何故デモなんかに参加するのか分からない

 文春オンラインに以下:

イギリス社会の分断と排外主義の高まりに斬り込んだ新著『それはどこでも起こり得る』が話題のブレイディみかこ氏と、近年の国会前での大規模なデモの牽引者として知られる、アクティビストのeri氏。初対面の二人が語り合った、SNS時代の新しい連帯の可能性とは?

>>俺の茶々。

総じていえば、デモなんかやらずに、集まってみんなが幸せになるにはどうしたらいいのか?アイデアを披露しあってみればいいんじゃあないか?二人(特にeriさん)は、デモってのが流行ってるからやってみようか、という感じだ。ふわふわしてる。ふわちゃんだ。いかにもイデオロギーもロゴスもない日本人らしい人だ。民主主義ごっこ・デモごっこだ。高市が嫌なら落選させて自分で政治すればよい。最近流行りの「自分事」じゃあないんだ。政治はあくまで早苗なり自民党という他人がするものなんだ。文句ばっかり言っていないで、自分が代わりに政治家になればいいじゃないか。

片やブレイディーさん、出羽守満載。

民主主義が好きなら、大正デモクラシー以降の日本の「民主主義」の歴史を学んだらどうか?そうすれば、今まで日本の「民主主義」が「骨抜きでめちゃくちゃでなかった」ことがなかった(=日本史上で民主主義なんてものが成立したことはなかった)ことが理解できるだろう。そしてどうすればいいのか、その方向性も何となく分かってくるんじゃあないか?それでもデモだけしていれば満足、と言い張るのなら何をかいわんや、だ。

メンバーの9割は女性」というデモ

ブレイディ 今回eriさんにお声がけさせて頂いたのは、とある女性誌の対談で「シスターフッド」が話題になったんですね。いま欧州では若い女性たちが社会の右傾化に危機感を覚えてどんどん左傾化していて、デモをやったり、アクティブに政治に声を上げるという話をしていたら、対談相手の方が「実は日本でも、いまデモを率いているのは女性なんですよ。eriさんという人がいて…」と教えてくれて。それでぜひお話ししてみたいと思ったんです。

eri お声がけいただいて、本当に嬉しかったです。いつもラジオなどでお声は聞いていたので、今日はお会いできるのをすごく楽しみにしていました。私たちは2022年頃から「WE WANT OUR FUTURE」という市民グループで活動を始めました。

 というのも、私が市民運動に加わっていく中で、旧来的なデモにはリスペクトを持ちながらも、実際に参加したときにちょっと落ち着かない気持ちになることがあったんですね。これだと、みんなが参加しやすい感じにならないな、と。

 だから、自分たちが何かプロテストをするときは、開かれたものにしたかったんです。「今日の夜、ご飯行こうよ。その前にちょっとデモ寄っていく?」って気軽に友達を誘えるようなデモにしたいと思って。いまメンバーの9割は女性ですが、私たちがコツコツやってきたことがみんなが感じている不安とつながって、今のムーブメントがある気がしています。

>>プロテスト、ムーブメント・・・嫌いな言葉だ。ごっこっぽい。

ブレイディ 私は、2015年頃に日本に滞在して様々な社会運動を取材したさい、当時盛り上がっていたSEALDsのデモを見に行ったことがあるんです。そこで驚いたのが、後方に続く大人のデモ隊には「6人一列に並んで進んでください」とか、ビシッとコールの練習まで指導する方がいて、まるで軍隊みたいだなという印象を受けたんです。イギリスのデモは、みんなでだらだら歩くという感じで、途中で入ってもいいし抜けてもいいし、アイスクリームを食べながら参加する人だっている。日本のデモって、こんなにも規律正しいんだと、びっくりしました。

eri そうだったんですね! 以前私は、グラスゴーで行われたCOP(国連気候変動枠組条約締約国会議)に参加したとき、ちょうどイギリスの市民運動で有名なエクスティンクション・レベリオンがロンドンでデモをするというので、現地に出向いて参加しました。

 みんなが音楽を聴きながら本当に自由に参加していて、色とりどりの旗が街中にはためいていて、私が日本で参加していたデモとは全然雰囲気が違った。バックヤードでもお手伝いしたのですが、高齢の方から若い方まで一緒に旗を作ったり、倉庫で作業をしたりして、みんなが時間とスキルを持ち寄って楽しんでいる感じがすごく良かったんです。

 その経験が、今の私たちのデモづくりに大きく影響していると思います。

なぜ左派がこんなにも広がらないのだろう?

