ニューリベラルの星?

 リベラルな慶大生が「WiLL」を買ってみたら 批判の嵐に思う未来と題して朝日に以下:

面白い記事だと思う。そして、白坂さんにはリベラル・保守なんて無視して「人としてのあるべき姿を求めて」もらいたい。しかし、リベラル嫌いの俺ならまだしも、どうして若者がリベラルか、保守かなんてことで切り分けるのか?ただし、俺の言う”リベラル”は、民主と平和という見果てぬ夢をネタに政権担当者を非難するしか能のない連中のことだ。

以下記事:

 現役慶応大学生のライターで、「Z世代の論客」とも言われる白坂リサさん(21)。

 かねて政治への関心が高く、国会前デモを取材するなどリベラルを自認する活動を行っているが、最近、保守的な論調で知られる雑誌「WiLL」を読んで「考え方は違えど興味深い。わくわくする面白さがある」とX(旧ツイッター)に投稿した。

 するとやってきたのは、同じリベラルな立場である人たちからの批判の嵐だった。「SNSにいる自称『リベラル』な大人世代、有名無名匿名問わず、アタマ固すぎ! 私はわたしの道を行きます、同志同世代で新しいリベラルつくるぞ!!」と投稿した白坂さんに騒動を振り返ってもらうと共に、今のリベラルと保守について思うことを聞いてみた。

コミュ力問われる現代人の孤独、保守の論考に共感

 ――自らリベラルという白坂さんが、「WiLL」を読んでSNSで紹介したきっかけは?

 近代の個人主義、つまり「現代人の孤独」について関心を持っています。

 現代社会は誰もが当たり前に持っている共同体が薄いです。共同体に代わる友人や恋人といった関係は自ら動かなければ獲得できず、コミュニケーション能力や行動力の有無によって大きな差がついてしまいます。私自身、コミュ力が高い方ではないので、今の社会での人間関係構築の難しさを感じています。

>>かつては、地域コミュニティー(ご近所)が有無を言わさず、「当たり前に」町内会や子供会など様々な「共同体」に引きずり込んだ。確かに「孤独」を感じることは少なかったかも知れないが、その代償として、過剰干渉という、面倒で嫌な面があった。かと言って「人間関係構築」などと”ごたく”を並べると、これも面倒で失敗しやすい。「共同体」って、ごたく・屁理屈以前のものなんじゃあないか?>>

 早稲田大の保守系政治サークル・国策研究会前幹事長の藤井雄太さんが「近代の個人主義」についての論を発表していて、保守的な考えの人でもリベラルな考えの私と共通点があるのだと驚きました。現代のリベラルは個人の尊重、自由、平等をうたってきましたが、その反動で個人の心のよりどころがあやふやになっている面があると感じています。リベラル側にある個人主義への問題意識よりも、保守側が感じる問題意識の方がリアリティーがあるようにさえ感じて注目していました。

 その藤井さんの最新の原稿が「WiLL」に掲載されていると知ったことが購入のきっかけです。初めて買って読みましたが、やはり現代人の孤独についての論考が非常に面白く、共感できる部分が多かったです。

>>近代の個人主義、つまり「現代人の孤独」・・・これが分らない。俺は竹内まりやの歌の歌詞のように「自由と孤独はペア」だと考える。自由も欲しいが、孤独は嫌だ、となると、単なる駄々っ子だ。この人は「共同体」さえできれば、孤独問題は解消される、と考えているらしい。現代人でなくとも、人間は本質的に孤独であって、「共同体」ができても、それを誤魔化したり、一時忘れたりするだけだとも思う。直感的に、「人は何故生まれたの?何のために生きるの?」の答えに関係がありそうだ。生まれたとき、死ぬときはもちろんだが、生きてる最中だって人間て、孤独でしょ。それを踏まえてどう生きるのか?じゃあないのかな?

