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Carmen McRae ”When you're away"を聞く

 1959年録音KappレーベルのCarmen McRaeのアルバム”When you're away"に収録されている"I only have eyes for you"を聞く。後年、貫禄たっぷりのおばさんになってしまって野太い低音で歌うCarmenもいいが、若々しい高音、固い声で歌うCarmenもよい。と思って調べたら、彼女は1920年生まれで当時39歳。もう”若い”というには老けすぎか?(そう言えば1919年生まれのAnita O’dayも30歳半ばで若々しく歌ってた。二人とも20歳代であまり売れなかったから30過ぎて売れ出した時、まだフレッシュで若々しかったのか?) 星も月も周りの人も見えない、あなたしか見えない・・・I only have eyes for you・・・というTorch song。 まあ、歌謡曲と一緒で歌詞の意味なんてどうでもよい。歌詞なんて韻を踏んでて気の利いた、面白い言葉がつながっていればよい。Entertainmentなんだから。古典落語にも同じことが言える。先人が何十年も前に作った作品を自分なりの解釈で再演する。そこに現れる言葉の響き、ニュアンス、間、センスを楽しむ。何十年も前に作られたのだから内容は理解できない部分があるが、それでもいい演者が演じると、「いい」と感じる。不思議。「芸」としか言いようがない。たかがentertainmentされどentertainment。

朝日新聞デジタル<天声人語>いいぞ!

11月9日付け朝日新聞、天声人語はよかった。統一教会の記者会見を揶揄すべく、「壺算」という俺の好きな落語を引用したのだ。この落語、聞き終わっても何が何だか分からない、煙に巻かれた感じがする。統一教会の記者会見も同様だ、と言いたくてこの落語を引用したのだ。天声人語氏は落語が好きなのか?なんとなく、信頼できそうな感じがする。 以下引用:    買い物上手の男が、知り合いに請われてともに瀬戸物屋へ出向いた。入り用なのは大きな壺(つぼ)なのに、男はなぜか小さいのを3円で買う。2人で辺りをぐるっと巡るとまた店に戻って、やっぱり大きいのと取り換えてくれと番頭に頼む。落語「壺算」である▼値段は倍の6円でよろしく、と男は強気だ。「さっき3円払ったろう。店に返すこの小さい壺が3円。あわせてちょうど6円。じゃ、もらってくぜ」。口車に乗せられているうちに、どつぼにはまっていく番頭の困りっぷりがおかしい▼立て板に水の弁舌といえば、おとといの旧統一教会の会見も、かなりなものだった。なのに、よくよく聞いていると、番頭なみに頭が混乱する。田中富広会長は「心からおわびする」と確かに頭を下げた。しかし、それは「謝罪」ではないという▼さらに驚くのは、被害の内容がはっきりしていないから「被害者」という言葉は安易に使わない、と述べたことだ。いったい誰に何をわびたつもりなのか。これは何のための会見なのか。まったく理解に苦しんだ

