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東京海上日動、出向者が競合他社の情報を漏洩 契約情報3万5千件

朝日新聞デジタルに 「東京海上日動、出向者が競合他社の情報を漏洩」の記事。 >>大蔵省がご指導していた保険、銀行、証券・・・みんな談合体質・競争嫌い体質だ。だってお役人って「競争嫌い」「赤字嫌い」「倒産嫌い」なんだから。銀行、証券は一応競争するフリはできている。(実質上はどこでも同じようなものだが…)一番談合体質が残っていたのが保険だ、ということでメディアを使ってキャンペーンしているのか。 保険の代理店に保険屋から出向させる・・・これを容認と言うか、堂々と続けているのが興味深い。(ビッグモーターなどの自動車販売屋も代理店だ)保険屋から代理店に出向するとは: ①保険屋の意向を踏まえ、保険屋が儲かるようにする・・・何も知らない顧客をだまして高い保険料を取り、払うべき保険金を払わずに済ませる。(代理店は本来は、保険屋と顧客の間に入って第三者的に利害調整するのが建前・・・保険屋から代理店に出向してきていたらそんなことができるはずもない。顧客もそれを知ってか知らずか、異を唱えない) ②代理店の立場で得ることができる他の保険屋の情報を出身元の保険屋に流す…結局全保険屋の情報が全保険屋に筒抜けになる。競争もへったくれもなくなる。 別に保険の代理店だけが問題なのではない。お役人様のご指導が色濃く残っていて競争嫌いなのに競争を装うところが醜いのだ。悔しかったらたまには大赤字をこいてみろ。 >>大蔵省だけが業界をご指導したわけではない。悪名高いゼネコンも同様。タクシーや電車の料金も競争してるようなしてないような・・・お役人様に価格設定を許していただくって、官製談合だろう。様々なもの・サービスの価格が銀行の金利みたいに「どこに預けたって同じ」だ。ただし、これでいいように思う。日本人らしいし、この談合体質、つまりアウトサイダー排除体質がなくなると外資に負ける。一番競争体質が顕著なのがEC(インターネット通販)業界だ。自由に競争させた結果アマゾン一人勝ち状態になり、日本に税金落とさないなどといって問題視する。  

「今の平和は、尊い犠牲のおかげ」 決まり文句を憂う元特攻兵

朝日新聞デジタルに以下の記事:  多くの犠牲者を出したアジア・太平洋戦争。追悼の場では「尊い犠牲の上に、平和な日本がある」というフレーズが使われ続けている。戦争を起こした責任が忘れられていないか――。軍国少年だった男性は憂慮している。  終戦の日の15日、テレビでは日本武道館での全国戦没者追悼式で式辞を述べる岸田文雄首相の姿が流されていた。「今日の我が国の平和と繁栄は、戦没者の皆様の尊い命と、苦難の歴史の上に築かれた」  福岡県田川市の看板絵師、篠原光雄さん(95)は思った。「またか」。尊い犠牲の上に、今の平和がある――。「国が戦没者を追悼するのは当然。だけど、なぜありきたりの言葉しか言えないのだろうか」  篠原さんは元特攻兵だ。1944年7月、15歳でパイロットを養成する海軍飛行予科練習生(予科練)となり、45年2月に広島県大竹市に送られた。割り当てられた役目は、特殊潜航艇「蛟竜(こうりゅう)」の乗組員。事実上の特攻兵器の一つだ。  でも、肝心の蛟竜が足りず、訓練で1度乗っただけで終戦。故郷の福岡市に帰り、戦後が始まった。(後略) >>記事には、「 国のために死んでこい、という社会にならないために」という言葉もある。この記事を書いた人はロシアに攻められて戦争するウクライナのことは支持しているのか、いないのか?ゼレンスキー大統領は「ウクライナの為に死ぬのを恐れないで戦ってくれ(=国の為に死ぬリスクを負ってくれ)」と言っているが、どう考えるのか?日本は自衛のためならつまり、ウクライナみたいに他国から攻められたら、攻め返していい、と考えるのか?考えないのか?戦争は是認するが、生きて帰ってこれないような特攻はダメ、と言うのか? 歴代の首相が戦争責任をあいまいにしてきたのは間違いない。占領軍が天皇制維持と決めたからには、天皇の戦争責任を問うようなことはできなかったから、そうならざるを得なかった。逆に言えば、天皇の戦争責任をあいまいにしたまま天皇自身が参加する追悼式をやるなんて危ないことをよく始めたものだ。 この記事を掲載した朝日新聞も、①日本は自衛のための戦争はできるのかできないのか?②仮に自衛のための戦争ができるとしたら、「国の為に命をささげる」という覚悟は必須ではないのか?③国の為に命をささげるのはいいけれど、生きて帰ってこれない特攻はダメ、というのか?   に...

