どうしても、横浜高校を…

  8月14日の甲子園…漫画より格好いい織田投手のリリーフ、織田が抑えた後の人が変わったような猛攻撃…様々な記事が溢れかえるが、俺が選んだ2つの記事を以下。相変わらず朝日には面白い記事がない。文春オンライン記事は高校野球で勝つべくして勝つ方法を語り、「今年の横浜には松坂の代わりに織田が、渡辺の代わりに村田がいるぞ」、と言ってる。俺も、「勝つべくして勝つ高校野球チーム」を目指して選手を集め、鍛錬する監督・選手が好きだ。横浜の小野主将へのインタビュー記事を載せた毎日。①小倉監督でも克服できなかった、我が日大三高の負けパターンでもある、”淡白に外野フライを打ち上げてアウトを重ねる”を回避すべく「何がなんでもアウトにならない」を全員で意識してる、と②気持ちを込めて投げてくれるバッティングピッチャー/全力で応援してくれている方たちという言い方…自分がどうこうじゃなくて厳しい鍛錬に加えて皆が勝たせようとしてくれてるんだから(負けるわけねえ)という信頼…少し、負けた後泣く理由がわかったような…俺はこういう心境になったことはない。横浜高校野球部の主将だから経験できるものすごい幸福?こういう境地に達すれば、真夏の甲子園でやりたくなるんだろうな、と見当がつく…

文春オンライン「松坂大輔がいたから勝てた」は大間違い…なぜ1998年横浜高校は“史上最強”の高校野球チームと呼ばれ続けるのか《延長17回の死闘、アッと驚く大逆転、決勝戦でのノーヒットノーラン》

 今大会でも優勝候補の一角として注目を集める横浜高校。その強さの源流をたどると、1998年に松坂大輔を擁して春夏連覇を成し遂げた、渡辺元智のチームビルディングへ行き着く。あの横浜は、史上屈指の怪物が一人で勝たせたチームではない。
 春と夏のPL学園戦、延長17回翌日の明徳義塾戦、そして決勝のノーヒットノーランと、異なる展開の試合をすべて勝ち切った背景には、松坂の才能を組織の力へ変えた渡辺と、名参謀・小倉清一郎の存在があった。史上最強と呼ばれた横浜は、どのようにして作られたのか。圧倒的な個を生かしながら、甲子園で勝てる集団を築いた名将のチームビルディング術を読み解いていく。

伝説は、松坂大輔だけでは完結しない

 1998年の横浜高校を語る時、多くの人はまず松坂大輔の名前を挙げる。それは当然だ。夏の甲子園準々決勝ではPL学園を相手に延長17回、3時間37分、250球を投げ抜き、決勝では京都成章を相手にノーヒットノーランで締めた。高校野球史において、ここまで物語性と実力が一致したエースはそう多くない。夏のPL学園戦は9-7、決勝の京都成章戦は3-0。どちらも松坂大輔の存在を神話化するには十分すぎる試合だった。

 ただ、1998年の横浜高校を「松坂がいたから勝った」で終わらせると、あのチームの本質を見誤る。松坂大輔という怪物を擁していたことは最大の強みだったが、その怪物をどう使い、どう守り、どうチーム全体の勝利構造に組み込んだのか。そこに渡辺元智という名監督の凄みがあった。

 渡辺の横浜は、単なるエース依存のチームではない。エースで勝つべき試合はエースで勝ち、総力戦に持ち込まれた試合では全員で耐え、終盤勝負では相手の隙を逃さない。つまり、松坂という圧倒的な個を持ちながら、勝ち方はむしろ非常に組織的だった。

 松坂がいるから、全部を松坂に任せる。普通ならそうなりやすい。むしろ高校野球では、絶対的エースがいるチームほど、戦い方が単線化する。ところが1998年の横浜は違った。松坂を中心にしながらも、小山良男、後藤武敏、小池正晃、松本勉、常盤良太ら、各選手が試合の局面ごとに意味を持っていた。

 この「怪物を中心に据えながら、怪物だけにしない」設計こそ、渡辺野球の到達点だった。

名門「PL学園」にどのように勝ったのか

 1998年のセンバツ準決勝、横浜はPL学園に3-2で勝利した。スコアだけを見れば接戦だが、この試合の意味は非常に大きい。横浜は8回に2点を奪って追いつき、9回に勝ち越す。つまり、春のPL戦は、ロースコアの緊張感の中で終盤に試合をひっくり返す「完成度の勝利」だった。

 この時点の横浜は、松坂の力で相手をねじ伏せるというより、試合の終盤まで崩れず、最後に勝ち切るチームだった。PL学園という全国屈指の名門を相手に、焦らず、我慢し、スクイズなどで8回と9回に得点する。高校野球では、早い回で主導権を奪えないと、精神的に押し込まれることが多い。だが横浜は、終盤勝負に持ち込まれても、むしろそこから自分たちの野球を出した。この春の勝利は、横浜が「松坂のチーム」ではなく、「松坂を軸にした勝てるチーム」になった証明だった。

