内田樹さん、戦争嫌いが高じて・・・
AERA DIGITALに内田樹氏が以下:
皇室典範の改正を急いだ理由は何かについていろいろな説明がなされている。自民党やその同調者が男系男子に固執するのは男尊女卑のイデオロギーに動機づけられているからだという説明もその通りだと思うけれども、それだけでは足りない。これは象徴天皇制に対する歴然たる挑戦なのだと思う。
前回に書いたように、天皇は「日本国民統合の象徴」である。だが、「国民の統合」はいかにして果たせるのかについての踏み込んだ解釈を下したのは2016年の上皇陛下の「おことば」が最初だった。
上皇陛下はこの中で「象徴」という言葉を8回使い、「象徴的行為」という、それまで日本の政治語彙に存在しなかった新しい概念を提示された。
天皇は日本国民統合の象徴的行為として「戦没者を慰霊すること」と「被災者に寄り添うこと」の二つの行為を果たさなければならない。さらに、それは死者たちが命を失った現場、被災者たちが悲しみと不安のうちに置かれている現場に足を運んでなされなければならない。二つの条件が課された。
そのため上皇陛下は在位中に激戦地ペリリューを訪れた時には海上保安庁の巡視船に宿泊するという過酷な旅をされた。さすがに80歳を過ぎた身には無理がある。そういう理路で上皇陛下は生前退位を求められたのである。
ペリリューで陛下は戦闘で命を落とした「すべての人々」を追悼した。もちろん米兵も現地の人も慰霊の対象だった。フィリピンを訪問する際には、陛下は「フィリピン人、米国人、日本人」の順で犠牲者を列挙された。この順序には周到な配慮があったと思う。
つまり、上皇陛下は「天皇が国民統合の象徴であるためには、選択的に『身内』だけを追悼するような狭隘な民族主義を掲げてはならない。『敵』をも霊的に包摂しうる道義的な高さを示すことで初めて天皇は国民統合の象徴たり得る」という全く新しい解釈を下したのである。
皇室典範改正をめざした人たちはこの「象徴天皇制」思想を受け容れたくないのである。道義性の高い国になってしまったら「もう戦争ができない」からである。
※AERA 2026年8月3日号
>>さて、分からないことが多い内容だ。
①日本国民統合の象徴的行為として「戦没者を慰霊すること」と「被災者に寄り添うこと」の二つ・・・象徴って、政治力、パワーがない、ということだ。そんな存在が、なくならないで昔から長く続いてきて日本国民を統合する力を持つ・・・日本人以外には理解不能だろう。現時点で改めて聞いたら、日本人だって理解していないかも知れない。別に戦没者慰霊や被災者に寄り添うことには無関係だ。俺は戦没者に限らず、また、災害の有無には無関係に、毎日(あるいは24時間ずっと)国民の安寧と国の繁栄を祈るのが天皇だと思う。上皇はパフォーマンスし過ぎたようにも思う。
②「天皇が国民統合の象徴であるためには、選択的に『身内』だけを追悼するような狭隘な民族主義を掲げてはならない。『敵』をも霊的に包摂しうる道義的な高さを示すことで初めて天皇は国民統合の象徴たり得る」・・・民族差別しない=多様性を認めるというとこと、つまり八紘一宇。平和の象徴だ。それは結構だが、これも日本国民統合とは無関係だ。上述の通り、天皇って、フィリピン人にもアメリカ人にも理解できない、日本人だけ分かる独特のものだ。
最後の「皇室典範改正をめざした人たちはこの「象徴天皇制」思想を受け容れたくないのである。道義性の高い国になってしまったら「もう戦争ができない」からである。」のくだりは全く理解不能。日本国民統合の象徴=平和の象徴=戦争できない・・・どう考えても結びつかない。仮に天皇一人道義性が高くたって日本国民が戦争しないかね?天皇は象徴だから、日本国民が戦争したくなったら止める政治力はない。象徴ではなく、神であり、絶大な権限を持っていた昭和天皇ですら戦争を止められなかった。
どうも、内田さん、戦争嫌いが高じて、象徴天皇=日本は戦争しない、と我田引水、牽強付会が過ぎたようだ。
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