嗚呼、朝日新聞!
朝日に「メディアが報じない」と反発が広がる背景に何が 有識者2氏に聞く 聞き手編集委員・田玉恵美として以下:
ジャーナリスト・小林和樹さん
――「メディアが報じない」という批判の盛り上がりをどうみていますか。
「一口に『報じない』といっても、理由は様々だと思います。取材すべきなのにしていないこともあれば、取材しても事実と確認できない場合もあるでしょう。取材した上で報じるべきではないと判断することもある。大前提として、そうした違いがあまり伝わっていないように感じます」
――最近目立つのは、先行した週刊誌など一部の媒体の報道を新聞やテレビが「追いかけない」ことへの反発です。
「自分の興味や主張と合致する事象は、メディアも報じて当然だ、との声が増えているのを感じます。報道機関はそれぞれ独自に事実かどうかを確認し、各社の判断で報じるかどうかを決めますが、そうした背景を説明してこなかったことも影響していると思います」
「一方、報道機関では、捜査当局や行政機関に頼らず独自に調べて記事にする意欲や機会が減っている気がします。公式発表されていない情報は事実確認のハードルが高く、報道するまでの労力も大きい。ネット発の情報が爆発的に増え、取材を要する話題も増えている。毎日のニュース発信に追われる中、どれだけ取材に時間がかかるのか、そもそも記事になるのかさえ見通しがつかない情報に対して二の足を踏み、取材してみようという感度が下がっているように見えます」
――SNSや雑誌に出ている情報をメディアが報じないことが大きく注目され、テレビや新聞がSNSに負けた、と言われた兵庫県政の問題では渦中におられました。
「知事選の少し前まで、NHK神戸放送局で報道部門の責任者でした。従来の報道が通用しなくなっていると実感しました。たとえば問題の発火点となった2024年3月の記者会見で、斎藤元彦知事は、自身らを告発した幹部職員について、『うそ八百』『事実無根』と強い言葉で非難しました」
「NHKは、この日は記事にしていません。当時の県政の内部状況を知っていたので、告発内容には一定の事実が含まれると考え、会見に違和感があったからです。幹部職員に直接取材もできておらず、知事の一方的な主張だけを放送するのはためらわれました」
――朝日新聞は翌日の地域面で、知事らを誹謗(ひぼう)中傷するような文書を職務中に作って流布した疑いがあり、懲戒処分の可能性が高い不適切行為が確認されたため、県が幹部職員の退職を取りやめたと伝えました。
「退職の取りやめもニュースなので、朝日は疑惑の段階であっても報じるべきだと考えたのでしょう。報道機関ごとに報じるか、報じないかの判断が分かれるのは当然です。NHKには『NHKで放送されたのは〝疑惑〟ではなく〝事実〟だ』と視聴者に思われたい意識がとても強い。知事の発言と告発内容の、どちらが事実か示せない段階で、報じるかどうかは難しい判断でした」
「ただ、今は会見が生中継されて情報が駆け巡り、報じていないという事実だけが独り歩きする時代です。事実確認ができていないと留保をつけつつ、NHKでも会見当日に記事を出す方法をもっと探るか、記事にしなかった理由を何らかの形で伝える努力をすべきだったのではないか。振り返ると反省があります」
――今年6月、高市早苗首相の陣営による中傷動画疑惑を週刊文春に続いて共同通信が報じた際、朝日新聞は「(自分たちも)取材を申し込んでいるが、実現していない」と読者に説明する記事を出しました。過去にはあまりなかったことです。
「良いことだと思います。記者の仕事の内実は私たちが思う以上に知られていません。講演で話すと『知っているのに書かないこともあるんだ』と驚かれます。書かない理由、そして時には書く理由も記事にすることはきわめて重要になっていると感じます」
「一方、兵庫県の問題では知事が特産品などを『おねだり』したとの報道が一部のテレビで過熱しました。主観が混じった言葉で知事への非難をあおっていた。報じるべき事実を的確に評価し、どこに問題があるのかを含めて適切に伝えるという役割を既存メディアが果たせていなかった。そこに、SNSで虚偽情報が入り込む余地を生んでしまいました」