ブレイディ イギリスのデモは、楽しくてゆるい感じですよね。eriさんは、ファッションとかにも関心が高くて、お洒落じゃないですか。日本だと運動でファッショナブルにしていると、「資本主義のしもべ」みたいに言われがちですよね(笑)。いまだに厳しい方もいらっしゃるから。

 でも、洋服も好きだし音楽も好きだし、それを政治とくっつけちゃいけないなんてことは決してない、というのを自然体でやっているのが、すごくいい。しかも女性がたくさん参加するムーブメントをつくれているのは、昨今の欧州で排外主義や政治的な混乱に対して、多くの女性たちが声を上げている流れにもつながっている気がします。

eri 新著の『それはどこでも起こり得る』ですごく面白いと思った部分のひとつが、「個人的なことは政治的なこと」という70年代フェミニズムのスローガンが、今はちょっと違う解釈ができるのではないかという考察でした。

私が感じているのは、SNSでも左派的な人が何か主張すると、それこそ資本主義的だとか、過去の発言と矛盾しているだとか、いちいち揚げ足を取られてしまうこともあったり。近しい思想を持つ同士でもそういう潔癖な厳しい目線があって、それはすごく発言の自由や、自分自身のあり方の自由を萎縮させていってしまっていると感じることがあります。

「なぜ日本では、左派がこんなにも広がらないのだろう」と普段から考えているのですが、“キャンセルされちゃう怖さ”が、右派にはなさそうなのに左派にはある。本当は「今日食べたご飯が美味しかった」「そうそう、あの政治家のあの発言を聞いた?」みたいな感じで、普段の生活の中で自由に話されていいはずのことが、特別視されているんですね。

 だからこそ、私たちがやっているような、楽しげなデモが広がっていくことで、「別にしゃべってもいいんだ」っていう緩やかなムードづくりが、抵抗するうえで大切な気がしています。

>>どうも、抵抗すること自体が「左派」の存在意義らしい。抵抗することで自己満足以外に何が得られるのだろう。抵抗し批判し非難することがリベラルの存在意義か?理解不能だ。抵抗する前に抵抗しなくて済むようにしようとは思わぬのか?左派・リベラルは、抵抗しなくて済むような政治になったら困るんだろうねえ。まあ、そうはならないと分かった上で抵抗を自己目的化してるんだろうけど。そんなことが許されるなんて麗しい民主主義。

「女性の休日」にみる歴史的な好例

ブレイディ そういう「互いを責めない緩やかさ」はすごく大切で、本書にも書きましたが、歴史を振り返れば、1975年にアイスランドで女性の9割がストライキをした「女性の休日」の例が示唆に富んでいます。デモの集会では、もちろん演説もあるのですが、みんなで歌ったり、演奏に合わせて詩の朗読をしたりしていて、参加者のわくわく感もすごかったと思います。

 女性の権利を社会的に訴えるため、最初にストライキをやろうと言い出したのは尖ったアナキスト系の若い女性たち、「レッドストッキングス」というフェミニストのグループでしたが、保守的な女性たちは「ストライキなんて共産主義者みたいで嫌だ」というんですね。

 でも彼女たちはとことん話し合いを続け、60代の中道的な立場の女性が「だったら女性の休日と呼べばいいじゃない?」と言って、みんなが折り合った。当日の集会でも、労働組合の代表から起業家、主婦まで、まったく違う立場の人が次々とスピーチをする。思想的には対立するはずの人々が、今だったらSNSで争いが勃発しそうな考えも発し合いつつ、それでも互いの持ち場をリスペクトして連帯できた奇跡的な事例です。

