日本の国運
日本が外国との外交(戦争)上の危機に瀕したことは4回あった、ということは一般的に言われていることだろう。最初の2回は中国、次の2回はアメリカが相手だった。
面白いことに、3回は中国やアメリカの内紛や日本以外の国との戦争によって中国やアメリカが日本に関わっていられなくなって、日本は占領されたり滅ぼされたりすることはなかった。最後の1回は、アメリカだけが保有していた原爆の脅威が皮肉にも日本の降参を早めソ連の介入を防ぎ、冷戦の始まりがアメリカが日本を味方にせざるを得ない状況を生み出した。
好戦的で他人を蹴落とそうとする中国人やアメリカ人はケンカもうまいけど、日本以外の国や身内ともケンカする・・・日本はそのおかげで徹底的にやられないで済んできた。
この運命を幸福と呼ぶべきかは分からないが、日本が滅ぼされ、日本人がいなくなる危機を免れたことは事実だ。俺はこの運命は天皇が存在するからだ、と信じる。普通の人間でいれば、人権だ、なんだと主張できるものを諦めて、日本の繁栄、日本人の安寧を一途に祈る天皇のおかげだ。
一方で日本(人)にとってこれは幸運かどうか?だって、深く考えもせず、あるい考え違いしても天皇がいれば何とかなる、ってことになるからだ。つまり、日本には「責任を取る人」不在なのだ。そして、天皇自身だって先の大戦でアメリカに負けた時には詰め腹を切らされる恐れは大いにあったが、いち早く負けを認めた功績?を認められて「象徴」として生き残った。
①白村江の戦い
朝鮮半島で新羅と組んだ唐が百済を滅ぼし、百済経由で中国の文化・文明を取り入れて来た日本は百済から頼まれ、また「自衛」のため、663年、朝鮮半島に侵攻したが、新羅・唐連合軍にコテンパンにやられ、百済同様、滅ぼされかねない状況になった。一方、当時の唐は三代目の高宗が655年、親の太宗の側室だった武照を皇后にし、皇后になった武照は前皇后を殺す、と言った乱れた政治環境だった。(武照は高宗の死後、690年には唐を一時的に武周という国にして中国史上唯一の女皇帝・・・則天武后になった。)白村江の後、唐は670年には新羅に裏切られて攻め込まれたが西域ではチベットとも戦争していて新羅の独立・朝鮮統一を許した。この時期は、武照一族が高宗に代わって政治の実権を握ろうとして高宗と争うという変則的・不安定な時期だったが、高宗が眼病になり、683年に死んで則天武后の誕生の道が開けた。
このような唐の内政・外交の乱れから、日本は唐に滅ぼされたり、属国にされたりするのを免れた。
②元寇
1279年南宋を滅ぼして元は中国統一を完成するが、それに先立ち、日本が南宋と組むことを恐れた元は1266年~1272年の間に6回にわたって日本に服属をもとめる使節を送ってきた。しかし日本にいた南宋人の妨害もあって交渉はうまく行かなかった。1274年(文永11年)、1281年(弘安4年)と2回元・高麗軍が攻め入ってきたが、日本は負けなかった。1283年元では3度目の出兵計画が持ち上がったが、南宋復活の反乱がおき、加えてベトナムでも戦争が始まって実質上、日本への出兵再開は断念された。それ以降も1299年まで都合13回にわたって元は日本に服従を求める使節を送るが、台風やサボタージュで日本に到着しないことも多かった。
③黒船(ペリー)
19世紀初頭以降、アメリカは、フランスやメキシコからルイジアナ、テキサス、カリフォルニアなどを獲得し、民主党は、奴隷制に反対する自由州が増えることを恐れた。1857年、最高裁で奴隷制擁護のドレッドスコット判決が出されたが、これは、1856年の大統領選で勝った民主党ブキャナンが翌年3月の大統領就任を前に介入した結果とも言われる。奴隷制に反対すべく1854年に結党された新政党・共和党は、この判決のおかげで北部で急激に支持を拡大し、ブキャナンは南北戦争を生み出した史上最悪の大統領という評価をされる。リンカーンは1860年、奴隷制反対を訴えて当選し、1861年3月には大統領となることが決まったが、リンカーン大統領就任前から南部諸州は連邦からの脱退を求め、就任直後の4月にサウスカロライナで南北戦争が始まった。
一方、1854年、ペリーが来て日米和親条約を締結。それに基づいて1855年初代日本駐日領事に任命されたハリスは日本との通商条約締結のための全権委任を与えられる。1858年、ハリスは日米修好通商条約を締結することに成功、1859年東京に公使館を開いたのだが、新大統領リンカーンは南北戦争にかかりきりで外交などやっていられなくなり、幕末の日本では幕府についたフランスと維新側についたイギリスが暗躍する。
④第二次世界大戦
1945年8月14日に日本はポツダム宣言を受諾した。これが遅くなったり、連合軍が本格的に日本に上陸して日本で戦争が続けられたら、ソ連が北から侵入して来て、日本の北部(少なくとも北海道)はソ連に押さえられ、朝鮮半島のように南北に分離させられたと思われる。加えて、唯一の核兵器保有国だったアメリカの単独での日本占領をソ連は反対できなかった。連合軍の監視・牽制もあったからアメリカも勝手なことはできず、1948年までは日本の民主化、非戦化を指導したが、冷戦が始まり、1949年以降「逆コース」と呼ばれる反共に方針が変換された。1950年には朝鮮戦争があり、1991年のソ連解体までは日本は中ソに対するアメリカの防衛壁と位置付けられ、経済復興も果たした。
閑話休題:
しかし、中国人もすごいね。親父の妾を自分の奥さんにしちゃう。そしてその奥さんに権力を奪われる。(病気になったのも奥さんの仕業だろう)・・・その乱脈のおかげで日本は助かった。
1272年、元から6度目の使節として派遣された趙良弼は、日本侵攻の無益をクビライに説き「臣は日本に居ること一年有余、日本の民俗を見たところ、荒々しく獰猛にして殺を嗜み、父子の親(孝行)、上下の礼を知りません。その地は山水が多く、田畑を耕すのに利がありません。その人(日本人)を得ても役さず、その地を得ても富を加えません。まして舟師(軍船)が海を渡るには、海風に定期性がなく、禍害を測ることもできません。これでは有用の民力をもって、無窮の
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