巨人には前科がある(織田投手指名)

  1985年ドラフトで巨人は桑田を単独指名した。41年後の今年、巨人は横浜高校の織田を単独指名した。俺はこの指名は「出来レース」だと思ってる。つまり41年前の桑田と全く同じように、織田には大リーグと言わせておいて、裏で巨人単独指名→松井新監督発表→松井に口説かれて織田が心変わりして巨人入団というシナリオだ。松井新監督の発表をドラフトの翌日にセットしたのもこれで説明がつく。織田は「松井さんが監督として一緒にやろうなんて言ってくれるとは思っていなかった・・・」なんて言い訳するのだ。

こういうシナリオなら織田君も傷が小さい。(もちろん、数年後には大リーグ移籍が約束されている)松井もリーグ優勝できなくたって、織田を口説き落とした、という最低限の仕事(勲章)はできる。

41年前は桑田の陰で泣いた清原という犠牲者がいた。今回は清原みたいな犠牲者がいないだけ罪が軽いか?一番の犠牲者はドラフト会議の間に織田親子のドキュメンタリー?を放映したTBSだ。織田はあんなにシッカリ悩んだあと、「大リーグに行きます」とはっきり宣言したんだが・・・織田が巨人に入ったら赤っ恥だ。

以下、COPILOTの解説:

1985年のドラフト会議では、巨人は1位で桑田真澄(PL学園高)を指名し、他球団との競合は発生していません。 [bing.com], [nikkansports.com]

当時は「KKコンビ」と呼ばれた桑田真澄と清原和博が最大の注目選手でしたが、

  • 桑田真澄 → 早稲田大学進学希望を表明していたため、多くの球団が指名を回避
  • 清原和博 → プロ入りを希望しており、巨人入りを熱望

と見られていました。ところが巨人は清原ではなく桑田を1位指名。結果として桑田は巨人の単独指名となり、逆に清原には南海、日本ハム、中日、近鉄、西武、阪神の6球団が競合しました。抽選の結果、西武が交渉権を獲得しています。 [nikkansports.com], [ja.wikipedia.org]

ただし後年の証言では、ドラフト直前に他球団も桑田への指名を検討していたとされ、実際に桑田本人は「ドラフト当日に3球団から1位指名の連絡があった」と語っています。しかし本番ではそれらの球団が別の選手を指名したため、公式な結果としては巨人の単独指名になりました。 [ja.wikipedia.org]

このため1985年ドラフトは、「6球団競合の清原」と「単独指名の桑田」という対照的な結果になり、後に「KKドラフト事件」と呼ばれるほど大きな話題になりました。

桑田真澄はドラフト前、一貫して早稲田大学進学希望を表明していました。実際、ドラフト会議の4日後には早大の特別選抜試験を控えており、多くの球団は「桑田は進学する」と考えていました。 [ja.wikipedia.org]

そのため当時の予想は、

  • 桑田 → 早大進学
  • 清原 → 巨人入り

というものでした。清原本人も巨人入りを強く希望していたことで知られています。 [ja.wikipedia.org]

ところがドラフト当日、

  • 巨人が清原ではなく桑田を1位指名
  • 桑田は巨人の単独指名
  • 清原に6球団が競合

という予想外の展開になりました。 [bing.com], [ja.wikipedia.org]

さらにドラフト後、桑田は早大受験を取りやめて巨人入りを決断しました。そのため当時から

「巨人と桑田の間に事前の約束があったのではないか」

という“密約説”が大騒ぎになりましたが、決定的な証拠はなく、現在に至るまで真相は断定されていません。 [ja.wikipedia.org]

なお、後年の桑田自身の説明では、

「巨人から1位指名されたら入団するつもりだった。それ以外なら早稲田へ進学するつもりだった」

という趣旨の発言をしています。 [ja.wikipedia.org]

つまり、表向きは「大学進学希望」で間違いありません。ただし結果としては「巨人から1位指名された場合だけはプロ入りも考えていた」ということになり、それがKKドラフトをめぐる現在まで続く論争の中心になっています。 [ja.wikipedia.org]

閑話休題:

阿部前監督はどうなるんだろう?せめて球団役員くらいで雇ってあげたらどうか?(助監督でもいいか?)

元NHKアナの廣瀬智美は巨人軍に転職したんだから、松井新監督の記者会見の司会くらいやったらどうか?」


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