高松宮日記 第6巻
昭和18年7月31日付けの高松宮日記に、もう戦争には勝てないのではないか?と感じた宮が書き残すには:(以下、俺の解釈、俺流の表現で) ①国体変革を防ぐにはどうしたらいいか?悩んでいる。 戦争に負けたら国民は天皇を怨むだろう、自分が戦地に出向いて見事に戦死したら、少しは国民の恨みは晴れるだろう。第一次世界大戦で負けたドイツ帝国が滅んだが、皇帝自ら戦地に赴いて戦死すれば帝国は残ったかもしれぬ。 ただし、自分が戦死すると、天皇を支えるべき兄弟が二人になってしまう。兄の秩父宮は病弱で頼りにならぬ。また弟の三笠宮は幼くて役に立たぬ。自分が近くでお支えしなければならない。しかし、自分にそれだけの識量があるのか、と問われれば、自信はないが・・・(日記に書いてはないが天皇に万が一のことがあった場合、スペアになるのは自分だ、という認識もあったのではないか?) 自分たち兄弟以外の皇族では東久邇宮が一番頼りになる、とも。 ②天皇親政などと言う向きもあるが、天皇一人じゃア何も出来ぬ。国民に信頼される総理大臣が必要だ。皇族から総理大臣を出してもいいが、国民から信頼され、官吏を発奮させ、一心の団結信頼によって国運を啓くことができなければならない。そうなれば戦争に勝てるかもしれないし、仮に負けても、復旧再興をすることはできるだろう。皇族なんて言ったところで、国民の腹を満たすこともできぬ。下手に皇族が総理大臣などやって失敗すると、国体変革の口実にされるから慎重にすべきだ。 閑話休題: 負けたら・・・なんて下々が口にしたら非国民だ。宮は素直かつ冷静に現実を見つめている。皇族(天皇)なんて国民の腹の足しにもならぬ、というのは実に卓見だ。 近衛文麿を再び総理大臣にという構想はなかったのか?高松宮から見ると、近衛はあてにならなかったのか? 上述の懸念から実際、東久邇は終戦するまで総理大臣にしなかった。 実際、国体変革の動きがあったのか?俺の認識では天皇制否定論はなかったんじゃないか?ただし、昭和天皇では頼りにならぬ、もっと戦争遂行に前向きな天皇に取り換えろ、みたいな話はあったろう。 天皇が国民の怨みを買っていたかも、と考えると、終戦直後に天皇が各地を巡って民衆の中に分け入っていったのは勇気が必要だったのではないか?それとも、昭和天皇は「国民に殺されるなら本望だ」「お詫びに自分の首を差し出そう」という覚悟が...