COPILOT、Geminiに負けてないじゃん

 芥川龍之介の「魔術」を面白く読む。

話は:インド人マジシャンに主人公が魔術を教わる。インド人から「魔術は誰でも簡単にできるが、唯一条件があってそれは”欲を捨てる”ことだ」と言われる。主人公はその条件を受けいれて魔術を教えてもらう。何日か後に、主人公は友人と賭けトランプをやることになって、ずっと勝ち続け、とうとう、その友人は「全財産を賭ける」と言い出す。主人公はつい、魔術を使って賭けに勝つ。その瞬間、目が覚める。インド人に催眠術をかけられて夢を見ていたのだ。インド人は主人公に「欲を出したから、あなたはもう魔術は使えない」と言われる・・・

これを読んで、”落語に似た話があったなあ”と思うが何の話か思い出せない。ただ、何となく”メクラが夢を見る話しに似てるかなあ”と思い、AIに「メクラが夢を見る落語って何?」と聞いた。

たまたま、マンションで工事をしていてWiHiが使えない。やむなくスマホのGeminiに聞く。「目が不自由な人が夢を見るというあらすじの落語は『心眼』です」という答。さすが、メクラなんて言わない。面白い。さて、同じ質問をしたら我がCOPILOTがどう答えるのか、興味が湧いてきて、後刻、同じ質問をCOPILOTにする。答えは:

結論から言うと、「メクラが夢を見る落語」=古典落語『心眼のことです。 視覚障害の人物が「夢の中だけ目が見える」体験をするという内容で、まさにご質問のイメージと一致します。ああ、COPILOTも大差ないじゃん、と安心(?)する。ただし、”目が不自由”ではなく”視覚障害”という言い換えだ。

落語「心眼」は、Wikiに以下:

本演目の代表的な演者として知られた8代目桂文楽の口上によると、三遊亭圓朝が、盲人だった実弟の三遊亭圓丸の実体験をもとに制作したとされる。(略)特にサゲのセリフが有名な作品だが、「盲(めくら)」という差別用語や、盲人を間接的・直接的に差別するシーンが描かれることから、テレビで上演されることは少ない。

時代は明治の中頃、流しの按摩をしている盲人の梅喜。浅草馬道の自宅から横浜まで営業に行き、不景気で仕事もなかったので早めに帰って来たと語るが、顔色が悪いのを見て女房のお竹が事情を察する。「お前さん、金さんと諍いをしたね?」

そう優しく語られた梅喜は突然号泣する。実は家に飯代を持って帰るために弟の金公に借金を頼みに行ったところ、「ド盲食いつぶしに来やがった」「ド盲!ド盲!」と罵られ、あまりの悔しさに茅場町の薬師様に信心して片方の目でも直してもらうつもりで、横浜から歩いて帰って来たという。

その日は女房になだめられて床に就いた梅喜は、翌日から薬師様に21日の日参。ようやく満願の日、お堂の上で会った上総屋の旦那に言われて自分の目が開いていることに気付く。

人力車や姿見など、梅喜の子供の時分にはなかった明治の物を見て喜ぶ梅喜。梅喜は上総屋に、お竹が「人三化け七」よりもひどい「人無し化け十」の不器量であることを教えられて落胆するが、一方で、梅喜自身は「役者にもない」というくらいのいい男であり、「芸者の小春も梅喜のことを惚れている」と聞いて喜ぶ。

そうこうするうちに上総屋はいなくなり、東京で指折りの美人という芸者の小春が現れる。小春は梅喜の目が開いたことを喜び、待合茶屋で梅喜に御馳走するという。待合で小春から告白された梅喜は、お竹と別れて小春を女房にすると宣言。それを聞いたお竹は激怒、梅喜の前に突然現れて首を絞め…

梅喜はお竹に起こされて目が覚める。全ては夢であった。梅喜はこうつぶやく。「俺はもう信心はやめだ」

閑話休題:

Wikiが「ド盲!ド盲!」なんて・・・一方、TVは自粛してこれを演じさせない。

この「魔術」という話、芥川は、落語の心眼をネタにして作ったんじゃあないか?

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