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5月, 2022の投稿を表示しています

雲吞の作り方・効用

 雲吞の命はツルっとした食感だが、これを味わうために: ①具(餡)を少なく…市販のサイズの雲吞の皮1枚当たり3g以下…多すぎると皮に「余白」がなくなってヒラヒラしない…ひき肉だけなら2g強。 ②包み方はシンプルに…折り畳まないで四角か三角の形に…折畳むと皮がヒラヒラしない ③十分に茹でる…鍋で沸騰させた湯(水?*)に投入し、浮き上がれば食べることはできるが、浮き上がったとたんに上げるのは不可…川に透明感がでるまで(中の具の凸凹が皮の外から見えるようになるまで)茹でる…ここまで茹でて皮を柔らかく 雲吞の具を作るのも簡単だが、包むのはもっと簡単なので家族・夫婦で包むのがよい。皮の周囲に水をつけ、具を真ん中に入れて四角か三角に折って周囲を押し付けるだけ。これを家族・夫婦で同じ厨房(空間)に立って一緒にやると「和気」が生じる。ストレスにやられた前頭葉のマサージになる。 *水を沸騰させたものは「沸騰した水」かそれとも「湯」か?

「長久保のしそ巻き」もどきを作ってみる

 数十年前になるが、福島県いわき市出身の人から「長久保のしそ巻き」をもらったことがあり、大変おいしかった。しかし、いわき市以外で入手することが難しかった。何年か前に1年間だけ、いわきに仕事で月に1,2回通うようになり、よく買った。(確か、常磐線の車中で買うと駅の売店で買うより¥50高かったように記憶) 一方、月に1,2回家で手巻き寿司をやるが、手巻き寿司と言えば、桃屋の「梅ごのみ」と大葉(きゅうりがあればきゅうりの千切り)を海苔巻きにして食すのが定番…大葉はふぞろいのものが何十枚も袋に入れられたやつが一番安くまた、保存期間も長いのでこれを使うのだが、必ずたくさん残る。大葉を大量に食べる喰い方が思いつかず、また冷凍すると大葉の原形をとどめなくなってしまうので処理に困る。片や月に1,2回天ぷらをするのだが、天ぷらといえば天つゆに大根おろしはつきもの。大根も1/3とか1/2にカットしたものを買えばいいのだが、割高なので丸々1本ものを買う。すると、余った大根の処分に困る。(冬場ならおでんにすればいいが、冬場以外ではせいぜい豚バラ大根かぶり大根か) ある日、大葉と大根の余ったのを見て「長久保のしそ巻」もどきを作ることを思いついた。長久保のホームページに「1年間漬けた大根をしそに巻いて…」という動画がある。他にネットで「大根の醤油漬け」のレシピを見たのだが、 ①大根を干すのか干さないのか ②大根の皮をむくのかむかないのか(「薄くむく」という手もある) ③太さ7,8ミリ長さ7,8センチの四角い棒状に切るのだが、この切り方がa.大根を厚さ7,8ミリの輪切りにしてこれを7.8センチ長さに切るのか、b.長さ7,8センチに切った後、長手方向に切っていくのか ④漬け汁は醤油、砂糖、酢で作るのだが、これにみりんを加えるのか加えないのか ⑤漬け汁を加熱せず常温のまま使うのか加熱するのか など作法がさまざまであった。 長久保のホームページの動画で作り方をチラ見できるのだが、それによると皮はむかずに沢庵のように1年間漬けたものを長さ7,8センチに切った後、長手方向に切っていたのでそれを採用することにし、漬け汁はみりん入りを加熱して使うことにした。(酢を入れないで加熱し、熱い汁を酢とともに大根にかける方式…1年も漬けるわけではないので熱い汁の方が大根にしみ込みやすい) 大根を”長久保方式”で...