一方、夏のPL戦はまったく違う。春は3-2の終盤逆転勝ち。夏は9-7の延長17回。もはや別競技のような試合である。PL学園は松坂を攻略し、横浜は何度も追い込まれた。延長に入ってからも互いに譲らず、再試合が見え始める中で、横浜は17回表に勝ち越し、最後は松坂が締めた。

 ここで重要なのは、横浜が「いつもの勝ち方」をできなかったことだ。松坂が完璧に抑えて、打線が数点を取り、横浜が淡々と勝つ。そういう試合ではなかった。むしろ、PLに先行され、追いつき、また突き放され、また追いつく展開だった。

 史上最強と語られるチームの条件は、圧勝できることだけではない。自分たちの理想形を崩された時に、壊れないこと。相手の土俵に引きずり込まれても、最後に勝ち筋を拾えること。1998年夏の横浜は、まさにそれを見せた。

 同じPL学園に、まったく違う勝ち方で勝ったことが、あの横浜高校の奥行きを示している。

明徳義塾戦で見せた底力、そして…

 1998年夏の横浜を考える時、PL学園戦と決勝のノーヒットノーランに注目が集まりやすい。だが、チームの底力という意味では、準決勝の明徳義塾戦も外せない。

 横浜は明徳義塾に対して、8回表終了時点で0-6と追い込まれた。普通なら、延長17回を戦った翌日の試合で、ここまで点差が開けば終わっていてもおかしくない。しかし横浜は8回裏に4点、9回裏に3点を奪い、7-6でサヨナラ勝ちを収めた。

 この試合は、渡辺野球のもう一つの顔を表している。松坂が先発しなくても、試合が壊れかけても、最後まで諦めない。しかも、それは単なる精神論ではない。打線のつながり、代打・継投・ベンチワーク、相手への圧力。そうした要素が終盤に一気に噴き出した。

PL戦で松坂が伝説になり、明徳義塾戦でチームが伝説になった。この二つを分けて考えると、1998年横浜の輪郭がよりはっきり見える。

 そして決勝の京都成章戦。松坂大輔は3-0でノーヒットノーランを達成し、横浜は春夏連覇を成し遂げた。夏の甲子園決勝という最高の舞台で、しかもPL戦、明徳義塾戦という極限の2試合を経た後に、最後をノーヒットノーランで締める。これは単なる好投ではなく、物語としてあまりにも完成されていた。

 ただし、この決勝を「松坂の超人的能力」だけで片づけるのも惜しい。渡辺は、松坂を信じ切った。チームも松坂を信じ切った。そして松坂自身も、ここまで積み上げてきたチームの勝ち方を背負ってマウンドに上がった。

 ノーヒットノーランは、個人記録である。しかし、1998年横浜の決勝ノーヒットノーランは、個人記録でありながら、チーム史そのものだった。

もう一人の監督

 当時の横浜高校の監督、渡辺元智を語るうえで欠かせないのが、小倉清一郎の存在である。小倉は横浜高校野球部の部長として渡辺を支え、1998年の春夏連覇を含む甲子園優勝に大きく関わった“名参謀”として知られる。

 渡辺・小倉体制の強みは、入学後の育成だけでなくスカウティングの段階から一貫していた点にある。小倉は、投手と遊撃手を重視して選手を獲得し、そこからコンバートを含めてチームを作っていく明確な考え方を持っていた。

 野球において、投手と遊撃手には身体能力や野球センスの高い選手が集まりやすい。だから、投手10人、遊撃手10人を獲得し、チーム全体のポジションバランスを見ながら育てていく。さらに現代では、捕手も複数人必要になる。捕手の育成がチームの土台を左右するからだ。

 打者を見る基準は、強肩、俊足、振る力。投手を見る基準は、130キロを超える球速、あるいは決め球となる変化球。分かりやすいようでいて、非常に本質的である。高校で伸びる選手は、完成度だけでなく、武器の強さが重要になる。

 また、小倉は「野球観戦ができる選手」が伸びるとも見ていた。これは深い。野球を見るのが好きな選手は、プレーを自分ごととして吸収できる。努力している選手は強いが、夢中になっている選手はもっと強い。努力では、夢中に勝てない。横浜の育成には、その感覚があった。

 渡辺がチーム全体の方向性や勝負どころの決断を担う「現場の熱量」だとすれば、小倉は相手校の研究や戦術面の裏付けを支える「分析の頭脳」だった。この両輪が完璧に噛み合っていたことこそが、横浜の見逃せないポイントだ。松坂という圧倒的な才能がいるチームでありながら、横浜は準備を怠らなかった。

 そんな松坂に対し、小倉は 「サボりのマツ」「一番風呂のマツ」と呼んでからかっていた。「下級生時代は練習嫌いでね。3年生になっても、練習をあがるのが早いんだ。おれが戻ってくると、もう風呂から出てきやがる」。本人に聞くと、「寮の風呂で小倉コーチと一緒になると、ストレッチさせられたりして長くなるから、先に入っちゃうんです」と屈託なく笑っていた。

