日航123便 (ジャンボ機)墜落事故追悼報道に怒りを覚える

「日航123便 事故原因はボーイング社の修理ミスとされるのに、ボーイング社が追悼行事に参加しないのは何故?」とCOPILOTに聞く。答えは以下に示すが、日本人及び日本のメディアはどうしてボーイング社の非道・無礼及びそれを誘導した中曽根政権を非難・批判しないのか??とりわけ、歴代の自民党政権・首相を非難し批判してきた朝日・毎日以下のオールド・リベラル・メディアはなぜ口を拭うのか?結局自分たちは自民党政権と同じ穴の狢だと認めている、としか考えようがない。(「日本はアメリカの妾だ」と断ずる所以だ。政府・メディア一体となり、妾であることはなるべく隠し、あたかも日本が独立国であるかのように偽装するのはそろそろやめられないか????)

直接原因者でないJALが毎年それなりのコスト・労力を使って追悼の儀式をしたり、再発防止を訴えたりするのは全くナンセンスだ。これって、原爆を落とされても「二度と過ちは繰り返しません」と言い放つのと全く同根の、日本人の人の良さ*、理解のしにくさ、特殊性を示している。 (*「馬鹿さ加減」と言い換えてもよい)

俺は、遺族の皆さんが事故を風化させてはならないと言うのには「紋切り型だなあ、だったら一番風化させちゃあならないボーイング社を呼べよ」と違和感を感ずる。この違和感を風化させないために、毎年8月12日が来るたびにメディア、中曽根政権、ボーイングに対する怒りを新たにする必要がある。(そしていつの日か、日本がアメリカの妾をやめる時が来たら、原爆投下とこの事故について「ちゃんと謝れ」とアメリカ政府とボーイングに言おうじゃないか。その日まで風化させずにしっかり覚えとく必要がある。)

COPILOTの答え以下:

🟥 1. 法的責任を認める行為を避けている(最も大きい理由)

ボーイングは2026年に自社サイトの「修理ミス」記述を削除し、JALに謝罪したことが報じられている。 これは「混乱を招いた」としての謝罪であり、責任の明確化ではなく、むしろ“責任の確定を避ける姿勢”が強く出ている

追悼式典に参加することは、

“事故原因の一部は自社のミスである” というメッセージを暗黙に認める行為になる。

米国企業は訴訟リスクを極端に避けるため、責任を認める可能性のある行動を一切取らないのが一般的。 そのため、参加しないのは合理的な企業防衛行動と考えられる。

🟥 2. 日米政府間の政治的配慮(1985年当時の圧力構造)

プレジデント誌の調査記事では、 「中曽根政権がボーイングを訴えないようJALに圧力をかけた」 という証言が紹介されている。

これは当時の政治的背景(冷戦期の日米関係、航空機産業の戦略的重要性)を考えると極めて現実的で、 事故原因がボーイングの修理ミスであっても、日米双方が“外交問題化を避けた” という構造があった。

この構造は現在まで続いており、

ボーイングが追悼式典に参加する=事故原因の再検証や責任問題が再燃 となるため、政治的にも避けられていると推測できる。

🟥 3. 米国企業文化として「海外事故の追悼式典に参加する慣行がない」

ボーイングは世界中で事故を経験しているが、 海外の追悼式典に企業として参加する例はほぼない

米国企業は「遺族支援はするが、式典参加はしない」という文化が強く、 これは訴訟リスク回避と企業文化の両方によるもの。

🟥 4. JALがボーイングを訴えなかったため、公式に「加害者」と位置づけられていない

JALはボーイングを訴えなかった(訴えられなかった)。 理由は前述の政治的圧力構造。

その結果、

  • ボーイング=事故原因の一部を作った企業 ではあるが、

  • ボーイング=公式に責任を負った企業 ではない。

この曖昧な立場が、追悼式典への参加をさらに困難にしている。

🟥 まとめ(総合評価)

ボーイングが追悼式典に参加しないのは、 「責任を認めることになる行為を避ける企業防衛」 「日米政府の歴史的な政治構造」 「米国企業文化」 「JALが訴えなかったという歴史」 が複合しているため。

公式の理由は存在しないが、公開情報を総合するとこの結論が最も整合的。

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