――新聞やテレビにもっとできることは。
「一つ一つをもっと丁寧に伝えることです。たとえば神戸地検が今年3月、内部告発した職員の私的情報が漏洩(ろうえい)した問題で守秘義務違反に問われた斎藤知事らを、嫌疑不十分で不起訴にしました。その日の報道の多くは、その事実を伝えるだけでした。その結果『知事は悪くなかった』という人たちもいます」
「しかし県の第三者委員会は知事の指示のもとに漏洩が起きた可能性が高いと結論づけています。地検と第三者委の役割の違い、それぞれの判断の根拠も合わせて伝えて初めて、有権者は何が起きたのか全体像を理解できるはずです。こうした小さな積み重ねを軽んじない姿勢が大切になっていると考えます」
「記者の仕事が世間からとても遠い存在になってしまっているのも大きな課題です。教育現場のほかアニメや漫画、ドラマなど様々な手段で、報道や記者の仕事の意味や役割を伝えていくことも必要ではないでしょうか」
社会心理学者・稲増一憲さん
――「メディアが報じない」との声が高まっているのはなぜでしょうか。
「今のSNS環境では、自分が関心のあるテーマについて、半ば陰謀論に近い情報に触れる機会が多くなっています。メディアが報じないのは『なにか裏の意図があるのではないか』と読み取る人がいるのは自然なことかなと思います」
「そうしたうわさが一部のかいわいで飛び交うことは昔からありました。今はSNSが陰謀論のような情報を信じる人たちの集う場所になり、可視化されているため、新しい現象のように見えているのでしょう」
――耳が痛い指摘がある一方、報じているのに「報じていない」、取材しているのに「取材していない」と言われることも多いです。書かないのは政権に忖度(そんたく)しているからだ、と頭ごなしに決めつけるような声もよく聞きます。
「自分にとって不可解な現実を解釈するために『メディアが報じないからだ』は、とても便利な言葉なんですね。選挙の結果がこんなことになったのはマスコミのせいだ、と言うのは非常に簡単なことですから」
「ドイツでも『強大なプロパガンダのせいでナチズムが横行した』といわれることがありますが、ドイツ国民にとっては全てをメディアのせいにできるので非常に都合が良い。マスメディアさえしっかりしていれば政治を正すことができるはずだ、という願望が日本でも蔓延(まんえん)していることの表れなのだと思います」
――新聞やテレビには「報道した内容がすべてだ」という意識が強く、その背景や判断理由を積極的に開示してきませんでした。外部からの指摘に対して「取材や編集の過程についてはお答えしていない」などと応じるのも通例です。不信を招く要因なのではないかと感じます。
「取材や編集のプロセスをブラックボックスにしないことはとても大切になっていますね。『取材した結果、この部分がこういう理由で検証できないから白黒がつけられない。現時点ではグレーだ』ときちんと伝え、有権者に受け入れてもらうための作業を軽視するべきではないと考えます」
「説明したところで、陰謀論にのみ込まれて勘繰り続ける人はいるでしょう。しかし、大多数の中立的な立場の人たちは、純粋に『どうなっているのか知りたい』と思っているはずです。その人たちを陰謀論の側に取り込ませないようにするために情報を出すことに意味がある。それに失敗し、多くの人たちが極端な主張にじかに接続するのを許して世論の分断を招いたのが、一昨年の兵庫県知事選だったのだと思います」
――マスコミ不信が高まり、SNSで炎上や批判も起きやすいため、メディア側の取材や報道が萎縮している面もある気がします。英国でも最近、記者の取材意欲や報道内容に影響が出ていることを示唆する調査結果が報じられていました。
「ジャーナリストがSNSを見すぎなんじゃないでしょうか。米国でこんな研究結果が出ています。SNSで政治的に対立しているのはごく一部の人たちなのに、SNSを見ているジャーナリストたちは、それが社会の縮図であるかのように偏見をもって記事を書く。そのため、実態より大きく社会が分断されているかのようなイメージが広がっている、というのです」