 だからこそ、渡辺・小倉体制の横浜は、単純な力勝負ではなく、情報戦でも勝つ必要があった。高校野球において「参謀」の存在がここまで語られるチームは多くない。1998年の横浜は、名将と名参謀、怪物と周囲の選手たちが噛み合った、極めて完成度の高い組織だった。

1998年横浜はなぜ「史上最強」と呼ばれているのか

 1998年の横浜高校は、春夏連覇に加えて、公式戦44連勝を達成したチームとしても語られる。松坂大輔という歴史的エースを中心に、渡辺元智、小倉清一郎、そして個性ある選手たちが揃ったチームだった。

 では、なぜこのチームは今なお「史上最強」と呼ばれるのか。理由は、勝利の量だけではない。勝ち方の種類が多かったからだ。

 春のPL学園戦では終盤に焦らず逆転する「完成度」を見せ、夏大会でのPL学園戦では土俵を荒らされても壊れない「タフさ」を、準決勝での明徳義塾戦では大差を諦めず追い詰める「層の厚さとベンチワーク」を見せた。

 これほど多様な勝ち方を、甲子園という最高強度の舞台で見せたチームは稀である。

 つまり1998年横浜は、「強いチームが勝つ」のではなく、「あらゆる勝ち方を持つチームが最後に勝つ」ことを示した存在だった。

 渡辺の最大の功績は、松坂を育てたことだけではない。もちろん、それは大きい。しかし本質は、松坂という才能を、横浜高校という組織の中で最大化したことにある。

 渡辺と小倉が率いた横浜高校は、全国屈指の強豪校でありながら、多くのプロ野球選手も輩出した。しかも、横浜出身の選手たちはプロ入り後も存在感を示し、タイトルを獲得するような選手も少なくなかった。松坂大輔、涌井秀章、成瀬善久、筒香嘉智、近藤健介、柳裕也など、時代をまたいでプロの一線級を送り出している点は、横浜という学校の育成力を物語っている。

 横浜には、エース級の投手が複数いる投手陣があり、ベンチメンバーまで高いレベルの野手陣がいた。投げる、守る、走る、打つ。どこか一つに偏るのではなく、全体のレベルが高い。トータルベースボールが必要とされる現代から見ても、横浜高校はかなり理想的なチーム像だったと言える。

 高校野球において、「甲子園で勝つこと」と「プロで通用する個の才能を伸ばすこと」の両立は極めて難しい。しかし、渡辺と小倉が築いた横浜高校のチームビルディングは、個の強みを極限まで磨き上げながら、それを組織全体の勝利構造へと昇華させていた。甲子園での圧倒的な実績と、プロへ送り出した人材の豊富さ――その双方を高い次元で結実させた点にこそ、渡辺野球の真価がある。

 はたして、今大会の横浜高校は今後どこまで勝ち進むだろうか。

(ゴジキ)


毎日ピンチに「これが高校野球だろう」横浜・小野主将 夏の甲子園

全国高校野球選手権は第10日の14日、阪神甲子園球場で2回戦があり、横浜(神奈川)は日南学園(宮崎)に10―1で勝利した。

 横浜の小野舜友主将は六回無死満塁のピンチを振り返りながら、チームの「強さ」について語った。

 小野選手の試合後の主なコメントは以下の通り。

 <六回の守備で無死満塁のピンチになった>

 (球場の雰囲気も)本当に完全アウェー状態だったが、織田(翔希投手)が流れを変えるような投球をしてくれた。さすがだった。

1個ずつアウトを取って、確実に最少失点でいこうと話しました。織田が抑えてくれると思っていた。

 自分としては「これが高校野球だろう」と余裕を持って、楽しんで(プレーが)できた。

 <中盤まで同点の厳しい展開だった>

 この夏では初めて経験する接戦だったが、特にいつもと変わらなかった。

 練習でやってきたことが全てで、やってきたことは間違っていないと信じている。

試合の後半は練習でやってきたことが出せた。

 <自身も3安打の活躍だった>

 1打席目であまり良い形で打てなかったが、2打席目から切り替えることができた。

 (練習の時に)打撃投手が気持ちを込めて投げてくれている。練習の成果を出せて良かった。

 <試合を重ねるごとに強くなっている実感は>

みんな勝負強さがついてきて、ものすごく良いチームになってきているのを率直に感じる。

 簡単にアウトにならないし、三振にならない。

 (初戦で敗れた)春の選抜は、チャンスは作っても点を取れなかったり簡単に三振したり、フライを上げて終わったりしてしまう場面が目立った。

 「何がなんでもアウトにならない」という思いをチーム全体ですごく意識している。

 <次は3回戦。日本一に向けて>

 (個人としては)チームを勝たせる打撃が一番。良い形で仲間がつないでくれるので、仲間のためにという思いを持ちながら次も頑張りたい。

 どんな時も全力で応援してくれている方たちのために、優勝という形で恩返ししたい。

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