保坂正康「近代日本の地下水脈 Ⅰ」は”すかしっぺ”
保坂正康「近代日本の地下水脈 Ⅰ」の”はじめに”に、なぜ日本は太平洋戦争を始め、敗戦に至ったのか?なぜ「玉砕」「特攻」といった無謀な作戦で多くの人命を失ってしまったのか?・・・私が昭和史の研究に携わるようになったのは、こうした謎を解明したいとの強い動機からであった・・・とある。期待したが、単に史実を書き連ねるだけで、「どうしてそうなったの?」についての解説は語られない。朝日と全く同じ。強いて言えば、「戦争で金を稼げると考えた軍人がテロを利用して日本を乗っ取り、国民を戦争の消耗品と考えたからだ」というのが答えらしきもの。俺が、そしてほとんどの読者が知りたいのは、どうして「軍人はそうなったの?」「天皇以下国民の多くはそれに抵抗しだはずだけどなぜうまく行かなかったの?」だが、答えはない。つまり、とっても浅いんだ。俺は、軍人が戦争で勝てば儲かると考えたこと自体は間違っていないと思う。間違えたのは「勝てないと分かっている戦争」をしたことだ。その結果、金や人命をたくさん失ったことだ。俺は「鶴田浩二・藤純子・高倉健演じるヤクザの殴り込みと同じだ」と考える。鉄砲持って待ち構える敵に2,3人で刀を抱えて殴り込んで行く・・・日本人だから勝てるわけのない戦いに挑むのだ。意地、義理etc・・・命より大事なのだ。
本書の後半、最近の”保守”を自称する論客の「親米保守」に対する批判が出てくる。これに乗っかった安倍政権や高市政権が馬鹿だ、ダメだ、と言いたいらしいが、俺は安倍にしろ、高市にしろそんな馬鹿じゃあないと思う。アメリカだって日本人の一方的な追随を望んでいない、とおしゃるが、じゃあ、実際、どうしろ、って言うの?・・・保坂さん、答えてくれない。朝日と全く同じ。「けしからんおじさん」だ。俺はアメリカは現状維持を望んでいると思う。日本が少しでもアメリカから独立しようなどと言うそぶりを見せたら徹底的に叩き潰すだろう。アメリカはとっても臆病な国だ。日本がアメリカから独立したらアメリカに歯向かうかもしれない、アメリカはそれが怖い。それを忖度して日本はアメリカに対して独立のドの字も見せてはならないのだ。となれば日本の首相は「親米保守」「アメリカ追従」を満面の笑顔でアメリカ大統領に伝え続けなければならない。これが外交上の儀礼だろう。日米関係をどう変えるつもりかなんて、仮に考えていたって軽々に身内にも言えない。アメリカはこれに対する監視、防諜は熱心に行っているだろう。アメリカから独立するってことは現実問題、どうやって検討し、計画実行するのか、絶望的に難しいのだ。
日本独特の「専守防衛論」を磨き上げ、一個の軍事哲学に昇華することができれば・・・とおっしゃるが、じゃあ、保坂さん、昇華して見せてよ、と期待しても答えはなし。そもそも専守防衛とうたっておいて予防的に他国を攻めるのが近代戦争の常道だ。つまり、防衛と侵略の間にに線なんて引けないのだ。哲学じゃアなくて単なる屁理屈として専守防衛を語ることすらかなり難しいと思うが・・・俺は、①軍隊をもって「やられたらやりかえすぜ」か、②「戦争嫌いだから丸裸です。どうぞお好きなように攻めてください」の2択しかないと思う。
敗戦によって軍はなくなったが、国家社会主義的な経済の地下水脈は「官僚主導経済」というかたちになって戦後も長く続いている・・・とおっしゃる。これは国家社会主義を悪い、と言っているのか日本人には国家社会主義しかない、と諦めてるのか分からない物言いだ。俺は日本人には国家社会主義しかないと思う。民主主義も資本主義も日本人にはなじまない。それは「個人」が弱いからだ。個人の代わりに「家」が強い。「国という家」の家長が政治家で、家を切り盛りする孝行息子が官僚だ。その政治家・官僚のレベルが落ちているのが問題なのだ。戦後、「会社」という家を作ってそれに政府がやるべき徴税、治安維持、生活保障などを代行させた。それでは会社の負担が大きく、そんなことをしないで済む他国の会社に負け、会社は大きく変わり、政府に代わって行う業務にも差支えが出て来た。それをどう変えるのか?政治家・官僚がそこを考えるべきだが、彼らのレベルが落ちているせいもあっていいアイデアが出てこない。もちろん、政治家や官僚に頼らず、全然別の人たちが国家社会主義に代わるものを編み出しても結構だが、リベラルの皆さんのおかげで国を前提に個人の幸せを考えるということをしなくなって来た。
