投稿

6月, 2022の投稿を表示しています

1年半ぶりに筋トレジムに

 2020年秋まで通っていた筋トレジムに久しぶりに行ってきた。コロナやジムの改装、自分の眼底出血などが理由でご無沙汰していたもの。ジムには行けない間、自宅でできる筋トレを研究し、熊本大学の都竹教授の提唱する①フルパワーでなくていいからゆっくり4秒間+4秒間の運動をする②力を入れるときは息を吐く(声を出して1,2,3,4と数える)③元の位置に戻す時もゆっくり4秒かけて④最後まで動かさないで9分で止める(最後まで行くと力が抜ける…常に筋肉に力が入っている状態をキープ)というコンセプトの筋トレメニューを様々家でやってきた。 改装なったジムは、まだ9回分残っている回数券(プリペイドカード)が使えなくなっていた…入退出のシステム・装置が代わっていた…係のおばさんに聞くと、親切に古い回数券で1回限りの入場券を買い、それで入場するように教えてくれた。マシンも新しいものに全て代わっていたように思うが、こちらは基本的には同じものだった。なんといっても親切なおばさんがとっても良かったのでこれからも週、1,2回は行くだろう。そしてもう一つ良かったのは、1年半前は「おなじみさん」が我が物顔で占拠していたのがなくなったこと。おばさんたちがぺちゃくちゃしゃべったり、筋肉自慢のおじさんを囲んでご指導を受けたり…眼底出血のこともあるので都竹メソッドに従い、あまり負荷をかけずに、ゆっくりと、を心がける。かつては俺の前にマシンを使った人が70ポンドで設定していたら、それに負けずに70ポンドでなるべく早く動かす、なんてやってたが、今日は30ポンドでゆっくりと… 心地よい疲労感、筋肉痛…懐かしい。ジムも改装工事のおかげで雰囲気が良くなった。しかし、ジムで食っていたトレーナーその他の関係者はコロナで困り果てたんじゃないか?

SMBC証券の株価操作ってガバナンスの問題?

 SMBC証券が副社長の指示で自社の金で株を買い、株価操作をした事件。これを「ガバナンス」の問題と表現するメディアに違和感。違和感ついでに「そもそもガバナンスとは?」と検索するとやっぱりウィキペディアは偉いと思う。「コーポレート・ガバナンス」に ①なぜ会社経営にガバナンスなどということが言われ出したのか?その背景、歴史、経緯 ②そもそも会社とは誰のものか?何を目的に存在するのか? ③上記に関する日米欧比較  etc 俺の知りたいことをかなり網羅して書いてある。 さて、ウィキペディアにもある通り、会社はアメリカ流に言えば株主のもの。(株主利益のために存在する)日本流にはいくつかの考えがあるが「従業員のもの」とか「ステークホルダーのもの」*。ガバナンスとは、この「会社の持ち主」の利益のために会社を経営すること。ここに大いなる違和感が。誰の利益に反するとかでなく、単純に「悪さをしてはいけない」、「悪いことしてバレると恥ずかしい」でいいではないか?日本人会社員には、ガバナンスなぞと言わんでも「恥を知ってる」ことを期待してはいけないのか? 真逆なことを言えばAIとか監視カメラなど使えばおかしな金の動き、社員の不審な動きは察知できるのでないか?確かに証券会社社員に恥を期待するのは無理かもしれない。放っておけば悪さするに決まってる。ならばそういう前提でガッチガチに疑って監視する。 どちらにしても「誰それの利益を守る」などという屁理屈でなく、「悪さする社員はいない」と完全性善説に立つか「悪さするから厳しく監視する」という完全性悪説に立つかであろう。内部統制システムやら監査やらといったどっちつかずの道具立ては不要。 *「会社は株主のもの」なんて馬鹿な考えを持った人間が日本にいた。それも役人に。そのお馬鹿な役人が作ったのが会社法。(多分アメリカのご希望を忖度した小泉首相か竹中平蔵が作れ、と言ったんだろうが)

トーチソング(Torch song)

