徳岡孝夫著 完本 紳士と淑女 1980-2009 を読む
「紳士と淑女」より以下:
1981年4月号 イラン大使館占拠人質事件が解決後のイラン代理大使のレポート:
①イランの国民性は自己中心主義。自分の事だけが大切で、他者の観点を理解しようとしない。
②現在の生活に対する不安感から、目先の利益に走り、長い目で利害を考えない。
③見返りの善意を期待して、こちらが善意を見せても、無意味だ。
④交渉はいつ敗れるかもしれず、交渉担当者はその危険に対して身がまえよ。
>>これを揶揄して徳岡氏は「アメリカ人もそうじゃあねえか」と1981年の時点ですでに喝破している。これ、今、トランプが言ってるのと全く同じだ。俺はこうなるのは、イラン人でもアメリカ人でも同じだ、と信じる。「昨日より今日、今日より明日」と希望が感じられれば人間こうはならない。当時のイラン人はともかく、今のアメリカ人はアメリカ教とも言うべき「無限のフロンティアがあって、それを開拓していけば子供たちは自分たちより豊かになる」という信仰が崩れてしまった。絶望のあまり、「アメリカと戦争でもはじめてみっか」と思いつめて戦争始めた日本人もそう。中国人も同様のはずなのだが、中々共産党は倒れない。
1981年10月号 「原爆の図」が高校教科書から削除されたことに対する文部省への抗議に対して:
原爆は悲惨だ。それを投下したアメリカは許せない。なるほど、そうだ。だが「そういっただけではかたづかない問題」でもあるのだ。太平洋戦争を顧みて、日本人は原爆をしきりに言う。だが「真珠湾」を痛切に記憶し、安全のためには二度と相手に奇襲攻撃をされないことだと信じている人々も、この地球の上にはいる。日本人、自分の卑劣な行為を忘れすぎてはいないか?自分の傷のかさぶたを、人々の目の前に突きつけるだけでは、平和は来ないのである。
>>俺に言わせれば、ひどいことをされ許せないアメリカに素直に占領され、その後属国でい続ける日本のことも理解できない。また、真珠湾以外にも中韓に対して行った卑劣な行為も忘れてはならぬ。
1982年2月号に引用された芥川龍之介・侏儒の言葉 より:
「危険思想とは常識を実行に移そうとする思想である」
1982年6月号 フォークランド紛争ぼっ発に際し、「イギリス人、一致団結を」と叫ぶザ・タイムズ社説を受けて:
戦争というのは、人類の精神衛生のために、ときどき必要ではありますまいか。
1982年11月号 沖縄は見捨てられた、と言ういつづける沖縄の人に対して
本土決戦になっていれば、われわれも死ぬ覚悟だったのだ。互いに和解しようではないか。
>>これには反対。日本国は結果として満州、沖縄の日本人を棄民したのだ。この結果責任を天皇は取るべきだった。天皇が責任を取らなかったことが戦後日本を腑抜けにしたのだ。
1983年3月号 戸塚ヨットスクール事件について
親の愛情、理解、話し合い・・・大新聞が勧めるものはみんなやってみて、それでムダとわかったから、ヨットスクールに入れたのである。日本の大新聞の記者なら、たとえアウシュビッツに案内されても、ユダヤ人に向かって「ナチと平和裏に話し合い、理解し合いなさい」と勧告したことだろう。ある国立大学の精神衛生学の助教授が「専門知識がなく、経験が浅いのに、独断でスパルタに走り、行き過ぎを生んだと思う」(朝日新聞)と批評している。冗談言っちゃあいけない。研究所で本を読んでる助教授に、ナマ身の人間に関するどれほどの専門知識、どれほどの経験があるのか。
>>メディアは自分に都合の良いことを言う先生の所に行って都合の良いことを言わせ、「事実」として記事にする。SNSは第三者に聞きに行く手間を省いてウソでもなんでも拡散する。
1983年8月号 イギリス保守党のサッチャーの大勝利を受けて
サッチャーの行く所、労働党も自由党もバタバタと討ち死にして果てた。彼女の保守党にとっては38年ぶりの大勝利。(略)300万人もの失業者がいる国で、なぜ国有企業を次々民営化する首相に人気があるのか。その秘密は大新聞の論説委員や小賢しい評論家では把握できない。「指導力」というものを民衆が求めているからだ。女でありながら「女性は家庭に戻るべきです」と働く女性に冷たいのに、なぜ女性票が集まるか。それはタレント出身の才女ではわからない「指導力」というものを女性が求めているからだ。選挙後の内閣改造も、あざやかだった。「私はブッチャーではありません。しかしローストビーフの切り分け方くらいは知っています」そう言って、不用な閣僚を容赦なくない核から切り取ってしまったのである。
>>40年後のアメリカでも「指導力」を演出したトランプが大統領になる。サッチャーはEUには消極的だった。トランプも「みんなで仲良く話し合って」なんていうおとぎ話は嫌いだ。サッチャーはフォークランドを巡ってアルゼンチンと戦争した。指導力を演出して人気を煽るトランプの、関税や政府人員の削減など長期的に見ればアメリカ国民にとって必ずしも良いとは言えない政策は「指導力幻想」によって今のところ支持を得ている。4年後もまだ、指導力幻想は生き残っているか??イギリスの例に倣えば、サッチャーの反動で労働党が政権を取ることがあった。刺激が強すぎるトランプ流は1期4年しか持たないのではないか?
