嗚呼、西園寺!
坪内祐三「一九七二」に西園寺公一という人物が登場する。1971年、赤い貴族と呼ばれた西園寺公一の仲介により、卓球のアメリカ代表と中国代表が交流し、ニクソン訪中に繋がった、と。
名前からして西園寺公望の子供か?と思ってWikiると、「西園寺 公一(さいおんじ きんかず、1906年(明治39年)11月1日 - 1993年(平成5年)4月22日)は、日本の政治家、実業家。参議院議員(1期)、外務省嘱託職員、太平洋問題調査会理事などを歴任した。ゾルゲ事件に連座して逮捕、有罪となり、公爵家を廃嫡となった。西園寺家の嫡男として神奈川県に誕生した。祖父は元老・西園寺公望、父は公望の婿養子となった西園寺八郎(実父は旧長州藩主の毛利元徳)で、母は公望の長女・新子である。」と。次いで、ゾルゲ事件に関して「近衛首相も事件への関係を当然疑われたが、ゾルゲと尾崎、西園寺らの逮捕と時を同じくした内閣総辞職、間もなく起こった英米蘭との開戦(太平洋戦争)、そして政府と軍の意向による追及阻止により、ゾルゲ事件における関係は不問とされてしまった。また西園寺は、執行猶予中であることと年齢などにより徴兵を免れ、奥日光で釣りをするなどして過ごし、『釣魚迷』という著書も残している[4]。」
そこで今度はCOPILOTに「西園寺公望の子」と聞く。答え:「結論(最重要ポイント) 西園寺公望には正式な妻はおらず、2人の愛人とのあいだに娘が2人いました。家督は娘ではなく、娘の夫として迎えた婿養子・西園寺八郎が継ぎました」
>>やっぱり、日本の貴族・皇室には妾が向いてる。最後の元老と呼ばれた西園寺公望にして、この”体たらく”?だ。
日本には「家督」という便利な考えがあって、血が繋がってなくたって、「家」は継げる。家を継ぐ者は、できがよければ男女は問わない。逆に言えば、血が繋がってたって、出来が悪ければ家督は継がせない・・・天皇家の場合、政治的に利用されるから、家督相続ルールを決めなくちゃあいけないのでややこしいが、基本はこのような考え方でいいんじゃあないか?
ゾルゲ事件が発覚したのが1941年。西園寺公望が死んだのが1940年。父親の八郎が死んだのが1946年。公望は辛うじて公一の”非行”発覚前に死んだ。父、八郎はさぞかし肩身の狭い思いをしただろう。
公一は公望の血を引いて新橋芸者と結婚した・・・感慨深いネ。リベラルだった。
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