>>確かに奇跡だ。特に日本では。俺はとことん話し合うなんてことができるとは信じない。長時間にわたって自説を主張し合い、互いに譲らないということは可能だ。だが、それは「話し合い」ではない、単なる言い争い・パフォーマンスだ。子供の喧嘩だ。根っこに、自分以外に正しい者がいて、その声を聞こうという姿勢がなければ話し合いも議論も成り立たない。そしてそれは唯一神を信じない日本人には不可能だ。

eri まさにその記述を読んで、自分たちが気をつけていることと交差するところがありました。例えば憲法をテーマにしたデモでは、政治家にお願いするのではなく、市民の側や有識者の人にスピーチをお願いしましたし、いつもなるべく多様な意見が展開されるといいなと思ってお声がけをしています。

>>どうしてスピーチを頼むんだろう。自分たちで憲法を輪読すればいい。解説を聞くんじゃなく、自分自身の頭で徹底的に考える(遠回りでも)方が多様性なんて言う流行ものより大事だ。ホント、ふわちゃんだ。

 グループの中で私が仕事の特性上表に出がちですが、「みんなが代表であるし、誰もが代表でない」というスタンスで、有機的にグループが継続していくことを心がけています。

ブレイディ 70年代のアイスランドはまだSNSがないから、つながること自体が大変で、子育てのお母さんたちのグループや、漁村の婦人会のような草の根のグループ――つまり職場でも家庭でもないサードプレイスが互いにつながる糸口でした。eriさんは積極的にSNSを活用されていますよね?

SNS時代ならではの「自然発生的な」連帯デモ

eri はい。SNSが大きな分断を生んだり、対立をつくったりしているのを見ると、否定的な気持ちになりがちですが、同時に可能性も感じています。

 例えば、有志の方が「デモカレンダー」というウェブサイトを立ち上げてくださって、日本各地のどこで誰がいつデモをやるかが検索できて、サイト上の日本地図でデモがある場所が光って見えるんですよ。私たちがデモの告知をすると、そのタイトルに寄せたりして各地で連帯デモが起きます。私たちが主導したわけではないのに、多いときで47都道府県すべてで220カ所以上同時に人々が立ち上がったこともありました。

 実際、他の団体とは全くコンタクトを取っていないんです。でも誰かの活動が可視化されることで、私もやってみようという人が自発的に増えるのは、SNSがなかったら絶対に生まれなかった新しいつながりです。SNSは私たちが得た、大きな「ギフト」ではないかとも感じています。

ブレイディ それはすごいですね! 誰がリーダーかを決めず、自然発生的に集まったメンバーがおのおので役割を果たすのは、すごくレッドストッキング的だなと感じます。彼女たちは、中央集権的なトップダウンの組織構造を、家父長制と同じだと考えて嫌うんです。

>>中央集権的トップダウンが嫌い・・・戦うことができない組織だ。指示命令なしでどうやって戦い、勝つのだろう?勝ち負けはどうでもいい、負けてもいいなのかな?

 この発想は、大正時代のアナキスト・伊藤野枝のいう「ミシンの理論」にも通じています。ミシンは中央の司令部がないのに、隣の部位から隣へと各動きを伝えていって連動し、全体として協同してひとつの縫い物ができあがっている。だったら中央政府なんていらないんじゃないか、というのが彼女の思想でした。

>>中央政府なしがいい・・・正しく勝負を捨てた、戦うことをしないという発想。

eri そのミシンの喩え、私もすごく好きです。その意味でいうと、ミシンの一つひとつの部品が重要であるとも捉えています。私たちは一応デモを主催する側ですが、デモをつくっているわけではない。参加してくださる方々と一緒につくっているもので、参加者のペンライトの光の波をみると、一人ひとりが仕事や家庭の悩みを抱える中で、ここに来る決断をしていることがものすごく尊いことに感じられます。

ブレイディ eriさんたちのデモには、今まで全然参加したことのなかった人たちも多いそうですね。今の日本の状況を受けて、政治的にならざるを得ない理由を、それぞれが抱えているんだと思います。イギリスの場合、若い男性たちがマノスフィア的な思想で保守化していることへの危機感から参加している女性も多いのですが、日本の女性たちは何に一番、危機感を感じているんでしょうか。