 何年か前にルース・エッティング(Ruth Etting)というアメリカの女性歌手のCDを買った。そのCDを棚に戻すのを忘れ、たまたま目についたのでトーチソングについて。ルースエッティングは”トーチソングの女王”と呼ばれた。(ちなみにこのCDの録音は1927年~1937年。更にちなみに俺の持っているCD,レコードの録音年は1960年代までがほとんど) そもそもトーチとは「松明(たいまつ)」のこと。トーチソングについて; ①報われない愛の明かり(松明)をかかげて男を求め続ける哀れな女の歌…日本の演歌にもあなたに尽くします、待ち続けます、みたいな歌が多々ある ②夏の夜、明かり(Torch)に寄って来る虫のように男という明かりに寄って来る女の唄 という2説あるが、俺は②を取る。 日米を問わず(ということは多分世界中に)似たような悲しい女の歌が存在するということはいったい何故だろう?実にくだらない歌詞満載だ。それもほとんど男の作詞だと思う。「こんな女がいたらいい」というにはあまりにくだらなさすぎる。こういうバカ女がいます、という表現が一つの形式・お約束に凝縮したとしか思えない。でもくだらなすぎて面白い、大好きってことがあるから面白い。これも”芸術”のジャンルの一つか。 日本の歌謡曲で言えば青江三奈「長崎ブルース」:  会えば別れがこんなにつらい 会わなきゃ夜がやるせない  …この部分は日本歌謡史上最高の歌詞だと思う トーチソングというよりシロップのように甘ったるくべたべたしたのが奥村チヨ「恋の奴隷」  悪いときはどうぞぶってね あなた好みのあなた好みの 女になりたい… ペギー・マーチ「忘れないわ」:(なぜ1968年当時外国人にこんな歌をうたわせたのか?)  忘れないわ いつまでも  いずれも大好きな、クソ下らねえ歌詞。歌い手の”芸”も感じられる。 本場アメリカのトーチソングならルースエッティングのCDにも入ってるBody and soul: I spend my days in longing  And wondering why it's me you are wronging I tell you I mean it I'm all for you body and soul 敢えて訳すと:なぜあなたはあたしの方を振り向いてくれないの?なんてことばかり...

人を顔で判断する

 参院選の立候補者の顔を見ていてつくづく思う。俺はNHK党、れいわ新選組の立候補者には票を入れないだろうな、と。党首以下、末端の候補者まで顔を見ていて信頼できそうにない。品がない。賢そうでない。まともでない。俺はそう思ってしまうと、その人が演説で何を言うのか聞く耳を持たなくなる。一方で彼らの何人かが当選した場合、どうしてなのか?理由は考えたい。俺はトランプの当選にアメリカの深い傷・問題を思う。それと同じように、彼らの一人でも当選するということは、日本の傷・問題の深さを示していると思う。 日本の深い傷・問題を治すには政治家が「あこがれの職業」になる必要があると思うんだけど。少しでもまともな奴に政治家を目指してもらうにはそれしかないのでは???ちなみに役人も同様で、役人をまともにしたければ役人も「あこがれの職業」にすべきです。 ついでに立憲民主党について述べると、右から左まで様々な人種、氏素性の多様性に富むバラバラな人たちが選挙のために「党」という形に納まっているだけ。(仮面夫婦と言ったらいいか?)従って言うことが詰まらない。反吐が出ることも多い。仮面夫婦だということがバレバレなのに、夫婦仲がいいのを白々しく装っているという印象。党内で誰も文句を言わないのは与党攻撃だから、それしか言えない…てんでバラバラでも格好だけ取り繕う:典型的な日本流のダイバーシティー*。泉党首がTVで何か言うと「こいつはどういう素性・信条の持ち主?」と思うことが多い。全く信用できない。気の毒にも思う。一方で政治家ってのはそんな立憲民主党でもトップになりたい人種なんだな、バッカみたい、ご苦労さん、とも思う…卵子に向かって一生懸命泳ぐ精子みたいなもの??? そこに行くと共産党、社民党はいっそ清々しい。十年一日のごとく九条を守れ、大企業から労働者を守れ。結構真面目に共産党党首に総理大臣でもさせたらどうなるのか見てみたい(怖いもの見たさ。)そして「自衛隊は違憲だ!」と言えるもんなら言ってみい。俺が大概の場合、国政選挙で共産党に投票するのはそういう理由から。かつて間違って?首相になった社会党出身の村山さんは首相になったとたんに自衛隊合憲だと社会党の党是をひっくり返した。志位ちゃん、最近言うことがブレてるみたいだけど、自衛隊合憲論を言ったとたん、共産党もコアな支持層を失って社会党みたいになっちまうぜ...