トランプは、人が死ぬのは嫌いと言っているが、「指導力を示すには戦争するしかない」となったとき、どうするだろうか?
1985年3月号 美濃部都知事死去を受けて
貴族院議員を父に、東大総長、文部大臣の娘を母にもったでエリートいながら庶民の味方。財閥の娘と協議離婚したあと、行官庁統計局長だったとき、秘書の女性と交際を始め、二十年間、家にも入れず籍も入れなかったのに女性の味方。(略)公明党の協力を得るべく池田大作と秘密裏に会談して「私は、池田さんの誠実な、礼儀正しい態度に強い印象を受け、偉大な宗教家であると同時に、偉大な政治家であると思った」由。青山葬儀所では、故人のあの猫なで声を流したという。「都政は私が人生の最後をかけた仕事でした。そのため、みなさんとともに汗した価値ある十二年間は、私の人生の思い出であり、誇りであります。」この「みなさんとともに」が、彼の都政のキーワードである。
>>>韓国の「ともに民主主義」・・・とっても、いかがわしい。これと同じくいかがわしいのが「寄り添う」だ。徳岡さん、かくのごとく、金持ちのエリートで立派な家に住み、女性蔑視するくせに猫なで声で「味方」とか「ともに」などと言う政治家を憎んだ。アメリカの民主党も、自分はエリートで金持ちなのに猫なで声で「貧乏人の味方」などと言っていたらランプに攻撃された。このような民主党を支持するメディアはフェイクだ、陰謀だとも。トランプは自分が金持ちで美人の女を奥さんにしていることを隠さない。おバカな一般ピープルに受ける喋り方、ふるまいで支持される。トランプは嘘をつく。その方が民主党の「嘘くささ」より受けた。だけどこれ、何年も長続きしないと思う。その反動が来るのがアメリカの民主主義だ、と期待しよう。
1985年10月号 甲子園高校野球を揶揄して:
今年もついに見られなかったね。あの夢の対決が。そう、甲子園の決勝戦。PL学園vs創価高校。人文字vs人文字。お守りvsお題目。朝日が例によって”良心のアリバイ稼ぎ”の社説。「甲子園には普段着で」で出場校の寄付金の高騰ぶりを嘆いてみせたが、有望選手を引っこ抜いてくる費用、セミプロ監督を抱えていく費用などを数えれば、億はとっくに突破しているはずだ。高校野球と言う”国民的祭典”に67年間も飼育されてしまった、かわいそうな日本人!それに寄りかかっているNHK!国鉄の始末が済み、日航が済んだら、やがて最後の親方日の丸族NHKの分割と民営化だぞ。
>>俺はNHKを含めて報道機関としてのテレビは信用しない。朝日だろうが、読売だろうが、一緒だ。報道が面白いか、好ましいかだけだ。ただし、ドキュメンタリーや芸能の映像など豊富なNHKはアーカイブとして捨てがたい。
1988年11月号 すでにファクトチェックが行われなくなったことを嘆いて:
ロンドンでタブロイド紙の記者連中と話した。なにより驚いたのは、最近では記事を書くときの倫理観が全く変わってしまったというのだ。一片の情報を聞きこんだとする。記者たちは、もはやその真実であるかどうかを確認しない。その情報をどこまでふくらませて書けば裁判でどれほどの慰謝料を請求されるかを素早く計算し、一方でその記事が新聞の売上をどれほど伸ばすか、広告収入をどれほど増やすかを計算し、プラスマイナスを測ってプラスの決算をする能力が記者に求められるようになったというのだ。名誉棄損であるかどうかは考慮の対象にならない。訴えられて裁判になっても判決が出るまでには1年か2年はかかるし、必ず敗訴となるとは限らない。むしろ裁判が揉めれば、それだけ宣伝効果が高まる。要するに儲けた者が勝ちだ、というわけだ。報道機関が正確な記事を伝えるのを身上とする時代は去った・・・そういう風に新聞を変えてしまった最大の要因は何かと聞くと彼は言下に答えた。・・・「テレビジョン」
>>30年以上前から、テレビがファクトチェックをやめさせた。そして今やテレビがオールドメディアと呼ばれるようになり、、、SNSは嘘か真実かなど無関係で、かつ新聞、テレビと桁違いの拡散力。そして拡散すれば大金になる。俺は情報の真偽は確かめるのが不可能とあきらめている。好き嫌いで判断するのみだ。つまり、好き嫌いの感覚を磨くのみだ。SNSがオールドと言われる時代には「情報」ってどう伝えられ、どう受け止められるのか?ますます金稼ぎの道具になるのか?
1991年8月号 中国の独裁(強権)体質を揶揄して:
あの国の5千年の歴史は桀・紂をはじめとする暴君の歴史である。いや、堯・舜すら独善の王たるを免れない。あれほど古くから文字と紙を持つ国が、一度も真剣に投票というものを考えたことがない。
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