe end of the worldを聞きたい」とリクエスト。You Tubeでスーザンボイルの歌うThe end of the worldを聞いたが🎵Don't they know it's the end of the world…というところが「投げ節」というのだろうか、亜矢に似ていて、そうだ、亜矢にもThe end of the worldを歌ってもらいたい、と思った次第。 共演した他の歌手はよくなかったね。小林幸子は衰えて歌が下手になった。細川たかしは歌はともかく、あのヘアースタイルとまゆげは見たくない。不快。取り巻きの連中は何か言ってあげないのか? この細川たかしの姿は、放送禁止に近いレベル。10年以上前になるが叶姉妹、エロかっこいいで売り出していた倖田來未…この人たちはエロでもなければ猥褻でもなかった。ただ不快で吐き気を催させた。なぜかほどなくTVで見かけなくなったのでよかった。他に「こりゃあ放送禁止だろう」と思わせたのは民主党政権の時入閣してた福島瑞穂の顔。普段は無責任な野党面してたのに、入閣して責任やストレスを感じたからではないか?吹き出物だらけの顔になった。政治家はこういうタイプがいる。責任あるポジションにつくと数か月の間に顔がおかしくなったり滑舌が悪くなったり。(菅さんもそうだったかな?)それからよしもと新喜劇に出ていたころの今田耕司、東野幸治。いずれも醜くて不快。猥褻・不快・醜い…人様に見せてはならないという意味では皆同じ。なぜ猥褻だけが法律で禁止されるのか?理解できない。

MX TV「東京ホンマもん教室」11月12日(土曜)10:00~放送も面白かった

 ゲスト伊藤貫さんがめっちゃ面白かった。彼によればアメリカは1991年ロシアが崩壊した瞬間、父ブッシュがゴルバチョフにNATOのロシア包囲網は東に拡大しないとロシアの安全を約束したのに、1993年大統領になったクリントン以降、馬鹿息子ブッシュ、オバマとロシアを解体し、金儲けに利用しようとしてきた。(トランプは外国進出に興味がなくまた戦争も嫌いでロシアにとってはありがたい大統領だった。バイデンは副大統領時代、親子でウクライナを食い物にしていた。)1992年ロシアでエリツィン大統領が誕生して以来、オリガルヒが国有企業を収奪するとゴールドマン・サックスを使い、オルガルヒの金を西側へ流出させるのを手伝った。エリツィンが大統領を辞める1999年まではエリツィンの目指した市場経済導入をアメリカ企業が指導・主導したが、ことごとく失敗、1997年までの10年間でロシア人男性の平均寿命が67歳から57歳になり、1998年ロシア危機(ロシア財政が信用を失い、海外資本が逃げ出す)が起こった。その一方でゴールドマン・サックスを通じて西側ユダヤ人金融会社は大もうけした。(ゴールドマン出身でユダヤ系のロバート・ルービンは1993年からクリントン政権の経済政策担当補佐官をやり、1995年委は財務長官になり、ゴールドマン・サックスの後押しをした。)政治的軍事的には1999年以降東欧諸国をNATOに入れ、残るはウクライナとグルジアくらいになったがこの両国に手を出すとロシアを刺激しすぎるという判断があった。 (この流れを、とにもかくにも食い止め逆転させたのが石油価格の高騰にも助けられたプーチンだった。1990年代のトラウマ、反米、反市場主義がプーチン人気を下支えしている) 2014年オバマ時代、アメリカはウクライナでマイダン革命を画策し親露政権を転覆した。親露派のヤヌコーヴィチ大統領はロシアに逃亡した。ロシアはロシア系ウクライナ国民の安全のためという名目でウクライナ島南部とクリミアに出兵し居残ったが、アメリカにこれだけ騙されやりたい放題やられればロシア人も怒ると。これもアメリカは計算に入れており、今回のウクライナ戦争もウクライナをかませ犬にして戦争を長引かせ、ロシアを破綻に向かわせるのだ、と。その観点からは今のウクライナ国内の局地戦が理想。NATO対ロシアの全面戦争になると、中国がアジアでこと...

