映画 ハクソー・リッジ
非常に面白い映画だった。 アメリカの強さと弱さ、軍隊の悪い所、父(男)と母(女)、、、。オーストラリア育ちのメルギブソン監督だから描くことができた面もあるか?
話は「国民の義務として兵役にはつきたいけど人殺しはしない」という信念の持ち主が軍隊に入って太平洋戦争中の沖縄に行って衛生兵として、人を殺さず敵味方を問わず多くの人を救ったという実話に基づくもの。
主人公は「良心的兵役拒否者」と扱われるが、厳密にいえば「兵役にはつくけど人殺はしない」というもっとややこしい存在。軍隊も受け入れざるを得ないが、変わり者、臆病者扱いされ、いじめられ、部隊から追い出したい上官は軍法会議にかける。このピンチを救ってくれたのがなんとアル中で主人公に殺されかけた元軍人の父親。軍法会議の結果、主人公は「身を守る武器を持たずに戦場に行く」ことが認められる。「身を守る武器が必要」…これがアメリカ人(WASP)の弱さでもあり、強さでもある。死ぬのが怖い臆病者。臆病なので次から次へと敵をつぶし、勝つための武器や技術を編み出し続ける。日本兵と戦った米兵に言わせると日本兵は「死ぬのが怖くない、死にたい」と見えた。(つまり、『人間じゃねえ』)だから沖縄で火焔放射器で焼き、広島・長崎では原爆を落としたのか?日本人から言わせれば、次から次へと武器を編み出して実戦で使って試すアメリカ人て悪魔のようだ。
変わり者の主人公が武器も持たずに沖縄戦に参加する。これがアメリカの強さ。軍隊という同調圧力そのものの世界でも強い信念・プライドを貫く変わり者に働き場を与える。そしてこの変わり者が多くの人を救うという偉業をなしとげる。自由あるいは多様性の尊重。これがアメリカの強さ。一方で建前(「ごっこ」)の自由・多様性がのさばったり、極端に走るのもアメリカ。
第一次世界大戦に行って性格がねじ曲がってしまったアル中の父親。そんな父親が母親に暴行するのに耐えかねて主人公が父親を殺そうとする…主人公を止める母親。「お父さんは戦争に行く前はこんなじゃなかった。」戦争でなくても何十年も会社勤めをしていれば性格も捻じ曲がるし、切れやすくもなる。この俺がそうだ。戦い、競争って人間を壊す面がある。競争の持つ人間を壊す力に耐性がある者とない者…男はこの耐性が劣るのか?それとも女の壊れ方は違うのか?競争の世界に飛び込み、傷つき、壊れるのが男の性(さが)あるいは業。そんな男を「昔はそうではなかった」と守る女の性あるいは業。信念・プライドにこだわり捨てない男とそうする男をリスペクトし、守ろうとする女…こんな描き方では2016年公開当時、ジェンダー論者が反対したろうなあ、、、。
それにしても父親役のヒューゴウィーヴィングの醜い顔がよい。昔のプライドにしがみつき皮肉を言ったり暴力をふるったり…顔を見ていると自分もああいう顔をしてるのか…と背筋が寒くなる…でも彼は軍隊に入った息子を救った。
1億の精子が運がいいのか能力が優れているのか、一匹だけ生き残って受精に至る。この自然の摂理は認めざるを得ない。つまり、競争は認めざるを得ない。たくさんの人間がいれば競争になり、争い・戦いとなるのは必然。これは否定できない。だが、戦争を遂行する軍隊という組織は認めたくない。人間の自由を奪い、型にはめるから。敵を叩き潰す、やられる前にやれ、と目的がはっきりしていて、その目的のためにはこうする、こうするためにはこういう人間が必要、と決められていて逃れようがない。殺し殺されるだけでもトラウマになるのに、「汝殺すことなかれ」を信じていたキリスト教徒が人を殺すための訓練を受け、戦場に赴く。その他、様々な個人の思い・信条・考えを消して軍の求めるベクトルに合わす。これで人は壊れる。(会社員だって個人の思い・信条・考えを否定されたり、自ら捨てたりして壊れる)俺は戦争は否定しない。競争は精子にも組み込まれた本能であって、これを無理やり押さえつけるとおかしなことになる。従って殺されたり、殺したりすることも肯定する。しかし、生き残った人でも壊してしまう軍隊という組織はなんとかならないか。(今あるアイデアは、AIによる戦争ゲームで戦争の勝ち負けを決めるというもの)会社と言う組織も同様。
卑怯な日本兵の描き方:
白旗を上げて降伏するふりをして出てきて、隠し持っていた手りゅう弾を投げる…事実かどうかは分からないが、いかにも日本人がやりそうなこと。助かる気はなくて道連れを作る。
「これで家に帰れるぞ」:
負傷したアメリカ兵を手当する時の慰め・励ましの言葉。日本人はこういう言い方はしない。これに相当する日本語は何か?「もう大丈夫」「これで楽になる」か?アメリカにも家のない人、家に帰りたくない人はいると思うのだが…この場合の「家」とは、その人が本来居るべき場所、安住の地といった意味か?つまり「安心しろ」ということか?
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