安倍さん暗殺事件で引責辞任した奈良県警の鬼塚本部長・・・

辞任した年の12月にHESTA大倉という会社に転職、 会長室室長を務めていたが、今年6月より取締役社長に就任したと。 同社のソーラーパネルのTVコマーシャルに出ているとか。 再発防止のために警察組織に残ってほしかったし、再発防止で成果を上げれば再び警察組織の運営に当たってほしかった。 あんな失敗はめったに起こらない。かつ結果は重大だった。警察組織が再発防止を真剣に考えるなら、そして鬼塚さん自身が責任を重く受け止めるなら、そうすべきだった。

大木聖子「科学の限界を超えて命を守るコミュニケーションとは」

 2013年岩波書店 刊「これからどうする」に以下寄稿(抜粋): 現象が未解明でありながら、事態が時々刻々と進んでいて現段階の科学では明快な答えが出せないが人命が奪われる可能性がある時、専門家や行政官はどのような情報発信をし、メディアはそれをどう伝えればいいのだろうか?その答えを短く表現すれば「長期的な信頼関係を損なわない情報発信をする」であろう。たとえば「群発地震の見通しは今の科学では分からないから大地震の心配はないなどと言って皆さんを安心させてあげることはできない。しかし皆さんの命を守りたいから、念のためと思って可能な限りの備えをしてほしい。なぜなら過去には群発地震後に大地震に至ったこともあるし、この地域は家屋が古くて倒壊しやすいから」と言えば、これは住民にはどう受け止められるだろうか。 現段階の科学では事態が改善されないとわかったとき、彼らは何に信頼を置くだろうか。何で信頼をはかるのだろうか。それは情報発信の誠実さと、自分と同じ価値観、すなわち 自分たちを第一に思ってくれているかどうかであろう。 >>上述の言い方は要するに「何も言っていない」。誠実ではない。うそを言わないように努めると判断材料は何も伝えられず、誠実でなくなる。それでは、「あなたたちを第一に思ってますよ~」というメッセージはどうやったら伝わるのか?分からない。テクニックやマニュアルではないのかも。人間性か? 南海トラフ臨時情報で近所のスーパーから米が消えた。これが政府の狙った反応か???俺たち夫婦は米を買う気もないし、ふろおけに水をためる気にもならない。

渡辺保「歌舞伎の未来」

  2013年岩波書店 刊「これからどうする」に以下寄稿(抜粋): (略)平成中村座の2012年4月の「法界坊」、ことに大詰めの「双表(ふたおもて)」の幕切れであった。故勘三郎の法界坊は、雪のように多量の桜を散らし,早替わりにつぐ早替わりで、最後に奥の壁をあけてスカイ・ツリーまで見せるサービスぶりであった。そして客席は超満員。スタンディング・オベーションの熱狂であった。その熱狂ぶりを見ていて。私はこれは歌舞伎ではなく、演劇でもなく、ただのイベントだと思った。むろん早替わりもけれんも、イベント性も歌舞伎には必要だろう。それが歌舞伎の「型」の一側面であることも事実である。しかしこれはあまりの過剰な濫用であり、そこには人間的な感動が微塵もなかった。勘三郎がここまでしなければならないのか。とすれば勘三郎の優れた才能のムダ遣いだと思い、これでなければ歌舞伎を見ない観客とは一体何だろうと思い、そして最後にこれが歌舞伎ならば私にとって歌舞伎は無縁のものだと思った。この背後にあるのは、大衆情報化社会の、一つの傾向である。 見えるものしか、見ない 。現実の成果主義、あるいは数字だけが全て、それだけが共有する唯一のものだという社会の構造、そこに今日の社会の顕著な傾向があり、平成中村座の客席はその事実の一端にすぎなかった。しかしそれでいいのだろうか。むろん 数字も成果主義も大切だろう。しかしそれは政治や経済 の話であって、こと芸術について言えばそれだけが全てではない。見えないものを見る視力ー精神性、集中力知的関心も必要ではないのか。歌舞伎が興行財であるかぎり、この傾向を否定することなどできない。とすれば希望はどこにもない。もしあるとすれば「傾城反魂香」のように、人間の感動の原点に戻ること以外にはない。 >>これは、談志の「売れる落語と面白い(=談志のやりたい)落語が違う」という悩みと全く同じ。談志はこれで煩悶した。政治や経済の世界だって「見えるものしか、見ない」風潮はダメだ。つまり、数字にできる成果だけでは組織は回らない。あるいは物凄く浅薄な組織となる。でも、どうしたらいいか?分からないまま年だけ取る。

