”平和教育”って??47NEWS
に「平和教育ってこれでいいの?」8月6日に生まれ、広島で育って感じた疑問 「戦争はダメだね」だけで終わらせたくない。新しい修学旅行に挑戦する高校も」と題して以下:
8月6日生まれ、広島市出身の大学院生、網崎百花さん(24)は、国内外の学生が戦争や平和について議論する国際フォーラムに参加したことがある。
各国の学生がさまざまな意見を交わす中、米国の若者は、次のように話した。
「原爆を落としてよかった、おかげで多くの米兵の命が助かった」
核保有国フランスの学生は、主張した。
「核兵器は持っておいた方がいい。国を守ることができるから」
それぞれ訴える姿に、網崎さんは痛感した。
「私が受けたこれまでの平和教育では誰かと意見を交わすことがなく、学びが一方通行だったんだ」(略)
網崎さんは振り返る。「どの活動も、感想文を書いて先生に提出して終わり。原爆を落とされた事実とその被害を教えるだけの学びが“平和教育”でいいのだろうか」
記者の私(33)は、平和教育の在り方について長らく疑問があった。
私は長崎市出身だ。網崎さんと同じく、子どもの頃から、夏は毎年被爆者の講話を聞いたり、原爆被害をまとめたパネルが学校内に設置されたりした。授業の一環で長崎原爆資料館を訪れたこともある。
ただ、その被害を記録した写真に恐怖するクラスメートがいた。決して一人、二人ではない。全校集会で映し出される「黒焦げの少年の写真」を見られずうつむく同級生がいた。資料館に入ることを泣いて拒む同級生もいた。あの子たちは、あの夜上手く眠れただろうか。
被害を受けた事実はもちろん学ぶべきだ。ただ、それぞれの発達段階に合わせた教材でなければ、子どもたちは恐怖を抱き、戦争や平和といった問題から距離を置いてしまわないか。
「平和教育ってこれでいいの?」
そんな中、同じ疑問を抱いていた網崎さんに出会った。
網崎さんもこう危ぶんでいた。「恐怖が先行して、気分が悪くなったり展示物を見たくないと拒絶したりする児童や生徒はいます。その感情が、戦争や平和というテーマから子どもたちを遠ざけているのではないかと私は不安です」
網崎さんの出前授業では、資料のパワーポイントの背景を淡く明るい色にするなど、工夫をしている。「資料写真が子どもたちに恐怖を与えないかとか、少しでも心理的負担を減らせないかと考えて準備しています」 (略)
熱心に意見を交わす生徒たちに、松尾教諭は希望を託す。
「平和教育には土地柄があると思うんです。戦争経験者も近くにいない時代に、『戦争はだめだね』だけで終わらせたくない。生きる場所も抱える背景も違う者同士が、自分事として平和について考え行動することが第一歩だと知ってほしい」(略)
東洋女子高は来年度以降、新しい修学旅行のプログラムを考えている。
自分の中に蓄積した学びから意見を醸成し、誰かと話をする。受け身の平和教育から思考を続ける学習へ。平和教育の現場には少しずつ変化が生じていた。
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まず、日本国民として「平和差別」を訴えたい。上述の記事でもそう、TV朝日で今やってる「森安監督と平和を考える」という企画もそう。上述の記事で平和教育を考えるのは広島生まれの網崎さんと長崎生まれの記者。そして森安監督は奇しくも長崎生まれの広島育ちとか。北海道生まれ長野育ちには平和を考える資格はないのか?東京生まれ大阪育ちは?岡山生まれ岡山育ちは?加えてなんとなく原爆第一号の広島の方が長崎より上…広島、長崎組だけ別扱いで更に広島の方が長崎より偉い・・・リベラルの皆さんが嫌う差別でないか?平和の方が差別より大事なのかな?まあ、リベラルの皆さん、平和大好きだからなぁ。以下、本論の揶揄:
学び…日教組(日教組流)の「平和教育」は一方的な洗脳だ。(そして辺野古基地反対の皆さんがボートに乗せて行ったのも同様)これから得た情報を「学び」と呼ぶのは間違いだ。この記事の後段でも出てくるように洗脳ではなく、「俺はこう思う」を引き出すのが教育であって、その結果、自分の頭で作り出すアイデア、入手する情報を「学び」と言うのだ。つまり、「学び」とは燕の子のように口を開けてれば親が与えてくれるものでもなければ、自動販売機のように、コインを入れれば出てくるものでもない。
パワーポイントの背景を淡く明るい色…できれば、パワポやめて模造紙に手書き…背景の色を変えたくらいで何が違うの?ってじじいの俺は思っちゃう…
感想文を書いて先生に提出して終わり/『戦争はだめだね』だけ…平和教育って進学に関係あんの?日教組のような気違いでなければ、適用にお茶を濁して「ハイ、オシマイ」にしたいという教師の気持ちはよくわかる。俺は平和教育ってのは学校でやるもんじゃないと考える。先生が生徒に”教える”もんじゃあない。じじいばばあが問わず語りに・・・いや、それもだめだ。「戦争は嫌だね」で終わってしまう。結局、最終段に
受け身の平和教育から思考を続ける学習へとあるように、平和などという特定のテーマの前に、「自分の頭で考え、自分の言葉で語る」訓練をするのが優先ではないか?その訓練の一環で国家や民主主義や戦争や平和についての先哲の考えをそれぞれいくつか紹介し、「あとは自分で考えろ」くらいの突き放した「教育」でいいんじゃあないのか?
自分の頭で考えた結果、核抑止論者が出てくる。非武装中立論者も。こういう連中が意見を言い、侃々諤々…多様性だ。こう書き進めて、日本人に自分の頭で考えたり、多様性なんて無理だなあ、とつくづく思う。47NEWS、頑張れ!
閑話休題:
47NEWSはいい。平和、平和とお題目を唱えるだけではないところが。そして早苗は平和に反する、と言いがかりをつけるだけでないところが。結局自分の頭で考える人間をどうやって生み出すか?に尽きると結語するところが。
ついでに今度は民主主義教育について考えてくれないか???出身地の差別なしで。
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