映像の世紀バタフライエフェクト「マクナマラの誤謬」

 ベトナム戦争時のアメリカ国防長官マクナマラは、米兵の死者数をベトナム兵の死者の10分の1以下に保てばいつかベトナムは降伏する、と考え、「ボディカウント」と称して敵味方双方の兵隊の死体の数を数えさせた。米軍はベトナム兵を殺しその死体を数えるのに夢中になり、それがエスカレートして何人殺したかを争うコンテストまで始まった。結局戦争が終わって数えてみるとベトナム兵の死者300万人、米兵の死者6万人だったが、ベトナムが勝ち、アメリカは負けた。中々音を上げないベトナムに対してアメリカ軍は民間人まで虐殺し始めた。 米軍には死体を数える専門の兵までいた。このような「計測でき数字化できる現象ばっかり追っかけていると大きな失敗をする」ことをマクナマラの誤謬と呼ぶ。 これは1960年代のこと。そしてマクナマラは間違っていた、という評価が定まったのが1970年代。それから30年後、日本では成果主義という計測・数値化できる目標をどれだけ達成したか?で給料が決まるなどというおぞましい人事システムが行われた。 俺が「アメリカって凄いな、羨ましいな」と痛感したのは、元国防省職員が「国防省は嘘をつき、勝ち目がないと分かっているのに戦争を続けている」ということを示す機密文書をマスコミにリークしたこと。彼は戦争を終わらせることが出来るなら捕まることも覚悟の上でやった、とインタビューで答えている。 アメリカという国は間違いも犯す、嘘もつく。ひどいこと・乱暴もする。だけど時々こうやってそれを暴く奴がいる。俺はこれが可能なのは、神様が実存するからだ、と思う。個人が悩んだとき、神様がああしろ、こうしろ、と命令してくれる。個人の良心や義侠心ではなく、人間を作り、人間を超越した存在である神様が背中を押してくれる。これそ正しく(神様と二人の)個人主義だ。そこへ行くと神様抜きで一人きりの個人主義の日本人は辛い。

秋の叙勲

 全く興味はないが、勲章というものがある。どうせ、役人が得意の前例主義を駆使してやっていることだろう。勲章そのものには全く興味はないが、TVで天皇による授章式の様子をやっていたのを見て、「大丈夫かよ?」と思ったのでここに記す。つまり女がゼロなのだ・・・厳密にチェックしたわけでなく雑駁な印象だが。 朝日新聞デジタルによると秋の叙勲全体では4000人のうち約10%が女性だ。絶対少ないだろう。どうして朝日新聞はそれを言わない?男女同権論者がよく言うけれど「世の中の半分は女」だぜ。 旭日大樹章受章者14人に至っては全員男で最若年齢70歳、最高年齢88歳。こうやって新ためて眺めてみると「誰が何を根拠に決めてるの???」という素朴な疑問が。 俺は国というものは必要だと思うし、国民に国のことを考えて欲しいとは思うが、勲章なんてやめた方がよいと思う。仮に国としてその活躍なり貢献を褒め、顕彰したいのなら、その活躍やら貢献の直後にやるべきだろう。

姉崎嘲風「預言の藝術」(明治43年)より

 (前略)心は現在のみに活きない。感覚は外界の印象を得、理会は外界と内心とを結びつけ、記憶は過去の我を今に活かし、予想は未来を與(あた)へ、感情は人と人とを結びつけ、而して意志努力は生命の発展に向かって働く。仮令(たとえ)人は愛情の他に怨情(えんじょう)、嫉妬、復讐の情があるにしても、此等はつまり、自分と他人との間に何か共通の生命があるのを根本に仮定してをるしるしで、石地蔵に対して怒ったり怨んだりするものはなく、人は人に対してのみ愛情なり憎悪なりを抱く。茲(ここ)に人心共通の生命があり、人生の孤独でない証拠がある。(略)失意失望という事が既に未来に対する希望、理想に対する憧憬の反面を示してをる。 かくして人は現在のみに活きず三世に亙(わた)る生命を得、独りのみで存在せざる他人と共に生活する・・・三世とは現在過去未来のこと。 「人は一人では生きて行けない」という言葉がある。他人の世話にならないと生きて行けない(=共存、共生しなければならない)という風にも解釈できるが、いくら一人で生きたいと思っても必ず他人がいて無視できない、とも解釈できる。他人と没交渉でいようといして口をきかなくても目をそらしても他人が存在することに違いはない。嫌でも他人は存在し、時は過去から未来に向かって流れる。この事実を忘れちゃあいけないよ、というアドバイスだ。

