嗚呼、小倉監督!

Number Webに日大三高野球部元監督小倉さんへのインタビュー記事。


「イジメとかは絶対に許さない」と言い続けた日大三高・前監督が突きつけられた時代の変化と“知識不足”「自分がちゃんと指導できていたら…」

昨年、夏の甲子園準優勝を果たすも、今年2月、野球部員が女子生徒に不適切な動画を送らせたとして書類送検されるという不祥事に揺れた日大三高。対外試合禁止処分を受けたあと、今年はノーシードで西東京大会に臨んだものの、準決勝で敗退した。1997年から同部を率いた小倉全由氏は、3年前に監督を退き、事件に関わった生徒を直接は指導してはいないが、深い落胆と責任を感じているという。監督時代は体罰を徹底して排除し、選手の心身の安全にも細心の注意を払ってきたという小倉氏が、自身の指導方法を振り返る。

「イジメとかは絶対に許さない」

――日大三高は2025年8月に全国準優勝を遂げたあと、翌年2月に野球部内の不祥事(わいせつ動画拡散問題)が発覚しました。小倉さんは2023年に監督を退任されていますが、すぐに学校へ足を運ばれたそうですね。

小倉 ニュースを見て、「とんでもないことが起きてしまった」と思い駆けつけました。長くこの部に関わってきた者として、被害に遭われた方がいるという事実を重く受け止めています。

>>被害者って、動画を送れ、と言われて送った女子高生か?俺は被害者と言うより単なる馬鹿者、よく言ってお人好しのようにも見えるが…

――監督の三木(有造)さんはどんな様子だったのですか?

小倉 職員室へ行ったら、自分の席で小さくなって座っていました。目の周りに真っ黒なクマを作って。なかなか眠れなかったんでしょうね。周りの先生方も、どう声をかけていいかわかんない感じで。授業で教室へ行っても、針のむしろだったそうです。生徒たちが、みんな嫌な目で自分のことを見ているみたいで。中には「元気だしてくださいよ」って言ってくれる生徒もいたみたいですけど。

――小倉さん自身、3年前に監督を退いているとはいえ、この事件のことを聞いたときは相当ショックだったのではないですか。

小倉 「うちの選手に限って……」って思いがいちばん強かったですね。自分は監督時代から「イジメとかは絶対に許さない、大嫌いだ」ってずっと言い続けてきたんです。他校の暴力事件とかが新聞に載るたびに、朝のミーティングで部員たちに見せて「まだこんなバカなことをやってる学校があるぞ」って言っていましたし。三木に監督を譲ってからも、その精神は引き継がれていたと思います。だけど、今回の事件は、そういうこととはまた違った。責任逃れをするつもりはさらさらないんですけど、自分たちが時代の変化についていけてなかったんだろうなということを痛感しましたね。

――「時代の変化」とは、具体的にどういうことですか。

小倉 携帯の使い方ですよね。高校生が携帯を持っていたら、どんなことをしたくなるのか、どんなことができるのかという想像力が足りていませんでした。言い訳がましく聞こえるかもしれませんが、自分のイメージの中にある性の問題とは次元が違いました。昔、よく言っていたんですよ。「お前らが部屋で隠れてエロ本を見てるのはわかってる。それはいいんだよ、男なんだから。でもな、学校に行くときにそれをベッドの上に出しっぱなしで行ったら俺は絶対に許さない」って。それは、集団生活のマナーじゃないですか。自分も、布団の下のエロ本を探し出してまで、叱りつけるようなことはしませんでした。でも、今回の事件は、もはやそういう時代ではないということを突きつけられた感じがします。子供たちを守るためには、こちら側が知識を持たないとダメなんですね。ただ「おまえらを信用しているからな」という言葉だけじゃ何の防御にもならない。

>>「エロ本は読んでもいいがちゃんとしまっとけ」はやっぱり昭和だろう。懐かしい。

携帯電話は禁止していた

――ネット社会は、いとも簡単に犯罪に結びついてしまう気がしますよね。

小倉 画面の向こうから無限に情報が流れ込んでくるわけですからね。しかも、それをボタンひとつで、世界中に拡散できる。あまりに手軽なものだから、子どもたちも実はそれが法律に触れる犯罪で人生がひっくり返るような大ごとになるかなんてわかっていない。もちろん、自分たちもその実態や怖さを把握できていなかった。

――日大三高の野球部は、携帯電話は禁止していなかったわけですね。

小倉 いや、禁止していたんですよ。だけど、学校が授業用に全員にタブレット端末を支給しているんです。夜、自室でそれを開けば、なんでもできちゃうわけです。そこまでの制限はしていなかった。そこは学校が悪いわけじゃなくて、こちら側のミスです。自分が監督のときも隠れて携帯を持ってるやつはいたんです。そのときにスマホの怖さについて自分がちゃんと指導できていたら、こんなことにはならなかったと思うんです。

