志ん生「風呂敷」を聞く
1955年、開局まもないNHK TVで放送された古今亭志ん生の「風呂敷」をYou Tubeで聞く(見る?)。いい味。後年、脳出血で倒れて「ろれつ」が回りにくくなったが、1955年当時は切れ味もよい。数々の「くすぐり」。この「くすぐり」を取っ払うと、話の本筋はごく短いもの。火焔太鼓と同じく夫婦の丁々発止のやり取り。最後は「俺はそんなに馬鹿じゃあねえや」と思い込んでいる男がまんまと騙されておしまい。「人間なんて、自分が思っているほど賢くはないんだよ」と”業(ごう)”を笑う。いかにも落語らしい落語。
たまたま部屋にあった読みかけの 安藤鶴夫の旺文社「落語鑑賞」を読んでいたら四代目・小さんの芸談を聞き書きしたものがあった。この、1888年に生まれ、1906年に三代目小さんに入門した四代目小さんが終戦直後に安藤に語った芸論、思い出話が明治末から大正初め(1910年前後)の江戸の面影を残す古き良き東京の粋を感じさせる。これに触発され、安藤鶴夫の本を何冊か読んだ。その1冊に志ん生の風呂敷が紹介されていたのでYou Tubeで見た(聞いた)次第。また別の1冊に安藤が神田を語った話があり、神田の古本屋街や和菓子屋、飲食店が出てくる。俺も、もともと神田神保町界隈が大好きなので、これに刺激されてネットで調べてみると、廃業してなくなったと思っていた古レコード屋「トニー」と「天ぷらいもや」が移転してまだ健在であることを知った。俺にとって古き良き神保町の象徴で、嬉しくなり、近日中に訪れようと思った。
若い時はうまい物を喰うと「生きててよかった」と思ったものだが、年取ってからはこういった古くて面白いもの、なつかしいものがまだ生き残っていることを教えられたり気づいたりすると「生きててよかった」と思う。
閑話休題;
四代目小さんの落語もYou Tubeで聞いてみたが、早口で一本調子の話っぷりで全く面白くない。どこに芸があるのか?芸論は面白いのだが…この点、孫弟子の立川談志と同じ。
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