天皇制に向き合いましょう
AERA 2026年7月20日号に内田樹が以下:
(前略)
皇室典範改正に自民党が前のめりになっているせいでリベラル派の言論人たちも天皇制がどうあるべきかについて語り始めた。これは端的によいことだと思う。憲法第一条の「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」はきわめて難解な条文である。「統合とは何か」「象徴とは何か」「総意とは何か」どの問いについても国民的な合意が存在しないからだ。でも、これらの問いについて合意形成を目指すことは日本人の政治的成熟にとって不可避の責務だと私は思う。
>>「憲法で言っていることが何を意味するのか未確認のまま80年も過ぎちゃった。マッ、いいか」・・・いかにも内田らしい。俺は「そんなんだから、民主主義なんて日本人には無理」と言う。内田は「今から憲法で言っていることの意味を探ればいい。そのことで日本人が政治的に成熟する」と言う。それも確かだ。俺と違って諦めが悪いところもいい。>>
だが、立憲デモクラシーと天皇制を折り合わせるためにはどうしたらよいのかという困難な問いにまっすぐ向き合ってきたのは皇室の方たちだけだった。私たち国民はその問いをネグレクトしたまま80年を便々と過ごしてきた。だから、今皇室典範改正を前にしても理論的な準備がないまま「君側の奸」とか「皇位簒奪」というような死語を使うしかないのだ。
>>その通り。俺は、立憲デモクラシーと天皇制を折り合わせるとは、矛盾を止揚することだ、と思う。天皇って君主だ。日本以外の君主は、自らの権力は神から与えられた、と称し、権力を振り回して横暴を極めた。それを押さえ込むために民草が憲法や民主主義というものを編み出した。一方、日本の天皇は君主でありながら、権力もパワーもなく、ただ国民の安寧を祈るだけだった。従って日本には国王の権力乱用を押さえ込むための民主主義なんて必要なかった。もちろん、例外的に権力を笠に着る天皇も現れた。そういう場合は、もっと実力・政治力のある権力者が担ぐおみこしの上に乗せられて天皇の権力はコントロールされた。この際も、天皇の権力をコントロールしたのは民草ではなく、天皇以外の権力者だった。そういう伝統の中で明治維新後、尊王攘夷実現のため、先輩の諸帝国を真似すべく皇帝に担ぎ上げられた天皇は権力を与えられた。昭和に入って、おみこしの担ぎ手がマジで天皇を神と信じるような青い者たちに代わった結果、戦争に負け、敗戦後アメリカ様は、民主主義を知らない日本人に民主主義を与えた。事態をややこしくしたのはアメリカが占領コストを安くしようと、天皇を残したことだ。(日本が二度と戦争しないように平和憲法という不自然で面倒なものも残して行ったが・・・)権力・帝国の象徴だった天皇から、”国民の総意”に担がれた、なじみのない民主主義というおみこしの上に乗った、統合の象徴たる天皇へ。その転換は、絶望的に難しい。マジックというか、飛躍が必要だが、そんなこと、日本人にできるだろうか。>>
かつて吉本隆明は天皇制に向き合わぬものはいずれそれに「足をすくわれる」と道破した。その通りになった。
>>これも100%同感。要らないものが1000年以上存続し続けるわけはない。日本人には避けて通れないものだ。>>
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