朝日・編集委員・岡崎明子の「自分事」への疑問
朝日・多事奏論に編集委員・岡崎明子が
ICC赤根所長と初日の出見た私 トランプ制裁「自分事化」する功罪と題して以下:
国際刑事裁判所(ICC)所長の赤根智子さんの記事を、食い入るように読んでいる。国際司法に強い関心があるわけではない。
36年前の年末年始、私は赤根さんと米フロリダ州の小さな街にいた。
当時、大学の交換留学生だった私は現地で友人と落ち合った。詳しい経緯は忘れたが、赤根さんもそこにいて、数日間を一緒に過ごすことになったのだ。
赤根さんは検察の仕事を休職し、アラバマ州の大学院に留学していた。10歳以上年上で、シャイな方だった。大学生と検察官とでは共通の話題もなく、それほど会話を交わした記憶もない。
ただ、人の気持ちに敏感な人だと感じた。私は友人との久しぶりのおしゃべりを楽しみにしていたのに、友人のルームメートも一緒で、会話はずっと英語だった。不満げな私に「日本語で話したかったのよね」と声をかけてくれた。
帰国後、しばらくは連絡を取っていたが、いつしか音信も途絶えた。それだけに2年前、ICC所長に就いたというニュースに心底驚いた。変わらぬたたずまいを目にした瞬間、フロリダで共に初日の出を見たあの朝がよみがえった。
以来、動向を気にしてきたが、トランプ政権の制裁にはショックを受けた。改めて昨年出版された著書を読み直した。
留学時代について「社会のいろんな側面を目の当たりにした結果、『アメリカ万歳!』と叫ぶ気持ちにはなれませんでしたが、それでも私はこの懐の深い国のことが好きになりました」「アメリカの制裁と対峙(たいじ)する現在でも、その気持ちは変わりません」とつづっている。
米国への留学がICCへのキャリアにつながった人が、米国から制裁を受けている。何とも皮肉な巡り合わせだ。
そしてふと思った。もし赤根さんを知らなかったら、私はこれほど関心を持ってICC関連の記事を読んだだろうか。
たぶん、読まなかった。
「またトランプがとんでもないことをしている」と、見出しだけ読んでスルーしていたに違いない。
だが、考えてみれば、私たちはたいてい、そうやって世の中を見ている。
友人ががんになれば医療の記事が気になる。わが子が不登校になれば教育の記事を探す。遠い場所で起きた災害も、そこで知人が巻き込まれていると知った瞬間、ニュースの見え方が変わる。
誰か一人の顔が浮かぶだけで、遠かった問題は急に身近になる。
私自身、家族をめぐる問題を取材することが多いが、きっかけは身近な人の一言だったりする。
個人の悩みを追ううち、同じ問題を抱える人が大勢いると気づく。社会問題への入り口は、案外そんなところにある。
「自分事化」という言葉をよく聞く。デジタルの記事づくりでも、自分に引きつけて読めるかどうかが重視される。
実際、その力は大きい。私も赤根さんを知っていたからICCの記事を読み、何が起きているのかを知った。
ただ、自分との接点を物差しにすることには、落とし穴もある。
赤根さんを知っているかどうかと、ICCへの制裁をめぐる問題の重要性は別の話だ。自分との関わりを重視しすぎると、大事な問題まで見過ごしかねない。
赤根さんと出会わなかったら、間違いなく、この原稿を書いていない。関心がなかったせいで、私はこれまで何を書かず、何を見落としてきたのだろうか。
>>これは、新聞屋の職業病とも言える意見だ。報道を職業にしていない俺は自分に興味がある記事しか読まない。読み始めても途中で投げ出すことも多い。この記事も「もしかしたら俺の嫌いな流行語『自分事』批判かなあ?」と感じて読み始めたら、批判に近い「疑問」だったから最後まで読んだ。
同じ問題を抱える人が大勢いる・・・結局、多くの人に読まれる記事を書け、ということ。朝日得意の「少数意見の尊重=少数の人しか抱えていない問題」はどこに行ったの?と揶揄したくなる。売れる記事を書くのか、売れなくてもいいから自分の書きたいことを書くのか?談志師匠が抱えていたのと同じ悩み。
自分に引きつけて・・・記者としては読者に自分事と思わせる書き方をしなくてはならない。そうしないと売れないから。
自分との関わりを重視しすぎる・・・記者としては当然の心得。距離感の取り方。
関心がなかったせいで、私はこれまで何を書かず、何を見落としてきたのだろうか・・・神様やAIじゃあないんだから関心のないことは必ずある。それが人間だ。朝日だってたくさんの記者を抱えて、「複眼」にしている。もっと言えば、世界には複数のメディアがあって無数のことに誰かが、どこかで関心を持つ・・・このくだり、すごく好感を持つ。朝日得意の上から目線ではなく、自分を下に置いている。岡崎明子に期待しよう。俺は、自分の関心が持てることだけに集中して突き詰めて調べて考えて、「自分はこう思う」を連発するようになってほしいんだが・・・そうしないと世界中にある無数の情報発信者の中に埋没してしまう。正しくなくていい、公平でなくていい。事実でなくていい。客観的でなくていい、たくさんの人に読まれなくていい。そんなことは諦めて、偏った主観を主張して欲しい。どうあがいたって、みんなフェイクなんだから。フェイクであることを自覚してフェイクを発信して欲しい。そう、俺が愛読し、なぎら健壱が歌っていた「東京スポーツ」のように。
閑話休題:
自分事って何だ?何故俺は嫌いなのか?もちろん、流行語だから嫌いってのはある。自分のことで精いっぱいで他人のこと、社会のこと、世界のことなんて考えられなくなっている、ということに気づいていますよ~という偽善的アピールだからか。他人のこと、社会のこと、世界のこと、明日のことに思いを馳せなくてはならない、というリベラルな強迫観念が嫌だからか。つまり、核廃絶と同じく、できもしないことを単なる格好づけのキャッチフレーズにしているからか?「欲しがりません、勝つまでは」的なスローガンだからか?
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