トーチソング(Torch song)
何年か前にルース・エッティング(Ruth Etting)というアメリカの女性歌手のCDを買った。そのCDを棚に戻すのを忘れ、たまたま目についたのでトーチソングについて。ルースエッティングは”トーチソングの女王”と呼ばれた。(ちなみにこのCDの録音は1927年~1937年。更にちなみに俺の持っているCD,レコードの録音年は1960年代までがほとんど)
そもそもトーチとは「松明(たいまつ)」のこと。トーチソングについて;
①報われない愛の明かり(松明)をかかげて男を求め続ける哀れな女の歌…日本の演歌にもあなたに尽くします、待ち続けます、みたいな歌が多々ある
②夏の夜、明かり(Torch)に寄って来る虫のように男という明かりに寄って来る女の唄
という2説あるが、俺は②を取る。
日米を問わず(ということは多分世界中に)似たような悲しい女の歌が存在するということはいったい何故だろう?実にくだらない歌詞満載だ。それもほとんど男の作詞だと思う。「こんな女がいたらいい」というにはあまりにくだらなさすぎる。こういうバカ女がいます、という表現が一つの形式・お約束に凝縮したとしか思えない。でもくだらなすぎて面白い、大好きってことがあるから面白い。これも”芸術”のジャンルの一つか。
日本の歌謡曲で言えば青江三奈「長崎ブルース」:
会えば別れがこんなにつらい 会わなきゃ夜がやるせない
…この部分は日本歌謡史上最高の歌詞だと思う
トーチソングというよりシロップのように甘ったるくべたべたしたのが奥村チヨ「恋の奴隷」
悪いときはどうぞぶってね あなた好みのあなた好みの 女になりたい…
ペギー・マーチ「忘れないわ」:(なぜ1968年当時外国人にこんな歌をうたわせたのか?)
忘れないわ いつまでも
いずれも大好きな、クソ下らねえ歌詞。歌い手の”芸”も感じられる。
本場アメリカのトーチソングならルースエッティングのCDにも入ってるBody and soul:
I spend my days in longing
And wondering why it's me you are wronging
I tell you I mean it
I'm all for you body and soul
敢えて訳すと:なぜあなたはあたしの方を振り向いてくれないの?なんてことばかり思って暮らしてます。わからないの?身も心もあなたの物なのに…ってなとこか?
※まあ、ビリーホリデイの唄の方が味わい深いけど。冒頭の歌詞が松田聖子・スイートメモリーズのI have spent so many nights thinking of you longing for your touchを思い出させる。まあ、スイートメモリーズの方がずっとあとに作られたのだが。スイートメモリーズの歌詞の英語部分についてネイティブの英語にしてはなんかおかしいなあ、練れていないなあ、リズム・メロディーと合ってないなあ、と思っていた。ところが、最近、あの松本隆さん作詞と知って松本隆の幅の広さに感服すると同時に英語の歌詞じゃあさすがの松本隆さんにも無理があるね、とも。でも、日本人には受けたように思う。
たまたまBS11で八代亜紀の「いい歌いい話」という番組の再放送で我が島津亜矢が「人形の家」を歌っていたが、これもTorch songと言えようか。飽きられて人形みたいに捨てられた女の歌。ただ、この歌の作詞をした なかにし礼 さんに言わせると、「これは満州で日本国から『棄民』された俺の恨み節だ」と。「満州いいとこ」と言われて満州に送り込まれた日本人。昨日までいばっていた関東軍はソ連が攻めてくることをいち早く知り、一般人を捨てて逃げた。ソ連軍の暴行、暴虐は確か*。しかし、関東軍による棄民も決して忘れてはなるまい。沖縄しかり。「本土決戦」「最後の一人まで」とかなんとか言っていた軍人は沖縄の軍、民衆だけにそれを強いた後、天皇の”ご聖断”により、結果的に本土決戦を回避。沖縄は天皇に「棄民」された。当時の神であり、今でも日本の象徴、一番日本人らしいはずの天皇自身がそれまで亡くなった「英霊」を見捨てた。国際連盟を脱会しても満州から手を引けなかったのは東条英機が「いままで満州で亡くなった英霊に申し訳ない」と言って反対論が言えない「空気」にしたから…東条は既成事実に弱い(既成事実は”神”。将来・損得より大事)という日本人らしさを端的に体現した。にもかかわらず、天皇は日本人にあるまじき「既成事実に縛られず理性的に将来・損得を考える」決断をした。最高峰の日本人による日本らしさの自己否定。沖縄戦も満州のソ連軍同様、アメリカ軍の荒っぽくて残酷な攻撃がfeatureされるが、これも天皇による棄民を隠そうという意図が感じられる。マッカーサーにもその存在意義を認められた天皇は、やはり国を救った偉い人、ということにしておかざるを得なかったのだろう。共産党は何故、天皇制だけではなく、昭和天皇個人をしつこく非難しないのか?
ウクライナ戦争を見て多くの日本人が「ロシアはけしからぬ」と言う。俺は「日本人はアジアの皆さんを殺し傷つけたばかりか、77年前には日本人を捨てて殺したんだぜ!」と訴えたい。アジアの皆さんに対して謝罪の意を形に表す必要はもうないように思うが、アメリカ人も、ロシア人も日本人も…何国人も…過去に敵国人を殺し、自国民も犠牲にしたことがあるという点では同じだと銘記べき。そして将来もこのことが繰り返されることは止められそうにない…
*ロシア人は人命というものを「代替のきく部品」と考えている節がある。敵国人、自国民の別なく平等に。また軍人、民間人の別もなく。(この点カソリックやプロテスタントに比べ無神論に近い)スターリンは交戦中の部隊の後ろに、逃げようとする自軍の兵隊を撃ち殺す部隊を置いていた、とか。これに比べると、アメリカ人は臆病で、神からいただいた大切な命を簡単に捨てて戦う日本人に対して恐怖・憎悪を感じ、日本人を人間としてではなく、神を否定する悪魔と見たのではないか?
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