AERAの多様性
AERA DIGITALになぜ茶道は「型から入る」のか? 知るほどに奥が深い「作法」の真髄と題する記事:
型とは、「どうすれば相手に心が伝わるのか」を、先人たちが何百年も悩んだ末に完成させたもの。最初は覚えるのが精一杯の型でよいと思います。それを体得してなぞれば、型にこめられた思いが自然と自分のものになっていくのです・・・日本人のコミュニケーション・伝承の神髄。言葉を通さず型を通して心に伝える。「はじめに言葉ありき」の人にはわからない。グローバルスタンダードではない。
最初は見よう見まねでも、型を知って中身に気づくということをくり返すうちに、外に向けての行動と、自分の内にある気持ちとが一致して“自分らしい型”が形成されます。一度自分の型ができると、どこへ行っても自然体で動けるようになり、度胸がすわり、萎縮や緊張も少なくなります・・・意味、目的を考えるな、ということ。日本教の修行であり、信仰。言葉や理屈が先にあるトレーニングではない。下手すると型通りやることを自己目的化して終わる・・・
先に中身を得ようとしても、いれる容器がなければ・・・ここで言う「容器」とは「魂」のこと。この「魂」という容器をいれる容器が肉体。「一番大切なのは魂(の中身)であって、肉体は単なる入れ物だ」、という日本教の考え方は肉体とか生命を軽視する。「肉体も魂もセットで神様が作った」と考える一神教とは異なる。
こんな世界普遍的とは言えない(反理性的、つまり反リベラルな)考えを”リベラル”なはずのAERAで取り上げるのが面白い。
■自分の型ができれば度胸がすわる
茶道の作法と聞くと、「難しそう」「覚えることが多そう」と感じる人も多いかもしれません。けれど、その一つひとつの“型”には、相手を思いやる気持ちや心づかいが込められています。意味がわからなくても、まずは型に身をゆだねることから始めてみる。そこから、少しずつ自分の内側が整っていく感覚を味わえます。松村宗亮さんによる著書『あたらしい茶道』から、「茶道の作法」を紹介します。
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茶道の作法は先人たちが長い年月をかけて培った究極の“型”。すべての型になんらかの意味合いがこめられており、身につけることで自分の内面にも変化が生じます。
■知るほどに奥が深い茶道の作法
相手への気づかいや感謝の気持ちなど、目に見えない心の動きは、目に見える身体動作として実体化しなければ相手に伝わりません。そうした身体動作の完成形が“型”とよばれるものです。
茶道の学びは“型から入る”ことが多いです。「なぜ茶碗を回すのか」「なぜこの順番でおこなうのか」などという説明を一切せずに「いいからやりなさい」とひと昔前までは教えていました。賛否両論あるとは思います。早く身につくのはどちらかというと、頭で理論的に理解するよりも、実はとにかく教わったとおりに体を動かすほう。型が体に染みこむと、茶会で体が勝手に動くので、不測の事態があってもさっと対応できます。型とは、「どうすれば相手に心が伝わるのか」を、先人たちが何百年も悩んだ末に完成させたもの。最初は覚えるのが精一杯の型でよいと思います。それを体得してなぞれば、型にこめられた思いが自然と自分のものになっていくのです。
■自分の型ができれば度胸がすわる
お茶をいただく作法ひとつをとっても、亭主やほかの客への敬意がこめられています。最初は見よう見まねでも、型を知って中身に気づくということをくり返すうちに、外に向けての行動と、自分の内にある気持ちとが一致して“自分らしい型”が形成されます。一度自分の型ができると、どこへ行っても自然体で動けるようになり、度胸がすわり、萎縮や緊張も少なくなります。戦いの場に出る武将も、お茶で度胸をすえていたかもしれませんね。
■茶道の作法は「コップ」のようなもの
先に中身を得ようとしても、いれる容器がなければ手中におさめることはできません。茶道において作法とは、精神的な豊かさなどといった中身を得るための型ともいえるでしょう。
なぜ茶道は「型から入る」のか? 知るほどに奥が深い「作法」の真髄
先に中身を得ようとしても、いれる容器がなければ手中におさめることはできません。茶道において作法とは、精神的な豊かさなどといった中身を得るための型ともい
えるでしょう。
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