生活保護利用者バッシング

 朝日・記者コラム「多事奏論」にて 編集委員・清川卓史が

生活保護 心揺さぶる自治体サイトの言葉 権利守る制度案内とはと題して以下:


生活保護に関わる、ある文章を引用したい。まず読んでいただけたらと思う。

 「すべての人には生きる権利があり、命は尊重され守られるべきものです。(略)生活保護は生きるための権利です。生活保護に対する差別や、その他の差別は許されません」

 「誰もが日々の暮らしの中で幸せでありたいと願っています。しかし、長い人生の間には、思わぬ病気や怪我(けが)など、様々な理由で収入が減ったり、無くなったりして、暮らしに困るときがあります。このように何らかの事情で暮らしに困ったときに、健康で文化的な生活ができるよう支援する制度が生活保護です。ためらわずにご相談ください」

 これは東京都国立市のウェブサイトで、生活保護を案内するページの冒頭に掲げられた文章の一部だ。見出しは「すべての人に安心して幸せに暮らす権利があります」。制度を詳しく解説した「しおり」や申請書なども同じページでダウンロードできる。

 生活困窮者支援の最前線で活動する「つくろい東京ファンド」の小林美穂子さんが書いた雑誌の記事で、国立市のサイトを私は知った。小林さんは「最初に見たとき涙が出そうになった」と語っている。私も「こんな自治体があったのか」と心を揺さぶられた。

 生活保護では、自治体窓口で申請を妨げるような説明や対応をする「水際作戦」が長く問題になってきた。「最後の安全網」と言われる制度なのに、自治体サイトにまともな説明はなく、窓口にもチラシも申請書も置かれていない。かつては、そうした自治体が大半だった。

 困窮して追い詰められた人は、多くの人が行き交う窓口で勇気を振り絞って職員に声をかけ、説明を聞くしかなかった。情報提供がないから「若い人は利用できない」などの誤解も蔓延(まんえん)した。

 国立市によると冒頭の文章は、インターネット上で生活保護利用者へのバッシングが広がったことを契機に、2021年からサイトに掲げているという。(後略)

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まず第一に、俺は ”「権利」なんてなくて結構、「差別」も結構” 論者だ。権利って何だろう、一神教の信者が「神様から万人に平等に与えられた権利」などというところから引っ張って来たんだと思うが、日本人は本当に権利なんてもの、理解できるんだろうか?お上のお情け・お慈悲にすがって生きて来たんじゃあないか?それで何か不都合があるのか?

結果、恵まれない人と恵まれる人(=格差)が生じる。恵まれない人は差別され、蔑まれてどこに不都合があるのか?

絶対の存在である神様が許さない、っていうなら分かる。日本人は何を根拠にどんな人間にも権利はあるとか差別はダメとか言い出したんだろうか?

民主主義同様、日本人にはなじまないものを無理やり導入したんじゃないか?

役人が文書を軽視し、説明を嫌がるのは生活保護に限らない。

日本人はそもそも口から発せられた言葉には「言霊」があるとか何とか言っていたが文字で記録を残すということを嫌い・軽視し、できれば文字で記録を残すということを回避してきた。もっと言えば、口から発せられる言葉による説明だって面倒臭がってきた。

(同時に書かれたものであろうが、口頭であろうが、一旦外に出た言葉には決して間違いがあってはならない、という無謬論がお上の間では出て来た)

役人の作文である法律だって、「よく読んで理解しても守りましょう」とはなっていない。素人には理解不能な文章だ。そして素人衆はハナから守る気もないし、法律なんて読みゃあしない。(その典型が憲法だ)お役人様は「分かんなけりゃ聞きに来い」だ。だから民主主義も法治主義も不可能だ。つまり、法律を守れ、と言う方は「どうせ守られるわきゃねえ」で、守れ、と言われた方もハナから守る気はない。

日本人は、何故、無理して不得意なこと、なじみのないことをするのか?よその国に馬鹿にされないためか?鎖国すれば無理しなくて済むんだが・・・

俺は生活保護を受ける人を差別はしない(差別する人がいても別に非難もしないが)。一方で誰にも権利が、とか、差別はダメ、と言う輩には「ホントに分かってるの?」と揶揄したくなる。昔は権利とか差別ダメなんて野暮は言わないでも、結構人間は幸せに生きてたんじゃないか?そして、そんな幸せが、知恵がついて頭でっかちになる前のまともな人間本来の幸せだったんじゃないか??

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