東洋経済、お前もか!?

明治から令和まで「教育をケチる国」日本…教員不足の原因は150年続く政府の「やりがい搾取」体質か?という記事を濱田 浩一郎が東洋経済オンラインに。

濱田 浩一郎は冒頭から最後まで「教師なんてなるもんじゃあねえ、ずっと冷遇されてきた」、ということを一貫して述べる。彼は教師不足をますます加速させ、できれば教師がいなくなれば良い、というつもりか?「問題だ、問題だ」とだけ言って解決法を示さない。末尾には
教育は、そして教員はなぜ長きにわたって軽視されてきたのか。その根本を見直し、職業としての魅力を回復させないことには、現代にも横たわる教育に関するさまざまな課題を解決することはできないだろう・・・と。100%リベラルだ。高橋純子だ。これを読んだ学生の子供を持つ親が子供が教師になることに賛成するか?万が一若い学生がこれを読んだとして「さあ教師になろう」と思うか?バッカじゃねえか。日本の教育をぶっ潰したい中国の手先か?俺は東洋経済ってリベラルじゃあない、と思ってきたが、がっかりだ。

以下、記事;

現在の教育界は、給特法や働き方改革の議論が絶えない。今や「過酷なサービス業」とすら称される教員だが、かつて「聖職者」とされていた時代は、本当にいい待遇だったのだろうか。そんなイメージがあるかもしれないが、実態はまったく違う。

日本政府は明治から令和に至るまで教育への投資を“ケチり”続け、現場に負担を丸投げしてきたのだ。150年以上も連綿と続く、教員の待遇の歴史と闇を振り返ってみよう。

「定額働かせ放題」の小手先改革?

2025年6月、公立学校に勤務する教員の給与や勤務条件の根幹を定めた法律(給特法)が改正され、26年から施行されている。

改正前の給特法では残業代を支給しない代わりに給与月額の4%を一律で支給する「教職調整額」という仕組みを採用していたが、それが教員の長時間労働の温床となっているということで改正された。

「教職調整額」は4%から10%へと段階的に引き上げられることになった。「義務教育等教員特別手当」(学級担任などの業務が困難な校務を担う教員に支給)も校務類型に応じて支給されるようになる。こうした施策により、教員の労働環境を改善しようというわけだ。

しかし具体的な改善内容は自治体ごとの取り組みに委ねられることになっているため、地域により、教員の働き方にバラツキが生じることも指摘されている。また働き方改革や残業代・手当をいくらか増やすということだけでは教員不足を改善できない可能性もあろう。

現代は「サービス業」と言われることもある教員。かつてはもっと尊敬される職業だったのでは、と思う読者もいるかもしれない。しかし、歴史を振り返るとそれはただのイメージにすぎないということがわかる。

名ばかりの「聖職」と餓死に追い込まれた教員の窮状

明治時代では、学校の教員は「忠君愛国の臣民」を育成するべく、高潔な人柄と高い職業倫理が要求された。教職は「聖職」との教員観が濃厚であった時代、教員は大いに尊敬され、さぞかし高額の給与を支給されていたと思うかもしれないが、現実はそうではなかった。

教員の身分は「待遇官吏」だった。具体的には「国家に対し忠実かつ無定量の勤務に服すべき公法上の義務を負うが、国庫から俸給を受けない等の理由により正式に高等官または判任官とされないが、その待遇を与えられる者」とされた。

待遇はそれほどいいものではなかった。教員は政府にとっては「行政機関の末端」であり、上意に従って忠実に働く者だったという見解も示されている。日清戦争や日露戦争などで日本の経済界は活性化したが、物価の上昇によって教員の給与は相対的に低下する。

弁護士や判事、医者などになると20〜80円(当時の物価水準から単純換算すると約30万〜120万円)ほどの月収があるのに、師範学校卒の教員は約9〜12円(13.5万〜18万円)ほどの月収だった。9〜12円ほどの月収は「巡査」並みと言われるが、巡査には制服・外套・靴などを現物(または一部は金銭)で支給する「給与品」の制度があった。教員にはそれもなかった。

そのため生活苦に陥りやすく、足りないお金は親戚などに借金するしかない、という苦境に立たされることも。内職として家庭教師をする教員もいたが、文部省は私宅で生徒を教授することは「生徒の心身発達上、生徒管理の公正上」問題があるとして、これを禁じた(1895年)。

家族がいる教員の中には生活苦により「父母妻子」は他人に哀れみを乞うか「餓死」するしかないとの窮状に陥ることすらあった。

経済苦に陥る教職が「卑賤視」される風潮で教員不足が加速

実は当時も教員不足が続いていた。学制発布(1872年)からの課題であり、転職する教員も多かった。教員の転職を食い止めようとして、府県当局は市町村に「年功加俸」を支出させようとしたが、歯止めにはならなかった。