娘のアドバスに従い料理の話(業務スーパー)

  業スーの素晴らしい食材とそうでもない食材 まず、そうでもない(俺の好みに合わない)もの:  黒酢、黒糖、冷凍パイシート、らっきょう、ワンタンの皮  …どうしても「安かろう悪かろう」という印象 価格が安いのはもちろん、品質がすばらしいもの:  茹で蕎麦…シマダヤ、マルちゃんのものに比べ価格は1/3以下、品質は上。  白ごま…香りよし  スパイシーカレーチキンレッグ…材料代以下?の価格でおいしい  炭酸水   ※ゆでてない生蕎麦はシマダヤの深大寺蕎麦がベスト…冷たい蕎麦用 価格安く、品質もいいもの:  デミグラスソース…ハインツのものと比べ2割以上安く品質同等  ワインビネガー、オイスターソース:いずれも大瓶  ラーメン(生)  オリゴ糖&ハチミツ  大豆、小豆:1Kgの袋  ごまペースト(芝麻醤)  製菓用ベルギーダークチョコレート(400g)  ベーコン(500g入り)  レギュラーコーヒー

寺島実郎の世界を知る力(5月15日)

 2022年5月15日MXTVでOAされた寺島実郎さんの番組「世界を知る力」でアベノミクスは失敗だと断じた。何が失敗かって、産業の実力を上げることを目指さず、株価を上げ円安を誘導することだけが目的になったからだ、と。日本産業の埋没の理由は経営者が実力を上げることより株価を下げない(上げる)ことに飛びついたから。おれも2015年当時、会社でプロジェクトや研究テーマにいくら補助金が付いた、と言って関係者が喜び、自慢したことを目にしてがっかりし、また失望した。売れる商品を生み出すという努力を放棄し、我先に安直な補助金や金融資本主義、M&Aに飛びつく経営者に失望したが、退職間近だったこともあって頭に来るより諦めて「違法性があるわけでもないから文句も言えないし、ついていけねえ」と思うことにした。一方で何十年も売れる商品を生み出すことのできない研究開発力に絶望する経営者も理解できた。要は、日本の産業は経営者も開発部門もダメになり、何年間も同じ商品を作るうちに、段々韓国、台湾、中国…に負けて行く現場… さて、21世紀のあるべき国家像、会社像とは何か?目指すものは衣食住、安全、エネルギーの確保・提供(=生命維持)だろう。そして所属する人たちの幸せ。一方で、国家や会社に代わるものを生み出すことになるかも知れない。カギは「透明性」か?…どこまで透明にするか?俺の考えが及ぶところでは全てを可視化しては組織は維持できない…夫婦という組織の最小単位だって互いが何を思い、何を考えているのか全て分かったら維持できるか??…「国家や会社に代わるもの」が組織でなければよいかもしれない。とはいうものの、生産や安全保障には組織が必要ではないか?そもそも生命維持・種の保存など必要なのか?…残念ながら俺の想像力・思考力ではこれ以上先に進まない。必要なのは想像力や思考力を働かせるための基礎・土台となる宗教あるいは哲学か?

ルパン三世PART5 EpisodeⅣ に泣く

アニメ・ルパン三世はもともと好きだった(峰不二子とのバカバカしいやりとり、しゃれた大野雄二さんの音楽)。しかし、これを見て泣くとは思わなかった。 EpisodeⅣはPART5第21話~24話として2018年8月~9月にかけて日テレ系で放送された。俺は2022年にMXで再放送を見た。ちなみに2019年4月に原作者のモンキーパンチ氏が死んでいる。脚本は大河内一楼。 さて、登場人物(ルパン、銭形、不二子、 五ェ門、次元といったおなじみのメンバーは除く) アミエナン:天才少女ハッカー。母親は日本人で名前は「網」に由来。6歳の時キッズポルノ業者に誘拐されたが、才能を認められハッカーに。母親は死んだ。父親はエンゾブロン。ルパンを助けて仮想通貨を盗んだのが縁となり、段々ルパンに好意を抱くように…峰不二子の恋敵。 エンゾブロン: 巨大IT企業「SHAKEHANZ」社の創設者。AIの解析で膨大なデータからあらゆる人間に関する情報を割り出す革命的SNS「ヒトログ」を発明。 あらすじ: 「ヒトログ」で個人を指定するとネットに公開されている個人情報が一瞬のうちに集められ、犯行の手口、変装の癖や逃走パターンまで解析されて、次に何をするのか予想できる。 まず、峰不二子がヒトログで追いつめられ、SHAKEHANZの本社で捕まってしまう。次に世界的に有名なルパンが標的とされ、世界中でルパンを憎む者達を間接的に扇動して追い込んでいき、遂には仲間の五ェ門や次元までも彼らをルパンがどう思っているのかFakeを取り交ぜた情報で疑心暗鬼にさせて巧みに誘導。不二子を助けにSHAKEHANDZ本社に乗り込んだルパンだったが五ェ門と勝負する羽目になり、斬られて逮捕される。これでヒトログの情報の信頼性は絶対的なものとなった。その後、次元の助けで脱走したルパン達が世界各国の機密情報をヒトログで公開しそれをヒトログがA判定(=正しい可能性が高いと判定)してしまう。その結果、各国の政府や会社の不正が暴露されたことになり大混乱が起こって、「ヒトログ」は世界中の国家からテロリスト同様に敵視される。それでもエンゾブロンは「真実が暴かれれば世界は理想に一歩近づく」とひるまないので各国から攻撃され、最終的にヒトログ・SHAKEHANZ本社ともども破壊される。各国の攻撃の真っ最中にルパン・五ェ門・次元はSHAKEHANDZ本社に潜入...