Wikiれば「個人主義(こじんしゅぎ、: individualism: individualisme)とは、権威を否定して個人権利自由を尊重する立場、或いは国家社会の重要性における根拠を個人の尊厳に求め、その権利と義務の発生原理を説く政治思想である[1]。」だ。仮に保守的に「国家や社会の方が個人より大切」と考えても、個人が孤独であることに違いはない。>>

 「WiLL」や「Hanada」といった雑誌は右翼雑誌と呼ばれ、特にリベラル界隈(かいわい)では排他的に評価されていますが、立場に関係なく面白いと感じたものは面白いと発信すべきだと思っているので、Xに投稿しました。

 ――その6月の投稿が、ちょっとした炎上状態に

 リベラルの有名なインフルエンサーが私の投稿を引用ポストして、私を揶揄(やゆ)するような内容を書いていた。

 他の人からも「フォロワーの多いインフルエンサーの立場で『WiLL』を紹介するのはおかしい」「差別的な扇動を肯定するのか」といったメッセージが届きました。

 同じようにリベラリズムに共感している一個人同士なのに、一つの投稿だけから「この人は自分たちとは違う異質な存在だ」と分析して排除するのは村八分と変わらないと感じました。

>>俺は、排除結構だと思う。異質な存在とはすみ分けるのだ。すみ分けとは排除するけど抹殺しないことだ。>>

 読んでもいないのに批判するというのはやはり好きにはなれません。一面だけを切り取って自分の主張とは違う考えを悪だと切り捨てれば、エコーチェンバー(限られた人々の間だけで情報が行き交うこと)を加速させて人が歩み寄ることが難しくなってしまいます。

「多様性」「自由」の大きな目標だけでなく…

 ――炎上の一方で発見もあったとか

 普段は私の投稿を見てくれるのは私の考えに共感してくれている人たちで、閉ざされたコミュニティーが形成されているところがありました。

 でも今回の投稿は普段は私の投稿を見なかった層からの反響が大きくて、以降はコミュニティーが開かれたと感じています。保守的な考えの人も新たにフォローしてくれて「これまでの発信は合わないと思っていたけど、この投稿には共感できる」とか「こんな柔軟な考えを持っていたなんて過去のメディア露出ではわからなかった」といった反応をいただいた。SNS上でも違う考えの人と歩み寄って意見を交わすことが可能なんだと感じて、とてもうれしかったです。

 ――考えが近い人からは「裏切り者」のように扱われ、逆に遠い人からは共感が得られたことに、何か思う部分はありましたか?

 政治的な思想や立場が違っても、相手を拒絶したくないという思いがあります。今回の投稿への反響で、相手の考えを排除せずに、まずお互いを尊重することの重要性を再確認できました。

 戦争反対のデモを取材して「いま誰と一番連帯したいですか?」と聞くと、家族、友人、恋人といった身近な存在を答える人が多いです。デモには参加できても、一番身近な人には自分の考えを伝えられていなかったり理解されていなかったりする。身近な共同体と連帯したい気持ちがあるのに、「どうせ理解されないから」と排他的な態度を取ってしまうようなことがリベラルの一部にはみられます。

 「多様性」や「自由」といった大きな目標ばかりを意識しすぎて、現在の自分の環境や、身近な人に目を向けられていないのかなと考えています。考えが合う合わないに関係なく、お互いの考えを尊重した対話の先に連帯があるのだと思っています。

 ――裏切り者扱いされ、リベラルの問題点を指摘する。それでも、まだリベラルですか?

