投稿

これまた参った!

イメージ
 3月11日、日経平均株価1000円以上安。 俺の保有する株も一時、イオンモール以外全部前日より安く。 3.11以来、3月11日って1%以上の株安になるんだって。

何をお替り自由でなくした?(とんかつ屋)

イメージ
 入ったことのないとんかつ屋。前を通って看板を見ると、 ライスとキャベツはお替り自由だが、他の何かがお替り不自由になっている。何が? 上さんに聞いたら、みそ汁だろうと。確かに他に考えにくい。 米とキャベツは値段急騰したのに、相変わらずお替り自由のままだ。仮にみそ汁がお替り不自由になったとしたら、何が原因なのか?

徳岡孝夫著 完本 紳士と淑女 1980-2009 を読む

 「紳士と淑女」より以下: 1981年4月号 イラン大使館占拠人質事件が解決後のイラン代理大使のレポート: ①イランの国民性は自己中心主義。自分の事だけが大切で、他者の観点を理解しようとしない。 ②現在の生活に対する不安感から、目先の利益に走り、長い目で利害を考えない。 ③見返りの善意を期待して、こちらが善意を見せても、無意味だ。 ④交渉はいつ敗れるかもしれず、交渉担当者はその危険に対して身がまえよ。 >>これを揶揄して徳岡氏は「アメリカ人もそうじゃあねえか」と1981年の時点ですでに喝破している。これ、今、トランプが言ってるのと全く同じだ。俺はこうなるのは、イラン人でもアメリカ人でも同じだ、と信じる。「昨日より今日、今日より明日」と希望が感じられれば人間こうはならない。当時のイラン人はともかく、今のアメリカ人はアメリカ教とも言うべき「無限のフロンティアがあって、それを開拓していけば子供たちは自分たちより豊かになる」という信仰が崩れてしまった。絶望のあまり、「アメリカと戦争でもはじめてみっか」と思いつめて戦争始めた日本人もそう。中国人も同様のはずなのだが、中々共産党は倒れない。   1981年10月号 「原爆の図」が高校教科書から削除されたことに対する文部省への抗議に対して: 原爆は悲惨だ。それを投下したアメリカは許せない。なるほど、そうだ。だが「そういっただけではかたづかない問題」でもあるのだ。太平洋戦争を顧みて、日本人は原爆をしきりに言う。だが「真珠湾」を痛切に記憶し、安全のためには二度と相手に奇襲攻撃をされないことだと信じている人々も、この地球の上にはいる。日本人、自分の卑劣な行為を忘れすぎてはいないか?自分の傷のかさぶたを、人々の目の前に突きつけるだけでは、平和は来ないのである。 >>俺に言わせれば、ひどいことをされ許せないアメリカに素直に占領され、その後属国でい続ける日本のことも理解できない。また、真珠湾以外にも中韓に対して行った卑劣な行為も忘れてはならぬ。 1982年2月号に引用された芥川龍之介・侏儒の言葉 より: 「危険思想とは常識を実行に移そうとする思想である」 1982年6月号 フォークランド紛争ぼっ発に際し、「イギリス人、一致団結を」と叫ぶザ・タイムズ社説を受けて: 戦争というのは、人類の精神衛生のために、ときどき必要ではありますまいか。...

ライシャワーの日本人論

 徳岡孝夫著 「完本 紳士と淑女」1992年6月号より  ライシャワーは日本人について「美に対して実に鋭敏だが、醜に対し極めて鈍感」 と言った由。 言われてみれば・・・日本人は、ストライクゾーンが広い、何でもあり、ということ。醜だからと切り捨てない。