「これは家庭の問題でもある」

――事件が発覚した後、保護者説明会が開かれ、小倉さんも頭を下げたと聞きました。

小倉 自分が悪かったと、保護者の前で謝罪しました。責められることは覚悟していました。でもね、会が終わったら、お母さんたちが「私たちが頭を下げなきゃいけないことでもあるんです」って涙を流しながら言ってくれてね。

――保護者の方々は自分たちにも責任はあるんだ、と。

小倉 保護者会の幹部の方が、皆の前で言ってくれたらしいんです。「野球部に預けたからといって、学校側に全部問題があるわけではない。これは家庭の問題でもある」って。その言葉を聞いて、三木は楽になったそうです。日大三高は、ほんと、温かい親御さんたちに恵まれていると思うんです。それだけにこんなことになってしまって申し訳ないという思いが強いですよね。

おふくろの教え

――何かが起きたとき、保護者も指導者も互いに「こちらにも責任はある」と思える関係性を築いておくことは難しいんでしょうけど大事ですよね。

小倉 自分は最初の保護者会で、必ずする話があったんです。自分は20歳のときに父親を交通事故で亡くしているんです。センターラインを越えて走ってきた若い運転手の車と正面衝突して。お通夜の日に、その親が線香を上げに来たもんだから、自分ら男の3人兄弟なんですけど、みんなで「せがれ呼んでこい!」って。自分も相当、乱暴なセリフを言っちゃったんです。そうしたら、おふくろが怒ってね。「線香上げに来てくれた人になんてことを言うんだ。もし反対の立場だったら、私が線香を上げに行かなきゃならなかったんだよ」って。そう言われたら、自分も兄貴たちも何も言えなくなっちゃって。自分はそういう母親に育ててもらったことを誇りに思っていると話すんです。人を許す心を教えてもらったんだ、と。だから、先輩後輩で嫌なことがあったりしたときも、やられた方の保護者は一方的に相手を責めるんじゃなくて、少しでもいいから、うちの子どもにも悪いところがあったんじゃないかって考えてみませんか、って。「うちの子どもも悪かったんです」と言えれば、問題はそうそう起きないと思うんですよ。そうやって、みんなで一緒になって子どもたちを育てていきましょうよって言っていたんです。

>>俺のお袋より数段偉い母親。これも昭和の母。

日常生活からの見直し

――ただ、今回の事件は、その範疇を超えてしまった、という印象があります。

小倉 警察の方に「ネットのこういう問題はエスカレートすると、子どもを追い込んでしまう。だから、絶対にあっちゃいけないんです」と言われました。ネットがからむと、もう学校の生活指導だけで何とかできるものではなくなってしまう。事件に関わった部員は処分を受け、部としても3カ月間の対外試合禁止処分を受けました。ただ、被害に遭われた方が受けた苦痛を思えば、私たちの側が簡単に区切りをつけてよいことではないと思っています。三木からは、合宿所に教頭先生にも泊まってもらうなど、日常生活から見直していると聞いています。今回のことを深く反省し、二度と同じようなことを起こさないために何が必要なのか、我々も考え続けていかなければいけません。

 

「今の時代では足りないと思い知らされた」日大三高・小倉全由前監督が徹底した部員数制限、体罰排除…それでも見えなかった“現代の死角”


目が届かなかった“死角”

――昨年夏の広陵高校もそうでしたけど、小倉さんは以前から「強豪校で不祥事が起こりがちなのは、部員が多過ぎて、指導者の目が届かないからだ」と指摘していました。

小倉 強豪私立となると100名を超えるところも珍しくないですからね。そこへいくと、日大三高は各学年20人くらい、3学年合わせても60人前後なんです。自分は1学年15人がベストだと思っているんです。ただ、どうしても毎年、入りたいという選手がいるものだから20人くらいにはなってしまっていたんですけど。それ以上多くなると、よっぽどしっかり管理体制を整えない限り、指導者の目が行き届かなくなる。学校経営の事情で部員をたくさん獲らなきゃいけないという高校もあって、簡単に部員数を制限できないという「大人の都合」もわかりますけど、選手を預かる責任の重さを考えたら組織の肥大化はやっぱりリスクだと思います。

 ただね、今回はその1学年20人という枠組みで運営していても、スマホの死角にまでは目が届かなかった。組織を小さくすれば万全かというと、今の時代はそれだけでも足りないのだと思い知らされました。

――小倉さんは、2012年に起きた大阪・桜宮高校バスケットボール部での体罰自殺事件を機に、生徒に手を上げる指導を完全にやめられましたよね。

小倉 ハッとしたんです。あんなこと、絶対にあっちゃいけない、と。自分も若い頃は、手に負えない選手がいたら「俺は監督でも何でもねえ。一人の男としてお前とタイマン張ってやるから、かかってこい!」なんて、本気でやっていた人間なので。だけど、桜宮のニュースを聞いたとき、本当に怖くなったんです。指導者が「期待しているから」「こいつのためだから」と厳しく当たっても、受け取る側によっては死を選んでしまうことがある。よかれと思ってしたことが絶望を与えることになってしまい、最悪の結果になる。互いにとって、こんな不幸はないじゃないですか。