昭和天皇は「人間宣言」に、占領軍の原案にはない五箇条の御誓文を挿入したとある。この五箇条の御誓文は日本型民主主義のあり方を示した理念として優れたものとして紹介される。COPILOTによる現代語版:
- 広く会議を開き、公正な議論で政治を決めること。
- 身分の上下を問わず、心を一つにして国政を進めること。
- 官吏・武士から庶民まで、それぞれが志を遂げられる社会にすること。
- 旧来の悪習を改め、道理に基づく政治を行うこと。
- 世界から知識を求め、国を大いに発展させること。
公正な議論と道理は日本人には無理だ。逆に2,3,5は得意だ。
公正な議論は、「絶対神の元に万民平等」という基本思想の上に成り立つ。日本人は一人一人に神がいる。議論(実際は単なる意見の言い合い)は力負け、位負け、口先のうまさで決着がつくことはあっても、公正なものにはならない。公正さを装うために言いたいことを言いあった後に多数決で決めるだけだ。そして数の力で押し切るのが真正の民主主義だ。つまり、公正な議論などなくても民主主義は成り立つのだ。選挙で勝った者ん勝ちが民主主義だ。
道理は、普遍的な真実とか絶対不変の真理、つまり「ロゴス」に従うということだ。普遍的な真実とか絶対普遍の真理、つまり「ロゴス」とは唯一絶対の神様の言葉・教えと同義だが、日本人には唯一絶対の神はいない。人それぞれに神様がいる。しかも時と場合と都合によって神様が変わる。普遍とか絶対不変なんてありゃしないのだ。日本人にとって神様とは自分にとってご利益があるものなのだ。唯一絶対である必要もない。
保坂さんは、昭和天皇が日本にだって民主主義はあったんだ、と言いたかったから五箇条の御誓文を挿入した、とする。一方で保坂さんは触れてないが、昭和天皇は戦時中「政治家軍人に理で話す者はいない」と嘆いたと言われる。つまり、昭和天皇には「日本人には民主主義なんて無理」と身に染みて分っていたはずなのだ。結果、日本の戦後民主主義は五箇条の御誓文とはかけ離れた、随分と奇怪な代物になった。
「人間宣言が木に竹を継いだような違和感があるのは、国体護持と占領軍の考えが矛盾するからだ」、とおっしゃる。保坂さんなら分かっているはずだが、そもそも民主主義と天皇制が矛盾するのだ。これをそのまま飲み込む所に日本人らしさがある。日本人は矛盾結構なのだ。憲法第1条と2条は矛盾するし、憲法9条と自衛隊は矛盾するが、平気で何十年もほったらかしだ。占領軍は、日本人は憲法の矛盾に耐えられず、数年のうちに改憲するだろうと考えていたのではないか?それが一切手を付けられない。つまり五箇条の御誓文で言われている議論・道理が全く実現しない・・・そんな日本人に民主主義は無理だ。「お上」が家長のように面倒見なければ・・・
保坂さん、(明治維新の)志士たちは尊王攘夷の思想を自己の中で止揚することなく、目先の利害だけで開国したことで、その思想は未消化のまま残っていた・・・と言う。俺に言わせれば明治維新は先進諸国をやっつける(攘夷する)ために先進諸国の技術・思想を導入するという矛盾したもので、日本人は開国以来、「いつか攘夷してやる」と思い続けて来て結局攘夷に失敗した、と考える。戦争は攘夷そのものだった。保坂さんの言うような金儲けではなかったと考える。軍人が何故金、金と言ったのか?それはいつも不足する予算に対する反発・揶揄だ。税金から予算を取れないなら戦争に勝って予算にしよう、と。予算に限らず、軍縮思想、軍を馬鹿にし嫌う風潮には軍は危機感を感じ、反発し、「軍益」を守ろうとしたことは間違いない。加えて下剋上。飢えて苦しむ民百姓を救うのが天皇の仕事なのにそれをしない。しないなら俺たちが・・・そういう正義を振りかざす若い兵士に対し軍上層部は反論もコントロールもできなかった。むしろ彼らを励ますつもりで甘やかした。彼らを抑えつけたら軍をやめられる、という恐れもあったし、テロも辞さない若い兵隊を利用して軍の主張を通そう、という打算もあった。特に陸軍は戦場で部下から撃たれるという下剋上の恐れがあった。(海軍は船の操縦というガバナンスを要する技術が必要だった)それを抑止するためには部下と仲良くなって手なずける必要があった。
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