芥川龍之介「侏儒の言葉」より②
侏儒の言葉「批評学」に以下のくだり:
たとえば今日の民衆は日本風の草花を愛しません。即ち日本風の草花は悪いものであります。又今日の民衆はブラジル珈琲を愛しています。即ちブラジル珈琲は善いものに違いありません。(略)この標準を用いずに、美とか真とか善とか言う他の標準を求めるのは最も滑稽な時代錯誤であります。諸君は赤らんだ麦藁帽のように旧時代を捨てなければなりません。善悪は好悪を超越しない。好悪は即ち善悪である。愛情は即ち善悪である。
>>旧時代の「永遠で普遍的な”真善美”」を愛した芥川の、ものすごくドライな物言い・・・これが書かれた1920年代・・・ロシア革命の影響で共産主義が広がり、関東大震災が起き、アメリカでは資本主義・大量生産が”旧時代”のモラルやタブーをぶっ壊した。100年たって中国が世界の工場になってアメリカの覇権が怪しくなり、東日本大震災が起き、アメリカではトランプという断末魔が現れ、AIが旧時代をひっくり返すと言われ・・・何を信じていいか分からなくなって、昔ながらの真善美なんてものは当てにできなくなり「好き嫌いが標準」になる。100年前はこの状態をご破算にするには世界大戦が必要だった。トッドさんに言わせれば、今起こっているウクライナ、イランなどの戦争は旧時代の世界大戦だ、と。しかしこの程度のカタストロフィーで、ご破算とはいかない。旧時代の戦争という形を取るとは限らないが、アメリカの覇権の破綻に至るカタストロフィーが不可避であろう。インドが不気味だ。100年に一度のカタストロフィー。目撃したいようなしたくないような・・・
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