姉崎嘲風、「戦へ、大に戦へ」 より

 明治37年1月*発表の「戦へ、大いに戦へ」より (前略)吾等は如何にして私闘と公闘とを分別するか、曰く、一に 自己人格の信頼 に基づいた者は公闘である征戦である。利害の打算に出た者は朋党比周(ほうとうひしゅう)**の私闘である。政治と限らず、美術、文学、思想、信仰何(いず)れの方面に於いても吾等の自信のある限り、力の及ばざる所までも大いに戦て戦て 戦死 せねばならぬ、自立の人格を捧げて世と戦いひ、怯懦(きょうだ)***を打ち、平和を破り、姑息を開切しなければならぬ、此の如くにして戦ふのであるから若し他の人格にして自己よりも大なる者のあるを発見し、他の信仰にして自己の信を摂取包容するに足る者があるを見れば喜んで直に満腔(まんこう)****の至誠を捧げて、これに帰敬する、今までの敵にても固(もと)より 降伏 する、此の如き戦闘こそ真に自己の人格信仰を発揮し、又他の人格信仰の真味を嘗(な)め得べき原動力である(後略) *明治37年(1904年)2月に開戦した日露戦争の直前である **利害を同じくする者が徒党を組み、利害の一致しないものを排除すること ***臆病、意気地なし ****全身 以上は日本人論である。日露戦争前夜において、すでに明治維新の精神を忘れ、利害でくっついたり離れたりする輩が多い、と嘆いている。 「自己人格の信頼」とは何か?これが日本教の神である。持って生まれたもの、自分が正しいと思う道・・・を赤ん坊のような純粋な心をもって信じるといった意味で、一神教の神と違って個人個人それぞれ違う。 興味深いのは「死ぬ覚悟で戦え」と言い、同時に「自己人格より大なる者には降伏しろ」と言っていること。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」に通じるか?禅問答のようだ。この考え方で行くと「自分の代で日本人を死に絶えさせてはならない」という理由でアメリカに降伏した昭和天皇の聖断は間違っていた、と言えないこともない。(当時のアメリカが日本より『人格的に大』だから降伏したのではなかろう。ただ単に物量豊富で戦争が強い者に降伏するというだけだ。怯懦であり、人格より命を惜しんだ、と言ってもよい)そして、降伏した後の日本人は天皇陛下でなく、マッカーサーに満腔の至誠を捧げた。情けないと言うべきか、日本人らしくて見事と言うべきか・・・ 問題は、以上の論は、あくまで個人向けであって国家や組織向...

戦争は何故なくならないのか/止まらないのか? という愚問

 「戦争は何故なくならないのか/止まらないのか?」という問いが何故発せられるのか俺には分からない。人間は何故ケンカを止められないのか?と全く同じ問で、人間である限り必ず揉めて、ケンカするのが自然の摂理だ。そして国がある限り必ず戦争する。 俺は意識が低いせいか、そうとしか思えない。 言い方を変えれば戦争をなくそうとか止めようと思うのは間違っていて、そう思っている限り碌なことはない、ということだ。ケンカをしたい、戦争したいという本能を無理やり押さえつけるから、「誰でもいいから殺したかった」などという輩が現れる。俺には無理やり押さえつけるより時々ケンカや戦争をして命の大切さを身をもって知る、という方が好ましい。Bob Dylanも「様々な理不尽・不条理はなくならないのか?」と自問し、「駄目だね。なくならないよ」と自答した歌を歌っている。それが人の道、人道だろう。 以下、DylanのBlowin’ in the windの歌詞: How many roads must a man walk down  いくつの道を歩んだら Before you call him a man? How many seas must a white dove sail   いくら海を渡ったら Before she sleeps in the sand? How many times must the cannon balls fly いくつ大砲の球が飛んだら Before they're forever banned? The answer, my friend, is blowin' in the wind  The answer is blowin' in the wind How many years can a mountain exist 山が何年間あったら Before it's washed to the sea? How many years can some people exist とらわれた人が何年我慢したら Before they're allowed to be free? How many times can a man turn his head, 見て見ぬふりを何回繰り返したら And pretend that he ju...