フェミニズムを勉強する
朝日新聞SDGs ACTION!記載の社会保険労務士・キャリアコンサルタント村井真子 ( むらい ・まさこ )のフェミニズムとは? 意味や歴史、事例、課題をわかりやすく解説と題した記事を読む。まず、
フェミニズムとは、あらゆる性差別からの解放を目的とした運動のことをいいます。狭義では女性人権運動、権利拡張・尊重主義をさしますが、その本質は、社会活動家でありフェミニストでもあったベル・フックスのいう「性差別をなくし、性差別的な搾取や抑圧をなくす」ことです。
とある。
どうも、フェミニストは、権利に差(差別)があるからこれをなくして平等にしなければならないと考え、差別をなくそうとする人のことらしい。まず俺は、権利というものがピンとこない。
権利とは何か?について村井さんは説明しない。Wikiると:
ある行為における正当性の根拠となる能力、または資格のことである[1]。法律上は一定の利益を主張または享受する事を法により認められた地位、或いは他人に対し一定の行為や不作為を求めることができる地位のことを指す、とある。頭に入らない。COPILOTに
権利の4つの基本構造(ホーフェルドの分析)
権利は1つの概念ではなく、4つの異なる性質をもつ構造の総称。
請求権 — 他者に「〜せよ」と要求できる権利 例:代金支払いを請求する権利。
自由 — 他者に妨害されずに行動できる状態 例:表現の自由。
権能 — 法的地位を変更できる力 例:契約を結ぶ、遺言を書く。
免除 — 他者から義務を課されない保障 例:不当な拘束を受けない権利。
・・・とあって、これなら、少し頭に入る。そして、
請求権:他人にいくら請求してもそれが実現するかどうかは別。
自由:他人から邪魔される、止められることは多い。
権能:契約や遺言が実現するかどうかは別。
免除:不当な制約・拘束は受けずには済まされない。
などという考えが頭に浮かんでくる。
そうなんだ、俺は、「権利なんてものは、単なる能書だ。どうせ完全には実現されない。能書きじゃアなくてどれだけ実現するかが問題だ。」と権利を軽視して考える。権利なんて不平等で結構、実際にどれだけ自分がやりたいことができるか、他人にして欲しくないことをやめさせるか、なんだ。となれば、実力、パワーだ。運もあるだろう。
生まれ持った才能・運、育った環境・・・結果身につく力は一人一人違う。俺はその違いをどうこう言ったって始まらないと考えるし、属性で差別されるのもあまり気にならない。才能の違いや差別といった「与えられたもの」は必ずある、それをなくそうなんて俺は考えない。むしろ、差があるのが当たり前で、それぞれが、その違った「与えられたもの」を精一杯生かし活用(全機)すりゃあいいじゃあねえか、(そのために人間を含む生き物は生きている)と考える。
オーケストラでもサッカーでも同じだろう。みんなが同じ楽器やポジションではつまらないし、強いチームにはならない。この場合、問題は報酬か?同じように演奏したりプレイしてるのに、報酬が違えば差別と言えるかもしれない。安い報酬は不当なのかもしれない。かと言って、不当だ、とか、差別だなどと言い立てることは俺にはできない。恥ずかしい。一人でクソーっと我慢するだけだ。そんなことより楽器やポジションを極めることに力を注ぐ。
成果主義はどうか?一見、公平だ。あらかじめ成果を宣言し、その実現の具合で報酬が決められる。問題は、各自が宣言し、実現する成果が組織全体に与えるインパクトを公平・客観的に比較して評価する基準がないことだ。(評価者の主観・好み次第だ)
平等を目指した”運動”はどうか?一番分かりやすいのは共産革命だろう。結局革命のどさくさの中でうまく立ち回った「独裁者」と「その他大勢の追随者」という物凄い不平等な結果となった。アメリカのキング牧師は公民権運動の道半ばで暗殺されたが、その時点ですでにキング牧師という指導者とその他大勢に分かれていた。つまり、平等とは「見果てぬ夢」なのだ。平等を実現しようとする社会的な運動は指導者(うまく立ち回った独裁者)とその他大勢という不平等を実現する。権利も同様。社会とか他人が存在する限り、自分のやりたい放題をやったり、他人のやりたいことをさせないなんてことは100%実現しない。かならず他人の自由とぶつかり合うし、それを回避・防止しようとするのはすでに不自由だ。
フェミニストとかリベラリストなどと称される人たちの言うこと・夢は「見果てぬ夢」に終わる。永遠に保守・守旧があることを前提に、保守・守旧を非難・攻撃し続ける(=永久革命)ということだ。上述のように、最初は外部にある保守・守旧をターゲットにし、仮にそのターゲットが倒れた後、今度は身内でうまく立ち回った者が保守・守旧となる。この点、フェミニストとかリベラリストたちが登場するずっと前からいた権力者、支配者の争いと何も違わない。弁証法だ。百年近くの間、フェミニストとかリベラリストは最後の理想郷を実現するかのような錯覚を振りまいて人気があった。それが見果てぬ夢だったということがあからさまになり、人気を失った。
