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飛行機の中でたまたま聴いて気に入る曲①

 会社員時代、結構海外出張していたが、何時間も飛行機の中で過ごさなくてはならなくなることがある。そういう時は、まず、映画を見る。あまり見たい映画がない場合、落語や漫才や音楽を聴く。そんな風にして、たまたま聴いた音楽がとっても気に入るってことがある。そうなると飛行機の中で何回も同じものを聴くし、出張から帰ってからも聞く。そんな経験が少なくとも2回あった。まず、最初にそういう経験をしたのは「加藤いづみ」だ。「髪を切ってしまおう」「好きになって、よかった」「さよならが言えない」「美しすぎて」・・・半分眠りながら聞いたが、よかったね。何時間も誰と話すこともなく過ごしていると感覚・感受性が普段と違ってくるらしい。体内時計は夜になっていて、感傷的になっているのかな?捨てられた女の悲嘆にくれる歌が多いが、なぜかいい。 「髪を切って・・・」から「さよなら・・・」までは全部、加藤いづみの自作自演かと思っていたが、実はプロデューサーの高橋研さんの作詞作曲。高橋さん多分男だと思うが ”髪を切ってしまおう  あの人の好きだったものを  だめにしてしまおう” なんて歌詞は男に思いつくとは思えない。そして「あの人の好きだったものをだめにする」のは「生まれ変わるため」なのだ。高橋研はただならぬ人だ。こんな歌を作れるのは加藤いづみともただならぬ関係だったから???それとも高橋さんLGBTか? 「好きになって、よかった」も”前髪直すフリでそっと涙を拭いて”、別れるけど、好きになってよかった。この経験、思い出はこれから生きていく糧になる・・・といった内容だ。 自殺したい人に聞かせたら、いいかも知れない。 閑話休題: 「美しすぎて」は”ガロ”というフォークグループが1973年に歌った。ガロのこの曲は彼らの最大のヒット曲「学生街の喫茶店」のB面曲だった・・・フォーク、ガロ、B面・・・昭和だ・・・ 加藤いづみの歌唱の方がガロのオリジナルより数倍よい。

オーストリアと日本

「皇帝円舞曲」「麗しのサブリナ」「七年目の浮気」「翼よ!あれが巴里の灯だ」「お熱いのがお好き」「アパートの鍵貸します」「情婦」*など俺が好きな映画を監督したBilly Wilderは1906年にオーストリア・ハンガリー帝国に生まれ、その後アメリカに移民した。 RKOやMGMで多くの傑作ミュージカル映画(談志師匠は「イースター・パレード」がお気に入り)に主演したダンサー兼俳優兼歌手のFred Astaire は、オーストリアからアメリカに移民してきた父親の子として1899年に生まれた。 二人ともユダヤ系。アメリカがベトナムなんかに手を出す前、Greatだった1930年代~1950年代に映画を作り、演じた人だ。二人とも「粋」で「職人」だ。Wilderに関して言えば、おバカで力づくのアメリカ人とは違って、シニカルで一ひねり加えた演出がいい。Astaireに関して言えば、そのエレガントで指先まで神経の行き届いた踊りは「職人芸」と呼ぶにふさわしいものだった。決していい男でもなく、背も小さく声も冴えない。粋を体現した踊りの芸一本でアメリカの芸能界のトップになった。二人のこういった良さは大陸、オーストリアの良さで、彼らは祖国の伝統や文化をしっかり身につけていたんだろうと感じる。インディアンを蹴散らして西部開拓する野暮なカウボーイにはできない芸当だ。(アメリカに渡ったユダヤ人は核兵器や新自由主義といった無粋なものも編み出し、これら無粋なものはいつまでも悪影響力を発揮しているが・・・) この「粋な」オーストリアを支配していたハプスブルク家に興味が湧き、ネットで様々調べてみると、ハプスブルク家は13世紀から1918年最後の皇帝カール1世がオーストリアから逃げ出すまで約650年もの間、何回もの危機を乗り越え、オーストリアその他のヨーロッパの国々において皇帝でい続けたのだ。そして野蛮な毛唐の国の皇帝にしては珍しく、皇帝の地位を奪わても殺されなかった。ハプスブルク家は戦争が嫌い、政略結婚、近親結婚が好きで16世紀には皇子をスペイン王女と結婚させ王様として送り込んだが、虚弱体質の子供ばかりが生まれ、スペインではとうとう王様の血筋が途絶えてしまった。こう来れば、我が天皇家とかなり似ている。大した力(武力)もないのに風見鶏よろしく強い者にくっついては何百年も生き延び、時には大きな権力まで手に入れる...

スクールメイツの性被害は?

