多数決は神意?
多数決は神意?と我がCOPILOTに聞く。答えは:
多数決は神意とされることが多いですが、実際にはいくつかの批判があります。
- 多数決は単純明快で理解しやすい一方で、少数意見が抑圧される可能性があるため、その正当性には疑問が呈されます
- 多数決は「最大多数の最大幸福」を追求するための手段であり、必ずしも客観的に正しいとは限らないとされています
- 少数派の意見を尊重し、より良い判断を下すための方法を考えることが重要です
- 多数決は、特定の場面では有用である一方で、全体の幸福量を増やすためには限界があるとも言われています
このように、多数決にはその正当性や欠点について多くの議論があり、神意とは必ずしも言えないとされています。
>>どうも、ここ数年の多数決を巡るネット上の議論は「多数決を疑え」ということらしく、それをCOPILOT様が学習したようだ。
俺は「多数決は神意」という説を山本七平の著作で知った。「多数決は神意」は、「占いは神意」の生れ変りだ。別に科学的に証明されたことではない、単なる信仰、信心だ。しかし、その客観的にも科学的にも証明されてないことが長い間、政治を支配してきた。(大昔には「占いが神意」が支配していた時期もあった。)それはあたかもキリスト教徒が神を信じるのと同じことだ。無神論が登場してきてから神の存在も大分怪しくなってきたが神の存在をマジに信じる人はまだ何億人もいて、アメリカでは大統領になるためにそういう人たちの支持を取り付けようとする者がいる。同様に、多数決信者もまだたくさんいる。神にせよ、多数決にせよ、怪しいと言われながら長い間支配力を保つ信仰・フィクションは数多い。そして古い信仰・フィクションは新しいものに置き換えられていくのだ。俺に言わせればそれは進歩ではない。単に生れ変っているだけだ。流行だ。
上述のCOPILOTの答えで気に入らないのは「小数意見を尊重するとよりよい判断ができ、全体の幸福量が増える」というWoke的なところだ。
①少数意見をいちいち聞いていたら時間がかかってしかたがない。そんなの面倒だ。タイパが悪い
②少数意見を聞くと、よりよい判断ができるのか?そうなる場合もあればそうならない場合もあるだろう。これまた面倒だ。野党の皆さんが「少数意見を聞くのが民主主義」と言うのが分からない。少数意見が無視されて悔しければ、「自分の意見を多数意見にしろ!」だ。多数意見にするには、デマゴギーでも真偽不明のことでも大きな声や効果的な方法で言い募ればいいのだ。それが「民主主義の成れの果て」であり、独裁の前段階だ。多数決が支配する政治はいずれ独裁につながる。もう少し正確に言えば「少数意見を聞こう」という多数決政治(=Woke的民主主義)には時間と金がかかる。金と時間に余裕があるうちは少数意見を聞こうなどと余裕があるが、奴隷制や人種差別や植民地がなくなって、金も時間も余裕がなくなってくると、タイパのよい独裁につながる。独裁者は最初は合法的・民主的な選挙で選ばれるが、段々そんな選挙は形だけのものになり、やがて選挙なんてタイパの悪いものは行われなくなる。
以上がトランプ現象の現状と将来の姿だ。
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