2013年にホワイトハウス占拠映画が2本公開された

 2013年に公開された ホワイトハウス・ダウンとエンド・オブ・ホワイトハウス 2本の映画を立て続けに見た。この2つの映画の共通点①アメリカを憎むテロリストたちがホワイトハウスを占拠して大統領が人質になる。副大統領も殺されて下院議長が大統領の権限を与えられる。②テロリスト達はアメリカの核ミサイルを使おうとする③過去に傷を持つ駄目男が一人でテロリスト達をやっつける④大統領は人質になってもひるまずに責任感も持ち続ける⑤黒人は大統領または臨時に大統領になる下院議長で悪役はいない といったところ。 不思議なのは、こんな似たストーリーの映画が何故2013年に2本も公開されたのか?だ。 オバマ大統領が中東から手を引き、朝鮮半島にもあまり関心を払わなくなったこと(アメリカが世界の警察官をやめたこと)が影響している。”ダウン”の方は中東に戦争しに出かけた後遺症がバックにある。もう外国に戦争しに行くなんてやめようよといった感じか?それに対して”エンド”の方はスキを見せるとホワイトハウスまで乗っ取る奴がいるぜ、アメリカを守るため、悪い奴らをやっつけに世界中に出掛けようぜ、ということか? ”エンド”の方は刺激的。まず、ホワイトハウス訪問中の韓国の首相が殺される。韓国人には嬉しくないシーンだと思うが。それから女の国防長官の超愛国的な態度。「テロリストに殺されたら墓に『戦わないで死んだ』とだけは書いてほしくない」と。(見栄でもファイティングポーズを取り続けるのがアメリカの愛国心だ) 2つの映画の最大にして最高の共通点は米軍が結構役立たずな一方、ダメ男(ITにも弱い)が一人でテロリストをやっつけてヒーローになるという爽快感。ダイハード以来か?

三菱電機の株を買おうとしている

 数年前、¥2000を超えていた三菱電機の株価がISO違反が露見して大いに下がった。直近は¥1400を境に上がったり下がったり。¥1350円で指値して購入を試みているが、残念ながらそこまで落ちないので買えないでいる。(本当は配当がいいから株を買うのであって¥1400超で買っても全然OKなのだが、ついついケチケチ根性を出す) さて、俺はISOなんて全く信用していない。物づくりにおいて成熟した会社では、物づくりの実力にはISOなぞ全く無関係。そして、数年前から次から次へと芋づる式にISO違反が露見する三菱電機という会社の体質を、俺はどちらかというと好感している。製造会社及びその子会社の社員だった俺に言わせれば、ISO違反なんて社員の内部告発以外に露見する理由がない。内部通報や内部告発が頻発する会社はよく言えば「風通し」がギリギリいい会社。(もっと風通しがよければ内部告発に至る前に違反行為をやめていただろうが)。でも社員が諦めていたら内部告発すらしないし、根っこから腐っている会社なら内部告発が握り潰される。二、三十年前にお菓子の不二家で、床に落ちたケーキを3秒ルールよろしく拾い上げて売っていたという不祥事が露見し、結局、山崎パンに身売りする、という事件があったが、俺は「ケーキを床に落としても、それを喰って腹を壊す人を一人として出さない」不二家の品質管理技術に感心した。ISOもしかり、ISOの規定を馬鹿みたいに金科玉条、守るだけが能じゃない。結局はお客さんに迷惑をかけないのが目的。三菱電機の製品を使っている客で品質トラブルを起こした客があるのか?寡聞にして知らない。(嘘つきの三菱電機のものを使っているという事実によって信用を失った会社はあるだろうが) ということで、俺はISO違反はすれども品質トラブルは起こさないという三菱電機の品質管理の実力を高く買う。しかし、このご時世、実力とは関係なく、不祥事が会社を潰すという可能性はゼロではない。ここで連想されるのは今や空中分解しつつある東芝が、数年前に起こした不祥事。あれは、いずれは発覚する売上・利益のその場しのぎのごまかし。会社が腐っていた、あるいは追い詰められていた、ということでしょう。三菱電機の場合、客に言われて仕方なく、なのか、自分から言い出したことなのか分からないが、意味のない過剰な仕様や品質管理の約束をし、意味が...

