嗚呼、スポーツマンシップ!

 THE ANSWERに週末女子ゴルフで惜敗直後…一瞬映ったスポーツマンシップ 黄金世代28歳のさり気ない行動という記事。

一打差でプレーオフに出られず、プレーオフをグリーン脇で見守った勝みなみ。山下が優勝すると、大きな拍手で称えた・・・これが”スポーツマンシップ”だというんだが、別にスポーツマンシップなどと大騒ぎするほどのことじゃあない。それよりスポーツマンシップって男女差別じゃあないの?と、COPILOTに聞く。答えはややこしい。無難なのはやっぱりスポーツパーソンシップという言い方?バッカだ。女は男に差別され、搾取されてきた、貧乏人は金持ちに差別され、搾取されてきた・・・マルクスの発明した、この馬鹿馬鹿しい僻み根性は俺には理解できない。
COPILOTの答えは以下:

結論だけ先に言うと、スポーツマンシップそのものは男女差別ではない。 ただし、歴史的に「スポーツマンシップ」という概念が男性中心で作られた結果、男女差別的な運用や価値観を伴ってきた時期がある──ここが論点になる。

🎯 一言でまとめると

  • 理念そのものは中立(公平・尊重・誠実)

  • 歴史的背景は男性中心(男性の騎士道・武士道・軍事文化がルーツ)

  • そのため、女性のスポーツ参加が軽視される場面が生まれたことは事実

  • 現代のスポーツ倫理は「スポーツマンシップ」よりもジェンダー平等を重視する方向に進化している

🧩 スポーツマンシップの起源(ここが男女差別と結びつくポイント)

スポーツマンシップは19世紀のイギリスで形成された価値観で、 もともとは 上流階級の男性の「紳士道(gentlemanly conduct)」 が基礎。

  • 男性の騎士道

  • 男性の軍事訓練

  • 男性の社交文化

  • 男性だけが参加できたスポーツ(クリケット、ラグビーなど)

つまり、「スポーツをする主体=男性」 が前提だった。

ここから「勇気」「強さ」「フェアプレー」「名誉」などの価値が生まれたが、 当時の社会では女性は「観客」「応援」「家庭役割」に押し込められていた。

🧨 では、どこが男女差別につながったのか?

1. 歴史的排除

女性は長くスポーツ競技から排除されてきた。 オリンピックで女性が参加できたのは1900年からで、当初はわずか22名。

2. 価値観の偏り

「男らしさ=強さ・勇敢さ・沈黙・痛みに耐える」 こうした価値観がスポーツマンシップの中に組み込まれた。

結果として、

  • 女性の感情表現が「弱い」とされる

  • 男性の無理な根性論が正当化される

  • 女性の競技が「本物のスポーツではない」と扱われる などの偏見が生まれた。

3. 制度的な差別

  • 女性の競技は賞金が低い

  • メディア露出が少ない

  • 男性中心の指導者層

  • 「女子は危険だからやらせない」という禁止

これらはスポーツマンシップの理念そのものではなく、 男性中心のスポーツ文化が作った構造的差別

🧭 現代のスポーツ倫理はどう変わった?

現代では「スポーツマンシップ」よりも 「スポーツパーソンシップ(sportspersonship)」 というジェンダー中立の概念が広がっている。

  • 公平性

  • 尊重

  • 包摂性

  • 安全

  • 多様性の尊重

つまり、スポーツマンシップは「男性中心の歴史を持つ古い言葉」で、 現代のスポーツ倫理はもっと広く、ジェンダー平等を前提にしている。


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