安保闘争の二の舞?

 西部邁さん他何人かの60年安保闘争の参加者が「安全保障条約なんて読みもしないで『安保反対、岸内閣を打倒せよ』、などと言っていた」と証言している。

最近の「憲法改正反対」「戦争反対」も憲法を読まずに「高市を打倒しろ」となっている感じがする。

条約に反対するなら条約をちゃんと読んで、「ここがおかしいから、こう変えろ」、という「理」のある運動は日本では力というか勢いがつかない。「なんだかわかんねえけど、こいつのやり方は気に入らない」という運動の方が力を持つ。

かつてリベラルと呼ばれたりリベラルと呼ばれていなくてもそれなりに一目置かれていた発言力のあるインフルエンサーが最近、「高市(及びその一派)が気に食わねえ」と理由不明のこと(いいがかかり)を言っているのが不気味だ・・・例えば柄谷行人とか内田樹。まあ高市退陣程度でことが済めばいいんだが、それで勢いづいたおバカ連中が「革命」を目指したりするとややこしい。

ここで言う「革命」は暴力革命だ。ただし、現代の暴力はSNSやAIを使った暴力だ。

1950年代~60年代の日本の左翼活動、反体制運動は中ソ共産党から援助と影響を受けて勢いを増した。今、それに相当する外国の運動は何か?極右か、はたまたアメリカの反トランプの民主社会主義か?どうも影響を受けることはなさそうだ。国内だけでやっている限りは大したことにはならないかも。1980年以降ソ連はアフガニスタン侵攻で、中国は文化大革命(毛沢東)批判で、北朝鮮は経済の停滞~拉致問題で日本の左翼の足を引っ張るようになった。

以下、日本の戦後の左翼運動の歴史:

朝鮮戦争中、中ソの共産党から言われて日本共産党は日本から朝鮮戦争に出向いていた米軍や日本の”軍隊”を邪魔すべく、1951年に暴力革命を旗印にし、火炎瓶闘争などを始めた。その結果、共産党は選挙で負けた。1953年、スターリンが死に、朝鮮戦争も休戦となって共産党は暴力革命の看板を引っ込めた。これに失望した左翼の学生が1958年ブントを作って60年安保闘争においては過激・暴力的な運動に走ったが、これを見て闘争から降りる者もいた。安保条約は成立し、岸首相は退陣した。

安保成立を受けて挫折・失敗と受け止める者が多かったが、岸退陣をもって、闘争は勝利したなどと言う者もいた。首相は、岸から池田に代わり、池田は岸とは肌合いが違って戦争とか安全保障なんて野暮は言わず、経済・所得しか言わなかった。日本は高度成長の軌道に乗った。

70年安保では、当時大学生だった団塊の世代の連中が1966年に始まった文化大革命と毛沢東に憧れ、対立する者達を紅衛兵の真似をして吊るし上げたが、ますます応援する人がなくなって追い詰められ、仲間内で”総括”という名の吊し上げをしあい、殺し合って自滅した。これを見た人々の多くの左翼活動家は闘争熱が冷めた。一方で闘争という流行に乗っかった学生がいて、就職の時期になるとさっさと闘争ごっこから足を洗って就職した。

70年安保の時の首相は岸の弟の佐藤だった。55年体制に組み込まれすっかり民主的になった社会党、共産党は「闘争」より「平和活動」に力を注ぐようになり、過激な学生運動から離れ、日教組、自治労などの公務員の組合とくっつくようになったがその後、くっついたり離れたりした。

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