 昔、スクールメイツという女の子のダンサーのグループがあった。(実はWikipediaで知らべたら、1964年の設立当初は男の子もいたらしいが、俺が知っている1970年代のスクールメイツは、歌手の後ろで踊る女の子のバックダンサーの集団だった・・・つまりジャニーズジュニアの女版だ。それから2023年現在まだ健在なのかどうか不明。)ただし、彼女らの多くはよく言えば健康的で、小太りでぴょんぴょん飛び跳ねていて、あまり色っぽかったりエロチックではなかった。 ジャニーズジュニアからの連想で「スクールメイツには性被害はなかったのかなぁ?」と言ったら、すかさず上さんが「ないない」と言った。性被害の対象になるようなタマはいない、ということだ。俺は「芸能界だぞ。スクールメイツと言えども性被害者になったんじゃねえか」という言葉を飲み込んだ。上さんの断言に反論を許さないものを感じたからだ。 閑話休題: スクールメイツがWikipediaに書かれたのは2019年のこと。その時にはまだ、スクールメイツは健在だった由。昭和の化石だが、21世紀、令和の御代にどんな需要があり、誰が所属していたんだろうか?母親がスクールメイツで娘が、ということはあったとか。

外国にオレオレ詐欺はあるか?

 近くの銀行のATMコーナーで「ATMを操作しながら携帯電話している人はオレオレ詐欺の被害者です」と断定的に告げる警察の録音が流れていた。これに違和感を覚えたが、上さんも断定するのはおかしい、と言った。俺は「そう言った方が防犯上はいいんだろうね」と答えたが、防犯効果は別にして、おかしな、間違った日本語には違和感を覚える。日本の役所はこういう傾向がある。言葉遣いだけは慇懃だが、意味が分からなかったり違和感を覚える表現が多い。「俺の言う事は分かんねえだろう」と、無礼だ。(或いは「俺の言うことが分かんねえ奴や違和感を覚える奴がいる)」ということを想像する力がない)つまり、日本のお上は、下々の者を馬鹿にしているし、役所が言いたいことを理解しなくても構わない、と考えているようだ。役人を毎日のように非難し馬鹿にするTVや新聞はこういった役所のコミュニケーション上の問題点を指摘することはほとんどない。(法律の文言は分かりにくいということは聞いたことがある。) ATMコーナーを出た後、上さんが「外国にオレオレ詐欺はないのかな?」とつぶやく。俺は「ないんじゃねかなぁ。」と答えた。アメリカでは電話をかけた方が名前を名乗るような慣習があり、名乗らなければ必ず Who is calling ? と聞かれたように思う。考えれてみれば、電話をかけた方が名乗らず、それが誰なのか察してもらうことを半ば期待する(そして電話を受けた方も察する能力を期待される)というのは日本人特有ではないか。日本人以外は電話したのが誰か分からないのが当たり前、かけた方が名乗るのが当たり前で「察する能力」など求められないのではないか? 閑話休題: このATMコーナーもそうだが、かつて都銀の店舗だった建物からATM以外を撤去し、ATMだけ残しているところが目に付く。ATM以外のスペースは使われていない。つまり建物のスペースと維持コストの無駄遣いだ。ここのATMコーナーは10年以上この状態だ。これはまだまだ都銀に余裕が残っているということなのか?それとも都銀の皆さんはこの無駄に気づかないほどおバカなのか?製造会社にいた俺には想像を絶する世界だ。 これを書いているちょうどその時、NHKの「首都圏ネットワーク」という番組の「わたしたちは騙されない」というコーナーで「ATM操作しながら携帯電話は詐欺が疑われます」と違和感の...

ブラマヨ弾話室 #229 若者のギャンブル依存症が心配

 若者に将来の夢がなくなり、一攫千金を狙ってギャンブルにはまる者が増えていると。違法なオンラインカジノも流行っている由。オンラインカジノは日本では違法だが、海外のオンラインカジノにアクセスする者がいて、取り締まりが難しいようだ。この話、若い会社員が投資のために借金してワンルームマンションを買うのと同根だし、闇バイトに走るのも同根だ。結局、将来に希望がないのが原因だ。「なんでこんなバカなことを」と思うが、それほど絶望が深いのだ。絶望は人をテロにも戦争にも駆り立て、無謀なことをさせる。かつての日本、ドイツもそしてソ連崩壊後のロシアも同様だ。アメリカの深刻な分裂や過激な陰謀論も絶望が原因だろう。嘘でいいから若者に明るい未来を夢見させることはできないか。おれたちの世代が嘘でだまされた最後か?子供の時は高度成長がいつまでも続くという夢があった。20歳過ぎからは高度成長もだいぶ怪しくなっていた。それでもバブルが弾けるまでは夢が醒めなかった。バブルがはじめた後、会社が縮み、人減らしを始めた。騙された感があった。それにがっかりし、嘘でもいいから会社の若者に夢を語りたかったが、できなかった。会社の縮み方が早く、追いつけなかった。悔しく、残念だった。(日本の会社の寿命はこの頃尽きていて、多くの人の夢ではなくなった) 半ば強制的に見たくもないニュースが目に入って来るTVや新聞などの媒体と違い、インターネットでは自分好みの情報だけにアクセスする傾向が強くなる・・・他人が悪いことをして捕まってもそのニュースを知らないので、同じ犯罪を繰り返すと。「一罰百戒」の効果が弱くなった。興味のないニュース、見たくないニュースが向こうから飛び込んでくるということも必要かも知れない。(見たくもない宣伝が勝手に飛び込んでくるのは止めて欲しい。これはユーザーのためでなく、金のためだ。) カレー屋で、おんたまをのせたカレーを頼んだら、おんたまがのっておらず、「おんたまがのってないよ」とクレームしたら、店員がスプーンを持って出て来て、おんたまをカレーの下に隠してないか、掘り返してチェックした由。お笑い芸人の作り話かも知れないが、これを語った古市なんとかという芸人は中国人なまりのような怪しい日本語をしゃべる。古市が中国人と思われたか、店員が中国人だったかだ。 ルールが細かく厳格になる風潮に関連して、高学歴芸人...

