與那覇潤の「勧進帳力」
2026年3月、イラン戦争開始直後に浜崎洋一、辻田真佐憲とした鼎談した與那覇潤の「勧進帳力」論が面白かった。日本人論だ。末尾に「勧進帳」のCOPILOTによるあらすじを掲載するが、ひと言でいえば、義経をみつけて捕まえるべき富樫が、義経が変装していると分かっているのに、弁慶の義経を守ろうとする忠義の心に免じて気が付かないふりをして見逃したことを「勧進帳力」呼ぶ。
我那覇は「勧進帳力」が「ごっこ」を免れ、成熟する力だ、と言う。これが、彼の改憲論に対する反論・揶揄につながる・・・憲法の言葉さえ変えればそれでよくなる、と思うのは「ごっこ」だ、と。今までの「解釈改憲」は勧進帳力で、憲法にどう書いてあるのか、なんて関係なく日本人は「解釈」で何とか現実に対応してきた。みんな憲法に書いてあることは現実とは矛盾すると分かっているけれど、それに気づかないふりをしてきたんだ、と。護憲も「ごっこ」なら改憲も「ごっこ」ではないか?と。
これに対し、浜崎は「日本国憲法は現実を無視してる。これでは誰も当てにせず、信じない。いつでも無視し、反することが可能。憲法は国民が無視したり、反したりできない言葉に変えるべきだ」と言う。
俺は浜崎派だ。単純に嘘が書いてあることが許せない。と同時に、與那覇の屁理屈も捨てがたい。確かに日本人は言葉(特に書かれた言葉)なんて大切にしない。
高市早苗に対する評価は3人とも「勧進帳力はない、そして歴史に学んでいる様子がない」で一致。だからこそ、脱戦後を任せられるんじゃあないか、と思われたんだ、と浜崎。
最後に與那覇が言った言葉も印象的。「日本人はアメリカの原爆も空襲も、天災だと思う。アメリカから非人道的な攻撃をされても、地震や台風にあった時と同じく、誰を怨むでもなく、責任を追及する訳でもない。ただ、『歯を食いしばって復旧しよう』とだけ考える」と。
閑話休題:
そもそも改憲論はコンプライアンスの考え方だ。つまり、勧進帳力論は、コンプライアンス、ポリティカルコレクトネス等々に対する反発・反抗でもある。
以下、勧進帳;
義経一行、山伏に変装して逃亡
兄・頼朝に追われた源義経は、家臣の武蔵坊弁慶らとともに奥州を目指し、山伏姿で安宅の関へ向かう。関守・富樫左衛門が一行を疑う
山伏に変装した義経一行を見た富樫は、義経が紛れているとの情報から厳しく詮議する。弁慶、白紙の巻物を“勧進帳”として読み上げる
東大寺再建のための勧進をしていると主張し、富樫に「勧進帳を読め」と命じられた弁慶は、白紙の巻物を即興で朗々と読み上げ、危機を切り抜ける。山伏問答でさらに疑いをかわす
富樫の問いに弁慶が山伏の装束や作法を的確に説明し、本物らしさを示す。最大の山場:弁慶が義経を打つ(打擲)
番卒が義経に似た強力(荷物持ち)を指摘し再び疑いが高まる。
弁慶は主君を守るため、あえて義経を杖で打ち据え、必死に「ただの荷物持ちだ」と装う。
その忠義に富樫は心を動かされ、一行の通行を許す。義経と弁慶の主従の情
富樫が去った後、義経は弁慶の機転を称え、弁慶は主君を打った罪に涙する。延年の舞〜飛び六方
富樫は疑った詫びとして酒を勧め、弁慶は酔ったふりをして舞を披露し、その間に義経を先に逃がす。
最後は弁慶が花道を豪快な「飛び六方」で退場し、物語は幕を閉じる。
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