映画 ハクソー・リッジ

非常に面白い映画だった。 アメリカの強さと弱さ、軍隊の悪い所、父(男)と母(女)、、、。オーストラリア育ちのメルギブソン監督だから描くことができた面もあるか? 話は「国民の義務として兵役にはつきたいけど人殺しはしない」という信念の持ち主が軍隊に入って太平洋戦争中の沖縄に行って衛生兵として、人を殺さず敵味方を問わず多くの人を救ったという実話に基づくもの。 主人公は「良心的兵役拒否者」と扱われるが、厳密にいえば「兵役にはつくけど人殺はしない」というもっとややこしい存在。軍隊も受け入れざるを得ないが、変わり者、臆病者扱いされ、いじめられ、部隊から追い出したい上官は軍法会議にかける。このピンチを救ってくれたのがなんとアル中で主人公に殺されかけた元軍人の父親。軍法会議の結果、主人公は「身を守る武器を持たずに戦場に行く」ことが認められる。「身を守る武器が必要」…これがアメリカ人(WASP)の弱さでもあり、強さでもある。死ぬのが怖い臆病者。臆病なので次から次へと敵をつぶし、勝つための武器や技術を編み出し続ける。日本兵と戦った米兵に言わせると日本兵は「死ぬのが怖くない、死にたい」と見えた。(つまり、『人間じゃねえ』)だから沖縄で火焔放射器で焼き、広島・長崎では原爆を落としたのか?日本人から言わせれば、次から次へと武器を編み出して実戦で使って試すアメリカ人て悪魔のようだ。 変わり者の主人公が武器も持たずに沖縄戦に参加する。これがアメリカの強さ。軍隊という同調圧力そのものの世界でも強い信念・プライドを貫く変わり者に働き場を与える。そしてこの変わり者が多くの人を救うという偉業をなしとげる。自由あるいは多様性の尊重。これがアメリカの強さ。一方で建前(「ごっこ」)の自由・多様性がのさばったり、極端に走るのもアメリカ。 第一次世界大戦に行って性格がねじ曲がってしまったアル中の父親。そんな父親が母親に暴行するのに耐えかねて主人公が父親を殺そうとする…主人公を止める母親。「お父さんは戦争に行く前はこんなじゃなかった。」戦争でなくても何十年も会社勤めをしていれば性格も捻じ曲がるし、切れやすくもなる。この俺がそうだ。戦い、競争って人間を壊す面がある。競争の持つ人間を壊す力に耐性がある者とない者…男はこの耐性が劣るのか?それとも女の壊れ方は違うのか?競争の世界に飛び込み、傷つき、壊れるのが男の性(さが)...

ためにする議論(ごっこの議論)

 元防衛省官僚が自衛隊の有すべき武力について「攻め込まれても何も抵抗できないのは都合が悪いので、『日本を攻めたら大変な抵抗を受けるから攻めるのはやめておこう』と思わせる程度の最低限の武力は必要。一方で日本の武力が強くなりすぎると、相手も武力を増強し武力増強のエスカレーションにつながったり、先制攻撃を誘発したりする。馬鹿にされない程度、かつ、過度に脅威に思われない程度というバランスの取れた武力が必要」という発言。これしか言いようがないのだろう、と同情する。 仮想敵国(の攻撃力)も変化するが、在日米軍の武力及び在日米軍が日本を守ってくれるモチベーションも変化する。最悪の場合を想定すれば核武装が必要という結論が出せるだろう。(そもそも日本にはこの手の想定の根拠となる情報を集めるintelligenceはない)日本が攻められるなんてことないよ、と脳天気に想定すれば実質非武装でよい。つまり、上述の防衛官僚の議論は何も言っていないのと同じだ。民主主義ってのは面倒くさい。 敵国、米国…様々な想定の仕方によって上述の「抵抗」に必要な武力は可変…自衛隊絶対違憲論に疲れた防衛官僚が自衛隊の存在する理由及び武力を増強する口実を獲得するために編み出した屁理屈。正々堂々と「自衛隊は違憲だから合憲とすべく改憲するか、もし改憲しないなら自衛隊は廃止すべき」と言えないのかなあ、と、もどかしい…この点、原発安全神話と全く同じ。原発絶対反対主義者を押し切って原発を設置するには絶対安全を言い張るしかなかった。日本の戦後民主主義の馬鹿馬鹿しさ。原発に限らず事故を起こさない機械、装置なんてあり得ない。この当たり前のことを前提できない馬鹿馬鹿ばかしさ。防衛論も、外交努力も何も無視して他国を侵略する国がある、という前提を置けない。(そういう国があることを前提に、「それでも日本は非武装で行く」という、理想論と言えば理想論、潔いといえば潔い屁理屈を展開するのは結構だと思う) 頻発する銃による無差別殺人、それにもかかわらず「自由」を錦の御旗に、「銃を持った悪をやっつけるのは銃を持った善」と、銃を規制できないアメリカ。「悪」と決めつけた国を”自由”に攻撃できるアメリカ。それを規制できない国連。そんなアメリカに守っていただくのをやめられない日本のごっこ防衛。 俺はこの際、一旦、「ごっこ」をやめ、アメリカの属国から...