貴戸理恵「不登校」は社会に問いつづける

 2013年岩波書店 刊「これからどうする」に以下寄稿(抜粋): (略)戦後の日本社会では、開放的で均質な学校教育と、長期雇用のもとで能力開発機会と家族給を提供する日本型雇用が、新卒学卒一斉採用によって結びつくことで、多くの子供・若者に、学校から仕事へのスムーズな移行を保証してきた。それは、 学力形成、職業的スキルの獲得、ジョブ・マッチング、雇用保障と言った、子供・若者が社会的存在となるプロセスのほぼすべての事柄を、学校と企業が提供する仕組みだった。 これは逆に言えば、 学校と企業に属さない限り、社会的存在になれない仕組み である。不登校やいきこもりは、政府関係文書で「非社会的」と形容された。80年代に不登校経験を持つ人の手記には、「学校に行かない自分は、将来社会に出て行けない」と怯える記述が散見される。(略)若者失業率(15-24歳)は、80年代から90年代初頭まで4~5%を維持していたが、2000年代初頭には10%を超え、諸外国に並んだ。新卒学卒就職率は低下し、「学校から仕事へ」の移行をスムーズに果たすものは減少した。同時に、キャリアの多様性や自由度は増し、個人の主体的選択と「自己責任」が強調された。そうした中、不登校は数あるキャリア形成上の「リスク」のひとつとなりつつある。それは「社会からの逸脱」でも、「社会を問い直す運動の立脚点」でもなく、単に個人が自らのキャリアを考えるうえでここに対処すべきものにすぎない。 学校に行かないことはかつてほど強く否定されず、個人の選択と見なされる余地が増えた。だが他方で、不登校後に大学進学や正社員就職の可能性が阻害されても、それは「学校に行かないという選択をした個人の問題」 とされる。学校に行ったところで安定した将来は保証されないが、行かないことは不確実性を増大させる。そのような状況のもとで、子供たちは学校を見限りながらも、「では行くのを止めよう」とはならずにいるのだ。 不登校という現象が、日本社会に対して突き付けてきた問いは「学校・企業=社会」が揺らぐ現在において、いっそう大きな意味を帯びている。いま求められているのは、 学校でも職場でもない。新たな共同の場の創出だ。 >>俺は上述の、 学校と企業に属さない限り、社会的存在になれない仕組みの レールに乗っかって会社に入り、退職した。ただし、その仕組みは20世紀末にはほ...

土井隆義「子どもたちを集団圧力から解放しよう」

  2013年岩波書店 刊「これからどうする」に以下寄稿(抜粋): >>俺は1982年生まれの娘が高校生の時、自分がないところが嫌だった。以下を読んで娘がそうなった理由が分かった。高校時代の娘は①「みんなそうしてる」が決まり文句で自分が何をしたい、自分が何を良いと思うか、がなかった。②あらゆる問題は正解があり、その答えを求めて自分で考えることはせず、その答えが入った自動販売機みたいなものがあって、ボタンを押せば正解が出て来ると思っているようだった。俺の若い時代には学校ー会社というレールがあって、俺はそれに乗っかることによって精神的な安心を得、経済的な安定を得ていただけだった。娘が高校生になった1990年代後半、そういったレールや既存の枠組みは破綻し、安心を得るには(一部の”勝ち組”を除いて)「みんなと一緒」しかなかったのだ。その後、就職・結婚を経た娘は安定し、自信があるように見える。(娘なりに「みんなと一緒」を得たのか?それとも「みんなと違ってていい」と開き直ったのか?)今や娘は情報収集は様々なルート、情報源を駆使して行い、自分の頭を使って非常にまともな判断をしているように見える。(俺の願いが通じたのかも)娘は俺のへそ曲がりなDNAを引き継いでいて、「みんなと一緒」には抵抗があったのではないか?中高校時代には周囲の圧(いじめ?)も感じたのではないか?娘はそれを乗り超えた、と思う。 以下抜粋: 1980年代以降、世代間ギャップの縮小と共に、 若者たちは共通の敵を見失って いく。それにつれ、いじめも包摂型とでも呼ぶべきものへと変質する、友達同士の閉じた親密な関係の内部で起こるようになり、標的になる生徒に明確な特徴は見られなくなっていく。いつだれでも標的になる可能性があるのは、いじめらっる理由が特定の個人にあるわけではなく、いじめを欲する集団圧力がまず先に存在し、理由は後付けにすぎないからである。 同質的な友達関係の中にいじめが組み込まれるこの傾向は、 自由と自己責任 を強調する新自由主義の波を日本社会が本格的に被り始めた 90年代後半から 一気に加速を見せ始める。社会の流動化は人間関係にも波及し、従来の 制度的な枠組み に縛られなくなったが、それは同時に人々の不安を掻き立てることにもなった。子供たちの人間関係も同様で、クラスや部活などの枠組みに縛られる比重は減っ...