教員の経済的な貧しさゆえ、「世人」(世間の人々)が教員を「卑賤視」する、つまり卑しい職業だと見なす風潮もあった。これにより、教員を志望する者が減る一方、明治後半になると就学率が伸びて生徒数が増えた。負のループは加速し、教員不足が深刻になった。

当時の教員も多忙であり、授業・教案作成、成績評価、掃除監督、入学式・卒業式や記念式の準備、保護者訪問に追われていた。毎日平均12時間以上の「勤労」を要し、休日には「強制的講習会」もあったという。

大正時代になっても状況は変わらず、小学校教員の不足は続いていた。物価の高騰はやまず、教員の増俸運動が各地で起こった。政府は臨時手当の出費を地方に強いたが(出費を渋る自治体もあった)、それで教員の生活苦は改善されなかった。

1927年の金融恐慌、そしてそれ以降の不景気は教員の待遇を極度に悪化させる。昇給増俸の見合わせ、旅費手当・住宅料が廃止された。そればかりか地方によっては教員が大量に「整理」(解雇)、「異動」させられる。整理を苦にして自殺する教員もあった。都市部では町会が教員の住宅手当の廃止をしたとして、保護者が反対運動を起こすこともあった。

手当の問題だけでなく、町村財政の窮迫の影響で教員の給与の支払遅滞や不払いも起きた。そうした状況であるにもかかわらず、急激な人口増加によって、都市部では教室不足と教員不足が重なり、午前と午後に80人ずつの児童を担当させられるという恐ろしい状況もあったそうだ。

「バイト」で食いつないだ戦後と令和の問題

敗戦までの教員の待遇は、このように受難続きだったと言える。明治時代からずっと教員の給与や待遇は軽視されてきたのである。それは戦後になっても長く変わらなかった。1950〜60年代、教員の生活苦を象徴する言葉として「三ト」(アルバイト・プレゼント・リベート)が広まり、これをなくそうとする「三ト追放運動」が教育界で展開された。

給与だけでは暮らしていけず、教師は夜に家庭教師(アルバイト)をしたり、生徒に特別に授業をして保護者からプレゼントをもらったり、教科書業者からリベート(キックバック)を受け取ったりすることが常態化していたのである。

冒頭に記した給特法は1971年に成立した。休日勤務手当や時間外勤務手当などを支給しない代わりに給料月額の4%を教職調整額として支払うものだが、これにより、教員の給与が公務員一般よりも少しよくなり、前述の「三ト」から抜け出せたと言われている。

 給特法は今では「定額働かせ放題」の状態を作った根源のように非難されているが、当時はおおむね歓迎されたという。また1974年にはいわゆる「人材確保法」が制定され、教員給与は大幅に引き上げられた。本法の制定により教員=安月給とのイメージは一掃され、教員の志望者は増加する。

もっとも、この待遇改善も長続きしたとは言いがたく、1980年代以降は再び相対的な給与水準の低下が指摘されるようになる。日本の教育行政は、待遇改善と据え置き(実質的な切り下げ)を繰り返しながらも、長期的な投資水準の低さという基調は変わらなかった、というのが実態に近いだろう。

そして今また、教員志望者が減少してきている。長時間労働に加え、学校や教師に過度な要求を突きつける保護者、いわゆる「モンスターペアレンツ」的な事案の存在も指摘され、対応のために弁護士を入れる学校も出てきているほどだ。教師が精神的に追い詰められることも少なくない。

明治から令和まで「教育をケチる国」日本

以上、明治時代から軽視され、待遇が悪かった教員の立場を振り返ってきた。教員は高潔な人柄や高い倫理観が求められる一方で、経済的な貧しさから世間より卑賤視されることもあった。また教員の過重労働や教員不足は明治期から続く根深い問題であった。

データを見ても、OECD(経済協力開発機構)の調査「図表でみる教育2025」によると、23年、日本は公的な支出のうち教育費(教員の給与や教育施設の設備費など)の占める割合は8%。加盟国37カ国の中で、4番目に低い水準であることが判明している。そして、日本の初等教育の教員初任給(24年)もOECD平均の4万4153ドルを大幅に下回り、3万4863ドルとなっている。

つまり、明治から令和まで日本政府は教育(教員)を国家の未来を支える最重要の「投資対象」ではなく、 いかに安く、効率よく維持するかという「コスト(経費)」として見ていたということではないか(もちろん、明治の教員と令和の教員を比較すると、その待遇は大幅に改善されていることは事実であるが)。

教育は、そして教員はなぜ長きにわたって軽視されてきたのか。その根本を見直し、職業としての魅力を回復させないことには、現代にも横たわる教育に関するさまざまな課題を解決することはできないだろう。

コメント

このブログの人気の投稿

IQ188という記録で注目を浴びた太田三砂貴(おおた・みさき)さん

”関口宏の一番新しい近現代史”を見る

朝日にもちゃんとしたのがいる、かな?(有田哲文)