村井はこの記事の終盤、以下のように書く。彼女自身はフェミニストではなく、フェミニズムを理解しているフリをしたい企業のコンサルなのだということが如実にわかるので「なあ~んだ」とバカバカしくなる。そしてすべてのコンサル同様、自分でフェミニズムを喧伝し、流行らせ、「それに乗り遅れるとヤバイですよ~」とやる。遅れた企業が批判・非難される恐れを強調し、同時に「だからそうならないよう、私が研修して教えてあげますよ~」とマッチポンプだ。研修さえしとけば、マニュアル化しとけば、一応企業として対策は取った、という格好になるぜ、という宣伝だ。この手口もそろそろ賞味期限を迎えそうだから、コンサルはまた新しい手を考え出さなくてはならないんじゃあないか?以下、抜粋:
(2)多様性を尊重する
ダイバーシティーはフェミニズムのなかでも重要な考え方です。これを理解することはフェミニズムのみならず、障碍者や闘病中の人などマイノリティー、社会的弱者を理解する第一歩といえるでしょう。ダイバーシティーに無配慮である企業広告やコーポレートメッセージは批判の対象になりえるため、リスクマネジメントの観点からも、フェミニズムを含めた多様な価値観を理解し尊重する姿勢はこれからの企業の必須事項です。
こうした多様性について意識するためには、企業においてはダイバーシティー研修をおこなうことが有効です。研修の内容としては女性や外国籍、シニアなど属性に対する知識を得ることを目的とするものや、管理職者・マネジメント層向けにこれらの属性の横断的知識を与えることを目的としているものがあります。
エコー・チェンバー現象しかりフィルターバブルしかり、情報化社会に生きる私たちは自分の好みの情報に囲まれやすい状況にあります。したがって、こうした研修の場を活用して強制的に他者の生き方・あり方や置かれている情報についての知識をインストールすることは非常に有効です。
筆者の関与先では、世代間研修をダイバーシティープログラムの一つに取り入れています。これは一般的に、中堅・古参社員の多いマネジャー層と、新入社員など入社間もない社員をグループにしておこなうもので、業務上でのコミュニケーションギャップの確認や認識のずれ、それぞれの価値観を、傾聴を通して学んでいくというものです。社歴の長短によって、「その会社らしさ」はそれぞれの社員の価値観として取り込まれていきますが、その価値観が時代と合っているかは定期的に検証していく必要があります。そのため、自社がどのように状況の変化に対応していくかを探るのを目的としてこのような研修を実施していくことが重要なのです。
こうした姿勢はフラットで風通しのいい組織づくりにも役立ち、心理的安全性を生み出すことにも寄与します。組織の中でフェミニズムが健全に発展するためにも、お互いを尊重し承認しあえる関係性を構築することは企業にとって大切な視点といえるでしょう。
(3)自分が権力者・マジョリティーである可能性について自覚を持つ
私たち自身が時として権力者側であり、またはマジョリティーであるという可能性について自覚的になることも重要です。
例えば日本においては、男性と女性であれば男性のほうが権力者側に立つことがまだ多いのが現状です。この場合、女性は支配を受ける側であり、マイノリティーとして扱われます。
しかし女性のなかでも既婚・未婚、子の有無でも立場が変化することがあります。圧倒的に法律婚が多い日本では、シングルマザーはマイノリティーで被支配者の側にある場合が多いのですが、事実婚が多い国ではシングルマザーであるがゆえにマイノリティーとなることはありません。
このように相対化することによって、自分が権力側にいる、マジョリティーとして集団圧力を行使しうる存在となることに気が付くことができます。これも、フェミニズムにとって重要な観点の一つです。
先にあげたナイジェリアのテロ事件のように、女性が女性として生まれただけで傷つけられるという事件は枚挙にいとまがありません。こうした事件を他人事とせず、自分の痛みとして引き受けていく態度はフェミニズムの実現のために非常に大切な視点となります。
男性についても、「男なんだから」「男のくせに」という差別的な発言が投げつけられることは多々あります。この是正もまたフェミニズムの目指すところです。もちろん男性として生まれただけで優遇されてしまうという文化的構造も大きな課題ではありますが、そのことを知識として、または実感として持っておくことは企業、またはそこに生きるすべての組織人にとっても必要不可欠なものです。なぜならこうした自分の権力性、多数派であることから生じる権力に無自覚であることがハラスメントを引き起こす大きな要因になるからです。
このため、筆者は、企業に対してハラスメント研修などセクハラ、パワハラの具体的事例を知る機会とともに、自分自身を内省する時間を設けることをおすすめしています。こうしたハラスメント当事者は自分が加害をしている意識がないことが多いため、自分が無意識、無自覚に行使している言動がなにに根差しているものなのかを自覚することが大切です。
>>フラットで風通しのいい組織づくりにも役立ち、心理的安全性
事件を他人事とせず、自分の痛みとして引き受けて・・・うまい!トランプ再選以前のアメリカの受け売り。数年前からのトレンド。
最後の締めも絶妙。被差別側の女の中にも差別がある。差別する側の男はそれを自覚しない・・・見果てぬ夢であることもしっかり伝える・・・コンサルの種は尽きない。
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