料理業界・料理番組

新生姜が100g当たり¥100を切ると”がり”を漬ける。昨年は7,8月以降にならないと¥100を切らなかったが、昨日息子のところに行って孫に面会した帰りに寄ったスーパーで¥99だったので購入、本日漬けた。今まで失敗無くできているので、今年もおいしく漬かると思う。”がり”製作上の最大の問題は生姜を所定の厚さ(薄さ)に均一に切ること。厚めに切れるスライサーの刃の下にプラスチックシートを挟んでスライス。昨年までは、この刃の切れ味が良すぎて作業中に必ず指をスライスしてしまい、出血していたが、今年は慎重にスライスしたせいか、怪我なし。”がり”は漬けたら1年持つ。今食べているのは昨年9月頃漬けたもの。そろそろ残り少なくなってきた。あと1,2か月は持つだろう。これがなくなる頃には今日漬けたものがおいしくなっているはず。失敗無く、おいしいものができるが、毎日食う物ではない。寿司の時くらいかな?スーパーで買う寿司に付属しているものより、はるかにうまい。まあ、年寄が暇に任せて作るものか?そもそも安い”がり”には新生姜など使わず、ひね生姜で作る。新生姜の食感、風味、そして何より先端が赤くなっていて、それをスライスして漬けると、その赤が全体をピンク色に染めるところがよい。 さて、あいかわらずTVをよく見るがドラマ、ワイドショー、ヴァラエティーは全く面白くない。料理番組は、たくまずしてアナウンサーと料理人の漫才のようなやり取り、芸あるいは道といったものが感じられて楽しめる。また料理人の熱にほだされて「よし、今度はこれを作ってみよう!」と刺激を与えられることもある。料理番組以外では映画か、ドキュメンタリーか、高校講座か、歌舞伎・文楽・落語・漫才・よしもと新喜劇といった演芸が面白いか? お気に入りの料理番組はNHKの「きょうの料理」「きょうの料理ビギナーズ」「グレーテルのかまど」BSフジの「植野食堂」といったところ。 きょうの料理: 後藤繁榮、廣瀬智美、原大策といったアナウンサーたちが、決してアナウンサーの王道を歩んでいるわけではないが、料理番組におけるNHKアナウンサーの道あるいは芸を体現していて素晴らしい。 第一に特筆すべきは後藤アナ(厳密に言うと定年後嘱託?で再雇用)で、NHKらしからぬ「ゆるさ」を、おやじギャグ(ダジャレ)で演出。昨年までは後藤アナが一方的にダジャレでボケをかまし、それに...

ロシアのおかげで(?)