>>政治的にならざるを得ないような危機感・・・俺が一番危機感を覚えるのはAIだ。AIが政治も征服するだろう。

eri この前の選挙のとき、「ママ戦争止めてくるわ」という言葉が流行りましたが、このまま軍拡が進んで戦争をする国になってしまうことへの危機感を持っている人は多いと思います。

>>日本はずいぶん長い間戦争していない。戦争の仕方を忘れた。アメリカの指示命令のもと、「戦争ごっこ」はできるだろう。自主的に進んで戦争することは多分できない。もちろん「巻き込まれる」ことはある。アメリカに命令されて侵略戦争に巻き込まれる可能性もゼロとは言わないが、一番可能性の高いのは他国から攻められて自衛することだろう。軍拡を進めないだけでは中途半端だ。つまり「極中」だ。自衛名目の戦争も含めて100%戦争できないようにするには、憲法9条を字義通り守って自衛隊も駐日米軍も全廃することだ。そしてお望み通り他国に負け、侵略されることだ。

 ただ、それぞれがこのままでは危ないと感じていても、日本人は何か一つの言葉で集まるのがあまり得意じゃないとずっと思っていました。でも先日、日本と韓国のデモを研究されているキム・キョンファさんのお話を伺う機会があって、「みんな韓国のデモはすごいって言うけど、日本もすごいんだよ」と言われたんです。「平和」や「戦争反対」で人が集まれる国って、実は珍しいことなんだと。

>>その通り!日本では民主主義(=みんなで政治を考え語ること)は定着しない代わりに、いつの間にか「平和があれば何でもできる!」に変わってしまった。そして「平和・戦争反対」が「安全第一」「顧客第一」みたいな空疎なお題目になった。なぜそうなってしまったのか?日本近現代史を学べば分かる。

 平和が揺らいでいることに危機感を抱いてデモに集う人たちがいるという事実に、改めて自覚的になれました。

ブレイディ 確かに平和を掲げるデモが大きく盛り上がるのは日本独特かもしれませんね。欧州で多い、労働運動のようなデモではないですから。

カルチャーの場から政治にコミットする

ブレイディ eriさんは、80年代カルチャーを牽引した古着屋「DEPT」の二代目オーナーでもあるわけですが、昔は服も、社会の問題にたいする抵抗のひとつの形でしたよね。じつは原宿にDEPTがあった頃、私の友達がそこでバイトしていたので、よく遊びに行っていたんですよ。

 音楽プロデューサーの桑原茂一さんが率いるクラブキングが、DEPTと一緒に青山に小さなお店を出したこともありましたよね。ラテン系音楽のイベントにぴったりな感じの古着が置いてあって、その店にも出入りしてました(笑)。

 こういうカルチャーの場から、デモを率いる人が出てきたというのが面白い。

eri 父・永井誠治が創業したDEPTは、2011年に一度すべての店舗を閉じたんですけど、私が引き継いで、2015年に中目黒で復活させました。父の代のDEPTも、古着屋なのに店内にステージがあって、音楽ライブをやったり原宿にクラブをつくったりと、音楽とファッションのカルチャーを融合した形でやっていたんです。

 まさに桑原茂一さんが発行していたフリーペーパー「freedom dictionary」は小学生の頃から読んでましたが、例えば六ヶ所村の原発廃棄物の問題をアーティストたちが真剣に社会に問うている。そういう発言をすごくかっこいいと思ったことが、私の原体験にあります。

 ファッションやカルチャーの側にいる人間が政治にコミットすることで、とかく政治的なものと距離を置きたがる日本の空気もきっと柔らかくできるはず、という希望を持ってもいます。

ブレイディ 私の世代やeriさんのお父様の時代もそうだと思いますが、今のような「音楽と政治を混ぜる」みたいな空気がまったくなかった世代です。「政治にコミットするのはかっこいい」というのが入口だった人も多かった。

>>ブレイデイさん、1965年生まれ。この人が若い時期、つまり1980年代って政治にコミットするのがかっこいいという考えは流行っていなかったんじゃあ?大概の人はバブルに浮かれてただけじゃあなかったか?

