「日本の名随筆・落語」 を読む
古くは1930年代、新しくは1980年代に書かれた落語に関する随筆を集めた「日本の名随筆 落語」を読む。
子どもの時から弟子入りし、師匠に厳しく(しばしば理不尽に)躾けられ、死ぬまで何十年間も芸に一身をささげ、芸を磨いた落語家たちが次々と紹介される。「今じゃあ無理だけど、昔はよかったねえ」という想いがにじみ出て来る文章が多い。中には、もろにそういう考えが述べられたものもある。
人権を無視し、ハラスメントにまみれた「修行」というものはそんなに悪いものなのか、改めて考えさせられる。人権を無視されようが、第三者から見ればハラスメントだろうが、本人がそれを望み、耐えようと言うのなら、それでいいではないか?(これを見聞きした第三者に不快感を与えるとややこしいが・・・)
この本に収録された随筆によると落語の全盛期は明治の末~大正の初めだったという人が多い。1910年前後だ。つまり、明治維新以降、よちよち歩きだった日本が日露戦争に勝って「坂の上」に上り詰め、第一次世界大戦のどさくさで坂を下り始めるまでだ。落語に限らず、日本絶好調!の時期だ。次は昭和30年代。文楽、志ん生、円生、小さん・・・敗戦から立ち直って高度成長が始まる頃・・・一方で昭和30年代には、赤線がなくなり、「もう花魁や吉原なんて語る時代じゃあねえ」とか「昔のような修行に耐える弟子はいねえ」と言われ始める。
昭和37年11月、脳溢血から復帰した志ん生を描いた東京新聞の記事を名文と紹介した永井龍男の「下足札」。この随筆、志ん生の話から最後は、最近寄席に行かなくなった、という話になる。なお、この記事の中で、志ん生の長男の馬生が心配で正視できませんと、背を向けて聞いていた、というエピソードも実直な馬生らしくて面白い。
以下最後の部分引用:
霧が立ち込めて、町の灯色(”あかり”?)が青ずんで見える晩が、戦前の東京には幾晩もあった。そういう秋の夜は、なんとなく人なつこい気分になる。ひとつ、寄席へ行ってみるか、ひょいと、そんな気が起きたものだ。(略)はねてから天ぷらそばで一杯なぞは、忘れられぬ味わいがあったものだが。
>>>永井龍男描くこの時代(永井龍男が1904年生まれだから1930年代のことと推測される)の方が、戦後の高度成長期より豊かだったように思う。
戦前の上方の寄席の女性従業員「お茶子さん」を讃えた桂米朝「寄席のお茶子さん」。以下引用:
(寄席の)従業員が高座の芸の進行にまるで無関心である。子どもが走っていようと、酔漢が騒いでいようと、演者が立ち往生するか、他のお客様が怒り出すまで何にもしようとしないようになってしまった。建物やお客が変わっても、少しでもよい条件のもとに少しでもよい芸を提供しようという姿勢が演芸場全体になけっればいけない。むかしのお茶子は立派なプロであった。気の働きがあった。袴をたたもうとするのに楽屋が混んでいれば、立ったまま袴をブラ下げてあらましの形を決め、ちょっと腰を掛けて自分の膝の上でその袴をキチンとたたんでしまうなんてことは、一つの芸であった。古いお囃子のばあさんや、ベテランのお茶子は駆け出しの芸人にとっては、また怖い存在でもあった。さりげなく、しかし実に的を射た批評をすることがある。私も古いお茶子に落語を褒められてすごくうれしかった記憶がある。しかし、前座でも演者は演者、お茶子はお茶子、そのけじめははっきりしたものであった。(略)どんなにくるくる忙しく働いても、決して騒々しくなかったのは、あくまで喋る芸、聞きこむ芸である落語の雰囲気を壊さぬように躾けられたからである・・・落語という芸は、こういった周囲の人々の気遣いによって育てられてきた芸なのである。
>>俺が会社に入った1976年、男女差別があった。女子総合職なんていなかった。女子社員はみんな「男子社員の補助」だった。しかし、彼女たちも上述のお茶子さん同様、男子によりよいパフォーマンスをさせようという仕事のプロだったし、芸もプライドもあった。それはそれで彼女たちは幸せだったと思う。確かに自分より劣った男が自分より偉くなったり給料が高い、ということには不満ではあったが、それはたまたま、そいういバカで劣っている男子がいるからであって、会社や社会の仕組みがおかしい、という風には考えない女子が多かったのではないか???それがますます男子はバカになり、女子はお利口になって、男女平等などと言い始めた。
閑話休題:
芸とは何か?スキルとの対比:
①芸に惚れて入門した師匠から厳しく(しばしば理不尽に)躾けられるもの
②師匠の教えを最初は守り、ついで破り、最後には離れて自分流に消化し、時には寝食を忘れ、一生をかけて追及するもの
③組織ではなく、一人一人の個性が反映されるもの
④誰がやっても同じではなく、一人一人の個性が反映されるもの
⑤客観的基準によらず、個人的・主観的・直観的に評価されるもの
これに対し、スキルとはマニュアルを守るものであって個性を消し、誰がやっても同じ結果をもたらすもの。マニュアルからの逸脱の少なさ、効率で評価される。
スキルならある程度客観的に評価できるが、芸は評価が難しく、被評価者と評価者で正反対になることもある。成果主義が導入された2000年前後の日本では、まだ個人の「芸」が仕事の成果を決定する大きな要因だったから、成果の評価は難しかった。これが成果主義が日本で破綻した一因だ。(もう一つの破綻原因は評価が気に喰わなければ転職するという習慣がなかったことだが)
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