 私の主観ですが、いまの社会は保守が規範をつくり、こぼれ落ちた人々をリベラルがすくい上げるという構図であるべきだと考えています。保守とリベラルがお互いに存在して、一つの社会が成り立っている。だからこそ双方の立場がしっかりしないといけないです。

 私は父が中国人で母が日本人というルーツであることや、高校の時に挫折して教室に入れず図書室にしか通えない日々があったことなどで、コミュニティーの外側に置かれる孤独感に悩んだ経験があります。だから、保守がつくる規範の外で苦しんでいる人の助けになりたいという気持ちを持ち続けています。

>>規範は保守だけが作るの?リベラルも規範作るよね。丁寧な議論とか、少数意見の尊重とか、熟議とか・・・保守派はこういうリベラルの規範の外で苦しんでいる。>>

 しかしいまは、「人を人として対等に扱う」という人間としての根本的なあるべき姿が、保守もリベラルも欠けていることがSNSなどで目立ちます。

>>「人を人として対等」に扱うためには「そもそも人って何?」「人は何故生まれたの?何のために生きるの?」の答えが必要。そしてこの答えが共有できるかどうかが問題。>>

 保守とリベラルは過程や表現が異なるだけで、どちらも源流では人としてのあるべき姿を求めていることに大きな違いはないのではないでしょうか。対話の重要性を思い出すことが社会を良くする第一歩だと思っています。

 ――白坂さん自身はどのように対話を?

 自分と違う考えに対して「間違っている」と決めつけるのではなく、「なぜそう思うようになったのか」に目を向けるようにしています。知り合いに人種差別的な思考を持つ人がいました。その考えを聞いたときに、有無を言わせずに「差別はだめだ」と教え諭すことは短絡的ではないかと思い、まずは話を最後まで聞いてなぜその考えを持つに至ったかを掘り下げました。他の雑談もしてコミュニケーションを深めると、言動の裏にある社会観、経歴、雇用環境などから、その人がその考えになったある種の必然性が見えてきました。

 >>まずは他者の話を最後まで聞いて、もし分からなければ質問をして、そのうえで自分の考えを伝える。お互いの考えをどちらかに矯正するための会話ではなくて、あくまでも対等に、ある物事への自分なりの考えを持つ同志として会話をする。この姿勢を大切にしたいと思っています。>>これでコミュニケーションとしては万全。さて、こうしてうまくコミュニケーションして何を実行するのか?「違っている人」を「間違っている」とはしないが、「やっぱり違っている」と認識して、すみ分けできないものか?>>

 そもそも仮に思想に正解と不正解があったとして、そのたびに身近な人の考えを正そうと教え諭していたら、人間関係が壊れてしまうかもしれません。一人の市民がそんなリスクと負担を背負う必要はないと思います。お互いを尊重し合う関係性をつくる。その関係性が積み重なっていくことで、社会は少しずつよくなっていくと信じています。

 ――批判もありましたが、発信は今後も続けますか?

 自分は特別なことはしていないし、特別な人間でもありません。でもたぶん、若い女性で、学生で、リベラルで、このような珍しい立場から注目を集められているのなら、それも利用して社会の議論を硬直させないように発信を続けていきたい。

 たまに投稿がバズると、いろいろな批判を浴びて心をむしばまれたり人間不信になったりしそうなときもある。それでも自分は「Z世代の論客」とメディアにも取り上げてもらうこともあって、影響力という点において少しは役割を果たせる立場にあるかもしれない。

 議論のない硬直した社会になると、多数派にばかり傾いて社会の均衡が取れないと考えています。自分の発信が議論を起こして、制度からこぼれ落ちた人を救えるのならば何よりもうれしいです。

>>ここは興味深い。多数派に傾くのが民主主義だ。つまり、落ちこぼれを救うには民主主義では無力だ。いくら議論を起こしてもそれでけでは救えない。政治的パワーを持たないとならない。それ以前に「落ちこぼれを救う」ってどういうことかを定義しなくては・・・>>

 ――SNSでは炎上が日常茶飯事になる中で、そこまで強い心を持てる源泉は?