 音楽と政治の話でいうと、イギリスの場合、今パンク世代が右傾化してるんですよ。私もティーンの頃にパンクにのめり込んだ人間ですが、パンク世代って大人や社会の偽善が大嫌いです。そういう人は「リベラルの欺瞞が許せない」という気持ちが強いから、トランプみたいな右派政治家の“剥き出しの悪”は、むしろ正直で気持ちがいいと感じてしまう。隠れてコソコソやる偽善よりまだいい、という理屈です。

 トランプは「私がNYのど真ん中に立って誰かを撃ったとしても、有権者を一人も失わないだろうね」と豪語していますが、国際的な法機関が制裁を加えようとすると、露骨な圧力をかけ、自国を私物化するだけでなく、世界まで私物化しようとしているのは危機的状況です。

「めちゃくちゃな政治に抗議します」

eri 日本の首相はそんなトランプさんにずいぶん感化されていますが…。本書が指摘する、政治的なイデオロギーがなく、その時々で現状最適化をはかる「極中」政治は、まさに現在の骨抜きになった日本の政治状況そのものだと感じます。

 私たちが2月にやったデモのタイトルは、「めちゃくちゃな政治に抗議します」。高市政権が発足してからというもの、国会では与党だけでなく野党も本当に好き勝手やっていて、全体に右傾化しています。首相はろくに会見もしないし、国会で議論を交わそうとしない。民主主義そのものがないがしろにされ、もうめちゃくちゃです。

ブレイディ 結局、政治家が民主主義の理念・規範を守らなくてもいいと思っているということは、有権者が舐められているということなんですよね。今、イギリスで大躍進している右派ポピュリスト政党・リフォームUKは、移民を大量送還し、住んでいる人からも永住権を剥奪すると宣言しています。ヨーロッパの人権条約に入っている限りそれはできないから、脱退すればいいとまで言う。

>>日本人が骨抜きになったのは戦争に負け、占領されて以来だ。(占領の目的が日本を二度と戦争できない国にすること、つまり骨を抜くことだった)骨抜きも年季が入っている。イデオロギーがなく、理念・規範を守らず、議論しないでその時々で現状最適化をはかる「極中」政治はどこが悪いんだろうか?それ以外に日本人に何ができるんだろうか?民主主義、民主主義って言わずに、日本人が日本人を幸せにするにはどうしたらいいのか?考えるべきだろう。例えば、無政府がいいのなら無政府を目指せばよい。封建制でも帝国でも日本にあった様々な政治を研究するのも一興だ。誰が民主主義がいい、って洗脳したんだろうか?日本人にイデオロギー、つまりロゴスを求めるのは無理がある。国会で議論が成り立ったことなんてあったろうか?戦後民主主義は「ごっこ」だ、と考えられないか?占領後、その場その場でアメリカ様のご機嫌を取るしかなかったんだぜ日本は。有権者だけが舐められるわけじゃあない。有権者は権力者と舐め合ってる。アメリカ様の置き土産の、天皇と主権在民が同居する不思議な”民主主義”を80年間以上にわたり、小手先で器用に操って来れたのは、「極中」大好きな日本人にしかできない偉業だ。

 でもその条約は、移民だけを守っているわけじゃなくて、その国に住むすべての人の、公平な裁判を受ける権利や教育を受ける権利を守っているものなんです。それが取り上げられるというのは、尊厳(ディグニティ)を失った状態にほかなりません。今守るべきは、人より稼いでいるかとか民族的な誇りとかではなく、自分の基本的な人権であり、尊厳のほうなんです。

「暮らしの中から」社会は変えられる

eri 本当に同じことが日本でも起きていると思います。高市政権が進めた国旗損壊罪などもそうですけど、砂の城を少しずつ崩していくように、私たちの自由と権利を削りとっている。私たちの人権意識が薄い部分に、つけ込まれている。