「140字の戦争 SNSが戦場を変えた」を読んで

ウクライナ戦争に関する報道・ネット情報を見ているとウクライナ・ロシアのFake合戦になっていて、俺は真実を知ること、そしてどちらが正しいかを考えることを諦めた。この戦争で唯一間違いないのは白人キリスト教徒の差別意識(ウクライナ人が虐殺されたときとチェチェンやシリアのイスラム教徒が虐殺されたときでは白人キリスト教徒の反応が全く違う)が厳然とあり、それを彼らは隠そうともしないし、日ごろ人種差別はいけない、と訴えているメディアもそれを堂々と報道するということだ、と心に刻んだ。人々に、何が正しいのか考えることを諦めさせることが正しくプーチンの仕掛けた情報戦の狙いだ、ということをこの本を読んで知った。この本の著者のパトリカラコスによればトランプもプーチンも嘘情報を平気で次から次へと垂れ流すが、それが正しいということを証明するつもりなど一切なく、それを正しい(というより好ましい)と感じる人に訴えて、それを正しい(好ましい)と思わない人との間に分断を生じさせるためである。嘘情報を聞かされる側が分断されれば嘘を嘘と言う声が小さくなり、人間に何が嘘で何が正しいのかを追求することを諦めさせる効果がある。俺は「真実、事実を知り、何が正しいのか考えることが人間の人間たるゆえん」だと思ってきたが、若い世代、インターネット世代は何が正しいのかなんていうことには興味がなく、何が気に入り何が気に入らないかを感じるだけ、ということ。これを悲しんでも悔やんでも仕方がなく、素直に受け入れるしかなさそうだ。こういう人種が将来を作っていくのだ、とあきらめるしかないと考え、こういう人たちが作る将来が実現するまでには自分が死んでいることをありがたいと思い、俺にはこういう風潮とまじめに戦う責任はないと逃げを打って自分を慰める。 この本では2014年にプーチンがウクライナに対してやったこと*を「21世紀の戦争」として称揚している。(もちろん倫理的、道徳的にではなく、新しい戦争の開発・実行として)俺はプーチンが2014年にできたことがなぜ2022年にはできないのか?と考える。理由は①ウクライナ側が変わった。2014年ウクライナは親ロ派のヤヌコーヴィチ大統領が追い出されて混乱しており、一方でロシアは危機感を感じ、混乱に乗ずる形で動いた。②ヨーロッパ、アメリカが2014年の二の舞は避けよう(分断しないよう)としている。ま...