大好きな業スーの「たれ、からし付き納豆」3パック¥38が品切れ。同じものを同じ価格でドラッグストアのCREATでも売っているのだが、こちらも売り切れ。どうも原料の大豆の供給が怪しいらしい。俺は大豆について国産か輸入かにこだわらない。安ければよい。そしてなぜこの納豆が好きかと言うと、付属のからしの風味・香りがよいから。価格が何倍もする大手メーカーの納豆と比べると、納豆本体の味・風味に差はないが、からしの風味はこちらの方が断然良いということに最近気が付いた。 大豆はいくら食べてもあまり弊害というか、副作用というか、健康上の問題がなさそう。年寄のタンパク質補給にはありがたい存在。ウクライナは大豆の輸出も多いのでないか?それがロシアのおかげで…???これは他の大豆を原料とする食品…豆腐、厚揚げ、油揚げ、がんも…にも波及必至。ひじきの煮物にも大豆の煮たのはつきもの。 話は変わって、ある鯛焼き屋で鯛焼きを買って食ったら、その小倉餡が非常にうまかった。これも風味・香りがよい。店頭に300g¥500であんこ用の小豆が売っていた。(北海道産の由)これをじっくり調理してあんこを作る所存。作り方は圧力鍋に5分かけたらあとは保温鍋。丸1日以上かかると思う。できれば圧力鍋は避けたいが、長時間鍋に取り付いて茹でるのは辛い。そこで圧力鍋と保温鍋の併用。原料小豆は、通常は業スーの1kg¥1000か¥900の小豆を使っているが、風味と言うか香りはほとんど感じられない。(これも北海道産の由)おいしいあんこができるなら、業スーの小豆はやめてこちらの小豆に切り替えましょう。 さて、業スー関連で悩んでいるのがコーヒー。500g¥400以下だったレギュラーコーヒーが¥460に大幅値上げ。このまま同じものを買い続けるのも業腹。

日本とロシアの共通点(その3)

 ロシアがどうなろうと関心はないはずだが、日本の90年前と酷似している点がどうも気になる。 日本は明治維新があったものの、西南戦争までは武士という身分が残っていて、江戸時代のなごりを強く引きずっていた。西南戦争で西郷隆盛が反逆者として非業の死を遂げ、江戸から明治という時代の変化に不満・反感を持った武士が消滅した。これが1877年のことであり、この年から実質上明治時代が始まって資本主義・帝国主義が始まったと考える。それ以降、国有企業の払下げにより財閥が大きくなり、貧しい農民との間に大きな格差が生じた。これを解消するという名目で昭和維新などといって1930年頃から右翼・軍部がテロで財閥の要人や政治家を殺し、天皇を言わば人質にして日本を乗っ取った。1890年明治憲法施行と同時に教育勅語が発布されたがこれは天皇の言葉として独り歩きし、「神道の聖書」となって右翼・軍部に政治利用され、天皇は現人神*という雲の上の存在に押し上げられた。1940年、日本書紀の「八紘為宇」から取った「八紘一宇」を国是とし、天皇は世界一偉い皇帝とされた。結局、太平洋戦争に負けたのは1877年から68年後の1945年である。 1877年以降、日本は帝国主義の先輩諸国を見習って富国強兵に励み、1894年日清戦争、1904年日露戦争に勝って台湾、南樺太などを奪い取り、1910年には朝鮮を併合する。1920年には第1次世界大戦の戦勝国として国際連盟の常任理事国になる。ところが、1932年に満州国を建国する前後から風向きが変わり、それまで許されていた外国の領土を奪うことが非難されるようになって国際連盟を脱退することになるが、この日本の孤立は「鬼畜米英」に仕組まれたもので、神州日本としては立ち上がって米英を打ち負かすのが務めとなった。 ロシアもソ連時代の1945年戦勝国として国際連合の常任理事国になったが、ソ連は崩壊。1992年エリツィン大統領が市場経済を導入した結果、国営企業を乗っ取ったオリガルヒ(財閥)が大きくなり、格差が拡大したが、国民は、市場経済という仕組みが悪いのであって、ソ連時代はみんな平等に貧乏だった、と懐かしんでいる。ソ連時代には宗教は認められなかったが、ロシア正教が息を吹き返し、貧しい国民の不満の受け皿になっている。1999年年プーチンはチェチェンの独立派をテロ集団として弾圧し、翌200...