 主権者は国民なのに「舐められてたまるか」とムカついています。ある意味、今の政権のひどさが、逆に私たちの運動を大きくするためのモチベーションにも繋がっていますね。

>>日本人に権利意識なんてあるのか?国民は主権者なのか?権利なんてそれこそアメリカ様が残したお土産だ。日本では天皇にだって権利なんてない。自由って何?天皇にだって自由なんてない。高市政権ごときを相手にしてちゃあ日本は変わらぬ。高市はめちゃくちゃだから代わりにこの人が、とか私が、という”ムーブメント”に何故ならぬ?プロテストするだけか?ムカつくだけならそこらの兄ちゃん姉ちゃんや「けしからぬおじさん」と同じだ。

ブレイディ eriさんの主導するデモは、私たちが生きている日常や友人関係からあまり飛躍しない、つまり暮らしの延長線上にデモを置いているのが、大きな支持を得ている理由のひとつだと感じています。

ご著書の『暮らしの中の小さな革命』は、世の中を変えたり社会問題を考えたりするのは、なにも私たちの日常から乖離したものではなく、「暮らしの中から」できることなんだと再確認させてくれる本でした。

eri 本を書いた背景には、「一人ひとりの個人がもつ力」というものを私たちは過小評価していないか? という思いがありました。選挙でも「私の一票なんて」と思われがちですが、デモをやっていて実感するのは、1がたくさんあることの大切さ。デモに参加する一人ひとりがいることで、国会前を埋め尽くす広大な景色はつくれている。だからこそ、個々の生活の中での気づきや、自分自身の中に起こる変化が重要だと思うんです。

 じつは私は、2019年に気候変動の問題を学び始めて、恥ずかしながらそこで、本当に地球環境が危機的な状況でタイムリミットが迫っていることを知ったんですね。「こんな大変な状況の中で、私に何ができるんだろう」と悩み抜いて、そこから自分のライフスタイルを見つめ直していきました。

 日本ではエコとかサステナブルというと、何かを我慢しなきゃいけない、生活の選択肢が狭まる、という窮屈なイメージが強いですが、自分で実践してみたら、全然そんなことはなかった。むしろ、自分が本当は何がほしいのか、本当に便利なものはなにか、どんな色のどんな素材が好きなのか、しっかり考えて選んだものってすごく可愛くて、長持ちするし合理性が高いんですよね。そうやって自分と対峙していると世界の見え方も変わってくる。これって革命じゃないかな、と思ったんです。

>>この人は、エコとかサステナブルなどという流行ものがなければ本当に欲しいもの、便利なもの、好きなものに気づかないでいた、と言う。しっかり考えて選ぶという事もしてなかったらしいが、「しっかり考える」ってことは「生きる」ことそのものじゃあないのか?エコとかサステナブルが廃れたらしっかり考えることもやめるのか?目指したい社会などと言う前にまず、自分がちゃんと生きなければ・・・

 だから一人ひとりの日々の行動こそが小さな革命だし、目指したい社会へと変える大きな革命にも繋がると信じています。

互いに共有する個の力を!

ブレイディ それでいうと、本にも書きましたが、英語のpowerは、同じ単語で、個々がもつ「~の力」(power of)も表すし、他者を支配する権力「~に対する力」(power over)も表します。だとするならば、個々の力がつながり、強まっていけば、やがて「~と共有する力」(power with)になる。互いに共有する個の力で、政治のあり方だってきっと変えていける。

 日本だと、個人の力と権力はまるで別物のように扱われがちですが、本当は地続きの、同じパワーなんですよね。

eri 本当に、一人ひとりのパワーが大事なんだよということを、今後もいろいろな形でシェアしていきたいと思っています。個々の小さな革命が集まって、デモカレンダーの光みたいに、日本列島がわっと光り輝く。小さな川が流れ込んで、やがて大きな海になる。そんなイメージで、私たちのパワーを社会の中で発揮していきたいですね。

 今日は勇気づけられるお話をありがとうございました。

ブレイディ こちらこそ、とても刺激的な時間でした。ありがとうございました。


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