――手を上げるのをやめてから、指導方法はどう変わっていったのでしょうか。

小倉 口で厳しく叱ることはあったんです。ただ、叱った選手のことを、そのあと、ずっと目で追うようになりましたね。怖くてね。落ち込んだまま裏山の方に入って行って、何かあったらどうしよう、とか。あと、叱った日は、その日のうちに自分の部屋に呼ぶようにしていました。それで、プリンとか甘いものを食べさせながら「俺が今日怒った意味、わかるか?」って、ちゃんと説明するようにしたんです。そうすると、大抵の子は部屋を出ていくときに明るい表情になる。今の選手たちは怒られ慣れてないんだろうな、叱られるとこちらが思っている以上にグサッときている。その日のうちに笑い合っておかないと、僕の方が怖くて夜眠れなかったんですよ。

冬の合宿が嫌になってきた

――近年は、練習量を課すこと自体に恐怖を覚えるようになったとも言っていましたよね。

小倉 温暖化の影響で、ランニング中に倒れて亡くなったとかいう事故のニュースが耳に入るようになったじゃないですか。だから、練習で選手を追い込むのが怖くなってしまいました。「まだまだ」というよりも、「ここらへんでいいか」になってしまう。ある程度、やり切らせないと選手たちが達成感を得られないのはわかっているんですけど、それで命に関わるようなことになったら元も子もないじゃないですか。特に冬の強化合宿(朝5時から夜までの練習が2週間続く)は年々、やるのが嫌になっていきましたね。朝5時、全員が揃うまで、心臓がバクバクしてるんですよ。部屋で冷たくなってたらどうしよう、って本気で心配になっちゃう。だから最後の方は選手に頼んでいました。「お前ら、朝だけはちゃんと起きてきてくれ。寝坊されると、俺の心臓が止まりそうになるから」って。

――冬の強化合宿は日大三の名物ですから、そう簡単になくすことはできないですもんね。

小倉 だから、いろいろ対策を立てるようになりました。栄養学の先生に「味噌汁は魔法のスープだ」って教わってからは、朝一番に紙コップに入れた温かい味噌汁を全員に配って、飲ませる。あと、起きてすぐ走るのって、心臓の負担がものすごく大きいらしいんです。なので、まずは雨天練習場でしっかりウォーミングアップをさせて、水分も十分に取らせてからグラウンドに出すようにしました。若い頃は、歳を重ねた監督に対して「理屈っぽいことばっかり言って……」と反発を覚えることも多かったんです。でも、自分がその歳になったら、同じようなことをしていましたね。引き出しが増えていくにつれ、先手先手を打って、事故を防がなきゃって思う。なにせ、選手の命がかかっているわけですから。

「お父さん、偉くなっちゃだめだよ」

――小倉さんは自分から選手たちの方へ降りていくことができる指導者ですよね。

小倉 自分は選手たちに全部言うんですよ。自分の弱さとか失敗も。それは、ぜんぜん恥ずかしくない。監督時代、自分がお客さんを見送るために寮の表に出たとき、5人の部員がトンボを持ったまま整備をサボっていたんです。そうしたら、自分の姿を見た途端、わーっと散って逃げたんです。自分はそのとき、激怒しましてね。「同じ屋根の下に暮らしているのに俺の姿を見ただけで逃げるようなやつらと一緒に野球はできねえ。合宿所を出ていけ!」って。だけど、1週間くらい経ったら、こっちが我慢できなくなっちゃってね。選手と口がきけないのって、指導者も辛いんですよ。あいつらと話がしたくてしたくてさ、結局、自分から「もういいから、帰ってこい」って言っちゃいましたね。

小倉「俺がグラウンド整備をサボったくらいで怒ったことがあるか?」って。「そうじゃない。俺の姿を見て散っていくお前らの姿が嫌だったんだ。俺とお前らの関係は、その程度のものなのか」と伝えました。自分は23歳のとき(1981年)に関東一高の監督になって、85年、86年、87年と3年連続で甲子園に行って、87年の春は準優勝までしちゃったでしょう。あのときは偉そうにしてたと思いますよ。車を運転しているときも前に割り込まれたりしたら「この野郎!」みたいにやってましたもん。「甲子園なんて楽勝だよ」みたいなことも言ってたみたいで、うちの母さん(妻)によく言われてました。「お父さん、偉くなっちゃだめだよ」って。でも成績が振るわなくなった途端、1988年に監督をクビになった。4年間、野球から離れていた時期があるんですけど、あれがいい薬になったんでしょうね。現役時代、たいした実績もないからプライドなんてものもない。だから悪いと思ったら選手にもすぐ謝れるし、折れることもできるんですよ。

>>いい奥さん。

閑話休題;

文春の高校野球関係者は面白い。横浜に勝った智辯和歌山の選手は智辯の「辯」を「辛い辛いと言う」と書く、って言った由。野村証券に入った俺の友達は、社章をもじって「ヘトヘト証券」と言っていた。(その後、野村を辞めた)


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