 高校時代の挫折体験が影響していると思います。私は幼少期から勉強と運動に力を入れてきて、受験をして宮城教育大付属小・中→仙台二高という宮城県での文武両道の王道コースの経歴でした。

 でも高校に入ると落ちこぼれてしまい、それまで常に文武両道にとらわれていたからこそ自分には価値がないと思ってしまった。

 高校で落ちこぼれてしまった仲間と連帯しようと「この国の学校制度を考える会」を作り、社会に親しみを持ってもらうため選挙の仕組みを解説するポスターを校内に掲示しました。この活動はメディアにも取り上げてもらってSNSでは肯定的な意見も多くもらいましたが、学校の中では「政治的な考えの強い左翼だ」といった評判が流れて、周囲から浮いて孤立してしまいました。長年の友達とも距離ができてしまい、とてもつらかったです。

 孤独感に悩んだ経験が、人の助けになりたいという使命感の源泉です。

 ――「新しいリベラル」として、白坂さんが目指す社会の形は?

 現代の課題は、「誰にでも当たり前に保証された人間関係」が希薄であることだと思います。保証されているものがないから人間関係の構築にコミュニケーションの力などで格差が生まれてしまう。

>>誰にでも当たり前に保証された人間関係といえば、親子関係だろう。確かに子殺ししようと言う親もいるから100%保証とは言えないが。親子関係だって格差はあって、子供の性格・コミュニケーションの力・方法によって可愛がられる子とそうでない子の格差は生まれる。格差はなくすべきものではなく、存在するのが当たり前と前提して、それでも「平等」や「自由」をどう実現するか?と考えるべきではないか?>>

 まずは誰もが属せる共同体を制度の面から保証する必要があると思います。「こども食堂」のような民間の試みにも可能性があるのではないでしょうか。そしてこのような社会を作っていくためには、若い世代が重要になります。保守やリベラルにとらわれず、「互いの意見を尊重して対等に話し合える」という人間としての当たり前を取り戻したい。

>>ここには大きな異論が。「互いの意見を尊重して対等に話し合える」なんて奇跡が今まで成立したことがあったろうか?これは奇跡・見果てぬ夢であって、決して当たり前なことではない。少なくとも俺は、こんなことは経験したことがない。それに対等のままでは何も実行できない。何かを実行しようと思えば必ず勝ち負け、どっちの考えを取るか決める必要がある。これじゃあ、俺の嫌いな丁寧な説明と熟議を自己目的化した”リベラル”だ。

 実際、同年代の人と話すと、その人が保守的な人であっても「個人の尊重」という点では共通性が多いと感じます。誰もが当たり前に所属できる共同体の保証を街頭で訴えるなど、市民に言葉を届けて広げていくという風潮を起こしていきたいです。

>>誰もが当たり前に所属できる共同体の保証を街頭で訴える・・・「誰もが当たり前に所属できる」ってのはあり得るだろうか?俺には有無を言わさず入らされるコミュニティってのはあるように思う。それは「所属できる」んじゃなくて無理矢理だ。「街頭で訴える」のも???だ。街頭で訴えれば理想の共同体ができるとは思えないのだが>>

白坂リサさん略歴

 しらさか・りさ 2004年生まれ。慶応義塾大学総合政策学部在学。大学ではジャーナリズムを専攻。

 宮城県出身で、県下有数の進学校である仙台二高時代に選挙の仕組みを解説するポスターを校舎の壁にはったところ、学校からポスターをはがすように指導され、その経緯をSNSに発信したことで注目を集めた。後に学校側が謝罪して張り出しを認めた。

閑話休題:

この人、面白いけどやっぱり大きな違和感が。孤独、格差の解消、落ちこぼれの救済・・・多分この人はすみ分けは嫌だ論者だと思うが、孤独、格差の解消、落ちこぼれの救済をすみ分けなしで実行するのは俺には絶望的に難しいと考えられる。つまり、孤独、格差、落ちこぼれをなくそうとしないで「本来あるもんだ」と考えたらずいぶん楽に対処できそうに思うんだが。その大本には、「人間は何故生まれ、何故生きるの?」があると思う。ここを共有できる「同志」と語らうのが結構かと。

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