司法取引と日本人の恥の意識

 リニーエンシー、内部通報、司法取引。大雑把に言ってアメリカ、もう少し幅広く言えばプロテスタント、あるいはカソリックの信者が多い国の仕組みを日本に導入したもの。日本人に向いているのか、日本に根付くのかなんて無関係に役人や政治家たちがアメリカに対するお追従・忖度で自ら進んで「アメリカの物まね」をしたがる。俺が会社人生を始めた昭和の御代はこんなことは無縁だった。それがアメリカから強要されたこともあるが、バブル崩壊後の日本を変える方策、あるいはグローバリゼーションの一環として入れられ、アメリカの狙い通り、日本の企業の効率を落とし、力を弱めることに成功した…いいとこどりしてアメリカの物まねができる中国がうらやましい。 俺のアメリカ経験から言わせてもらえば、これらは宗教的背景(国民性)から考えて日本には全く不向き。アメリカでは裁判などで「神に誓う」のは大変なこと。だって、神様を信じてるから。(もちろん信じてない奴もいるけど、少なくとも20世紀までは信じてる奴が多かったから、神に誓えば嘘はつかない奴が多かった、と思う。)アメリカの司法、行政は「①神ならぬ人間には原罪*があるので全員必ず悪いことをする②人は神様に誓えば嘘の証言はしないし、罪を認めないと神様の心証が悪くなると信じている。」という建前を前提としている。対して日本人は①性善説②仲間に迷惑かけないこと或いは自分が得することが最優先で裁判でも嘘をつくし、罪を認めないことがある。(全知全能の神という「たが」がない) リニーエンシー・司法取引:  一緒に悪いことをした仲間を裏切って告げ口すると、告げ口した奴だけ罪が軽くなる。 内部通報:  悪事を働いている他人のことを告げ口する…建前上、告げ口した者に見返りはないが、組織全体が同じ悪さを繰り返さないようになる…本音では告げ口する者は、告げ口される者を貶めたいと思っていることが多い。 こんなことは、かつての日本人には「恥」とされたこと。「告げ口してはいけません」なんて言われた。日本の司法・行政の前提は「原則、人間は悪いことなんてしない。ただし、司法・行政の言うことを理解するほど頭は良くない。法律とは別に善悪の判断基準があり、悪いことをしたことが露見すれば自ら恥じる。」コロナの助成金詐欺なんて面白い。悪い奴から見れば抜け道だらけの助成金申請システム(まじめに申請しようとする...

初孫

 昨日、息子夫婦に女の子が誕生。(俺にとっては初孫)コロナ禍、LINEで送られてくる写真や音声を視聴するだけ。会えるのは早くて今週末あたりか?さて、孫というものはとっても(異常に?)かわいいと言われるが、実感はない。ただ無事産んでくれたお嫁さんに「ありがとう、やったぜ!ご苦労さん。」と言うだけ。 ところで、「産む」と「生む」の違いは?”日本語早わかり”( コトバの疑問が瞬時にわかる日本語解説サイト)によれば 産む:母体が卵や胎児を体外に排出すること 生む:それまでなかった(つまり新しい)ものを生じさせること そうなると、この孫は俺にとっては「生まれた」と言うべき。何しろ初めての体験なんだ。孫が生まれた。 このサイト記載の「生む」の使用例の1番目が 「傑作を生む」 とある。もちろん、今度生まれた子供が「傑作」かどうかはこれからどういう人間に育っていくか次第だが、無事生まれた時点で、すでに息子夫婦の(特に嫁さんの)「傑作」と言ってよい。 神を信じない俺だが、ゲンは担ぐ。無事生まれるまでは誰にも息子の嫁さんが妊娠したことを言わなかった。自分の子供の時もそうだったが、嬉しい、めでたいからと言ってみだりに他人に言いふらすと安産に差し支えるような気がして。子供が生まれるときの、この心理はどう説明すればいいのか?思わず神様に頼る。(実際、水天宮に行ってお守りなど購入した)自分ではコントロールできないけれど、どうしてもうまくいって欲しいってことが長い人生の間に何回かある。そういう時は神様にでもお祈りするしかない。男なんて無力。初孫が将来も「傑作」でい続けるよう、水天宮にお礼参りに行こう。 さて、ジェンダー話。おととい、ゴルフ仲間に「ゼレンスキー大統領の『女子供は逃げろ。男は逃げずに戦え』という発言はものすごい男女差別発言だよね。俺は男女差別論者だからこの発言は正しいと思うけど、普段大きな声で男女差別反対と言ってる人たちからほとんど反論や非難がないのはおかしい」と言ったところ、「種の保存のためには男なんて優秀なのが一人いればいい。他の男たちは無駄弾。女はたくさんいた方がいい。」という声が。俺は思わず「そういう意味では戦争は意味があるかも。戦争で生き残った男は優秀だ、と言える」と。いくら反対されても人間は戦争をやめようとしない。つまり、理性で押さえつけようとしても押さえつけるこ...