「マスコミをたたくこと自体が目的の人たちは、何があろうと、たたき続けるでしょう。でも全体から見ればごく一部の人にすぎないはずです。メディアがSNSの一部の声を過大視したら、道を誤りますよ。ことにリベラルなスタンスを持つとされる報道機関が、批判対象の人気を気にして報じていないと見られるとすれば、致命的です」
――メディア業界は自らの弱みを見せることに後ろ向きで、無謬(むびゅう)主義が根強いと言われてきました。それゆえ批判との付き合い方が未熟なのかもしれません。
「新聞もテレビも時に間違えるし、無限の能力があるわけではないし、完璧な存在ではありえません。それでも間違えたら訂正して検証する義務や仕組みがあり、相対的には信頼度の高い情報を発信している。有権者の声に耳を傾け、やるべきことができているか自己反省はもちろん必要ですが、やるべきことをやっている限りにおいては、もっと自信を持ったほうが良いのではないでしょうか」
「取材に基づく情報を多くの人に伝えるという社会的役割は失われていません。新聞やテレビの弱点を踏まえた上で、大多数の人から一定の信頼を寄せてもらう必要がある。そのためには今まで以上の透明性が求められています。マジョリティーの信頼を失ったら取り返しがつきません。重要な岐路にあることを認識するべきだと思います」
>>最大の疑問は、”報じない事件”として、兵庫県知事問題を取り上げておいて、辺野古女子高校生死亡事故を取り上げないのはなぜ?だ。
先行した週刊誌など一部の媒体の報道を新聞やテレビが「追いかけない」・・・俺は違う見方だ。保守と言われる産経が辺野古事件を頻繁に取り上げる一方で、リベラルと言われる朝日や毎日がほとんど取り上げないことだ。
報道機関では、捜査当局や行政機関に頼らず独自に調べて記事にする意欲や機会が減っている・・・100%同感。記者クラブで政府発表を右から左へ流すことをしてるだけだ。55年病と呼ぶ所以だ。
事実確認ができていないと留保をつけつつ、NHKでも会見当日に記事を出す方法をもっと探るか、記事にしなかった理由を何らかの形で伝える努力をすべきだった・・・同感。
内部告発した職員の私的情報が漏洩(ろうえい)した問題で守秘義務違反に問われた斎藤知事らを、嫌疑不十分で不起訴にしました。その日の報道の多くは、その事実を伝えるだけでした。その結果『知事は悪くなかった』という人たちもいます」・・・同感。事実に加え、主観を交えた意見をも記事にすべき。
――新聞やテレビには「報道した内容がすべてだ」という意識が強く、その背景や判断理由を積極的に開示してきませんでした。外部からの指摘に対して「取材や編集の過程についてはお答えしていない」などと応じるのも通例です。不信を招く要因なのではないかと感じます。
「取材や編集のプロセスをブラックボックスにしないことはとても大切になっていますね。『取材した結果、この部分がこういう理由で検証できないから白黒がつけられない。現時点ではグレーだ』ときちんと伝え、有権者に受け入れてもらうための作業を軽視するべきではないと考えます」
批判との付き合い方が未熟なのかもしれません。
・・・ここのところ、面白い。メディアは批判するばっかりで批判されるのに弱いって?背景や理由を述べるのが、つまり、丁寧に熟議することが、朝日が命の次に大切と言っている”民主主義”そのものだろう。これをしないのは独裁あるいは権威主義だ。朝日の編集委員様がそれを認めるところは面白い。田玉恵美に注目だ。
ことにリベラルなスタンスを持つとされる報道機関が、批判対象の人気を気にして報じていないと見られるとすれば、致命的です」・・・すでに致命的な段階
重要な岐路にある・・・オールドメディアは滅びる。滅び方を見たい。
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