アメリカという国は敵がいないと成り立たない

 アメリカは民主党バイデン時代ロシアを敵にした。トランプはその民主党を最大の敵にするからロシア寄りになる。トランプはロシア以外の国もほとんど敵にする。味方を応援するより敵をたたく方が優先だ。ロシアより中国の方が手ごわい敵だから中露分断の方がウクライナ支援より大事だ。 調子が狂ったのはEUだ。今まで先頭に立って反ロシアだったアメリカが急転直下、方針を変えた。おかげでアメリカから距離を置く必要に迫られているが、決して悪いことではない。日本もアメリカ離れしてもいい頃だ。 不思議なのはイスラエルだけは敵になったことがない。ユダヤ人が金融でアメリカを牛耳っているから?日本の天皇みたいにあまり表には出てこないが、時々の権力者が一目置く??アメリカ人自身がアメリカ国内でユダヤ人差別をしてきた(いる)から気を使うのかも。 今のところは、この「全方位敵国」というフィクションが受けているが、そう長続きしないように思う。逆に言えば、これが長続きするなら、資本主義や民主主義が終わり、帝国主義に戻るということになる・・・

「日本の名随筆・落語」 を読む

 古くは1930年代、新しくは1980年代に書かれた落語に関する随筆を集めた「日本の名随筆 落語」を読む。 子どもの時から弟子入りし、師匠に厳しく(しばしば理不尽に)躾けられ、死ぬまで何十年間も芸に一身をささげ、芸を磨いた落語家たちが次々と紹介される。「今じゃあ無理だけど、昔はよかったねえ」という想いがにじみ出て来る文章が多い。中には、もろにそういう考えが述べられたものもある。 人権を無視し、ハラスメントにまみれた「修行」というものはそんなに悪いものなのか、改めて考えさせられる。人権を無視されようが、第三者から見ればハラスメントだろうが、本人がそれを望み、耐えようと言うのなら、それでいいではないか?(これを見聞きした第三者に不快感を与えるとややこしいが・・・) この本に収録された随筆によると落語の全盛期は明治の末~大正の初めだったという人が多い。1910年前後だ。つまり、明治維新以降、よちよち歩きだった日本が日露戦争に勝って「坂の上」に上り詰め、第一次世界大戦のどさくさで坂を下り始めるまでだ。落語に限らず、日本絶好調!の時期だ。次は昭和30年代。文楽、志ん生、円生、小さん・・・敗戦から立ち直って高度成長が始まる頃・・・一方で昭和30年代には、赤線がなくなり、「もう花魁や吉原なんて語る時代じゃあねえ」とか「昔のような修行に耐える弟子はいねえ」と言われ始める。 昭和37年11月、脳溢血から復帰した志ん生を描いた東京新聞の記事を名文と紹介した永井龍男の「下足札」。この随筆、志ん生の話から最後は、最近寄席に行かなくなった、という話になる。なお、この記事の中で、志ん生の長男の馬生が心配で正視できませんと、背を向けて聞いていた、というエピソードも実直な馬生らしくて面白い。 以下最後の部分引用: 霧が立ち込めて、町の灯色(”あかり”?)が青ずんで見える晩が、戦前の東京には幾晩もあった。そういう秋の夜は、なんとなく人なつこい気分になる。ひとつ、寄席へ行ってみるか、ひょいと、そんな気が起きたものだ。(略)はねてから天ぷらそばで一杯なぞは、忘れられぬ味わいがあったものだが。 >>>永井龍男描くこの時代(永井龍男が1904年生まれだから1930年代のことと推測される)の方が、戦後の高度成長期より豊かだったように思う。 戦前の上方の寄席の女性従業員「お茶子さん」を讃えた桂米朝「寄席...

コーヒーを3回に分けて飲んでみる

 俺はコーヒーをネルドリップで ①全体にお湯をかけて蒸らす  30秒置く ②500円玉くらいの大きさの円を描いて少しづつお湯をかける お湯が引いたら 再び ③500円玉くらいの大きさの円を描いて少しづつお湯をかける お湯が引いたら ④真っすぐ真ん中にお湯をかける という4段階で淹れる。 今朝、上述の①+②、③、④と別々のカップに受けて別々に飲んでみた ①+②は濃い。うまいとも言えるが、濃すぎてて飲みにくい(エスプレッソに似てる?) ③は薄い ④にいたってはただのお湯に近い。 一番飲みやすく、また、うまかったのは①+②+③だった。ただし、①+②+③+④でも十分うまい。④の部分は水増しならぬ「お湯増し」とも言えるが、俺は今後も①+②+③+④を飲み続けるだろう。