戦前日本の曲がり角

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 1910年前後、つまり1905年日露戦争に勝って「坂の上の雲」にたどり着いてから第1次世界大戦中の1917年までが戦前日本のピークであり、1918年のシベリア出兵以降、坂の下に転がり落ちたと思う。 歴代の総理大臣リスト(末尾に掲載)を振り返ると、まず第1の変換点は1901年の西園寺公望の就任である。それまでの総理大臣は、明治維新に参画した人たちで後に”元老”と呼ばれるようになる。1849年生まれの西園寺は明治維新の時には少年だった。次の総理大臣は1848年生まれの桂太郎だがこれも同様。彼ら以降、日本の政治は元老とその干渉を嫌がる苦労知らずで夜郎自大な2代目世代の総理大臣との相克だったとも言える。 明治維新に参画した元老たちは段々いなくなり、1909年伊藤博文の死後、大隈重信と山縣有朋の二人だけになった*。1914年の第1次世界大戦勃発の頃から、この二人も力を失った。やり手がいなくてやむなく総理大臣になった大隈重信内閣の外相だった加藤高明は第1次世界大戦参戦に慎重だった元老を無視し独断で参戦を決め、次の総理大臣、寺内正毅はシベリア出兵に慎重だった元老を押し切ってシベリア出兵した。シベリア出兵は、第1次世界大戦中の1918年に起こったロシア共産革命の拡散を押さえつけるのが目的だったが、日本はいつまでも撤兵せず、傀儡政権を作り領地を奪おうとして各国の顰蹙を買い、失敗に終わった。1923年ワシントン軍縮条約発効と同時に日英同盟は失効。米英は日本に対する警戒・不信感を募らせた。 日本国民は何の見返りもなく、米価格高騰の一因となったシベリア出兵を非難し、軍人を嫌い馬鹿にするようになった。大戦後の世界的な軍縮ムードの高まりもあって陸海軍を志望する若者が激減した。このことが軍の若手の質・レベルを落とすと同時に入隊した若者への迎合、しつけ不足を招き、5.15事件や2.26事件といった若手将校の暴走の原因となった、というのが俺の考え…100年後の今も、役人や政治家は馬鹿にされ、非難されるばかりでなり手がいない…このままでは日本の将来は危うい。 *松方正義は元老と呼ばれ日清・日露戦争の資金調達には大きな功績があり、1924年まで生きたが政治力がなく山縣に比べ発言力が弱かった。また、西園寺は昭和になって、”元老”と呼ばれた。 閑話休題: 大隈重信が1922年1月10日に死んだ直後...

”この世の果てまで”(The end of the world)を聞き比べる

 You Tubeで理由(わけ)もなく”The end of the world”を検索。オリジナルのスキータ・デイヴィス、竹内まりあ、パティー・ペイジ、スーザン・ボイル、ジュリー・ロンドンなど聞くがダントツにいいのはカーペンターズ。この歌に限らないがカレン・カーペンターの歌声は素晴らしい。Wikipediaによれば、カレン・カーぺンターは1963年ロサンゼルスに引っ越して近くの公園でお兄ちゃんに促されて、前年ヒットした”The end of the world”を歌ったのが、初めて人前で歌った歌だったんだって。この時カレンは13歳。長じて1973年、アルバム”NOW & THEN”で録音。これが最高の出来。1974年武道館のライブ映像も残されているが、これは崩しすぎ(日本人相手だから馬鹿にしてる?) 他の歌手と比べて声量が違う。別に声が大きいという訳でなく、声の波(粒?)が耳の中に充満する感じ。録音が違うのか???そして丁寧。発音も、音程も。見た目もきれいだし。この人の英語の発音は日本人にとっても参考になると思う。 元祖のスキータ・ディヴィスはカントリー歌手で、カントリーみたいな”投げ節”。素人っぽくてそれなりの味はあるが、人様に聴いていただくような代物じゃアないように思います。 意外だったのは天地真理。うまいってわけじゃないけど、さわやかでかわいらしい。ライブだ。いつレコーディングしたんだろう??すべて英語で歌ってた。 スーザン・ボイルもかわいいけど。ちょっと島津亜矢の歌い方に似てる。亜矢に歌わせたらどうなるか? カーペンターズは俺が20歳前後の青春時代真っただ中を思い出させるんだからいいに決まってる。若いってのは無限の可能性があるという意味。その時は色々悩んだけど、今振り返ってみれば明るかったね。年を取るとは、無限だった可能性を自分で一つ一つ消していくこと。カレン・カーペンターも明るかった。癒しを与えてくれた。それが拒食症になり、結婚に失敗し…1983年、32歳の若さで死亡。 閑話休題:歌詞について Why do these eyes of mine cry ?ってWhy do my eyes cry ?でいいんだけどメロディーに対して字が足りないからこねくり回した言い方にした?自分の目のことをtheseって言うのは違和感。(目を取り出して見てるわけじ...

