與那覇潤「日本人はなぜ存在するか」
與那覇潤「日本人はなぜ存在するか」を非常に面白く読む。2024年に出された本だ。最近では珍しく一気に読んだ。
タイトルはの「なぜ」は誤解されやすいが、「何のために」ではなく、「どういう事情、経緯」でといった意。つまり、日本国籍があれば元外人でも日本人だよね、とか日本人の両親から日本で生まれても外国人になることがあるよね、と言った類の話から説き始める・・・日本人もそうだけど、法だろうが金だろうが「みんな(多くの人)がそう決めてるからそうなってるだけ」という事を再認識させてくれる。相対主義だ。日本人だろうが、金だろうが、法だろうが、「みんながそう決めてる」というフィクション・信用を失えばとたんに無力になるぜ、ということ。
さて、最後の方でフランスの哲学者リタールという人の「大きな物語の終焉」説を持ち出す。(以下抜粋)
例えば近代に普及した資本主義や社会主義や民主主義は、「経済は無限に成長し誰もは豊かになる」「前衛党の指導で階級なき社会を実現する」「みんなで話し合えば最後は分かり合える」といった物語を語ることで、人々の支持を集めてきました。しかしいまやそんな話を真顔で語ったら、アツいどころか「イタい人」だと思われてしまいますよね。結果として人々はあたかもパロディ映画の原典に対する態度と同様、万事につけてシニカルな姿勢を示すようになる。照れ隠しのためにつける顔文字のように「・・・ナーんちゃって、テヘっ」と添えないと自分の価値観を語れなくなるのです。
リオタールがこの概念を打ち出した1979年は、正に近代に信じられて来た物語が、その信頼性を失いつつある時代でした。イギリスではサッチャー政権が新自由主義という、資本主義下での格差拡大を前提とした経済政策を始め、一方でソビエト連邦はアフガニスタンに侵攻し、社会主義もまた帝国主義でしかないことを示しました。イランではイスラーム復興を掲げた革命が成功し、あたかも前近代の宗教社会に逆戻りするかのような動きが生じていました。
>>もう40年以上前にすでに資本主義や社会主義や民主主義は「・・・ナーんちゃって、テヘっ」の存在だった。(つまりオワコンだった。)さすがに社会主義だけはソ連崩壊という事実によってオワコンと確認され、力を失った。一方で資本主義や民主主義はそれに替わるものが見つかっていないから、まだ臆面もなく「・・・ナーんちゃって、テヘっ」なしに語る輩が多く生き残っている。俺も資本主義や民主主義はオワコンだとは思うが、だからどうすればいいのかとなると、「もう年取ったから関係ねえ、知ったこっちゃねえ」だ。テヘっ。
閑話休題:
中国韓国では、結婚しても妻の姓は変わらない。妻は子を産むための「外の者」という扱いで、生まれた子は全て父親の姓を引き継ぎ、結婚しても変わらない。日本では父母の姓というより「家」があって、結婚するとその家族は全員、家名を苗字とする。どうして日本だけ父親の血統でなく家に拘ったのか?不思議だ。平安時代などは藤原氏は娘を天皇に嫁がせ、生まれた子を自分の家で育てた。父や母個人ではなく、「家」の方が重い。
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