藤井聡太名人に思う

 藤井聡太さんが最年少で名人となり、前の最年少名人の谷川さんがTVに頻繁に登場する。この谷川さんの若い時の映像にしろ、藤井さんに負けた前名人の渡辺さんにしろ、そして藤井聡太さんもそうだが、決して「いい男」ではない。よく言って変人、オタクの顔だ。例外的?かつ比較的にそこそこの顔の持ち主は羽生さんだ。 ちょっと前のプロ野球選手(例えば清原、中田翔などが典型だが)は、プロ野球選手になっていなければそこらの不良、チンピラという顔だ。 将棋指しも将棋を指していなければ、ただの変人、オタクか?芸人も似たようなもの。芸人やってなければおかしな不届きものだろう。それでいいのだ。ダイバーシティなんて言う前からちゃんとそういう連中を食わせ、間違えばアイドルにする仕組みがあった。そしてこういう連中とは素人は付き合わない方がいい、遠くから眺めるだけにしとけ、という常識もあり、彼らにコンプライアンスやらなにやら清廉潔白を求めることもなかった。 藤井さんの師匠の杉本八段は藤井さんのことを「竜王名人」と呼んでいたが、他のタイトル 王位・叡王・棋王・王将・棋聖の主催者は怒らないか?と気になった。 8冠の 残りの1冠は何かを知りたくて調べたら、どうも主催者から日本将棋連盟に支払われる「契約金」によってタイトルの序列が決まるらしいということがついでに分かった。今の序列は 竜王・名人・王位・王座・叡王・棋王・王将・棋聖。 また、契約金額の順は賞金の順とは一致しないらしい。公開されていないからあくまで推測だが、賞金の順は、竜王、名人、叡王・・・の順だそうだ。(藤井さんがまだ取ってない”王座”は契約金の順位、賞金の順位とも4番目) とはいうものの、歴史と格式の将棋界において、8大タイトルのうち2番目に新しい竜王というタイトルがすんなり序列1位になったのか、知りたくなる。Wikipediaで調べると、竜王はそれ以前、九段とか十段と呼ばれていたタイトルの名前が変わったもので九段まで遡れば名人に次ぐ古さだが、1988年、”十段”を”竜王”に名称変更する際、” 名人”を超える格を有するタイトルにしようとして歴代名人に聞いたところ、中原誠 (当時名人に在位、十六世名人資格保持者)が連盟に一任したのに対して、大山康晴 (十五世名人、当時連盟会長)と升田幸三 三 (実力制第四代名人)は反対し、折衝の末、賞金額1位...

苦手なコンサート

 客がたくさん立ち上がるコンサートは夫婦そろって苦手だ。いくら周囲の人たちが立ち上がっても、絶対に、頑なに立ち上がらない。なぜかは分からない。なぜ立ち上がるのか?と逆に聞きたい。立ち上がろうが立ち上がるまいが別にどうでもいいんだけれど、頑なに座り続けていると、ものすごい同調圧力に抵抗するのが苦しい。 従ってコンサートの切符購入にあたり、「立ち上がるコンサートかどうか?」は非常に重要な判断基準だ。当然「立ち上がるコンサート」はパスだ。今井美樹だったか、薬師丸ひろ子だったか(多分今井美樹だったと思う)のコンサートでその判断を誤り、ひどい目に合った。上さんが隣で一緒に戦ってくれるから立ち上がらずに済んだ。二人で顔を見合わせて小さな声で「嫌だね。」とか何とかささやき合った。 会場に、立ち上がらない人ばかりが集まった一角を設けるとか、立ち上がらない客ばかりのコンサートなんてやってくれないか?(客が誰も立ち上がらないと演者が乗りにくくて嫌がるかな?) 元来、日本人は歌や踊りや・・・芸・・・を見て興奮してもみんなで立ち上がるなんてこたぁしなかったと思う。立ち上がるにしても一人で立ち上がり、拍手するか銭を投げるか大声を張り上げた。そして俺が一番嫌いなのは、客が息を合わせて、北朝鮮のマスゲームよろしく同じ踊りだか身振りをすることだ。もちろん俺自身はそんな恥ずかしいことはしないのでそんなことをする理由も快感も分からない。客の息の合ったパフォーマンスをTVで見て「バカじゃねえか」と思うだけだ。