志ん生「風呂敷」を聞く

 1955年、開局まもないNHK TVで放送された古今亭志ん生の「風呂敷」をYou Tubeで聞く(見る?)。いい味。後年、脳出血で倒れて「ろれつ」が回りにくくなったが、1955年当時は切れ味もよい。数々の「くすぐり」。この「くすぐり」を取っ払うと、話の本筋はごく短いもの。火焔太鼓と同じく夫婦の丁々発止のやり取り。最後は「俺はそんなに馬鹿じゃあねえや」と思い込んでいる男がまんまと騙されておしまい。「人間なんて、自分が思っているほど賢くはないんだよ」と”業(ごう)”を笑う。いかにも落語らしい落語。 たまたま部屋にあった読みかけの 安藤鶴夫の旺文社「落語鑑賞」を読んでいたら四代目・小さんの芸談を聞き書きしたものがあった。この、1888年に生まれ、1906年に三代目小さんに入門した四代目小さんが終戦直後に安藤に語った芸論、思い出話が明治末から大正初め(1910年前後)の江戸の面影を残す古き良き東京の粋を感じさせる。これに触発され、安藤鶴夫の本を何冊か読んだ。その1冊に志ん生の風呂敷が紹介されていたのでYou Tubeで見た(聞いた)次第。また別の1冊に安藤が神田を語った話があり、神田の古本屋街や和菓子屋、飲食店が出てくる。俺も、もともと神田神保町界隈が大好きなので、これに刺激されてネットで調べてみると、廃業してなくなったと思っていた古レコード屋「トニー」と「天ぷらいもや」が移転してまだ健在であることを知った。俺にとって古き良き神保町の象徴で、嬉しくなり、近日中に訪れようと思った。 若い時はうまい物を喰うと「生きててよかった」と思ったものだが、年取ってからはこういった古くて面白いもの、なつかしいものがまだ生き残っていることを教えられたり気づいたりすると「生きててよかった」と思う。 閑話休題; 四代目小さんの落語もYou Tubeで聞いてみたが、早口で一本調子の話っぷりで全く面白くない。どこに芸があるのか?芸論は面白いのだが…この点、孫弟子の立川談志と同じ。

芸論

 大佛次郎「落語」(1970年)より: (前略)この世界にもいつか、古典と名のつくものと新作のと段々と分かれてきた。しかし、新作で落語らしく格が正しく趣のあるものは、まだすくなく、やはり古典と言われるものに、繰り返していつ聞いても面白いものが多いのは当然であろう。それにこれは文字で読んでも落語ではないので、語られるのを聞くのが本筋なのだが、古い落語が、ひとつ話が幾度でもくりかえされて人を倦かしめないのは、やはり古くからの優れたはなし家が残っていて洗練されたその芸を聞くことができるからである。話の筋を聞くのでなく芸が物を言うのだ。 (中略)幾度も前に聞いた話でも、上手な人間が淡々と語っているのを聞いていると、馬鹿笑いなどなく、しんと静かな心持になってその間に自然の笑いがさざなみのように誘い出され、やがてそれが大きな浪のうねりに高まって崩れるような笑いとなる。こういうのが、ほんとうの落語の芸だし、笑いであろう。(ほんとうの人間の笑いは涙と紙一重ののものように思われる。)つまりはなし家は、同じ話を、ちょうど大切な家具や愛好する小さい品物に日毎につや布巾をかけて、ていねいに扱っているように話を可愛がって光沢を出しているので、当て気味なく淡々と話していても、渋い中から何とも言えぬ微笑を誘い出され、それが極まると心からの大きな笑いとなる。 (中略)どの分野でも、芸と言うものを人が最初からあきらめる時代が来たようである。芸と言うのは年期を入れ、積み上げて身につけるものだ。急ぐ現代の人たちはそれを待っていない。辛抱して待つのは損と見て、すべての短期決戦を急ぐ。だから素人芸のようになまはんかなものでも出たと思うと、すぐ消えて行く。浅いから倦きられるわけである。それを前座で十年、二十年も師匠の羽織をたたんで苦労して、すこしずつ身につけたものが積もって来て磨きがかかると、余計なものが落ちてしまって、生地のままの光沢が出てくる。あの男の話なら幾度でも繰り返して聞こうと人気と信頼が集まってくる。 (中略)世界中でフランスか日本でないと、これまでに洗練された話の芸術を作り出せなかったろうと思う。フランスでは巷の唄、シャンソンだが、日本のは素ばなしで、人間の愚痴をめんめんと人に語って聞かせるのである。今やさかんなようで、ほんものは粗悪なものの下積みとなって亡びようとしている。小さいながら...