#君の声が聞きたい

 日本の子供や若者の精神的幸福度は38の先進国のうち37位だと。日本を他の国と比べて…という比較は、まゆにつばをつけるべきと思っている*が、国営放送としてはこの手の調査結果に「寄り添った」番組を作らなければならないのだろう。NHKでスペシャル番組が放送され、若者を幸せにすべく、大人は子供の声を聞かなければならないと結論付けた。会社勤めしていた時から「どうして年寄は若手に気を使い、「寄り添って」いかなければならないのだろう?」(若手が「撃たれ弱く」なっていて、そんな弱い連中に合わせたって会社はよくならないだろう)と思っていた。もっと言えば資本主義が発達して社会が豊かになるにつれ多くの人は弱くなるから日本も段々弱っていくんだろう、と。近年、日本は急速に貧しくなっているようだ…俺にはその実感は全くないが…いずれにしても日本が欧米に追い付け追い越せしてきたんだから、よその国に追い付かれ、追い抜かれても「むべなるかな」だ。 さて、NHKのスペシャル番組の感想:自分の言うことを無視・否定されたり聞き流されたりしても無視・否定されたり聞き流されたりしないようになるまで言い続けるしかないし、無視・否定や聞き流しされることに嫌気がさせば無視・否定したり聞き流す奴をやっつけるか早く死んでもらうしかない。(そうでなけりゃあ、我慢するか、自殺するか…)1960年代、中国の文化大革命では大人たちが吊るしあげられ、中国以外では若者たちが反体制運動なんてやってた。人間の歴史は何千年も前からこれの繰り返しと言っていい。若者にとって親や先輩や上司(大人・体制派)は乗り越えるべき存在。若者の言うことを聞いてくれるような存在ではあるべきではない。 最近流行っている言い方は、例えば気候変動や食料不足のように「子供の世代にツケを回すな」だ。いつの時代だって馬鹿なことをすれば将来そのツケが回ってくる。若者はそういう風に被害者面して、切羽詰まって考える。そう考えない大人に若者はぶつかっていくしかない。大人は、無理して子供の言うことを聞かなくてよい。スウェーデンのグレタなんとかという自閉症の女の子の地球温暖化反対運動は1960年代の反体制・学生運動に似ている。威勢よく政治家や役人どもを馬鹿にし、ぶった切るが、同時に彼女はそんな政治家や役人たちの運営している国や社会で生きている。 百歩譲って真摯に真剣に若...

いつまで生きるのか?

 嫁さんとぴったり意見が一致したことがあったので記す。 死ぬときにちょうど資産(金)が尽きるようにできないか?確かにそれは理想だが、いつまで生きながらえるのか予測不可能。予測不可能であれば、資産(金)を使い果たしたときに自殺すればよい。自殺しようとして死ぬ前に誰かに見つかった場合は『延命治療は要りません』。二人とも口には出さなかったが、心中することは考えていない(と、思う)。一人で生き残った後どうするか…である。

全日本柔道選手権

 2022年4月29日、斎藤立が全日本柔道選手権で優勝した。TV観戦したが実に面白かった。 第一に体重無差別がいい。「柔よく剛を制す」精神なら当然体重無差別であるべき。(俺はダイバーシティー嫌いだが)スポーツの男女別、体重別は差別。逆にこれを差別でないと言うなら人種別があってもよいし、ドーピングしてる人としてない人を分けてもよい。 第二に穴井隆将さんの解説がよい。一本を狙うのでなく、自分より早く相手に「指導」を3本受けさせて勝とうとする"globalized Judo"に対する批判・非難を隠そうとしないところが「けれんみ」がなく、爽快であった。審判が指導を出すと「不要な指導だ」と言ったり、指導が出そうな流れになると「ここで指導を出してはいけない」などと。これは決勝だけ見ても分かりにくい。予選から見ていると、穴井さんがこういった発言を繰り返すので決勝戦に向けて段々面白くなり、はまっていく。 「指導」の最大の問題は「受けの柔道」の否定。実力が拮抗してくると、技はきれいには決まらなくなる。「指導」ルールでは積極的に仕掛ける方が技が決まらなくても有利になる。消極的、つまり「受けて返す」「受けて逸らす」「攻めてくる相手の力を利用する」柔道スタイルは指導を受けてしまう。これを3回繰り返すと反則負け。がむしゃら、力任せに攻めてくる相手をいなすのも素晴らしい技術だと思うが、それは反則負けに通じてしまう。(相撲で言う「横綱相撲」…最近は」相撲もglobalizeされて、そんな品のあることをする横綱はいなくなり、横綱が率先して「勝てばいいんだろ」を実践する…これを日本人の若者に言っても理解が難しい。いわんや蒙古人においておや) 影浦との決勝戦は、この、「指導の制約」の中で最後は斎藤が技ありを決めて勝った。穴井さんがそう言ったかどうかは明確に覚えてないが審判も影浦に3本目の指導を出さないように自粛して試合を盛り上げ、また観客もそれを喜んでいたように思う。影浦もそれを感じてか、指導のことを忘れ、全身全霊をかけ、もっているすべての技術を繰り出して斎藤に挑んだ。結果、穴井さんの言う「面白い柔道」になった。つまり、決勝戦を戦っている斎藤、影浦のみならず、解説、観客、審判まで一体となって"This is Japan's Judo"を実践した。そこが非...